第5話

 

 …………動いてる?下に押されるような感覚が上がっていっていることを顕著に伝えてくる。

 ボタンを押さなくても動いてくれる親切設計だったか。

 なかなかに怖い。ただ恐怖とともに好奇心が抑えられない。どんなとこに連れていかれるのだろう。

 動き出したのはいいのだがなかなか止まらない。

 ここまで来てもし、表示通りに6階までだったとしたら、とうに通り過ぎてしまっている。と思う。現在地を階にすると優《ゆう》に20階くらいは過ぎただろうか。そのくらい長い間乗っている気がする。一向にエレベーターは止まる気配を見せない。

 気圧でだんだんと耳が痛くなってきた。鼻をつまんで耳抜きをする。……暇だな。正直言って飽きてきた。

 10分ほど経っただろうか、段々とスピードを緩めていく。現代っ子に電子機器の使えない10分はこらえる。あっ、止まった。

 自分が今どんな高さにいるかなんて知りたくない。それくらい高いところにいるはずだ。

 チンッと小気味いい音がなり扉が開く。

 体を飛ばさんとする強風が、轟音と共にエレベーター内に流れ込む。焦って壁に手を着く。

 強ばって薄目になっていた瞼をゆっくりと開くと空の上の歩道橋。光の中にそんな景色が広がっていた。後にも先にもその言葉が1番しっくり来るかもしれない。

 1歩踏み出してエレベーターから降りる。

 そこには手すりの付いた階段。まるで歩道橋の下り階段のみが宙に浮かび、下りにあるはずのない踊り場の先で崩れ、鉄骨がむき出しになっていた。

 高いところに行くと空が近いなんて表現することもあるが、ここは空だ。ここが空だ。近いとかそういう話じゃない。いっそ空というより宙(そら)かもしれない。

 手すりを掴んで階段を一段一段降りていく。風が強くて髪が暴れる。結ぼうにも手を離すのが怖い。

 ふと手すりから首だけ乗り出して下を見てみる。おぉ、雲が遥か下にある。よく分からないが何とか層とか、何とか圏とかそういう域にいるのだろうか。

 片手で手すりを掴んだまま、先端の途切れている所まで行き、ぐるりと見回す。空って広いな。ここなら死ねるかもしれない。そんな淡い希望を抱く。

 青い空、白い雲、勇気を持って飛び出そう。ってか?

 さて、どうするか。ぶっちゃけ落ちても落ちなくても、死んでも死ななくてもどっちでもいいのだ。手すりを掴んでる手を離したら風で落ちて勝手に死ねるかもしれない。

 ふぅ……。ゆっくりと息を吐き出す。

 なーぉ。

 …………ん?猫?

 なーぉ!

 鳴き声に共鳴するように、スっとさっきまで体を宙に落とさんばかりに吹いていた風が止んだ。

 振り向くと階段の上から近寄ってくる存在が見えた。あれ、猫なんてさっきまで居なかった筈だが。この黒猫もエレベーターに乗ってここに迷い込んだのだろうか。

『迷い込んだのはそっちだろうが』

 喋った!?男性とも女性ともとれる中性的な声が響く。

 この子の口が動いてる様子はないのに声だけが聞こえる。背筋に変な汗が流れる。怪異現象の類に近いかもしれない。

『心を読んで、心に直接語りかけてるのさ。ちなみに私は神だよ』

 ……こんなところで神に会うとは思わなかった!なんだ神様か!それなら納得!とはならないだろう。

 しかも神がこんな可愛らしい黒猫と言われても……。

『この肉体はここに留まる為の借り物さ』

 さっきから声が聞こえているがどうもおかしい。考えてもみて欲しい。人間の耳はある程度どちらから音がしているか分かるようになっている。後ろから声がすれば後ろを振り返ればいいし、横もまた然りだ。

 先程後ろから猫の鳴き声が聞こえたから振り返えった訳で、今聞こえている人のような声は、何処からも聞こえないのに聞こえるという怪奇現象を引き起こしている。さすがに驚きもする。

