遥かなり、我がふるさと
ゆうすけ
遥かなり、我がふるさと
「エミリ! 何やってんだ! 早く乗れ!」
セージは怒鳴りながら、後ろを振り向く。ろくに照準も定めずに拳銃を二発打ち抜いた。パンパンと乾いた銃声。立ち上る硝煙を眺めているひまはない。一瞬の間を置いて、追ってくる三人の男の一人の肩から血しぶきが上がり、夕暮れの赤い陽光に包まれた歩道に鮮烈な紅色をまき散らした。うめき声とともにそのままあおむけに倒れこむ男。
路肩にエンジンをかけたまま黒いレクサスが止めてある。ドアを力任せに開けて飛び乗ったセージは、助手席から乗り込んだエミリの着席を待たずに、これ以上なく乱暴にスタートさせた。派手なスキール音を立てて通りに飛び出し、平和に流れていた車を強引にせき止めて走り出す。たちまち急ブレーキと、クラクションと、車同士がぶつかるクラッシュ音が都会の喧騒をさらにヒートアップさせた。
レクサスの中ではエミリがシートに叩きつけられて、低く呻いていた。
「ぼやぼやしてたら死ぬとこだったぜ」
「もう少しレディにやさしくしてほしかったなあ」
ようやく腰を落ち着けたエミリは、不満そうに口を開いた。
「よくそういうセリフをこの状況で言えたもんだ」
セージはバックミラーに映る男たちが拳銃を構えてるのを見ながらうそぶく。
「へっ、この距離でピストルの弾なんか届くわけねーってんだ」
ピストルの弾が後部トランクにぴしっぴしっと突き刺さる音が聞こえてくる。しかし、それぐらいでは車上のセージたちにかすり傷一つ付けることはできない。ひとまずあの男たちをまくことには成功した。セージは慣れた手つきでダッシュボードから取り出した煙草を横ぐわえにして火をつけた。
「ちょっと、この車、禁煙車じゃなかったの?」
「ふん。どうせピストルの弾でケツが穴だらけなんだ。今さらそんなこと気にするやつはいねえよ」
「道具は大事にするものよ。これだからセージは ……、あっ!セージ右のうしろ!」
エミリの叫び声とともに車体の右後方にズガンと衝撃が走った。バックミラーには、バイクに二人乗りした追手が映っている。後ろの男の手には小型のロケットランチャー。セージの瞳がきらりと光った。アクセルをぐいと踏み込む。跳ね上がるタコメーター。3速まで一気にキックダウンしたレクサスのエンジン音が吠える。スピードメーターは駆け上り、瞬時に百マイルに達する。
「ちっ、あいつらめちゃくちゃしやがるぜ。まあ、そんな簡単に逃がしてもらえるたあ、思ってなかったけどな。エミリ、あれを」
「分かってる」
エミリは後部座席に手を延ばすと、取っ手の付いた筒状の金属を肩に乗せてサンルーフから身を乗り出す。バイクの男が持っているよりも大型のロケットランチャーだ。エミリは鋭い声で、風圧でなびく髪の毛をものともせずに、追ってくるバイクに向かって吐き出した。
「お返しよ! くらいなさい!」
バシュッという発射音とともに弾が飛び出し、バイクの手前に大きな爆炎が上がった。追跡者二人は必死に回避を試みたが無駄だった。爆風にタイヤを取られて大きく吹っ飛ばされていく。
「おお、一撃だな。さすがだぜ、エミリ」
サンルーフから頭を引っ込めたエミリ。助手席に再び腰を下ろすと髪の毛を手で整えながらほっと息をついた。
「これぐらいは訳ないわ。それより ……、なんで殺さなかったの?」
レクサスは夕陽に向かって交通安全とは程遠いスピードで走って行く。決して少なくない交通量の車の間を小刻みに縫って、ハイウェイに駆け上がる。一息ついたセージは低い声で言った。
「…… それはこっちのセリフだ。クリムゾン・スフィアのメンバーが
ハンドルを左に右に細かく操作しながら、セージは言葉にはっきりとエミリを咎める意図を込める。暗殺部隊クリムゾン・スフィアの隊員として、仕事は確実に完遂しなければならない。暗殺は、
「まさか世界有数の石油王の
「故郷の弟、か」
「私も …… バカよね。なんであそこで手が止まっちゃったかなあ。何年この仕事やってきたのか、自分で呆れたわ。まったく。プロ失格ね」
「まあ、それを言ったら俺も失格だな」
夕暮れ時のハイウェイ。対向車線は家路を急ぐ人で混んでいるが、ダウンタウンに向かうこちら側はそれほどでもない。レクサスのスピードは六十マイルまで落ちていた。こうして走っていると何かの用事で車に乗ってるカップルにしか見えない。少なくとも数々の暗殺をこなしてきた凄腕アサシンが二人も乗っているとは誰も思わないだろう。エミリは小さく笑ってセージを上目遣いでみつめた。横くわえにしたタバコの火は、エミリがサンルーフからランチャーをぶっぱなした時に消し飛んでいた。
