7-1. ようやく気づいたか
どこからともなく響き渡る低い笑い声。否が応でも腹の底から不快感を湧き上がらせてくるそれに、私のみならずヴィクトリアやカミルたちも同じく渋い顔を浮かべていた。
「この声は……神か」
「どっ、どこから……!?」
ニーナが声を上げてキョロキョロと辺りを見回す。私も注意深く辺りを探っていくが、私たちの他に立っている連中は帝国兵だけで、しかもみんな怪我人の治療や死体の運搬などで忙しなく動いていてこちらに見向きもしていない。
では、あのクソッタレはどこから。止まらない笑い声にますます不快感が増していく中、程なくその声の発生源が判明した。
「ひっ……!」
悲鳴がニーナの口から漏れた。
それもそのはずだ。声を発していたのは――私が倒したはずの使徒の女だった。
心臓を喰い千切ってやったせいか、肉体は再生しておらず喉から胸に向けて大きく裂けたまま。だがまるで糸で操られる人形みたく不自然な動きで跳ね起きた。
手足は脱力してゆらゆらと揺れて、どうやっているのか甚だ不思議だが、確かに女の体は立っていた。白目を向いた血まみれのその顔を私たちの方へ向け、口だけがカタカタと小刻みに上下に揺れている様はニーナじゃなくったって悲鳴ものである。
「まだそんなところでのんびりしてやがったか。とっくの昔に自分の家に逃げ帰ってママにでも泣きついてるかと思ったよ」
「クク……愚かしいな、アーシェ・シェヴェロウスキー、それにヴィクトリア・ロイエンタールよ」
「何だと?」
「これで終わりと思うたか? クロノスの魂だけはこの場で回収させてもらうぞ」
まだ諦めてなかったのか。しつこい野郎は嫌われるぞ? ま、とっくの昔にコイツの好感度は地中深くまでめり込んでるんだが。
「クソのくせに相変わらず態度だけはでかいな。そのボロボロの肉体でどうやってニーナを殺すつもりだ? 私の栄養になってくれるっていうんなら一向に構わんが」
「新たな生を受けて何十年経とうと我らに対する敬意は育まれぬか……やはり愚か、愚かだな」
「愚かで結構。敬われたかったらそれだけのものを私に示してから来い」
「いや、もはや君からのそれは不要だ」使徒の顔に張り付いていた神の嘲笑がピタリと止まった。「我々は一つの結論に達した。アーシェ・シェヴェロウスキー。これまでは愚かで矮小な君の行動を取るに足らないと見過ごしてきた。だが我らは考え直した。君の行動は目に余る、と。故に――ここで排除することとした」
「……それは光栄だな」
どうやらニーナだけでなく、私も殺すつもりらしいことは分かった。ずいぶんと余裕たっぷりだが、どうするつもりだ? こんな体でもそのくたばりかけの使徒相手に負けるつもりはないぞ?
いったい何を仕掛けてくるのやら。そう思って身構えていると、どこかからか悲鳴が上がった。
「ひ、ひぃぃぃぃっっっ! し、死体がっ!」
悲鳴を上げたのは死体の片付けをしていた帝国兵らしかった。そして声の上がった方を見て、私たちもまた息を飲んだ。
集められた死体が、起き上がり始めていた。
それも一体じゃあない。積み重ねられた上の方からムクリと体を起こし、順番に立ち上がってこちらへ生気のない顔を向けてきた。
「こ、こっちも……!」
「なに、なにが起きて……!?」
それを皮切りに、あちこちで恐慌めいた悲鳴が上がっていった。まだ回収されていない死体も立ち上がって今にも千切れそうな手足を引きずりながらこっちに向かってきてるし、入口の方を向けばそちらも大量の屍兵が扉からあふれていた。
「神め……貴様、兵士たちに何をしてくれた?」
「以前の人形がアーシェ・シェヴェロウスキーに失態を犯した例もある。人形
案ずるな、ヴィクトリア・ロイエンタールよ。君には手を加えてはおらん。と言うよりも君ほどの人間であれば術を施すのは難しいのでな。手を加えたのは有象無象の人間どもだけ。凡百で代わりなどいくらでもいる存在だ。気にする必要などあるまい?」
神らしい不遜極まりない言い草にヴィクトリアもいよいよ不愉快さが極まったらしい。使徒の女の中にいる神どもを険しい表情で睨みつけていた。
そうしているうちにゆっくりと、そして着実に私たちは屍兵たちに取り囲まれていっていた。居並ぶ連中の間隔はぎっしりと詰まっていて、すでに縫って逃げられるような隙間は無くなっていた。
「アーシェ・シェヴェロウスキー……まさか君が
言い終わるや否や、白目を向いた屍兵たちの前に魔法陣が浮かび上がる。
そして――連中の顔が一斉に使徒の女のものへと変わった。
まるで全員が同じマスクをかぶったみたいに、白い肌をした整った容姿で挑発的な視線を向けてくる。
「クククク……ハハハハハハハッ――」
そのうえクソ連中の野太い声を使った哄笑の合唱だ。最深部の広大な空間でいくつもの声が反響し重なり合って、聞いてるだけで頭がイカれてしまいそうな気分である。
「……まさかウチらの主がこんな趣味悪い連中だったなんて思ってもみなかったです。アーシェさんの言ってたとおり最悪ッスね」
「もう神様なんて信じません……」
「二人ともようやく気づいたのか」
