リピート率100%の賃貸

常陸乃ひかる

リピート率100%の部屋

「――お家賃は事務所でご説明したとおりですので、かなりお買い得な物件でございます。それに……独り暮らしの方には、オススメしているんですよ。ふふふっ」


 噂が好きな会社員の青年が、ある物件にふらりと越してきた。

 500号室。珍しい部屋番号だが、キリが良い。

 青年が500号室に越してきた理由は、立地や家賃のほかに、ある噂を聞きつけたからだ。なんでも、この500号室に越してきた者は、なにかしらのトリガーによって、一年も経たないうちに出ていってしまうというのだ。

 引越とは、内見だけでは知り得ない部分が絶対に出てくるし、それ自体に仰天の種はない。が、500号室を出ていった者は、一年もしないうちにまたここへ戻ってくるというのだ、それこそUターンのように。

 一度の引越でも、費用は数十万円が相場である。ましてや、それが二回も続けば、一般人にとっては大金をドブに捨てるも同然だ。

 よほど部屋が気に入っていたのか? ではなぜすぐに越してしまうのか? 不動産屋が最後につぶやいた『独り暮らしの方にオススメ』というフレーズも気になる。どう見ても、ファミリー向けだと思うが。


 青年は越してすぐ、『噂の部屋』と題し、動画サイトに生活の一部を投稿し、真相を確かめつつ、あわよくば広告収入も考えた。

「どうもー、今日からこの噂の部屋で動画を回していきたいと思いまーす!」

 なんてありきたりの始まりで、動画をトリミングしたり、効果音をつけたり、流行りのネタを挟んだりして、工夫をしているうち、七日目でコメントがついた。


『恋人と一緒に噂の物件を紹介するなんて羨ましい』


 という、独り暮らしの青年に対して恐怖を与える文章だった。

 青年は急いで投稿した動画を見返したが、終始しゃべり続けているだけの、それほど面白くない動画だった。

「脅かしやがって、なにも映ってないじゃないか。自分のつまらなさの方が怖いぜ」

 おおよそ、視聴者の悪ふざけだろう。逆に言えば、こういうコメントが何件もついてくれれば、動画の色が決まってくる。ありがたいというものだ。そうこうしているうちに、引越から一ヶ月半ちょっとが経った。動画の投稿数が十を超えた頃、


『今度は家族も一緒か。一家で噂が好きなんだな』


 こういった、青年を脅かすコメントが何件もついていた。手の込んだイタズラ、と思えるだけのメンタルは、もう青年にはなかった。

 最近、廊下にからだ。女や、壮年や、老人など、大所帯を思わせる幽霊家族が。それどころか、キッチンで洗い物をする際。風呂に入っている時。布団に入る前。トイレに立った真夜中――もうプライベートがないくらいに。

 なぜ青年が、そいつらを幽霊と断定したかというと、

『私たちは幽霊一家です』

 こんなプラカードを持ち、笑顔で自己主張しているからである。

 それでも青年は恐怖に駆られ、幾度と警察に通報し、あらましを説明した。当然、痕跡なんてないので信用してもらえず――そのうち、青年の心は病んでいった。幽霊一家は危害を加えてこないが、一刻も早くこの空間から逃げ出したかった。


 引越から約二ヶ月後。青年はついに引っ越しの手続きをし、500号室をあとにした。新たな賃貸はワンルームで、バスとトイレが一緒だったけれど、『幽霊と一緒』より、よほどマシだった。

「しかし幽霊一家の女性、美人だったな。モデルのようなスタイルと顔立ちで。おじいちゃんも優しそうな人だったし」

 メンタルが回復し、新居に居着いてからも、500号室が――もとい、あの一家が頭から離れなくなっていた。当時は恐怖しかなかったのに、一度離れてしまった今では、心が幽谷ゆうこく閑寂かんじゃくに等しい。

 恋人もおらず、親しい友人も近くに居ない。親族とも離れている。

「……よし。あの500号室に戻って、あいつらに話を聞いてみよう」

 しばらくして青年は決心し、あの部屋にUターンした。

 なに、実質的な引越ではない。新居を残したまま、ふたたび500号室の契約をしたのだ。不動産屋には絶対に気味悪がられると思ったが――

「それほどあの部屋がお気に召したのですね、結構結構。玄関の鍵は開けておきましたので、ご自由にお入りください。サービスですよ」

 と、声に愉悦を宿していた。青年は不可解さを覚えながらも、あそこへ戻りたい一心で車を走らせた。停め慣れた駐車スペースに軽を置き、最上階へ。500号室のレバーハンドルを握り締め、じんわり汗で滲んだ右手に力がこもる。


 不動産屋の言うとおり、鍵は開いていた。わずかな軋みもなく、すんなりと開扉する玄関のドア。目に入る内装、匂い、すべてが懐かしい。数十年も500号室を明けていたような気分だった。

「ただいま」

 と青年は言った。誰も居ないはずなのに。――いや、人が居る。

「おかえりなさい。帰ってきてくれて嬉しい」

 青年と目が合うなり、黒髪の美女が言った。声を聞くのは初めてだが、想像どおりの清楚なクリアボイスだった。

「おう、帰ってきたか」「おやおや、早かったねえ」「久しぶりだな兄ちゃん」

 次第に集まってくる、若い男性や、おばあちゃんや、子供――

「これでもう、キミもこの部屋の一部だね。さっそくだけど、なにしようか。そうだ、まずはおしゃべりしようよ。キミのを教えて」

 青年は、黒髪の美女に言われるまま、幽霊に囲まれて一晩中、自分語りをした。一般男性の生涯なので、正直つまらない内容だ。それでも皆は笑顔でリアクションを取ってくれたので、気分が良かった。


 夢中になっていると、窓から朝日が差しこんでいた。

「もう朝方か。楽しい時間はあっという間だな。そろそろ新居に帰るよ」

「なに言ってるの。ここはキミの家じゃない」

「確かにそうだな、じゃあ仮眠していくか。でも布団がないな」

「雑魚寝で良いじゃない。そんなに痛くないから大丈夫」

 美女の言うとおり、案外フローリングの上でも寝られた。そのうち青年の耳に人声が入ってきた。目を開けると、幽霊一家ではなく例の不動産屋が、リビングに入ってきているではないか。

 隣には、まったく見覚えのない男性が、あらゆる部屋をキョロキョロと見回っている。失礼な奴だ。それも青年を無視して、ずっとそれをやっている。

 とうとう青年は、「おい、ここは俺の家だぞ」と一喝してやった。が、いくら注意しても梨のつぶてだった。

「どういうことだ?」

 合点がいかない青年の隣に、美女がちょこんと座り「次はあの人みたいね」とクスクス笑った。あの人――とは。

 青年の様子を察し、美女は「新しい仲間だよ」と、なお嬉しそうにしている。


「でもきっと、最初は怖がって出てっちゃうぜ」

「大丈夫、すぐに戻ってきてくれる。このお兄さんのように」

「私もそう信じてる。だって家族が増えるのは嬉しいもの」

 青年はいつから、その部屋の一部になっていたのだろう。青年の頭には、なにもかも話が入ってこなかった。


 ただひとつ理解できたのは――

「この部屋は郊外に位置していますが、五階建ての最上階で角部屋なんです。2LDなので、とても広々とお使いいただけますよ。お家賃は事務所でご説明したとおりですので、かなりお買い得な物件でございます。それに……独り暮らしの方には、オススメしているんです! こないだも若い男性がひとり入居されまして――」

 あの不動産屋に騙されたことくらいだ。


                                   了

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