「ふふ、そうね。失敗した暗殺者はその場で消す、それが鉄則。あの時、セージは
セージはゆっくりと息を吐いた。
「エミリを逃がした理由なんて、…… 俺にも分かんねーよ」
その時、前方に閃光が走った。とっさにセージはハンドルを切る。タイヤのグリップ限界ぎりぎりのところでレクサスは進路を変える。赤い炎の筋が一断。通り過ぎた背後では爆発音。間をおかずに、前方からは次の閃光が飛んでくる。側壁をかわすべくハンドルを左右に振り回しながらセージは舌打ちした。
「ちくしょう、あいつら、やりたい放題だな」
「まかせて。そのまま突っ込んで! 蹴散らしてやる」
再びランチャーをかついでサンルーフから顔を出したエミリは、横止めしたトラックでバリケードを張る一群に向かって、豪快に打ち込んでいった。エミリがランチャーを発射するたびに爆炎と爆音が地を揺らす。
ランチャーからのロケット弾乱射の後、エミリは懐に手を入れて、手りゅう弾を二つ取り出した。安全ピンをくわえ抜き去り、素早く前方の即席バリケードの壁に向かって思い切り投擲。ひときわ大きい爆炎があがり、バリケードに隙間が開く。
「セージ! あそこ!」
「オーケー、エミリ、伏せとけよ!」
わずか3メートルほどのバリケードの切れ目に向かってうなりをあげるレクサス。
車幅ぎりぎりのすき間に車体を高速でねじ込む。敵の防御線は瞬く間に後方に流れ飛んで行った。その先にはすぐに右カーブ。九十五マイルのスピードでレクサスは進路を曲げる。
カーブの向こうに見えたのは、今突破したトラックの倍以上の数の大型バスとコンボイ。要塞のごとく道を塞いでいる。
セージは一瞬で状況を読み取った。
――― あれは、突破できない。
アクセルを踏み込む足から力が抜け、レクサスはスピードを落としていった。
「 …… 小さな島、だったんだよ」
セージはぼそりと呟いた。
「え?」
エミリは聞き返す。セージの言葉の意味を図りかねた。セージはハンドルを握り、消えた煙草を横くわえしながら目を細めている。もはや交通違反では捕まらないレベルまでスピードは落ちていた。
「俺の故郷さ。釣りをして、魚を食って、寝て、起きて、また釣りをする。そんな、のどかで平和な島だった」
エミリは、うっすらと唇の端だけで笑った。
「そのまま平和に島で暮らせば良かったじゃない。そうしたら今ごろは」
「何も起きなくて当たり前。毎日が平和。それがイヤでたまらなくなったのさ。しかし島を飛び出した俺が就いた仕事が殺し屋じゃあ、故郷に顔向けなんかできねーだろ。そう思っていたよ、ずっとな」
「少なくとも胸を張れる仕事じゃないかもね」
「でも、こうなってみると、帰りたくなるもんだよな、故郷ってのは。ガラでもねーけどな」
レクサスは街中の一般車並みまで減速した。静かになった車内。先刻の銃撃でダメージがあったのか、周期的に車体が軋む。
前方の巨大バリケードが近づいてくる。それを拒むかのようにスピードをさらにゆるめる。拡声器で何か呼び掛ける声が聞こえている。抵抗しなければ殺しはしない、おとなしく投降しろ、そう言っているようだった。しかしセージはそんな言葉など聞いていなかった。むしろ殺してくれた方がましだと思うような目に合うことになるのは分かり切っている。
二人は押し黙って、惰性で進むレクサスのシートから前方の不気味にそびえる壁を見つめていた。陽はもう落ちかけている。
「一緒に来るか?」
「一緒に行っていい?」
結構な沈黙のあとの二人のセリフが、重なった。二人はお互いに目を合わせる。
そしてどちらの瞳にも、ふっと暖かい色が浮かんだ。
「生きてここを抜けられれば、な」
「大丈夫よ。少なくともセージは、私が死なせない。私を連れて逃げてくれたお返しよ」
「へっ、おかげでとんだ罰ゲームをくらっちまったけどな」
セージはアクセルを踏み込んだ。
「エミリ、おまえのこと冷血女だと思ってけど、違ったな。弟に似てるってだけで
「ふん、セージこそ殺人マシーンだと思ってたけど、違ってたわね。暗殺に失敗して呆然と立ちすくんでるだけの女一人殺せないようじゃ、殺し屋に向いてないんじゃない?」
あっという間に加速したレクサスは、鉄壁のバリケードの手前で派手に音を立ててUターン。
そして、再びさっき突破したばかりのトラックの列に向かって速度を上げて行った。
遥かなり、我がふるさと ゆうすけ @Hasahina214
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