一本道

九十九

一本道

 その日、夢路ゆめじは慌てて車を走らせていた。

 

 

 高校の頃に親しかった友人と偶々、取引先に赴いた帰りに再会したのが一昨々日。折角久しぶりに会ったのだから宅飲みでもしようと言う話で纏まったのが一昨日。

 しかし、宅飲みの予定のすり合わせの段階で友人と夢路の休みが合わない事が判明した二人は頭を抱えた。友人の仕事先が木曜休みなのに対して、夢路は土日休みなのだ。

 互いに有給を取る事も考えたが、どちらの会社も繁忙期に片足を突っ込んだ時期だったので取りにくいと断念。かと言って、また後で、なんて事になったら日々の忙しさの内に流れてしまう可能性は大きかった。

 だったら、と二人は今週の木曜日、つまり昨日に強行してしまおうと言う結論に至ったのだ。

 翌日は互いに出勤ではあるが、友人は半日であるし、夢路は金曜日さえ乗り切れば休みがある。旅行なんて大きなものではないし、それこそそう言うのはまた後で決めたって良い。

 とにかく今は再会したと言う切欠を大事にしようと、昨日の木曜日、夢路が仕事を終えた夜に集まって宅飲みを決行した。


 結果として夢路と友人は、本人達が予想もしなかった程に羽目を外し過ぎた。

 気を付けていなかった訳では無い。けれども、久し振りの再会で積もる話も多く、酒が入れば入るほど話が弾み、話が弾めば弾むほど酒が入る。そんなループを淡々と繰り返していれば何時の間にかストッパーは外れていた。

 学生時代嵌っていたゲームを引っ張り出して遊び、最近撮った写真を見せあっては爆笑し、旅行のパンフレットを取り出してはここに行きたいと指差す。

 久し振りの学生の時の様な時間が楽しくて、ついつい時間の事も仕事の事も忘れて酒を入れて、いつの間にか寝入ってしまった。


 互いに顔を青褪めさせたのは翌朝。

 起きたのは九時四十五分、互いに本日の出勤時間は十時。二人して青い顔で互いを数秒見詰めた後、慌てて仕事先に理由をでっち上げた遅刻の旨を電話した。

 慌ただしい準備の後、玄関先で「楽しかった、また今度」と笑顔で別れ、夢路は車に、友人は自転車に乗り込んで会社への道を走り出したのだ。



 夢路の職場への道のりは車で走って四十分程の場所にある。

 普段、夢路は基本的に大きな道を使って出勤している。

 細い道を使用すれば距離としては短くなるため移動時間を縮める事も可能ではあるのだが、住宅や公園の近くも通る事に加え、大体の道が畑のあぜ道のような場所を通るので、安全のために出来るだけ大きな道を使うようにしていた。途中でUターンする場所が無い細い道を夢路が苦手としているのもある。

 だが今日はそうも言っていられない、と夢路は時計を見る。既に二十分前に出勤時間を超えている。その上、こう言う日に限って道が混んでいた。普段のスピードの半分以下のスピードで、中々進まない現状に夢路は溜め息を吐く。

「行くか」

 夢路は自身に言い聞かせるように呟くと、それまで走っていた普段使いの道から細い道へと入るためにハンドルを切った。


 暫く車を走らせていた夢路だったが、所々変化した景観に一抹の不安を覚えた。

 細い道を夢路が使うのは久し振りで、彼が使っていなかった間に随分と工事やら店の移動やらが続いたらしい。様変わりした道の様子に、以前に使った道と今走っている道は果たして合っているのかどうか、夢路は不安を抱えたまま車を走らせ続けた。


 そうして暫くの後に夢路は頭を抱える事になった。

「迷った」

 何処をどう道を間違えてしまったのかは分からない。

 見違えた住宅地から夢路が抜けた先は、何度か見慣れた畑道では無く、木々に囲まれた薄暗い一本道だった。林とも森ともつかぬ量のそれなりの高さの木々に囲まれた場所でなので、近い所を通っていたのならば目に入るのであろうが、夢路は始めて見る。

「どうしようかな」

 引き返そうにも、暫く車一台通れるくらいの狭い一本道を運転して来ているので難しい。唯でさえ夢路は長い距離のバックは苦手なのだ。走ってきた距離を考えると、夢路には到底運転が出来ると思えなかった。

「仕方ない。何処かでUターン出来る場所を探そう」

 一度車を止め携帯を取り出す。が、無情にも画面には圏外の文字が並ぶ。地図で確認するのは難しそうだ。

「進んでみるか」

 幸い、一本道ではあるが、きちんと人の手が入ったアスファルトの一本道だ。道が途切れてどうしようもない、なんて事は避けられるだろう。

 夢路は大きな溜め息を吐いて車のエンジンを掛けた。



 可笑しい、と夢路は思う。幾ら何でも道が長すぎるのではないだろうか、と不安に駆られながら車を転がす。

 木々が茂る一本道は、枝の先に生えた葉が空の大部分を覆ってしまっていて昼間だと言うのに薄暗い。

 鬱蒼とした場所ではあるが、薄気味悪いと言う印象は受けず、唯酷く静かな場所だと言う印象を受ける。

 その静けさが何だが不思議な感覚を夢路に与えた。

 何だかその場所だけ何時もの日常から切り取られてしまった様な、普段の生活とは地続きではない様な、不思議な感覚だ。それは、ずっと一本道を走り続けているからかも知れないし、知らない場所で気分が浮いているからかも知れない。

