8-3. 始めよう





 消えたクロノスを見送ってからどれだけ時間が経ったのか。

 ニーナ共々動けないままでいたが、背後に気配を感じて何とか私だけは立ち上がった。


「……アーシェ、その――」

「いや、大丈夫だ」


 なんと声を掛けようか迷ったふうにマティアスが呼んだが、私は続きを遮った。慰めは要らない。彼女は、還ってこないのだから。そして私も立ち止まる事なんてできないと分かっている。

 グイと濡れた目の周りを袖で拭い、ニーナの肩を軽く叩いてから振り返る。全員からの視線を浴びつつ果たしていつもどおりに振る舞えているだろうかなどと思うが、そうできていると今は信じよう。


「待たせた。

 ――始めよう」


 息を吸ってそう宣言する。計画を共に進めてきた仲間たちの運命はクロノスによって私に託されている。だから、私は私の役割を果たさねばな。

 彼らを、願いの場所へ。胸の前で両手を組んで目を閉じ祈る。

 すると私の中から光が小さくあふれ始めた。体が浮かび上がり、そうするのが当然のように自然と両腕が左右に広がると、光が一気に周囲へと散らばっていく。


「綺麗……」


 目を真っ赤にしたニーナのその言葉に私も目を開くと、辺り一面がきらめいていた。星屑のような小さな光が澄んだ夜空のように輝き、やがて無数のそれが私たちに向かって降り注いでくる。


「体が……!」


 最初に声を上げたのは、私やマティアスと共に計画を進めてきたエルディス主任だ。彼の全身はまばゆい光で包まれて、それを皮切りに計画に携わってきた他の技術者たちも次々に光に包まれていく。


「ふむ、何とも不思議な感覚だな」


 そしてその中にはヴィクトリアの姿もあった。


「貴様も行くのか……?」

「言っただろう?」彼女は口端を吊り上げて鼻を鳴らした。「戦争ができるのであればいつどんな場所だろうと構わん、と。巻き戻されて再構築された世界でもう一度闘争を楽しむのもありだが、どうせなら私の知らない戦場で新しい戦いを学ぶ方が楽しそうだからな」


 ……ったく、はた迷惑な奴だ。だがヴィクトリア自身は戦いに身を投じるのが大好きだし、焚き火に油を全力でぶっかけに走るものの、戦いそのものを起こすわけじゃあない。

 それに、どうせどこに飛ぼうがヴィクトリアに関係なく戦いは起きるんだ。それが人間だ。であれば、その中で存分に暴れてくれればいい。少なくとも私が知る人たちと関係のない時代であれば私は文句ない。飛んだ先の人間からすればとんでもない迷惑だろうが。


(結局――)


 良くも悪くも、最後までヴィクトリアには振り回されっぱなしだったな。つい、苦笑が漏れる。だがアレだけ嫌いで、憎くさえあって、しかもちょっと前までは敵同士だったというのに最後の数分間共に戦っただけでその感情がずいぶんと薄くなってしまっている自分がいて驚く。

 そんな事を考えているうちにヴィクトリアを含め、彼女らの体が若返っていく。ある者は若き青年の姿に、またある者は幼い少年に。疲れ、擦り切れた大人になってしまっていた彼らの肉体が、彼らの望む姿へと戻っていった。

 肉体の時間が巻き戻された彼らの瞳から涙がこぼれ落ちていった。分かる。彼らのその涙は得体のしれない恐怖ではなくて、心からの歓喜の涙だ。

 彼らの瞳に映っているのはなんだろうか。誰もが涙で濡れた瞳を宙に向けきらめく星屑の海に向かって手を伸ばすと、触れた星屑から放たれた新たな光が彼らを飲み込んだ。


「――彼らを願いの場所へ」


 私の口から、彼らへの祈りの言葉が自然とこぼれた。そして彼らを抱きしめるように私の両腕が私自身を抱きしめると、彼らの姿がひときわ分厚い光の層に包み込まれた。

 そうして私は再び両腕を大きく開いた。

 瞬間、彼らの魂がそらを駆けぬけていく。まるで流れ星が夜空を滑るみたいに、光と化したそれぞれの魂が彼らの願ったあるべき場所へと飛んでいって、彼方に消えた。


「――みんな行ってしまったな」

「……ああ」


 あっという間に見えなくなってしまったかつて仲間だった人たちを、私とマティアスは並んで見送った。彼らが今度こそ幸せで苦しみのない人生が送れますように。苦しみながらもここまで必死に生きてきた彼らの人生を多少なりとも共有した私たちとしては、そう心から願わずにはいられない。ただし、ヴィクトリアは除くがね。あの女は私が願おうが憎く思おうが関係なく何処でだって暴れまわるに違いないからな。

 彼女のことはさておき、だ。

 私が同じくマシな人生を、と願わずにはいられない男がここにも一人。


「……始めるか」

「そうだな……アーシェ、頼む」


 向かい合ってマティアスの顔を見上げる。

 コイツには実に世話になったな。戦場でマティアスに拾われたことで、私のこの世界での人生が本当に始まったような気がする。感謝してもしきれない。もっとも、こんなことは口が裂けたって本人には言ってやらないがね。

