『何をしているのだろうか?』

かきはらともえ

『無題』




 ぼくはその日、仕事を辞めた。

 大学を卒業してそのまま就職した。

 そこで就職したのは自宅からも通える範囲の場所だった。

 自分がどれだけできていたのか――今になって思えば随分と思い上がっていたと自覚できるが、ぼくは優秀であると思い上がっていた。

 地元の企業で、それでいて安定していた。

 仕事が嫌だと思う瞬間もあったが、職場の人間関係は良好で人間関係にも恵まれていた。だけど、ここで気づくこともできたはずだ。

 自分が頑張れていて、これだけの成績を残せているのは周りからのフォローがあって初めて成り立っていることだと。


 だけど。

 それに気づくのはしばらく先になってからである。


 率直に言って、この会社を一年後に退職した。

 手取り額などを見たとき、悪くなかった。実家暮らししている人間にしては上々だったと言えるだろう。

 そこであろうことかぼくはこんなふうに思った。

 もっと稼げるんじゃないだろうか。

 と。


 この会社では、これ以上は望めない。

 そう実感していた。


 そんなときだった。

 営業職として回っていた取引先から声がかけられた。

 これにぼくは乗ることにして、一年間務めてきた会社を退職した。

 随分と惜しんでくれたのが記憶に残っている。

 それはとても光栄なことだと今ならば思うが、そのときは次なる新天地のことしか考えていなかった。

 再就職先は、そう遠くない場所だった。

 自宅から電車で一時間ほどの場所だった。

 そこで半年間ほど勤めていた。業種は違うけれども、営業職であることに変わりない。商品知識を憶えれば、前と同じ要領で上手くいっていたと思っていた。

 しかし、成績が伸びなかった。

 加えて業務上のミスが起きた。原因は同じ営業部の人間によるものであるとわかった。このことで少しトラブルになり、同時に親会社のほうが出てきた。

 そこでぼくを親会社のほうで雇用するという話になった。

 古い考えを持つ両親としては地元で就職していてほしかったようだが、その反対を振り切って都心に出た。

 独り暮らしを始めた。

 そして、親会社のほうでの勤務になった。

 社会人になって二年目が終わろうという時期だった。

 ここで実感したのは、今までとは違うということだった。前職と子会社のほうも片田舎で展開している企業だった。だが、都心では今までのやり方を上手く活かすことができなかった。

 次第にノルマに届かなくなり、成績は落ちていく。

 詳しいことを言えないが医薬品に関する営業をしていた。

 病院で使ってもらうためにお医者様に営業するわけだが、アポイントメントは簡単に取れない。

 流石は多忙の身である。

 学会などで忙しいとのことだった。

 ぼくはその送迎をしていた。

 気に入ってもらう必要がある。

 営業というものは、商品を売ることはもちろんのことながら――同時に誰から買うか、という問題でもある。

 この人からならば買ってもいい。

 そう思ってもらう必要がある。

 この方法が正しかったかどうかぼくにはわからないが、学会への送迎なども行った。時間外労働のほうが多かったと言えるだろう。

 日付の感覚なんてめちゃくちゃだ。

 いつが月曜日で、いつが火曜日で、いつが水曜日で、いつが木曜日で、いつが金曜日で、いつが土曜日で、いつが日曜日なのか。

 そして今、いったいどの日の出勤をしているのか。

 それさえわからなくなってきていた。

 そんなある日、年を跨いだことで正月休みというのがあった。今まで寝て起きるくらいしかしてこなかった家で、お昼まで寝た。

 そこでふと思った。


 いったいぼくは何をしているのだろうか。


 小学校ではそれなりに勉強した。

 中学校では入りたい高校のために猛勉強した。

 高校ではいい大学に行くために勉強した。

 勉強して、勉強して、勉強して、勉強して、勉強して――そして得たものはなんだ?

 お金? そんなの、貯まるばかりで使うところも時間もない。言ってしまえば、形式上存在しているこのマンションの一室だって要らないとさえ言えた。

 会社の倉庫を借りて寝泊まりしているほうがよっぽど効率がいい。ずっと前に落として点かなくなったプライベートのスマートフォンだって修理に出せていない。


 いったいぼくは何のために働いているというのだろうか。

 いったい何のためにぼくは働いているのだろうか。


 お金を稼ぐために? 生きるために?

 働くために生きているようなこの状況で? 使いもしないお金を稼ぐために?

 いったい何のためにこの二十年間生きてきたのだろうか。いったい何のために働くなんてことをしているのだろうか。それに、ぼくのやっていることなんて誰がやってもできることじゃないか。きっとそこらへんにいる猫でもできる。そういえば、こんなことも言われたことがある。おまえのやっていることは教えれば犬でもできるようなことだ。だからおまえは犬以下だ。と。誰にだってこんなことはできる。誰でもこんなことはできる。自分には何か特別な意味があるなんてふうに思ったこともあった。自分は優れている人間なんだと思ったこともあった。そんなこと、みんながみんな思って抱いて、現実を前にして無我夢中になっている間に消えてしまうような自尊心。


 この数日後、ぼくは家から出られなかった。


 靴を履くのに三時間かかった。

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、過呼吸になりながらマンションを出たところで倒れた。


 鬱。


 双極性感情障害やら適応障害やら過呼吸症候群などあれこれと言われたが、最終的にぼくを担当した医師が言ったのはそのひと言だった。

 およそ半年の療養ということになった。

 その半年間の間にいろいろとあった。

 もう何十年も見ていなかったような気がする両親が出てきたし、同じ大学だった友達とも遊びに出かけるようになった。

 およそ三ヶ月が経過する頃には随分と症状は落ち着いてきた。

 あと二ヶ月で休職期間が切れるという頃、ぼくは転職活動を始めた。都会での人混みに塗れるのにもうんざりしていたぼくは就職先を地元に絞って探していた。

 いわゆるUターン転職というものである。

 何度もカウンセラーやハローワークでの面談を繰り返して、面接対策を行って面接に向かった。

 四社ほど落ちたが、そんな中の一社の面接時に、面接官である初老の男性がこんなことを言った。

 久しぶりだね、と。

 何のことかわからなかったが、思い出した。

 最初の企業にいたとき、営業先として何度も行って話をした人物だ。

 この初老の男性もこの新しい会社に転職したとのことだった。当時からよくしてくれていたこともあったからか採用通知がきた。

 ぼくは休職が解けるタイミングに合わせて退職届を提出した。

 思ったよりも書類の処理などがあって時間は要したが、休職が解けてから有給消化も込みで二ヶ月後に退職し、そしてその一ヶ月後に地元の企業に再就職をした。

 随分と給料も下がってしまったし、あったはずの自信もなくなってしまった。


 だけど。

 これでいいと思った。

 これがぼく自身なんだ。

 誰でもない身の丈にあったぼく自身がこれなんだ、と。

 逃げ出すように飛び出した家に、ぼくは帰るのだった。




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『何をしているのだろうか?』 かきはらともえ @rakud

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