 不安と不思議な感覚に支配されながら、それでも引き返せそうな場所も見当たらないので、夢路は更に車を走らせた。


 やはり幾ら何でも可笑しい、と夢路が再確認したのはそれから十数分後程後の事だ。

 未だに木々の覆う風景が終わる様子も一本道が変わる様子も無い。車のスピードが遅い訳では無い。何だったら所々でそれなりのスピードになっている筈だ。

 道が長い、と夢路は眉根を寄せる。

 知らずの内に勾配の緩やかな山でも登っているんじゃないかと錯覚する程、道が長いのだ。山に関しては、少なくとも夢路の生活圏の近くには存在しない。

 うっすらと時折、木々の隙間から覗く太陽は位置を変えている様子は無い。という事は今の所、殆ど真っ直ぐに走って居る筈だ。

 スタート地点の場所は迷子になった所からだが、走行距離で言えばそれほど家や職場から大きく離れた場所には来ていない。ここまで直線的に走っているのであればこの森もそれなりの規模であろうが、夢路はそれほどの規模の有る森を生活圏の周りで見かけた事が無いのだ。

 ならば今走っている場所は何処なのか、と夢路は考える。特別気味の悪い場所では無い事とガソリンがほぼ満タンで有る事が今の夢路への救いだが、だからといって不安が一切ないかと問われれば答えは否だ。

 今更、車を止める勇気も何だか持てずに、夢路は車を走らせた。

「無事に帰れますように」

 軽く汗ばむ手の平を軽くズボンでそれぞれ拭いながら、祈るように呟く。

 ルームミラーに吊り下げられた「交通安全」のお守りが、今の夢路の心の拠り所だった。


「あれ?」

 随分と走り続けた先。もう出れないのではないか、これは遭難なのか、なんて嫌な考えが夢路の頭の中を覆い始めた頃、突如として変化が訪れた。

 道が開けた場所に出たのだ。

 その場所は左右に、綺麗に整えられた空き地が出来ていた。旅行先の観光名所の山なんかで見るような駐車スペースに似ている。

 それに、もう暫く真っ直ぐに進んだ先に光が見えた。

 遠い上、眩しいので何か建物があるのかどうかまでは分らないが、恐らく一本道を覆う木々があそこで途切れているのだろう。

「どうしようかな」

 やっと見えた解決策に夢路は安堵の溜め息を吐くと同時に、考える。

 空き地で車を回してUターンするのか、光の方向まで出てしまって道が繋がる場所なり立っている建物なりを見つけるのか、どうするかである。


 考えたのは数秒。

 夢路は空地へと入らせて貰うと車を回した。夢路はUターンする事を選んだのだ。

 あの長い道を再び戻るのは骨が折れそうではあるが、戻らずに進んだ結果が今の現状なので、下手に進むよりは確実に元の場所に戻れる。

 それに光の所まで進んで、結局、建物も無く一本道でしたになってしまうと余計に迷ってしまう可能性がある。そうなったら帰れる自信が無いので、引き返す方がきっと良い。

「行き詰ったり迷ったりしたら、戻ってみる事も大事だって言うし」

 夢路はUターンして、これまで走って来た道を引き返した。



「あれ?」

 引き返す道のりは、思っていたよりも早く、呆気なく木々が覆う一本道は終わった。

 どうなるか知らぬ道を進むよりも、戻る道の方が気が楽だからか早く感じたのだろうか、と夢路は首を傾げて時計を見る。

「あ、止まってる」

 途中までは動いていた筈の時計が止まっていたので、余計に夢路は首を傾げた。最後に見た時から数分も経っていない時間で時計は止まっていた。

「取り敢えず戻ろう」

 この場所は形態が圏外だし、せめて電波が入る場所か、多少なりとも見慣れた住宅地の辺りまで戻ろうと夢路は決意する。

 と、同時に会社を休む事も決意した。

 今日はもうどっと疲れてしまって仕事どころでは無いし、遅刻をするわ、迷うわ、で浮足立っているので休んだ方が自身の身の安全の為だと思ったのだ。

「帰るかぁ」

 安堵の表情で、夢路は揺れる「交通安全」のお守りを見詰める。

「有難う御座いました。これからも宜しくお願いします」

 夢路は「交通安全」のお守りに礼をしながらそう言うと、一度大きく息を吐いてから、姿勢を正す。

 家へと帰るために、夢路はアクセルを踏んだ。

 

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一本道 九十九 @chimaira

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