すさびる。『夢へのはなむけ』
晴羽照尊
夢へのはなむけ
いつかなにかになれると思っていた。その通りだ。きっと『いつか』は『なにか』になれる日が来るのだろう。それは少なくとも『いま』ではなく、『無職』でないことは確かだ。
新幹線での旅は快適だった。シーズンオフなのだろう、座席は半分以上が空いている。僕の隣も空いているようで、なお快適だ。大きな荷物は上の荷物棚に預け、リュックサックを隣の席に置かしてもらう。出発前に買っておいた駅弁とビールを取り出した。
「……まずい」
もともと冷えていなかったのか、買ってから時間が経ったからか、絶妙にビールはぬるかった。
駅弁の封を解く。彩り鮮やかでおいしそうではあるが、冷め切った香りが食欲を半減させる。いやまあ、十分うまいんだけど。もう数日、もやしと納豆しか食ってないからなおさらだ。
冷めた飯とぬるいビールをかきこみ、いい感じに気持ちが悪くなってきた。僕はなにかから目を背けるように、眠りについた。
誰かの声が聞こえる。聞いたことあるような声。
「あの、すみません!」
「はい?」
やや上振れた語気に目が覚める。口の中に気持ち悪さが、まだ住んでいる。
どこか困惑したような女性だ。化粧っ気のない顔に、丸いメガネと三つ編み。見るからに気の小さいタイプだろう。ゆえにか、言いたいことを言えず困っている様子である。
「あの、私、この席で」
「ああ! すみません」
得心した。どうやら停車駅で、僕の隣の席に座る乗客が乗り込んだらしい。空いていたとはいえ、油断しすぎた。僕は隣の席に置いたリュックサックを回収し、足元に置きなおした。
女性は「ありがとうございます」と礼を言い、席に腰を下ろした。いや、悪いのは僕の方なんだけど。
窓の外を見る。見たってなにも解らない。だが、車内アナウンスが現在地を教えてくれた。まだ道は半ばらしい。
アルコールはとっくに抜けていた。しかし、口と胃に、気持ち悪さが残っている。また眠ろうという気にはなれなかった。
窓の外を眺める。しかし、ちょうど山間に差し掛かったのだろう、トンネルの壁しか見えない。……いや、顔も見える。窓に映った僕の顔。そしてその奥で僕をちらちら見ている、女性の顔。
僕は間違いなく見られているタイミングを見計らって、勢いよく振り向いてみた。「きゃあ!」と、思ったより大袈裟な反応が返ってきた。返ってきたというか鳴り響いた。座席に遮られてよく見えないけれど、おそらく乗客の皆さんはこちらを訝しんでいるだろう。彼女は通路側の席だから、そんな視線を僕より多く浴びたようだ。ぺこぺこと頭を下げている。
「あの、それで、なにか? もしかして僕の顔になにかついてますか?」
「え? はい」
肯定された。
見聞してみるに、たしかに僕の左頬には、米粒がついていた。子どもか、僕は。
「ごめんなさい、じろじろ見て。もしかしてファッションかと思ったら、言い出しにくくて」
「こんなファッションする奴なんかいねえよ!」
「ですよね」
ふふふ。と、彼女は笑った。口元を抑えて笑う、上品な笑い。左頬にだけできるえくぼ。それは、いつか、何者かであった僕の記憶に引っかかる仕草だった。
「というか、もしかして、ミヤちゃん?」
「あれ、気付きました? もしかしたら終点までいけるかと思ってたのに」
もう一度、確認させてくれるように、彼女は笑った。覚えている。当時はメガネなんかかけてなかったし、髪もおろしてて、茶髪だったこともある。
「今日は里帰り? 奇遇だね」
「ああ、うん、まあ」
里帰りというにはおこがましい。僕はただ、逃げてきただけだ。そう思うと恥ずかしくて、僕はまた、窓の方を向いた。
「ミヤちゃんも里帰り?」
「そんなマトモなものじゃないよ。同棲してた彼氏に振られちゃって、職場も同じだから居づらくって、辞めちゃった。住むとこも仕事もなくなっちゃって、なんか疲れたし、もうお父さんの仕事手伝おっかなって。知ってるでしょ? うち、農家だから」
「ああ、たしかうちの実家も、いまだにミヤちゃんとこから米買ってるよ」
「あらあら、それはまあ、なんていうか。毎度ごひいきに?」
「なんで疑問形?」
「うるさいなあ。言い慣れてないからそうなったんだよ!」
彼女は頬を赤らめて言った。
「そもそも、君はうちのお米食べてないんでしょ! ごひいきじゃないじゃん!」
変わってないなあ。と、僕は思った。
いたずら好きなところ。笑い方。すぐ赤くなる頬。
そうか。僕もまた、あの町に帰るんだ。
「いいや。これからはまた、ごひいきになるよ」
そういえば帰るのは何年振りだろう? きっといろんなところが変わっている。
だがそれは、おいおいゆっくりと、散策してみよう。
僕は生まれ育ったあの町で、きっといつか、なにかになるだろう。しかしその日まで、まだまだ時間はかかるだろうから。
「じゃあな、東京」
僕は、空のビール缶を、窓に打ち付けた。
すさびる。『夢へのはなむけ』 晴羽照尊 @ulumnaff
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