かえりみち

祥之るう子

かえりみち

「少年! Uターンだ!」


 いつもどおり、目の前の大きな背中がふりむいて、ぼくにそう言った。

 大きくて丸い目と、ふっくらしたほっぺ。背は高いけど、笑うとぼくと同い年くらいに見える、お姉さん。

 ミユキさん。


 ぼくがミユキさんに会ったのは、もうすぐ十才のたんじょう日だなって、なんとなくたのしみになって、お母さんとお父さんにお手紙を書こうと決めた日だった……と思う。


 ちょっとよく思い出せない。


 あの日、気がついたらこの道を歩いていたぼくの手を、ミユキさんが後ろからとつぜんひっぱってきた。


「少年、どこへ行くんだい」


 まん丸な目をパッチリ開いてそう言った、あの時のミユキさんの顔は、ついさっきのことのようにはっきりとおぼえてる。

 なのに、ミユキさんと知り合ってからどのくらいたったとかは、いまいち思い出せない。

 その日から、ミユキさんはぼくのさんぽにいつもついてくるようになった。


「ミユキさん、どうしていつも、ここでUターンなの?」

「ふむ。それはね、これ以上は行ってはいけないからに、決まってるだろ?」


 ミユキさんは、変なしゃべり方をする。まるで、マンガに出てくるハカセみたいだ。


「じゃあどうして、いつもここまでいっしょに歩いてくるの?」


「ふむ。それはね、君に帰り道を教えているのだよ。私がいなくても、ここから一人で帰れるようにね」


「なんだよ、それ。いくらなんでも、一人で帰るくらい、できるよ」


 ぼくが口をとがらせると、ミユキさんは口を大きく開いて笑った。


「ははは! たのもしいな! そうだな、君はもう、だいじょうぶかもしれないな」


「もう。ほんとなんだからね」


「ああ。信じているよ」


 その日のミユキさんとのおさんぽは、そこまでだった。


 それから、また、すこし時間がたって。

 また、ぼくは歩き出した。

 少し行くと、いつものように、ミユキさんが立っていた。


「ミユキさん、こんばんわ」

「やあ、少年、いい夜だね」


 ミユキさんとぼくは、いつもどおりの会話をした。


 そしていつもと同じように歩き出す。


「少年。私はね、オハラミユキというんだ」

「え?」

「小原美雪。小さい、原っぱに、美しい雪で、オハラミユキと読む」

「うん?」

「全部、少年なら知ってる漢字だろう?」

「う、うん」

「よかった、ならおぼえていてくれ」

「うん、わかった」


 美雪さんは、いつもとちがうことを話した。

 ぼくは、少し不安になった。


「少年、私は少年に会えて本当によかった。おかげで、なんだかいろいろとむなしくなくなった」

「むなしい?」

「ふむ。さびしくなくなった……と同じようなものかな」

「さびしい? 美雪さん、さびしかったの?」

「そうだな。ここを一人で歩いていくのはあまりにもさびしいと思って、ずっと迷っていたんだよ」

「迷う……」


 迷う。なんだか、ぼくは、そのことばをきくと、どきどきしていた。


「少年も、同じように迷っているように見えた。だから、思わず手をとった」

「美雪さん?」

「私は、しあわせだった。少年が本当に私のことを忘れないでくれたら、もし、私を知っているという人にあったら、小原美雪は幸せだったと言っていたと伝えてくれ」

「美雪さん、なんの話をしてるの?」


 美雪さんは、突然立ち止まった。

 僕と同じ、パジャマ姿の美雪さん。


「少年。Uターンだ!」


 今までで一番、明るくてきれいな笑顔だった。


 けど、なんだろう、心がざわざわする。


「う、うん。じゃあ、帰ろう?」


「いや。私はいけない」


「え?」


 美雪さんの背中の向こうが、きらきらと光っている。

 すごく、あたたかくて、きれいで、思わず気になってしまって、ぼくは美雪さんの後ろをのぞきこもうとした。


「少年!! Uターンだ! 君なら、もう、ちゃんと帰ることができる。だいじょうぶだ!」


「美雪さん? ねえ、どういうこと?」


「この前、言ったじゃないか。一人で帰れるって」


「言ったけど……」


 言ったけど、本当に一人でいいって言ったんじゃない。

 美雪さんも一緒じゃなきゃさびしいに決まってる。

 ぼくの、さびしいは、どうなるの?


「だいじょうぶだ。きちんと帰れたら、さびしいはなくなる。うれしい、楽しいでいっぱいになる!」


「じゃあ、美雪さんも一緒にかえろう!」


「だめだよ」


 美雪さんは、ほんとうににっこりとしてて、すごくきれいで、やさしい笑顔で、でも、そんな美雪さんの「だめだよ」のことばは、すごくつよく、おもく、ぼくの胸にひびいた。


「私は、もう帰れない。最初から、君とであったときから、もう帰れないと決まってた」


「美雪さん……」


「けれど迷ってしまってたんだ。でも、君に帰り道を教えているうちに、もう大丈夫になった。君のおかげで、迷いがなくなった。これ以上、家族を苦しめることもなくなる」


「ねえ、美雪さん」


「お別れだ、少年。私はきみがふりむかないように、ここでみはってるから、まっすぐに帰りなさい」


 ああ、そうか。ぼくは、まだ美雪さんと一緒に行けないんだ。

 なんとなくわかった。

 さびしいけど、わかった。

 ぼくの目から、ポロリと涙がこぼれた。


「美雪さん。ありがとう。ぼく、ちゃんと帰る」


「ああ。そうしなさい。こちらこそ、ありがとう」


 美雪さんの笑顔は、ほんとうにきれいで、こんなきれいな笑顔、忘れられるわけがないと思った。


「さようなら、美雪さん」


「ああ」


 美雪さんは一度目を閉じて、すうっと一度、大きく深呼吸しんこきゅうをした。


「さあ、少年! Uターンだ!」


 ぼくはうなずくと、くるりとまわって、かえりみちをまっすぐにすすんだ。

 何度か、美雪さんのあの笑顔が見たくなって、ふりむきそうになったけど、美雪さんが見守っててくれるんだからっていいきかせて、前だけみて歩いた。

 だんだん、体があたたかくなってきて、目の前が明るくなってきた。


 ああ。

 ほんとうのかえりみちは、こっちだったんだね。

 いつもとちゅうで、また美雪さんのところにもどっちゃってたけど。

 もどらないで、こっちに歩いてこなきゃいけなかったんだ。


 白い。


 ――まっ白だ。







 ぼくは、ゆっくりと目を開けた。

 ぴくりと、指が動いた。

 だれかが、ぼくの手をにぎってる。

 その手が、あたたかいその手が、びくりとうごいた。


雪斗ゆきと……?」


 ふるえる声が、ぼくの名前をよんだ。


 そちらに顔をうごかそうとしたけど、なんだかうまく動かない。

 ああ、顔になんだかいろいろついてるんだ。

 まぶしいし、よく、見えないなあ。


「雪斗! 雪斗! あ、ああ!」


 枕元に手が伸びてくる、なんかをつかんでる。


 ――どうしましたか?

「だれか! 雪斗が! 目を開けたんです! 雪斗が!」


 ママ、どうしたの?

 ぼく、ちゃんとかえってこれたでしょ?

 美雪さんが、教えてくれたんだよ……。

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かえりみち 祥之るう子 @sho-no-roo

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