「人様の宗教に文句言うのは俺の趣味じゃあねぇが、宗旨変えを勧めるぜ」
「言われなくってもとっくにそのつもりッスよ」
笑い声の大合唱に加えて包囲網が狭まってきてるのを見たら、こちらとしても軽口の一つや二つほざきたくもなる。黙ってるのは無駄口を叩かない性格のアレクセイくらいだ。
なにしろ状況は圧倒的不利を通り越してもはや絶望に近い。元は単なる人間とはいえ、屍兵どもは神の尖兵だ。使徒の女ほどではないにしろ、今の私で早々に一掃できるほど弱いとは思えん。
久々に背筋に嫌な汗が流れる。クソは私を殺し尽くすとかほざいてたが、ストックを考えるとそう簡単に存在が殺し尽くされることはないだろう。復活と死亡を繰り返す間に逃げ出すくらいのチャンスはある……と信じたい。
そう考えると優先すべきはニーナ、そして私に付き合ってここまできてくれたアレクセイたち三人の安全か。オッサン連中三人は直接のターゲットじゃあないから逃げ出そうと思えば逃げ切れるだろう。そうすると、やはりニーナが肝かね。
「……はい、はい、分かりました。いえ、私じゃ何もできませんけど……どうかお願いします」
とりあえず私が集団に突っ込んでいったらニーナが逃げる隙くらいできないだろうか、などと考えていると、すぐ後ろからニーナと誰かの会話みたいな独り言が聞こえてきた。
誰と話してるんだ? そう思って振り返ろうとすると、幾分ひんやりとした吐息が耳元に寄せられ、一拍遅れて金色の髪がふわりと鼻をくすぐった。
「ニーナ?」
「いえ、申し訳ありませんが彼女ではありません」
「その話し方……クロノスか」
声は同じだが、印象がまるきり違う。初めて言葉を交わした時も思ったが、姿形は同じでもニーナとは別人だなと改めて思う。それはそれとして、今の状況で現れたってことは何か言いたいことでもあるのか?
「はい。アーシェ・シェヴェロウスキー。私を――」小声で話しながらクロノスは腕を伸ばした。「あそこまで連れて行ってください」
クロノスが指差したのはDXMと思われる巨大機械だ。当然、今は屍兵に囲まれているからたどり着くにはそいつらを蹴散らして行かねばならん。一斉に群がってくるだろう連中を、だ。ニーナ――クロノスを守らねばならない状況じゃ危険極まりない行為だが、はて、コイツはどういうつもりなんだか。
「連れていって、それからどうするつもりだ?」
「DXMを起動させます」
その言葉に息を飲んだ。DXMを起動させる? それはつまり、ここで事を起こすということか? 王国のDXMは確かにもういつでも起動ができる状態ではあるが、まさか帝国のこれももう使える状態なのか?
「はい。というよりも目の前のDXMを起動させることで初めて本来の機能を果たすことができます」
「待て、それはどういう――」
「その上で、貴女にすべてを託します」
正直、理解が追いついてない今の状況で「すべてを託す」なんて言われても困る。王国のDXMだけじゃ不完全だったということか? 私に何を託すというんだ?
色々説明を求めたいところだが、問い詰めてる時間はない。私たちの恐怖を煽ってるつもりなのか屍兵どもの歩調はわざとらしいくらいゆっくりではあるが、それでももう接敵までの時間はほとんど残されてない。が、一つだけ確認だ。
「ここで事を起こしてもマティアスたちは巻き込めるのか?」
「はい。DXMが起動すれば距離は意味を成しませんので」
それが確認できれば良い。確かにDXMさえ起動できればこの場はどうにでもなる。なら覚悟を――決めるか。
「……分かった。ニーナの肉体を危険にさらすのは気が進まんが、なんとしても連れて行ってやる。だからその先は私も貴様に託すからな」
「ありがとう。感謝します」
振り返りアレクセイとカミルを見遣れば、二人揃ってうなずいていた。
「構わねぇさ。最初っから分かった上で隊長に従ってきたんだからよ」
「大尉のご随意に。一度救われたあの日から、私の命は大尉のものですから」
今になって言うのもアレだが、本当に二人とも律儀だよな。十年以上前の、しかも別に約束したわけでも命令したわけでもないってのに、私の個人的な願望のために協力してくれてるんだから。
とはいえ、この場にいるもう一人は完全に巻き込まれ事故なんだが――
「何しようとしてるかは分かんないッスけど……まあ、自分もアーシェさんに全部お任せしますよ」
「悪いな……」
「こんな状況ッスからね。その代わり生きて戻ったら……色々とお願いしてもいいッスか?」
「……まあ、程々にな」
何というか、こんな状況でも相変わらずアレッサンドロはアレッサンドロだな。いいさ、こんなことに巻き込むんだ。戻ったらせいぜい全力で罵ったうえでケツをしばき倒してやる。
もっとも――もう元の場所に戻ることはないだろうが。
「話はよく分からんが私も協力しよう」
「ヴィクトリア?」
降ってきたその声に顔を上げれば、私たちと同じように屍兵たちを見つめてるヴィクトリアがいた。すでに両腕には術式銃が握られていて、その銃口は――屍兵たちへと向けられていた。
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