 というか心を読んで会話するのは会話というのだろうか。

『細かいことは気にするな』

 そうだと言わんばかりに、なーぉ。と鳴いてみせる。

 このギャップを見ていると落ち着いてきた。

 体を借りてると言っていたけど精神を乗っ取ってる感じかな。

 段差に座り込むと黒猫(神?)が寄ってきて隣に座り込んだ。 その丸まった背中を撫でる。毛並みはもふもふなのに背骨がゴツゴツしてて可愛い。

「で、神様はここで何をしてるの?」

『君みたいな死にに来た人を導いてるのさ』

「へぇ、天国へ?」

『天国なんてものを信じてるのかい?』

「いや?聞いてみただけ」

 極楽浄土も同じようなものだろう。信じちゃいない。ただあるなら興味本位で覗いてみたいくらいには信じてる。因みに地獄の方がまだ信じられる。

「死ぬのを止めるのが仕事?」

『別にいくら人間が死んだって構わないさ、魂だけ回収できれば肉体なんて用済みだし。死なない方が仕事が楽なくらいかな』

 なんか怖い。サイコパスのようだ。魂だけ抜き取って、とかまるで死神みたいじゃないか。

『うん、死神だもん』

「もしかして私殺されるの?」

『なんで?』

 とてつもない偏見でものを言うが、ボロボロのローブを着て鎌を持って、所謂スカルフェイスのお面を被ってるものだと思っていた。死神がこんな猫ちゃんだとは…

『偏見が凄いな。さっきも言ったけどこの身体は現世に留まるために借りてるのさ。別に犬だって蟷螂だって問題ない。今すぐゴキブリにでも体を変えてこようか?』

 いやこの猫の状態で結構です。

「死神って結局何なんですか?」

 埒が明かない。知りたい情報を的確に欲しい。心が読めるのに話し下手な神だ。

『失礼な。死神って言うのは俗称で、魂の管理者みたいなものかな。魂を霊界に送り浄化された魂を現世に戻す。本来は輪廻転生を司る神なのさ』

 自慢するように言うが見た目が猫なので全くと言っていいほど迫力がない。

 また撫でる。おぉ、ふさふさだ。気持ちいい。

『迫力がないとは失礼な。死んだ時に人間はこんはくに分けられるんだけど……。って分からないか。人間は死んだ時に肉体を墓に埋めるだろ?あれは魄、つまり肉体を保つ気を地に還す行為なんだ。魄は人間と氏神が、魂は死神が請け負う。そうして死が成立する』

 撫でられながら、な〜〜ぉ。と分かったか?みたいにドヤ顔?して来る。

 猫じゃなかったらぶん殴ってたかもしれない。

「そういえば」

『他に何か神様に質問でも?』

 いちいち腹立つな。心に語りかけないで欲しい。

 無理な願いだ。とでも言いたげになーぉと小さく鳴く。猫に免じて許す。

「来た時は風が結構吹いてたけどあれは?」

『演出。空調技術の応用さ』

 無駄に技術力の高い神だ。

「ここまで来るのがとても長かったのは?」

『演出。一瞬で来ちゃつまらないだろ?』

 一瞬で来る方法もあったというのか。

「私の後ろから出てきたのは?」

『演出。肉体はこの世のものとはいえ、中身は神だからね、体くらい消せるさ』

「もしかして神って暇なの?」

『しっ、失礼な!』

 暇なんだな。

『ここの区画に人が居なくなってしばらく経つだろ?』

 人口管理のヤツの影響か。

『区画に神が居ないと魂も地上に残るから色々とめんどくさい事になるの。だから取り敢えずここにもまだ神が必要だろうって』

 それは暇になる訳だ。

『久しぶりの客人は壁を超えたあたりから認知してたからね、結構楽しみにしてたんだよ』

 そんな前から知られてたのか。どうせなら迎えに来てくれればいいのに。


『で、死ぬの?』

「ぶっちゃけどっちでもいい」

『最近そういう子増えてるみたいだよね、暇だから都市の人々の生活を見てるんだ』

 覗きとは趣味の悪い。

『君もその1人でしょ?死ぬことに興味があるのも事実だけど実際は生きることに興味が無い』

 確かに何もしなくても生活出来てしまう世の中では、生きていることに価値を見いだせ無くなる。

 皆、何故自分が生きているのか分からない。

 みんなある程度は勉強させられるけれど、それを役立たせる機会すら与えられない。

 生きがいというものが一切ない。

 壁の中の人間と外の人間の決定的な違いはここだ。内の人間は学んだことを生かせる。

 外の人間の趣味として娯楽の開発はある程度活発に行われているがそう言う問題じゃない。娯楽だけで生きていけるほど人間は腐っちゃいない。

 生きてるのがつまらなくなったから死ぬ。現在の死因で1番多い発言がこれだ。

 なんかもういいかな、そういう気持ちになってしまう。

 不意に立ち上がる。

「ねぇ、ここ飛び降りられるの?」

『デバイスも圏外になってるでしょ』

 腕を軽く振ってリング型デバイスを起動させる。

 ほんとだ、圏外になってる。保安局も動けない訳か。

『ここ電波届かないから理論上日本じゃないんだよ』

 圏外ほどの高さからスカイダイビングか、パラシュートもないから紐なしバンジーか。

『いや、都市間トランスポートゲートの技術を利用してビルの2、3階に送るから言うほど高いところから落ちる訳じゃないよ』

 いや、2、3階は言うほど高いところだろ。ここの高度と比較するのは辞めろ。流石にどっちにせよ死ねる訳だ。

 というかそんな技術があるのにここに来るまで相当の時間掛かってなかったか?

