9-1. ここは……何処なんだ?






 それから私はしばらく街を歩き回った。

 王都の朝市広場で人混みは慣れてるつもりだったが、やはり日本、それも横浜駅周辺ともなれば勝手が違った。ぎっしり詰まった雑踏の歩き方をすっかり忘れてしまってて、何度も人とぶつかりながらも懐かしさを踏みしめていく。


(そういえば……)


 不意に記憶が蘇った。そうだ。確か、私がかつて死んだ場所も横浜駅近くだったように思う。人があふれる白昼に襲われ、そして死んだ。正確な時間はわからないが、今私がいる状況はあの時に酷似している気がする。

 体が勝手に緊張する。ハッキリと戻った記憶に誘われ、その時の場所に移動していく。胸騒ぎを超えて痛いくらいにまで鼓動が強くなる。

 やがて記憶してた場所にたどり着いたその時、近くで悲鳴が上がった。

 振り向けば、あれほど密集していた人集りにポッカリと空間が生まれていた。その中心にいるのは刃物を持った男。ブツブツと聞き取れない声量で何かをつぶやいているが、目を見れば男が正気じゃないことは一目瞭然だった。


「がぁぁぁぁぁっっっっっ!!」


 男が奇声を上げて刃物を振り上げる。虚ろな視線をたどっていけば狙いは私――ではなく、偶然その場に居合わせてしまったらしい母親とその子どもたちだと分かった。

 気づけば勝手に私の体が動いていた。男と女性の間に割って入る。

 首元目掛けて振り下ろされた刃物。その軌道を自分でも驚くくらい冷静に見定めて受け流し、男の懐に潜り込むと顎めがけ全力で掌底を振り抜いた。

 男の体が浮き上がって背中から倒れ込んでいくのを見送る。どうやらアーシェ・シェヴェロウスキーとしての生き様は魂に染み付いていたらしい。

 さっきまでの喧騒が嘘みたいに静寂が支配して、けれども男の手から離れた刃物が地面に転がった音でまた騒がしさが一斉に押し寄せてきた。


「と、取り押さえるんだッ!」


 誰かが叫ぶとそれをきっかけに何人もの野次馬が気を失った男に覆いかぶさっていき、あっという間に刃物男の姿が人間ピラミッドに埋め尽くされて見えなくなった。正直そこまでやらんでも、という気になるがまあ確実に取り押さえられるなら私が気にするものでもない。

 耳をつんざく騒ぎとなってしまったその場を私はスルリと抜けた。面倒事は嫌いだし、まして私という存在が今どうなっているのか皆目見当もつかん状態なわけで。状況によっては下手に警察なんかに行くと相当に面倒なことになりかねん。

 騒ぎから離れながらそんなことを考えていて、ふとそういえば今日はいつなんだろうか、と今更ながらに思った。


(たぶん、私が死んだ日とそう離れてはいないと思うんだが……)


 この世界でまた家族と生きる。そのためにDXMで戻ってきたんだから、死んだ日の数日前くらいだろうか。死んだ日付はハッキリ覚えてる。六月六日の、梅雨の合間のよく晴れた日だ。少なくともその日の前後はしっかりと警戒しておくべきだろう。

 新聞でも適当に買うかとコンビニを探し始め、だが何気なくポケットに手を突っ込むとその奥にある固いものに指先が当たった。

 取り出してみると、それはスマホだった。そういえばこんなものがあったな、とつい苦笑しながら記憶を引っ張り出して画面を操作してみる。操作方法の記憶は曖昧だが、パスワードは一つしかないから迷うことも忘れることもない。だからあっさりとスマホのロックは外れて日付を確認することができて。

 そして私は目を疑った。

 画面の上端に示された日付は私が死んだその日だった。

 ただし、七年後の。


「馬鹿なッ! どうして……」


 DXMの光の中で私は願ったはずだ。神々の傲慢で人生を、未来を奪われたあの日に戻ることを。

 DXMがエラーを起こしたというのか? あれだけ準備を進めて、あれだけの苦難を乗り越えて、仲間たちの涙を振り切ってやってきたというのに……最後の最後で裏切ったというのか。


「だとしたら……私は死んだままなのか……?」


 私が死んだ後の世界なのか、それとも私が生きていた世界とは似て非なる世界なのか。いろんな可能性が頭を過る。私はいったいどうなっているのか、どういう扱いになっているのか。そもそも私は存在しているのか。


「ここは……何処なんだ……?」


 もう数十年前とはいえ、ずっと暮らしてきた街に戻ってきたのだと思っていた。見慣れたはずその景色が急速に色あせていく。見た目は変わらないのに得体のしれないものへと変わっていった気がしてならない。

 歪む街並みと人の姿。信じていたものが崩れていき、私が立っているこの場所でさえ幻影のように思えてきた。

 もはや、何も考えられない。フラフラと、まるで酒に飲まれた後のようにおぼつかない足取りで何処ともなく歩いていって、いつの間にか私の意識は何処か彼方へと放り捨てられてしまったのだった。






