【KAC20203】転機はいつだって突然に(お題:Uターン)
僕が幽霊になって、六年が経った。
そして僕は、ひとりぼっちになりかけていた。
小学六年生の夏に死んだ僕は、住んでいた社宅で地縛霊になってしまっていた。敷地から出ることが出来ないので、いつもは社宅の人たちや、町内にいる同級生を見守りながら過ごしている。
僕を思い出すのが辛いと言って、家族は引っ越してしまったけど、この社宅には親友が住んでるし、大好きな女の子も遊びに来る。幽霊の友達だって出来た。
緩やかに流れていく時間を、ただ穏やかに、そして幸せに過ごしてたんだ。
ところが、この社宅の移転が決まってしまったのだ。
僕の親友、
「来年の春までに引っ越し。こればかりは、どうすることもできないから」
「わかってる……」
ベッさんの正面に座って泣きそうな顔をしているのは、僕とベッさんが恋をしている
どうしてこの部屋かというと、ここは僕が暮らしていた部屋の真横だから。
ベッさんは壁際に僕の写真を飾り、お供え物を置くスペースを作ってくれている。タカイさんはそこにジュースやお菓子を並べて、その日あったことなんかを話してくれたり、時には「どれだけ自分が
笑顔で僕のことを話す二人を見ているのは、幸せだった。
だけど社宅が移転してしまったら、当然ベッさんも引っ越してしまう。誰もいなくなった社宅は、そのうち取り壊してしまうかもしれない。
僕は、この場所から出ることも出来ず、ひとりぼっちになってしまう。
「どうして、移転なんかするの……」
まるで僕の気持ちを伝えるように、タカイさんが悲しそうに言った。
「建物の老朽化も進んできたし、通勤時間の短縮も兼ねて、空港の近くに移転するんだって。うち航空会社だろ? 時間厳守の仕事なのに片道一時間半かかるし、ずっと立地が不評で」
「そういうこと聞いてるんじゃないよぅ、わかってなーい!」
理由を語りだしたベッさんに、タカイさんが唇を尖らせた。
「移転なんて、やだって、言ってるの」
「俺だって嫌だよ」
二人が大きな溜息を吐いた。つられて僕も息を吐いた。別に呼吸なんかしなくてもいいんだけど、これは気分の問題。
「それにしたって、急すぎじゃない? ベッショくんだって、受験シーズンに引っ越しなんて困るでしょ?」
「俺が聞いたのが急だってだけで、もちろん親は知ってたし、噂は前からあったんだよ」
「えー、じゃあ言っといてよ! 心の準備ができないじゃない!」
「言ったら泣くってわかってるのに、噂だけで言えるわけないだろ?」
むぅ、とタカイさんが膨れた。今も泣きたいのを我慢しているらしい彼女は、僕の写真に向かって「ベッショくんが意地悪だよ」と言い付けてくる。
「とにかく、親は新しい社宅に入るし、俺は大学の近くで一人暮らし」
しかたないね、とタカイさんが弱々しい声で言った。
「ねぇ、大学……どこ受けるの?」
「
ベッさんは、入院していた僕のお見舞いに来ていた頃から、小児科医を目指している。その為に勉強をすごく頑張ってたこと、僕は、ずっとここで見てた。
「タカイも福海大を受けるんだろ。この場所じゃなくてもいいなら、いつでも部屋に来ればいいさ」
「うん」
「その為にはまず、揃って合格しないとな。落ち込んでる暇なんかないぞ?」
「うん……」
俯いて泣いてしまったタカイさんを、ベッさんがそっと抱きしめた。
僕はなんとなく、その光景を見たくなくて、部屋を出て一気に屋上まで飛んだ。
照りつける太陽、入道雲、蝉の合唱。真夏の空の下、僕は給水タンクの上に座った。
今までずっと、二人の仲の良さを見てるのが好きだったし、嬉しかった。僕のことは気にしないで、もう付き合っちゃえばいいのにって思ってた。なのに今、すごく悲しいと思っている。
僕はひとりになってしまうのに、二人は一緒に歩いていく。僕はこんなに寂しいのに、二人は未来を見つめてる。それがいいことだっていうのは、わかっているはずなんだけど――どうしても、モヤモヤする。
「なんで、僕はここから出られないの……」
呟いてみても、誰も返事はしてくれない。僕の声は、誰にも届かない。
助けてと叫びたかったけど、叫んだって助けなんか来ないって、もう僕は知ってるんだ。
胸の奥が、真っ黒になるような気がした。
ずっと、屋上で泣いていた。それは数時間のことかもしれないし、もしかすると数日かもしれなかった。気が付けば空は暗くて、早朝か夜かもわからなかった。
泣いているうちに、心の奥に、今までになかった感情が渦巻いていた。
――ベッさんとタカイさんは、どうすれば僕と一緒にいてくれるんだろう。
――どこか遠くへ行っちゃう前に、引き止める方法があるんじゃないかな。
――僕と同じように、ずっとここにいてくれる方法、あるんじゃないかな?