『演出って大事でしょ?拍子抜けさせるくらいのパフォーマンスをするのが神ってもんよ』

 つまりこいつのせいで暇な時間を送らされたわけか。

『ここから飛び降りる時に魂だけ頂いて天に還すのが僕の仕事だけどそれだけじゃつまらないでしょ?』

 この辺りで人が死なないから相当暇していたらしい。

 落ちた肉体はぶっちゃけ放置らしい。氏神が気づけば片付けるらしいがよく分からん。

「何で猫なの?」

『気ままで楽しそうな動物(肉体)が欲しかったからね』

 適当もいいとこだ。


 それからというもの普段出来ない話をだらだらとし続けた。神と会話するチャンスなどめったにないから、ではない。知らないことを知る楽しみを知ってしまったからだ。

 世界の理だとか、あの世のこととか、知りえないことを色々知れた。神曰く、まだ話し足りないらしい。どこまで暇なのやら。

 なんにせよここには死ぬために来てる、死ねるなら死んでおきたい気持ちもある。

『ここに来る人はみんな死にに来てるからね、時々しか話せなくて暇なんだよ。友達にここのこと喋っていいからまた来てよ』

 巴の顔が脳裏に浮かぶ。

「身勝手な神だね」

『君は面白いから』

 良い奴に出会えたし、良いとこに来れたと思う。久しく停滞していた時間が流れた気がする。人工的な娯楽だけでなく何かを美しいと思える景色、そんなものに人生を通して出会うことはなかった。会うことが出来なかったと言うべきか。VRの擬似じゃない。現実を見てるんだ。はっきりと分かる人間に必要なのは自然だ。

 旅行という言葉が美しい響きで、美しいものを見ることがどこまで美しいことか分かった。それだけでもここに来れてよかった。

 また来ようかな。正直死ぬのなんかどうでもよくなってきた。

『帰るの?どうせなら日没見てきなよ。綺麗だよ?』

 心を読まれるのも馴れた。

 伸びをしてる神様を撫でながら何も喋らない時間が過ぎていく。

 いつもならビルの隙間に、聳え立つ壁に喰われて行く太陽が地平線、水平線、いや空平線とでも言うべき際に沈んで、空と大地と世界と同化していく姿は圧巻だった。

 じきにここも闇に包まれる。

『また来るなら送迎くらいしてあげるよ』

 その気なら最初からしろと言いたいが堪える。そうだ心を読まれるなら堪えても無駄か。

「最初から送ってくれればよかったのに」

『結局言うのかよ……お前性格悪いな』

「話してて気づかなかった?」

『…………神様にタメ語の時点で察してた』

 確かに、そっか、神だもんな。タメ口じゃだめか。ぶっちゃけ怪異現象の類だと言われた方が信じられる。

『ほら帰れ、撫でるな!ほら立て、暗くなるし家まで送ろうか?』

「もしかしてヤられる?」

『殺るぞ?』

 くわばらくわばら……。

 この神、性格悪いことにわざわざ漢字をイメージとして頭に送り付けてきやがった。冗談はさておき。

「ごめんて、んじゃ家までお願い」

『ほい』

 ……。

 ほい、じゃねぇよ。瞬間移動どうこうじゃなくて、土足のまま部屋に送るとか知能ゴミか。

『うるせぇ、初めてでうっかりしてたわ。すまんすまん。次来る時は壁の近くまで来てくれ。いい夢見ろよ』

 くっそ、離れてても話しかけられるのかよ。性格くそ悪いな。

 諦めて靴を脱いで玄関に置きに行く。色々あり過ぎた1日だった。

 シャワーだけ浴びて今日はもう寝よう。


 どうでもいいことだが、その日は猫に囲まれて、陽だまりでお昼寝する素晴らしい夢を見た。とだけ言っておく。


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自殺エレベーター 浦野 紋 @urano-aya

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