水中神殿と死の淵と

東屋猫人(元:附木)

とある男の独白

眠る間際によく考えるんだ。眠ることは死ぬことと同義だと。

その証拠に、眠る直前というのは走馬灯のように過去の事象がよみがえってくるものだろう。その奔流に飲まれないようにせねばならないのがやっかいだ。


僕は、大学を卒業して二年目で、彼女にプロポーズをした。そして恋は実り、熟し、婚姻関係を結び子をなした。そうだ、僕は一般的な概念で言うと幸せなはずなんだ。


しかし、眠ろうとするその瞬間、大学での失敗した論文発表とか、それよりももっと前の母親に叱られている時のあのゆがんだ顔などを思い出すと、自分は何て不幸な人間なのか、このまま生命維持を続けていく意味などあるのだろうか。今、妻子に見守られて逝きたい——そんなほの暗い願望すらも湧き出てくるものだよ。


だから、僕は眠りを死になぞらえて、毎日を生まれ変わって一日限りの生を生きている。おかしいと思うだろう? 僕だっておかしいと思っているんだから、他人である君がおかしいと思うのも道理だ。そう否定しなくていい。何たって本人が認めているんだから。


えーと、それでなんだったっけな。そうそう、その絶望の淵というものはとっても深い上に魅力的でね。美しいんだ。とても。地中に向かって伸びる神殿が住んだ藍の水に漬かっている。だからつい、いけないと思いつつのぞき込んでしまうものなんだよ。そして見惚れていると……ぼちゃん、だ。これに取りつかれると非常に厄介だよ。君も気を付けたまえ。


その淵をのぞき込んでいると僕は死に、そして朝になるとその淵からざぶんと身を起こしてまた僕を形成するんだ。そう、過去の偏った事象というものが僕を形作っているんだよ。

だからね、幸せそうな人を見ればああ、あの人は幸せの淵に佇んでいられるんだなぁ、凄いや、と思ったりなんかするわけだ。僕はあくまで死の淵の、人間のようなものだからね。


でも、時たまに失敗することもあるんだ。何がって? 淵から這い上がって人の形をとることに決まってるじゃないか。そう、たまにやっちゃうんだな。淵から上がる体力がなくて、そのまま深い水中神殿みたいなところにずうっとぷかぷか浮いている。そうした日の翌日は最悪だね。職場に行けば怒られる。そしてまた、水中神殿は深みを増す。


いっそのことそんなもの無視して、みんながやるように「明日も幸せでありますように」なんて願って死ねたら……じゃなかった眠れたらどんなにいいだろうと思うよ。でも、もう無理だ。もうあそこに棲んでしまったから。

でもね、そうして淵から現実に戻るときは、一生懸命戻る感じなんだけど、唯一違う時があるんだ。それはね、娘が起こしに来てくれたときだよ。その時ばかりは、淵になんか沈んでいなかったような心持で現実へ帰れる。淵へたどり着きもせず、そうだな、いわゆるUターンをしているような、そんな心地。


え? 娘に毎日起こしてもらえって? それは無理だ、あの子も色々忙しいから。それにこの歳から親の面倒見させちゃいけないしね。


……はは、やっぱり話すのは苦手だなぁ。僕の眠りと死生観、きちんと伝わったかな? そう、それは良かった。君は幸せの淵の住人のままでいなさい。死の淵というのはあまりに魅力的すぎて離れられなくなってしまうから——。

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