【KAC20202】今日も彼女は振り向かない(お題:最高の祭り)
それは、僕が幽霊になって三年になる頃。
僕の同級生たちが、中学三年の夏休みを過ごしていた頃のことだ。
小学六年生の夏に死んだ僕は、何故か住んでいた社宅の敷地から出ることができない。なのでいつもは社宅の人たちや、町内にいる同級生を見守りながら過ごしている。
家族は一周忌も待たずに引っ越していて、自宅は既に空き部屋だ。夜はなんとなく、そこにいる。僕の部屋だった場所と、壁一枚を隔てた向こう側には、大切な親友の部屋があった。
僕の親友の、
聞き逃さないために、いつでも近くにいたかった。それで最初はベッさんの部屋にいることが多かったけど、そのうち「人に見られたくないこともあるんだな」ってわかった。ベッさんは僕と違って、少しずつ大人になっていくから。
生きてた頃の僕とベッさんは、壁を叩いて合図して、夜中にベランダで喋ることがあった。
今も、同じことをしているつもり。
ベッさんが名前を呼んでくれたら、いつだって僕はそばに行く。
その日の夜も、カケル、と呼ばれて部屋に入った。
ベッさんは机の上にコーラが注がれたコップを二つ置いて、参考書やノートを片付けているところだった。
「カケルも一緒にコーラ飲もうぜー」
「やったー、ありがと!」
僕の返事は、もちろんベッさんには聞こえていない。
本当に飲むこともできるけれど、コップが空になると騒ぎになりそうだから、普段は匂いだけを頂くことにしている。写真の前へ置かれたコップは汗をかくほど冷たくて、顔を近づけただけでシュワシュワする。
「あのさ、夏休みになってさ、
タカイさんというのは、僕がずっと大好きな女の子だ。僕が死んでからの三年間、必ず放課後にここへやって来て、ベッさん相手に「いかに自分が今でも
「カケル、寂しいよな」
「うん、タカイさんに会えないのは寂しい」
「俺も寂しいんだよな」
聞こえるはずのない返事をしているだけなのに、会話できている気がしてしまう。ベッさんとお喋りをしている「気分」だけでも、僕は楽しい。
「俺、タカイのこと、好きなんだと思う」
ベッさんが、初めて自分の想いを口にした。それはいわば「独り言」なのに、すっかり頬が赤くなってしまっていた。
「カケル以外のヤツに、タカイを持って行かれるのは嫌なんだ」
「あのタカイさんがそんなこと、ある?」
「今日、フミヤスが、タカイと二人で駅前を歩いててさ」
「えー?!」
多分、同じクラスだった
「どうすりゃいいんだろうな」
「告白すればいいじゃん!」
「ごめんなカケル、お前だってタカイのことが好きなのにな」
「変な気を遣わないでよ! 僕、もう死んでるんだってば!」
「でもさ、俺、多分ひどいこと言うけどさ」
ベッさんが、コップに残ったコーラを一気に飲んだ。少しだけ顔をしかめてから、まっすぐに写真の中の僕を見る。
「俺は、タカイにカケルを忘れて欲しくない。俺だって忘れたくないし、ずっと二人でカケルのことを覚えていたい。みんな、いつまでも引きずるなって言うけど、それでも」
何かを思い出したのか、ベッさんの目には急に涙が溜まった。手の甲でそれをぐっと拭って、寝る、と小さく呟いたベッさんは、明かりを消してベッドへ潜り込んでいった。
ベッさんとタカイさんが付き合えば、全部うまくいくんじゃないのかな。僕だってずっと、もう付き合っちゃえばいいのにって思ってたし。
きっかけさえあれば、タカイさんは応えてくれる……と、思う。
何かないかな、とベッさんの部屋を出た僕は、社宅にお住まいの皆様の家をあちこち回って、社宅祭のチラシを見つけた。
そうか、もうすぐ社宅祭だ。
八月の恒例行事、社宅の敷地で一日だけ開催されるお祭り。社宅に住んでいる大人たちが出店を出して、地域の人たちが自由に出入りできる、手作りの縁日みたいなもの。僕にとっては年に一度、同級生のみんなと間近で再会できる日でもある。
中学生になったからなのか、カップルでお祭りに来る人もいる。ベッさんも、タカイさんを誘えばいいのに。
僕は管理人室からチラシを一枚貰ってきて、こっそりベッさんの参考書に挟み込んだ。
翌日、参考書を開いたベッさんが、不思議そうな顔でチラシを見つめていた。昨日はなかったものが挟まっているのだから、当然だ。
「カケル……なわけ、ないか」
僕の写真に向かって、ベッさんが笑う。普通に疑われてた。こういう時のベッさん、結構鋭い。
「タカイ誘ってみる。やっぱお前だろ、ありがとな」
ベッさんの中では、僕の仕業だと確定したらしい。すんなり受け入れちゃうベッさんが、僕は本当に大好きだ。
電話越しのタカイさんは「じゃあ浴衣を着て行っちゃうよ!」と勢いよく返事をしたらしい。
やっぱり、付き合っちゃえばいいのに。
