8-2. 知るか、バーカ






「アーシェ!?」


 マティアスを皮切りに、計画に参加していた連中が次々とこの摩訶不思議空間に現れてくる。当然ながら全員目を丸くして最初こそパニクっちゃいたが、賢い連中だ。長年DXMに携わっていたこともあるんだろうが、すぐに状況を察して感慨深げに景色を見回していた。


「……そうか、ついに発動させたんだな?」

「ああ。緊急的な処置だったんでな。マティアスたちの同意を得ることができんかった。すまない」

「いや、構わない。本当に――」マティアスは目を細めた。「DXMを起動させることができたんだな……」


 長かった。それだけ口にすると、マティアスは湿った吐息を漏らした。

 さて……数えてみたが呼び寄せ漏れはないみたいだな。

 クロノスはさっき世界のすべてを包み込んだと言った。ならば――もう一組、呼び寄せなきゃならん連中がいるな。

 口元が歪んでいくのを自覚しながら再び頭の中で、ある人物たちを思い描いていく。私が自我と記憶を取り戻して以降、一瞬たりとも忘れたことがなかった憎むべき連中であり、私にとっての諸悪の根源。日々中指をおっ立てて悪態をつき続けた奴らだ。マティアスたちなんかよりずっと早くイメージできた。

 奴らを、ここへ。そう願った直後、ひときわまばゆい光がきらめいて私たちの瞳を焼く。けれどもそれは一瞬で、まるで隠していた虚構を暴くかのようにあっさりとそのベールが引き裂かれて――人間と変わらない、崇拝されていた偶像そのものの姿で神々が私の前に引きずり出された。


「なっ!?」


 現れたのは五体の神たちだ。おおかた、また遥か高みからのんべんだらりとしながら人間の世界を覗いては好き勝手ほざいてたんだろう。主神であるヒゲモジャ大男と残り四体の愉快な仲間たちは、振り返って私の姿を認めると皆揃いも揃って素っ頓狂な声を上げてくれた。

 まったく、実に人間臭い。姿形は長きに渡る人間の信仰が作り上げたものだから人間に似るのは当然だが、こんな連中が神と名乗っているんだから笑えてくる。もっとも、こいつらを神と称えるのも人間なのだからどっちもどっちではあるが。


「久しぶりだ。何十年ぶりだろうなぁ?」

「アーシェ・シェヴェロウスキー……!」

「おいおい、せっかく私の方からわざわざ呼んでやったんだ。もっと喜べよ?」


 クツクツと喉を鳴らして笑うと、ジジィ姿の神を始め、全員が忌々しそうに私を睨みつけてくる。いい、実にいい顔をしてくれるじゃないか。貴様らのその間抜け面を拝むためにここまで生きてきたと言っても過言じゃないからな。


「ここはどこだ? なんで人間であるテメェが俺らの前に立ってやがる?」

「そういう貴様は神なんだろう? なら私になんか聞かず自分の頭で考えてみたらどうだ? きっと素晴らしく突拍子もないアイデアが思い浮かぶと思うぞ?」


 指先で自分の頭をトントンとつつく仕草をすると、若い男の姿をした神が「テメェッ!」とそこらのゴロツキみたいにいきり立って私に手のひらを向けた。が、その手から何が出るでもなくて、ただ叫びながら腕を前に突き出したってだけである。


「どういうことだ……!?」

「神としての力は使えんよ」


 ヤンキーみたいな神がハッとした時、すでに私は奴の目の前に立っていた。とっさに腕を振り下ろしてくるが、それを難なく受け止めると私はニヤッと笑って見上げて。

 その顔面に思いっきり拳を叩きつけてやった。


「ぎゃぁッ!?」


 若いいけ好かない女神を巻き込みながら殴りかかってきた神が吹っ飛んでいく。後ろからニーナが「い、良いんですか?」と慌てふためいている声が聞こえてきた。良いんだよ、別に。むしろこんなことできる日をずぅーっと楽しみにしてたんだからな。あぁ、少しだけだがスッキリした。


「……私たちの力が使えないとはどういうことかしら?」

「そのまんまだ。ここはあらゆる場所に繋がった場所でもあるが、すべてから切り離された場所でもある。貴様らの力の源である信仰は届かない。なら神としての力を行使できないのも当然だろう?」