 トボトボとした足取りで、果たして私はどれだけ歩いたのだろうか。気がつけば何処ともしれない住宅街を一人歩いていた。

 ぼんやりとした記憶を辿れば、かろうじて電車に乗った記憶があった。ポケットにはカードケースがあり、そこに入っていた電子マネーを使ったらしい。数十年も前なのに体は覚えているのだから不思議なものだ。

 そんな事を思いながらため息をつく。もうどうしようもないのだが、私が元の生活――家族と暮らすことができないことは確実と言っていいかもしれない。この数十年は何のためだったのだろうか。思えば思うほど体のあちこちに鉛をぶら下げたように重くなって、うつむいた視界は鈍色のアスファルトで埋め尽くされてしまった。


(ダメだな……)


 もう一度ため息を大きくつき、思い切って顔を空へと向けた。何処までも晴れ渡っていて抜けるような空という表現がピタリとはまる。そんな青空を眺めながらぼーっと歩いていると、多少だが気持ちも晴れてきたような気がするからこれまた不思議である。

 せっかくだ。久しぶりに日本の街を散歩でもしてみるか。ほんの僅かだが上向いた気持ちに任せて辺りをしばらく歩く。するとここが見覚えのある場所のように思えてきた。


「もしかして――」


 刺激されて掘り起こされてくる記憶を頼りに角を曲がる。記憶が確かならば、そこにはジャングルジムとすべり台、それとブランコだけの小さな公園があるはずで、果たして曲がった先には記憶どおりの公園がそこにはあった。


「そうか、そういうことか……」


 どうして電車に乗ってここに来たのだろうと自分のことながら疑問に思っていたが、それが氷解した。

 ここは、私が暮らしていた町だ。

 そう自覚すると一気に記憶が蘇ってくる。同時に胸いっぱいに広がる懐かしさ。途端に胸の奥が苦しくなって視界が涙でにじみ、けれども誰に見られているというわけでもないのに恥ずかしさを覚えて慌てて目を拭う。

 口を開けば湿った吐息があふれ、しゃくりあげそうになる喉を無理矢理になだめながら立ち止まっていた脚を再び動かし始める。似たような戸建ての家が建ち並んで一見面白みもない町だが、それでも私が迷うことはない。

 電柱に貼り付けられた錆びた看板。欠けたブロック塀に、チョロチョロと水が流れるコケだらけの側溝。それらすべてが懐かしく、見ていて飽きない。

 そうして私の脚は、自然と住んでいたアパートへと向かっていた。さっきとは別の、ブランコだけのさらに小さな公園を通り抜け、団地の脇道を進んで角を曲がる。そのまま少し真っ直ぐ向かえば右手に二階建ての小さなアパートがあるはず。記憶のままに歩き、最後の角を曲がって――私は思わず脚を止めた。いや、立ち尽くした。


「っ……」


 私の視線の先。そこには一組の親子がいた。小学校低学年くらいの女の子と、その親。手を繋いで楽しそうに笑いながら歩いていた。

 私に見えるのは二人の後ろ姿だけだ。けれども即座に分かった。二人は――私の家族だ。

 七年という時が経とうとも分かる。にじんだ視界に映る、まだ幼子だった娘は大きく成長していた。そしてパートナーだった人は変わらない。いや、若干後ろ姿にも年齢が感じられるようになったかもしれないが、それでもその背中は私が誰よりもよく知っているものだった。

 もう何度目だろうか。涙があふれて止まらない。周りに人がいなくて良かった、なんて事を思いながら必死に目をこすって家族だった二人の姿を私は追いかけた。

 やがて二人は私に気づくこと無く楽しげに会話をしながらアパートへと入っていった。塀の陰からそっと様子を伺い、二人が完全に家に入ったのを確認するとアパートを見上げた。

 アパートの姿は記憶のそれと寸分の違いもなかった。決して新しくもなく、でも古くもないそれなりに綺麗な外観で、内装も十分な設備だった。駅から離れてるおかげで親子三人で暮らしてもスペースが余るくらいに広い割に家賃も安かった。通勤は大変だったけど、貯金もそれなりにできるくらいに生活にゆとりがあった。当時の生活が思い出されて、また泣けてきた。いかんな、どうにも涙腺が緩々になってしまってる。


(二人は――)


 どんな人生を歩んできたのだろうか。さっきは笑い合っていたが、つらい日々を送ってはいないだろうか。寂しい想いをさせてはないだろうか。

 気になって気になって仕方がなくて、何とか二人の普段の様子を知ることができないだろうかと思っていると、一階の窓が開け放たれた。


「ねぇっ! ちょっと手伝ってー!」

「はーい」


 中からそんな声が聞こえてきて、窓辺にいた娘が離れていく。

 チャンスだ。私は窓に向かって走った。ストーカー紛いの行為を我ながらどうかと思うが、知りたいという欲求には敵わない。滑るようにアパートの壁に張り付くと、中をそっと覗き込んだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る