お祭り当日は、朝から社宅中が大騒ぎだった。
普段は航空会社に勤めている大人たちが、慣れない作業にてんてこまいで、それでもみんな楽しそうに笑っている。子供たちはそれを手伝う子もいれば、邪魔するようにボール遊びを始めて叱られる子なんかもいて、様々だ。僕も生きてた時、一緒にカレーの仕込みを手伝ったことがある。懐かしい。あれはお手伝いになってたのかな……今思うと、ちょっと怪しい。
そんな中、ベッさんは普段通りのTシャツとジーンズ姿で頭にタオルを巻いて、力仕事を手伝っていた。そのまま夕方まで大人たちにコキ使われて、社宅祭が始まっても、ベッさんは公園の芝生でひっくり返っていた。
その隣に、浴衣姿の女の子が屈みこんだ。タカイさんだ。朝顔柄の浴衣はよく似合うし、髪も結い上げてていつもより可愛い。
「タカイさーん! すごく可愛い!」
聞こえないとわかってるのに、僕は本人の前まで飛んで行って叫んだ。タカイさんはベッさんの頬に冷えた缶コーラを当てて、飛び上がるように起きた姿を見てケラケラ笑っている。
「うお、びっくりした……お、馬子にも」
「それ以上言ったら怒るよ」
「……はい、お綺麗です」
「うむ、よろしい」
顔を見合わせて、二人が笑う。つい「もう付き合っちゃえ!」と叫んだけど、その声は誰にも届かなかった。
その時、ちとせー、とタカイさんの名前を誰かが呼んだ。フミヤスの声だ。ベッさんが一瞬だけ顔を曇らせたけど、フミヤスの隣には、タカイさんの親友の
「俺たち出店を回ってくるけど、お前はベッさんといる?」
「うん、いってらっしゃーい」
「チトセたち、いい加減に付き合っちゃえばいいのに」
「あははは、ないない! 私たちはそーゆーのじゃないから!」
笑顔でベッさんの心を抉ったタカイさんは、じゃあねー、と二人に手を振った。
「フーミン、これからリッちゃんに告白するんだって。ずっと相談に乗ってたんだけど、今日のお祭りに誘えばって言っちゃったんだ」
楽しげに言うタカイさんに、ベッさんが驚いた様子で「マジか」と呟いた。
「フミヤスって、リッカが好きだったのか」
「ベッショくん、気付いてなかったの? にっぶーい! 私でもわかったのにー!」
タカイさんが、両手を口元に当てて笑っている。そんなタカイさんも可愛くて、何だか眩しかった。
「まぁ、誘った時点で告白してるようなものなんだけどね!」
その言葉を聞いて、コーラを飲もうとしていたベッさんが派手に吹き出した。
「ねぇベッショくん、二人で約束してお祭りを回るって、デートだと思わない? 思うよね?」
タカイさんは自分がベッさんから誘われたことなんて抜けてるのか、それとも自分は例外だと思っているのか、笑顔でベッさんにグイグイと問いかけていく。
「タカイがそう思うんなら、そうなんじゃないか?」
「えー、そーやって適当に流すのやめてよー!」
顔を赤くしてタオルでコーラを拭くベッさんを見ながら、タカイさんは唇を尖らせて「男子はこれだから困るなー」と言った。
その後の二人は仲良くお祭りを楽しんでいたけど、ベッさんが告白できるような雰囲気にはならなかった。社宅の大人たちが口々に二人をからかうせいで、その度にタカイさんが否定し続けていたからだった。
夜も更けて、そろそろお開きという頃に、タカイさんが「お部屋に寄らせて」とベッさんに言った。きっと、僕に会いに来てくれるんだろう。大人たちは片付けが残っていたので、ベッさんは「タカイを家にあげるよ」とおばさんに声をかけてから、そのまま黙って自宅へ戻る。ちょっと緊張しているように見えた。
タカイさんはベッさんの部屋に入ると、僕の写真の前に座りこみ、出店で買ったお菓子を何個も供えはじめた。
「今日はお祭りだったんだよ。浴衣着ちゃった、似合うかな?」
僕に向かって喋り続けるタカイさんを、ベッさんは嬉しそうに眺めていた。
こういう時のタカイさんは本当に表情がコロコロ変わり、そのどれもが可愛くって、僕はいつも幸せな気分になる。多分、ベッさんも同じなんだろうな。タカイさんの笑顔は、僕たちを幸せにしてくれる。
「俺、そうやってカケルと話してるタカイが、好きだ」
ベッさんが顔を赤くして、タカイさんへの想いを告げた。だけどタカイさんはキョトンとしている。
「急にどうしたの?」
「だから、彼氏とか作らないで欲しいんだよ……ずっと、カケルを好きなままでいて欲しい」
「言われなくても! 私だってこんなことできるの、ベッショくんの部屋だけなんだから! 彼女とか、作らないでよ?」
そう言ってタカイさんは、最高の笑顔を見せてくれた。
――やっぱり、付き合っちゃえばいいのに!
(了)
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