ふと違和感を覚えて、自分の身体を見ると、両足が黒っぽくなっていた。
「えっ、何これ……?」
僕はパーカーにハーフパンツ、スニーカーという服装でずっと過ごしてるんだけど、そのスニーカーごと黒いもやがかかっていた。
そのもやを見ていると、何だかすごく不安になる。このまま自分が、自分じゃない別のいきものになってしまうんじゃないか――そんな気がして、ものすごく怖くなって、僕はぎゅっと目を瞑った。
「カケル、しっかりしろ」
誰かが僕の名を呼んで、同時に頭をポンと叩かれた。今の僕に人間は触れないはずで、驚いて顔をあげると、そこにはよく知っている顔があった。
「トモキ!」
そこにいたのは、友達のトモキだった。社宅横の道路で事故死した彼は、普段は「空の向こう側」で暮らしていて、お盆と命日だけ事故現場に帰って来る。僕が幽霊になって、最初にできた友達だ。
「よっ、半年振り!」
そう言って笑ったトモキは、いつもは学生服なのに、今日は黒いスーツを着ていた。
「どうして今、ここにいるの? そういえばお盆は来なかったね? その格好は何があったの?」
「まあまあ、焦るな焦るな」
順を追って話すから、とトモキが僕の肩に手を置いた。
「俺は資格試験に合格して、めでたく転職しました。お盆はちょうど研修中だったんだ」
トモキは胸ポケットから警察手帳のようなものを出して、ひらひらと見せた。
「九月
「待って待って、そんな一気に言われてもわかんない!」
「一言で言うと、Uターン転職。今日からこの町で仕事することになったわけ、ただいま現世!」
ものすごいキメ顔をされたけれど、さっぱり意味がわからなかった。だけどトモキがこの町にいるというのは、すごくすごく嬉しいことだ……僕、ひとりぼっちじゃなくなるかもしれない。
そう思った時、気味の悪い違和感がどこかに消えた。足元は黒いままだけど、もう不安にはならなかった。
「何があったんだ? これ、悪霊になる前に出るやつだぞ……ま、これなら三日くらいで消えるかな」
トモキはそう言って僕の足元に屈み込み、黒いもやをそっと吹いた。その程度では消える気配がない。
「恨みとか絶望とか、悲しみとか、そういうものに囚われたよね? カケルはのんびりしてると思ったのに、引き継ぎ直後に警報鳴ったから驚いたよ……ええと、属性値反転、正常値、っと」
トモキはスマホみたいな端末を出して、何かを入力して送信した。
「あー、間に合ってよかった。初仕事でカケルを消滅させるとか、さすがに辛すぎだし」
「消滅!?」
「魂の核まで悪霊化したら、もう消すしかないからね。で、何があったか話してくれる?」
それを言うには、自分の中の嫌な気持ちを話さなきゃいけない。渋る僕の髪を、トモキがぐっしゃぐしゃにした。
「レポートも書かなきゃいけないし、再発防止も仕事だけど、これは友達だから聞いてるんだぞ!」
そう言ったトモキは、いつもここでおしゃべりする時と同じように笑った。
僕の中にある汚い心は、ベッさんやタカイさんには、絶対に見せたくないけど……トモキなら、笑って許してくれるような気がした。
僕はゆっくり時間をかけて、何があったのか、どう思ったのか、全部正直に話した。
話を聞き終えたトモキは、なるほどなぁ、と呟いて目を閉じた。
「こんなとこでひとりぼっち、嫌だよな。わかるよ」
「でも……僕、ここから出られないから。どうすれば、出られるのかな」
「それだよなー。縛られてる原因がわかれば、解決までサポートしてやれるんだけど……まぁ、二人でボチボチ探そうか!」
トモキはめいっぱい、伸びをした。トモキと一緒にいると、何でも大丈夫な気がしてくる。
よし、とトモキは急に立ち上がった。
「俺の居住地、ここで登録するかー! そうすれば、仕事がない時はカケルと遊べるしなー!」
それは、唐突な決断に見えた。住むところの登録がいるのかとか、聞いてみたいことは色々あったけれど、最初に僕の口から出て来たのは「いいの?」という一言だけだった。
「いいも何も、このあと悪霊化されたら俺の責任だし……だいたい、この町で地縛霊やってんのカケルだけだしさ!」
「えー、他には誰もいないのー!?」
「地縛霊なんて、そんな頻繁にいないからな?!」
トモキがゲラゲラと笑って、つられて僕もゲラゲラ笑った。屋上の給水タンクの上で、二人で腹を抱えて笑い転げた。
薄暗かった空が、少しずつ明るくなっていく。
ああ、初めてトモキと会った時も、こんな夜明けだったな――そんなことを、思い出す。
春にはきっと、親友を笑顔で送り出せるような気がした。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます