やけぼっくりに火がついて

篠騎シオン

元カノとの再会

『久しぶりに飲みに行かない?』


その連絡が来たのは、俺がちょうど引っ越しの段ボールを片付け終わったタイミングだった。

地元に戻ってきて、実家には戻らずに自分の部屋を借りる。

けれど、母親たちのネットワークはすごいもので、俺が戻ってきたことをそこから知って彼女は連絡してきたのだろう。

俺は、その連絡に少しだけ緊張する。

彼女に会うのは12年ぶり。

そんな彼女は、俺の元カノだ。



「おう、久しぶり」


昔なじみの居酒屋。

みんなが20歳になった記念にここでパーティーをしたのが、彼女と会った最後だった。この居酒屋は、昼間はランチメニューなども提供していたから学生御用達の場所で高校時代俺らは休みの日によく食べて駄弁りにきていた。


「久しぶりー」


そう返す彼女の目の前には、少し冷めたように汗をかいたジョッキのビールと二人分のお通し。

律義に俺が来るまで飲まないでいたらしい。

こういうとこ、昔から変わらないなぁ、と俺はしみじみと思う。


「おやっさん、ビールひとつ」


「あいよ!」


元気に応えるおやじに、俺は懐かしさを覚える。地元に帰ってきたなって感じ。


「へい、ビールいっちょ」


すぐにきんきんに冷えたビールが俺のところにやってくる。

俺と彼女はアイコンタクトをし、二人でジョッキを前に掲げる。


「かんぱーい」


待たせてしまったせいで相当喉が渇いていたのか、彼女は目の前のビールを一気飲みした。


「すみませーん、ビールのおかわりくださーい。あと枝豆とかおつまみお任せでー」


「あいよ」


おやじの元気な声が聞こえてくる。

すぐにビールと枝豆が届き、俺たちの間にしばしの沈黙が流れる。

付き合っていたころは沈黙さえもよいスパイスだったが、俺たちはもう別れているし、12年のブランクは長い。

俺は沈黙に耐えきれず、彼女に尋ねる。


「んで、最近どうよ?」


「どうって?」


すでに少しろれつが回らなくなってきた彼女にまっすぐに見つめ返されて、俺は少しどきっとする。

それと同時に、彼女の左手の薬指を無意識に確認してしまう。

そこに指環はない。

結婚は、していないのだろうか。


「どうって、この12年間、何してたのかなーって」


ちょっとどもりながら言うと、彼女は机に腕を置いて下から目線で質問で返してくる。


「あんたはどうしてたの?」


その色っぽい動作に、俺の心はときめく。

そもそも俺とこいつは嫌いあって別れたわけじゃない。

大学進学を機に、お互いのためと話し合って別れたのだ。


「俺は、この10年いわゆるブラック企業に勤めててさ。ずっと働き詰め。自分の時間なんて全くなくて、ついにこの間体を壊して。すごすごと地元に戻ってきたわけだよ。どうだ、情けないだろ」


どうせ知ってるんだろ、と思いつつ彼女にそう話すと、驚いたように目を見開いたのでこちらも驚く。なんだ、知らなかったのか?


「俺が帰ってきてるのは知ってるのに、なんでかは聞いてなかったのか」


彼女は俺の言葉には恥ずかしげに笑う。


「たけちゃん帰ってきた、ってお母さんに聞いて、とにかく会いたいなぁと思ってすぐ連絡しちゃったから……それよりも体、大丈夫?」


そして心配してくれる彼女。

家族以外に久しぶりに心配してもらって、心の中に暖かいものが広がる。それと同時に、とにかく会いたい、って言葉に胸が高鳴った。


「体は落ち着いたよ、だからこっちで就職しなおそうと思ってさ。飯とかちょっとまだ不安なとこあるから実家の近くで一人暮らし始めたよ」


「ふーん、そうなんだ。向こうで彼女とかいなかったの」


その言葉に俺は秒速で首を振る。


「無理無理、あんな環境じゃ。終電で帰って始発で出勤。会社に宿泊もままあるし、休日なんてないに等しかったからさ」


「そんなに大変だったんだ……」


悲しそうに顔を下げる彼女。

彼女は、人に共感しすぎるきらいがある。

せっかく久しぶりに飲んでるのに、このままでは暗い雰囲気になってしまう。

俺は、話題を変える。


「んで、沙紀はどうだったのよ」


俺が改めて聞くと、沙紀は少しだけ困った顔になって、そしてぐびりとジョッキのビールを半分ほど飲み干す。

そして酔って少しだけ焦点の合わない目で俺に告白する。


「私、子供いるんだよね」


「え」


先ほど確認してなかった指環を思い出す。つけてなかっただけなのか、それとも……。


「大学の時に、付き合ってた人でさ。28の時だっけ。大学の同窓会があって、なんていうか、ほら、あれ、やけぼっくりに火がついたって言うか」


「やけぼっくいな、それじゃ松ぼっくりみたいだ」


そう俺が指摘すると、彼女はぷっと吹き出す。


「もう私怖がりながら告白してたんだから笑わせないでよ。そっかー、やけぼっくいか」


笑う彼女に、俺は尋ねる。笑顔が可愛い。


「そのこと、後悔、してる?」


俺の真剣な問いかけに、彼女は首を振る。


「未婚の母になったわけだけど、両親も近くにいたし、なによりも子供がかわいいから全然後悔してない。なんで、あんなくずと付き合っちゃったんだろうなーとも思うけど、アイツとじゃないと、あの子は産まれなかったわけだからね」


急に彼女が母、の顔になる。

ああ、俺が知らないうちにコイツはこんなに大きくなってたんだな、と思うと少し寂しい気がした。


それから俺らは、12年の間の出来事をいろいろと話した。

ブラック企業でのひどい話、沙紀のバイトの話。彼女のかわいい子供の話。

ブランクが少しずつ、埋まっていく気がした。


時刻は12時ごろ。

居酒屋も締まる時間になって、俺と彼女は店を出る。

それじゃさよなら、そう言いかけたときに彼女のスマホに通知がくる。


「あっ」


彼女がその内容を見て、声を上げる。


「どうした大丈夫か、子供さん、熱でも出したか?」


俺が心配して声をかけると、彼女はちょっとだけにやけた、俺の大好きだったその表情で、俺に連絡の内容を告げてくる。


「お母さん、今夜一晩子供の面倒見てくれるって」


その意味を飲み込むのに数秒の時間を要した。

そして理解した俺は、彼女と見つめあう。


そう、ここは俺が誘わなきゃいけないところだ。

俺は、彼女の目をじっと見つめて、言おうとするが、結局うまく言葉が出てこなくて、体の力を抜く。

やっぱりコイツの前ではかっこつけられないや。

いつでも自然体でいられる。


「やけぼっくり、もう一度火つけてみないか?」


彼女は俺の言葉にくすくすと笑うと、俺の腕に自分の腕を絡ませてくる。


「もうちょっとカッコいい誘い方、ないわけー?」


「悪いな。かっこ悪くて」


「いいよ、そういう正直なとこも、嫌いじゃないから」


二人の大人の男女が夜の街に向けて、静かに歩き出した。

もう、二人にとって沈黙は苦じゃなかった。

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