 腕をマティアスに向かって伸ばそうとすると、私を見つめる奴の瞳が少し揺れたのが分かった。そのせいで私の腕からも力が抜けそうになって、出会った頃に交わした誓いと決意が揺らぎそうになる。ここに至って願ってしまう。マティアスと引き続き共に過ごしたいだなんて事を祈ってしまう。けれども、それが許される時はとっくに通り過ぎてしまった。

 こみ上げてくるものを飲み下し、手をかざして祈る。すると先程消えていった仲間たちと同じようにマティアスの体が光に包まれていった。


「マティアスさんも、行ってしまうんですか……?」


 ニーナがさみしげな声をマティアスの背中にぶつけた。いつだってそうなんだが、ニーナの声色はどうにも私たちの感情を揺さぶってくる。マティアスも一瞬辛そうに顔を歪ませ、だがすぐにいつもどおり王子サマらしい笑顔を取り繕った。


「……そうだね。この時のために私は王子という役割を背負わされても生きてきた。アーシェやニーナくんたちと過ごした日々も、今思えば悪くなかったかもしれない。けれど……」マティアスは小さく息を吸ってハッキリと言った。「君らとの過去を、そして未来を捨ててでも私にはやり直さなければならないことがあるんだ」

「そう、なんですね……

 あの、マティアスさんがいなくなったらどうなるんでしょう?」

「おそらくだが……このDXMによって巻き戻された新しい世界では第十三警備隊は存在していない。私は王子になっていないだろうからね。ニーナくんたちもまた、巻き戻った時点でこれまでとは違った人生を歩んでいると思う」

「そんな……! 良いんですか、お二人ともそれでッ!? アレッサンドロさんも!」


 振り返ってニーナがアレクセイたちに叫ぶ。が、カミルは頭を掻くばかりだし、アレクセイやアレッサンドロも動揺した様子はない。


「王子の話は俺もアレクセイも聞いてたからな。十三警備隊が無くなるってぇのはさみしいが……ま、仕方ねぇ話だ」

「色々とありすぎてもう頭がパンクしそうなんスけど……皆さんと疎遠になるのは残念ではありますよ。でもマティアス王子の人生ですからね。少なくとも俺が口出しするとこじゃ無いッス」


 アレクセイとカミルはそもそも計画を承知の上だし、アレッサンドロもこういうところは結構ドライだからな。同意が得られなくてうつむいてしまったニーナには申し訳ないとは思うが……私には慰めの言葉一つかける資格などない。


「マティアス。念の為確認だが……本当に良いんだな?」

「愚問だな、アーシェ。今更お前がその問いをするのか?」


 計画を立ち上げた時から一緒にいるんだ。コイツの決意が固いのはよく知っている。それでも聞いてしまったのは……なんでだろうな。私はどんな答えを期待したんだろうか。まったく、言われたとおり愚かな質問だったな。


「行くぞ――」


 一言声をかけて手をかざす。

 光に包まれているマティアスの姿が少しずつ変わっていった。顔にできていた浅いシワが消え、目元のクマなどの疲労の痕もなくなっていく。肌や髪にもハリが出てきて、段々とその体が縮み始めた。

 それなりに鍛えていた肉体もしぼんで線が細くなり、現れたのはやせっぽちの少年だ。少年・マティアスはマジマジと自分の小さくなった手のひらを覗き込んでたが、不意に背後を振り返った。


「母さん……、マリア……!」


 マティアスの口から、二人に呼びかけるその声が確かに聞こえた。

 守れなかったと悔やみ続けたアイツの母親と妹の名。それを呼んだってことは、光の中に彼女らの姿を見たということだろうか。

 たとえ彼女らが健在な世界に繋がっていたとしても、この場で繋がった先を覗き見ることなんてできない。だからたぶん、マティアスが見たのは幻影に過ぎない。

 けれども。

 最後に見せた、打算も何もなくただただ純粋に喜ぶアイツの泣き顔が私にはひどく印象的で、それだけでアイツが救われたんだと理解した。

 何もない空間に抱きつく仕草をマティアスがする。その瞬間に分厚い光の膜が覆って、あっという間に光の粒となって彼方へと消えていった。


「マティアス……達者でな」


 神が消えた以上、アイツに英雄となる試練が課されることもあるまい。戻った先で家族を守れるかどうかはアイツ次第ではあるんだが、ここまで海千山千の連中を手のひらの上で転がしてきたんだ。きっと次の人生じゃあ上手くやってのけるに違いない。そう確信しながら、私はマティアスが消えていった星屑の海を一人見つめ続けていた。


「クロノスさんもマティアスさんもいなくなって……寂しいですね」


 私の横にニーナが並んで、光がきらめく空間を同じように見上げる。これで計画を共に組み立て、実行してきた仲間たちはみんな戻っていった。残されたのは――私だけだ。


「――アレって、もしかして……?」

「ああ――どうやらDXMの効果も終わりらしいな」


 振り返ってニーナが指差した先。そこでは青白い空間が途切れて、真っ白な空間が少しずつ迫ってきていた。あの先に飛び込めばこの世界も終わり、そして、神たちが消えて歴史が書き換わった新しい世界が待っているに違いない。


「……帰りましょっか、アーシェさん」


 ニーナが私の手を握って歩き出す。柔らかくて暖かい彼女の存在を感じる。彼女が前に進んだことで私の腕が引っ張られて前へと伸びていって。

 けれども私は――そっとその温もりから指先を外したのだった。






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