 唯一クロノスだけは例外だが、現実世界ではふんぞり返ってるコイツらもここじゃ単なる人間と同程度の存在でしかない。むしろコイツらは人間や他のミスティックみたいに自らを鍛えるなんて思考回路を持たないからな。ひょっとしたらニーナよりも弱っちいかもしれんな。


「クロノス……!」


 そうした中で、主神である男だけは私でなくクロノスを憤怒の表情で睨めつけていた。


「貴様はまたしても人間ごときに与して我らの邪魔をするのか……!」

「いいえ」クロノスは首を静かに横に振った。「今回、私はほぼ何もしていません。彼女ら人間たちが、自らの力でたどり着いたのです――私たちのところまで」


 対称的に私の瞳に映るクロノスはひどく落ち着いていた。それどころか穏やかな笑みさえ浮かべている。

 彼女は主神から私たちの方へと視線を移した。優しい瞳が私たちの瞳と順々に交差して嬉しそうな、それでいて寂しそうな、そんな微笑みを浮かべて主神に向き直った。


「……私はずっと昔から貴方たちの行いを見てきました。純粋に人々を導くという使命に忠実だった頃から。それが次第に歪んでいくところも……

 すでに人々は十分に成長しました。子が親から離れていくように、もう彼女らに私たちの導きは必要ないのです。まして世界を導くのであれば、人間以外の種をないがしろにするような方法は間違っています。世界は人間だけで成り立っているのではありません」

「我らはずっと使命に忠実である。子たる人間は愚かだ。安定を望み世界の停滞という安易な道ばかりを選ぶ。いつまで経ってもそれは変わらぬ。だから我らが導かねばならぬ。だから我らは存在する。今までも、これからもだ。そしてその世界には、他の神性は必要でない。余計なことに力を割かねばならないのは無駄でしかないからな。

 クロノス。貴様は我らを歪んだと評したが、歪んでいるのは貴様の方だ」

「そうかもしれませんね。けれども――」

「――その思い上がりが招いたのが今の貴様らの状態なんだよ」


 そう吐き捨てると、私の胸の辺りから白い光があふれ始めた。

 それは本格的に世界との繋がりが絶たれてDXMの効果が始まった証だ。マーブル模様だった世界がより一層ぐちゃぐちゃに入り乱れ、混ざり、引き伸ばされて、そうしてまたマーブル模様に戻る。それが何度も繰り返されていく。


「何をするつもりだ、クロノス! アーシェ・シェヴェロウスキー!」

「私たちの存在は傲慢に過ぎました。多くの悲しみと絶望に目を向けず、己がやりたいままに世界を操る。それが許される時代はすでに通り過ぎたのです。もう私たちのような神と呼ばれる存在は必要ない。であれば――立ち去るまでです」


 クロノスが穏やかな口調でクソッタレたちへ説明するのを聞きながら、私はあふれ出た光の中で広がる光景に見入っていた。

 これまで見てきた多くの景色が、四角いモニターのような形で映し出されていた。バーナードとの戦い、ニーナに慰められた恥ずかしいシーン、大佐殿の慟哭やマンシュタイン家での食事。それからアレッサンドロとの出会いや、新兵時代に初めてアレクセイ、カミルの二人と出会ったところ、そしてドクターに連れて帰ってもらった時に見た光景。この世界で私を作り上げた、私というフィルターを通したありとあらゆる過去の景色が前から後ろへと凄まじい勢いで通り過ぎていく。

 これは世界が巻き戻されていく光景だ、とすぐに理解した。私にはこういう形で見えているが、他の連中にはどう見えてるんだろうか。まさか私のこの恥ずかしい光景がニーナたちにも見えてるとは思いたくないが……そこは考えないようにしようか。


「じゃあ――始めるか」


 私にDXMの制御が託されたからか、意識せずともその使い方が分かる。何をすべきか、そして――どうすれば願いを実現できるか。

 私はクソッタレの神どもに視線を向けて、手のひらをかざした。その途端、すさまじい光が一瞬きらめいて奴らを包み込んでいく。白い膜のような光が奴らの全身にまとわりついて、やがて連中の姿が変化していった。


「あ、あ、あぁ……!」


 うめく声と共に奴らの時間が巻き戻る。長く伸びた髪は短くなっていき、深く刻まれたシワは消え、誰が見ても美しかった作り物めいた容貌は失われて、筋骨隆々だった肉体は細く、幼くなっていく。


