第4話

 旧時代の日本では森林浴というものがあったらしい。実際に森の中を歩くとその意味がよくわかる。

 VR科の授業で体験したことはあったけど、ここまで清々しいものだとは知らなかった。VRは本物と変わらないと思っていたが、感覚の疑似体験は所詮擬似でしかないことを今初めて知った。作り物のデータがこの感覚を再現なんて出来やしない。脳を騙したところで現実じゃないなら違和感を払拭出来ない。

 森の清々しさを肌で感じると、都市がどこまで息苦しいものか分かる。空気が綺麗、汚いとかそういう具体的なものじゃないが、明らかに何かが違っている。

 森を歩くと言うことは常に木の根を踏みながら進むようなものだ。地表に出ていなくても少し掘れば木の根が見える。森が大地を包み込んでいると言っても過言では無い。

 森の木々というものは何とも素晴らしい。自分が大きくなる為に根を拡げていく。地に根を太く広く張り続けないと、幹や枝が大きくなった時に自重や強風などでで倒れかねない。確かに木は常に未来を想像して生きていた。これから自分が成長していくために何が必要か理解している。見た目を大きくするためにまた根を広く太くしていく。根底と芯とのバランスを取っている。

 対して自分はどうだろうか、なんて考える気にもなれないが、どうしても想像してしまう。

 もし私が木なら、中身が腐った成長の余地がない木か、根もろくに張らず幹と枝を伸ばし続ける所謂頭でっかちな木か。途中まで成長していても、もう倒れているかもしれない。

 どうしても独りで居ると、病的なまでに思慮深くなる。普通に生き続けていたらこうはならなかったのかもしれない。深層ウェブにアクセスして知る必要も無い知識ばかり増やして、頭が良くなった気にでもなっていたのかもしれない。まぁそんなことはどうでもいいか。

 道無き道を歩き続けていると件の桜の木があった。蕾が膨らんできてもうそろそろ咲くのだろうか。満開になった現実の桜も見てみたかった。

「ここを東にって言ってもな……」

 位置情報を切っているので具体的な東が分からない。歴史の授業で聞いた方位磁針を持っていれば何とかなったのかも知れないが、生憎持っていないし、そんなものは骨董品店にしか売ってない。いくらの値がついているか分からないのもあるが。

 明確な東がない以上、1キロも歩いたらそれなりにズレが生じるはずだろう。まぁいっか。 言われていた通りに1番太い枝の伸びている方向に適当に歩く。大体1キロ程歩いてみて周りを見渡して何も無ければ諦めればいい。最悪位置情報をオンにすれば帰宅もできる。もちろん、保安局の警備用ドローンにキツい一撃を食らってから強制連行されるだけだが。


 そのままふらふらと歩き続けること約20分。

 左前方に建物らしきものが見えてきた。

 あやしがりて寄りて見るに……。

 2階から上は所々壁に穴が空いた百貨店だったであろう建物があった。

 それなりに古い建物だ、平成とか令和とかその時代のものかもしれない。

 なんて店だったのか見ようとしたが、看板は朽ちて読めない。外壁にそれなりに蔦が張っていて相当長い時間が過ぎていることを知らせてくる。

 風景と同化しているようでしていない。1階は全く崩れたりしていないこと、建物の周りに瓦礫が散乱していないことなど、この建物の不自然さを際立たせていた。

 入ったら危ないだろうが本来の目的は死ぬ事なので危ないことは本望とすら言える。

 ガラスが適度に割れている入口は鍵が掛かっていて入れないので、割れたガラスの隙間から入り込む。

 エントランスホールから見渡すと広い売り場に出た。商品はひとつも残っておらず、棚だけが所々朽ちながら残っている状況だ。錆がいい感じに風化させていてエモーショナルな雰囲気を醸し出している。知らないが。

 アパレルショップだった所やCDショップだった所など、色々な店の名残りがあったが商品はひとつもなかった。

 ふらふらと1周回って見た結論、エレベーターはあった。色々周り終えて飽きてきたところで見つけた目の前の赤い塗装が錆びて剥がれかけた扉、文字がところどころ掠れているが辛うじて残っているフロアの案内、どうやら六階建てだったようだ。ここだけ異様に風化してる。

 さて、ここで問題がある。本来エレベーターは上から吊り下げて、という表現が正しいかは分からないが上から支えられているはずだ。そうであるならもしこの開閉ボタンが作動した場合、俗に言う箱部分は少し下に落ちているはずだ。もし、箱が目の前に変わらない状態である場合、それこそ都市伝説を信じざるを得なくなってしまう。

 押すべきか押さないべきか、死にたいんだか死にたくないんだかよく分からない感情に支配されながら、恐る恐る上矢印のボタンを押した。

 ……滑車が回るようなモーター音が聞こえる。どうやら上からカゴが降りてくるようだ。

 チンッと小気味よい音が響く。

 …………止まったのか。

 嫌になめらかな動きで扉が開くと、そこには何事も無かったかのようにカゴが待ち受けていた。

 自分の心臓の音に驚きながら前に進む。

 壁に手を掛けたまま恐る恐る片足をカゴの中に入れて踏み込む。……落ちないな。

 上を見ても隙間からは暗闇しか望めない。

 意を決してというより諦めて乗り込む。

 ……普通に乗り込めてしまって拍子抜けしている。何せ話通りなら推定200年以上経過しているのだから、乗った瞬間に落ちても何らおかしくない。

 このエレベーターのワイヤーがどこに繋がっているかすら分からない状態で何階を押せばいいのだろうか。

 こういう時こそ“3階を2回押してキャンセルして、五階で止めて降りないで6階まで行く”みたいなコマンド系の都市伝説が妬ましくなる。そんなくだらない迷いをしているうちに勝手に扉が閉まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る