おかえりなさい
澤田慎梧
おかえりなさい
延々と続く山間の道路を走り続けて早一時間。同じような風景が続き、一台の車ともすれ違わない秘境じみた状況に「帰ってきてしまったんだ」とため息を吐く。
「……疲れた?」
「ああいや、大丈夫。帰ってきちゃったなぁって、思っただけだよ」
助手席の彼女が心配げに声をかけてくれるが、その彼女の表情こそが冴えない。
もしかすると「とんだ田舎までついてきてしまった」と、今更後悔しているのかもしれなかった。
一ヶ月ほど前、僕の勤めていた会社が倒産した。比較的好調だった観光業も、新型ウィルスの蔓延には勝てなかったのだ。
同業他社はどこも苦しい状況が続き、再就職の見通しもつかない。そんな中――
『役場にポストを用意するから、村へ帰ってこい。……彼女さんも連れてな』
父から、突然そんな連絡があった。
実家には職場が潰れたことも、同棲中の彼女がいることも伝えていなかったのに、一体どこから情報が漏れたのやら? と訝しがったものだけれども、背に腹は代えられない。
彼女も「私もついていくから」と言ってくれたので、三十を目前として故郷へUターンすることになった――。
「ど田舎でびっくりしただろ? 道路だけは奇麗に舗装されてるんだけど、本当に山以外何もない場所だから……」
「……そんなことないわ。私にとっても、この風景は懐かしい」
「ふぅん……?」
実は彼女も同じ村の出身ではある。けれども、僕の子供時代に彼女の姿は村にはなかった。
随分と前に村を出て、ずっと都会で暮らしていたらしい。僕が彼女と知り合ったのも、大学進学の為に東京へ出てきてからだった。
「そう言えば……聞いたことなかったけど、村には誰か親戚とか残ってるの?」
「……親戚みたいな人は、まだいると思う。連絡は取ってないけど」
彼女は自分の家族について話したがらない。だから今まで、そのことについては一切触れずに来たのだけれども、これからはそうもいかないだろう。
村へ着いたら、両親よりも先に彼女の係累への挨拶に行った方が良いだろうか――ぼんやりとそんなことを考えながら、僕は愛車のアクセルを吹かした。
***
「うへぇ……本当に変わってないな、この村」
山間にひっそりとたたずむ小さな小さな村は、本当に何も変わっていなかった。
県道の終点の丘から全てを見渡せるほど小さな集落だ。村役場も、畑も、親戚の家も、その全てが視界に収まってしまう。
そして――村のシンボルである「玉姫神社」も健在だった。
玉姫神社は、県道があるのとは反対側の丘に位置する古いお社だ。
ナントカという女神さまを祀っていて、その歴史は嘘か
正直、眉唾物だけれども……あの神社の維持の為に、国から村へ莫大な予算が投じられていて、それが村を支えているという事実もあるので、笑い飛ばせる話でもなかった。
「神社……」
「うん。あれが前に話した玉姫神社だよ。なかなか立派なものでしょ? もしかして、ちょっとは覚えてたり?」
その玉姫神社を眺めながら、彼女がどこか物憂げな表情を浮かべていた。
なんだろう? 何か神社に嫌な思い出でもあるのだろうか?
「眉唾」等と言ってしまったけど、僕は玉姫神社自体は嫌いじゃない。むしろ良い思い出もある。
玉姫神社では、お祭りの度にお神楽が行われていて――とっても美人の巫女さんが舞を披露していた。
僕よりも随分と年上で名前も知らなかったし、いつの間にか村からいなくなっていたけれども……生意気な子供だった僕にも優しくしてくれた、とっても素敵な人だったのは良く覚えている。
そう言えば、僕の彼女にもよく似ていたかも。思えば僕の初恋だったのだろうな。
そのまま、ガタガタと車体を揺らしながら未舗装の農道を進み、役場に併設された共同駐車場へと向かう。
確か、父が役場まで出迎えてくれると言っていた。十年ぶりくらいに会うから、きっと老けているだろうな。
ぼんやりとそんなことを考えながら、駐車場へと向かう最後の角を曲がった、その時。僕の目に思わぬ光景が飛び込んできた。
『おかえりー!』
『おかえりなさーい!』
『よく帰ってきてくれましたー!』
村の衆が総出で待ち構えていたのだ。
老若男女、知っている顔もあれば知らない顔もある。僕の両親もいる。村人のほぼ全てが、そこに集まっている感じだ。
一種異様な光景に、思わずハンドル操作をミスしそうになり、慌てて立て直す。
――僕って、こんなに村の皆から愛されていたっけ?
「いやあ、よく帰ってきてくれた!」
彼女と共に車を降りると、父が満面の笑顔で出迎えてくれた。
こんなに機嫌の良さそうな父は見たことがない。気持ち悪いくらいだ。彼女に変な印象を持たれないだろうか?
等と心配する僕をよそに、彼女は実に堂々とした立ち振る舞いで父の前に――いや、出迎えた村人達の前に立つと、思いもよらない言葉を口にした。
「皆さま、出迎えご苦労様です……。長らく村を留守にし、苦労をかけました」
超然と、別人のような声音と表情で、彼女が村人に告げる。
村人達は、彼女からまるで至宝を賜ったかのように平伏し、声を揃えてこう叫んだ。
『お帰りなさいませ、玉姫さま!』
――玉姫さま? 今、村の人達は玉姫さまと言ったのか?
それって、神社に祀られている女神さまの愛称じゃなかったか?
一体全体、何がどうなっているんだ?
目の前で何が起こっているのか理解できず、完全にパニックになる。
と、彼女がそんな僕の様子に気付き、申し訳なさそうな顔でこんなことを言ってきた。
「ごめんね、ずっと黙っていて。……私は『玉姫』なの。ほら、小さな頃に神社で遊んであげたこと、覚えてるでしょ? お神楽の度に、熱心に私の舞を観てくれてたこと、ずっと覚えてたわ」
「え? ……あ……ええ!?」
――そんな。お神楽を舞っていた彼女が、今の彼女だった? いやでも、彼女は僕よりもずっと年上のはずでは?
「はぁ……。田舎が嫌になって東京に出て好き勝手やってたのに、まさかそこであなたと再会して、好きになってしまうだなんてね。お陰で村にも居場所がバレちゃったし」
――そんな、そんなはずは。
「ま、あなたと一緒なら、この退屈な村も悪くないかもね? ――精々、寿命が尽きるまで私のことを愛してね、旦那様」
こうして、僕は故郷の村へと戻ってきた。祭神の夫という役割を得て。
結局、僕はその寿命が尽きるまで彼女の夫として、そこそこ幸せな人生を送るのだけれども……その話については機会があれば、いずれ。
(おしまい)
おかえりなさい 澤田慎梧 @sumigoro
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