「やめ、やめて……!」

「また元の美しい姿に戻るまで、長くて退屈な時間を過ごさなきゃならないの……!?」

「――いや、その必要もないさ」


 幼くなっても時間の逆行は止まらない。止まらせない。幼くなった神たちがさらに小さくなっていき、やがて行き着く先に気がついたようでガタガタと小さな体を震わせながら懇願してきた。


「このままだと俺たちは存在を保てず消滅してしまう……! どうか、どうか」

「我らが悪かった……! 謝罪する……だから、だからお願いだ……! 我らを――」

「……はぁ」


 神と言ってもこんなものか。追い詰められれば人間の悪党とやることは変わりゃしない。いや、魂のさして上手くもない小悪党くらいだろう、こんな情けない懇願するのは。

 たとえコイツらの魂を喰えたとしても喰う価値なんてありゃしない。なら、かける言葉なんざ一つだ。


「――知るか、バーカ」


 ガキよりも小さくなった神だった・・・者どもに向けて中指をおっ立て、手のひらをギュッと握りしめる。たったそれだけの仕草で神たちは小さな光の塊となって、やがて消えた。

 と思ったその時だ。


「――っ!」


 小さくなった光の一つが突然膨張した。そこから細い腕が伸びてきて私の首に絡み、凄まじい力で締め付けてきた。


「ぐっ……!」

「アーシェさんッ!?」


 この腕はいったい。その手を振りほどこうとするんだが、どれだけ力を込めようがピクリとも動かん。歯を食い縛ってもがいていると、やがてその白い光の塊から幼くも憎悪に染まった顔が這い出してきた。


「貴様はッ……!」

「この我を……よくもッ……!!」


 さらにもう一本腕が引き抜かれ、両腕で私を絞め殺そうと力が込められていくのが分かる。信仰も届かないはずなのにこの力、どこから……?


「主神たる我の力を侮ってくれるな……! 他の神の力を流用するくらい……!」


 他の神……そうか、クロノスの力を流用したということか。こいつらの力の源は人間の信仰だ。どこかの時代かに繋いでそこから信仰による力を取り戻したということなんだろうが……まずったな、こいつは想定外だぞ。

 わずかな信仰でもこの力。時間が経てば経つほど流れ込んでくる信仰でますます強くなってしまうはずだ。そうなってしまう前にカタを付けなければ。でもどうやって?

 焦れども解決策は出てこない。締まっていく首に苦しさばかりが増していく。

 そんな私の視界の隅を素早く誰かが通り抜けていった。


「クロノス!?」

「ぐぅ……! クロノス、貴様ぁ……!」


 クロノスが幼くなった主神に組み付くと、首にかかった主神の力が弱まり離れていった。たぶん世界との繋がりを再び断ち切ったか。さすがは本家というべきか。

 だが主神に組み付いたクロノスにも光が伝わっていき、彼女の姿もまた次第に小さく変わっていった。


「離れろ、クロノスッ!!」

「急いでくださいッ! このままだとクロノスさんも――」

「ふふっ……良いのです、アーシェ、ニーナ。彼は私が連れていきます」

「そんな……!」


 すでに幼くなった声で彼女は小さく笑い、彼女の決意を知ったニーナの瞳から涙が流れた。


「先程伝えたとおり、人間たちにすでに神は不要なのです。元々私も消えるつもりでした。それが少し早くなっただけです」

「……でもッ」

「おのれッ! 離せ、クロノス! 我はまだ、まだ……!」

「感謝します、ニーナ。人の心は私には分かりませんが、私のために涙を流してくれる貴女はきっととても優しいのでしょう」

「クロノスさん!!」


 貴女の中から覗き見た世界は、とても楽しかった。クロノスがそう言い残すと主神と一緒に小さな光の塊となっていく。


「――……」


 最後にクロノスは独りごとの様に何かをつぶやいた。それが私たちではない誰かへと向けたものだと何となく分かった。

 駆け出したニーナが手を伸ばす。が、それよりも早くその光の塊ははるか頭上へと舞い上がり、やがてどこか彼方へと消えていってしまった。


「クロノス……」


 思わず口から彼女の名前がこぼれ落ちるが、消えた彼女から返事が来るはずもない。消えていった光の先を、私もただ呆然と眺めているしかできない。


(確かに神どもを消すことができたけども……!)


 お前まで消えることはないだろうが。膝をついて振り上げた拳を地面に叩きつける。けれども、何もない空間は拳に何の反動も痛みも返してはこなくて、やり場のない怒りに私もニーナもその場で体を震わせるしかできなかった。





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