7-2. アンタも背中を押してくれるのか






 言わずもがなヴィクトリアは帝国の人間であり、ましてついさっきまでニーナを捕えるために戦っていた敵である。だというのに突然心変わりしたようなセリフに、私だけでなくアレクセイたちもマジマジと彼女の顔を覗き込んでいた。


「どういうつもりだ?」

「別に。ただ――私も神どもが心底気に食わないというだけだ」


 そう告げるヴィクトリアの瞳が微かに揺れていた。錯覚かもしれんがそんな気がした。


「兵士を躊躇なく使い捨てにする貴様も、歳を取って丸くなったか?」

「そうではない。私は大好きな戦争に勝つために最大限の努力を尽くしているだけだ。最終的に勝てるのであれば、その過程においてどれだけの兵士が死のうともそれは必要な犠牲に過ぎん」


 だが。一度口をつぐむと彼女は、使徒と同じ顔をその顔面に貼り付けられ個性を失って哄笑を上げ続けているかつての部下たちの姿に、表情を険しくした。


「闘争は生者の物だ。そしてそれは戦場で散っていった死者たちの安らぎの上に存在するもので、生者こそが主役であり死者は眠りについたままであるべきである。だというのに、役目を果たして休むべき彼らをなおもこき使おうというのは実に品がないし、死者に対しても生者に対しても冒涜が過ぎる。そんな愚行を臆面もなく為す神どもにはいい加減私も愛想が尽きた」

「……了解だ。理由はどうあれ、貴様が敵じゃないなら歓迎する」


 かつて私たちを見捨てたヴィクトリアに守られるという事実。それを素直に受け入れるには感情が複雑すぎる。だが、今はそんなことを言っていられる状況じゃないし、それでも我を通すほどガキじゃない。


「では陣形を伝える。ヴィクトリアが先行、私とニーナ――クロノスを挟んでアレクセイたちが殿だ。敵は無理に倒す必要はない。クロノスをDXMの元まで連れていけさえすればいい」


 私の指示に全員がうなずく。それを確認すると私は最後に一言だけ追加した。


「全員に命令だ――誰一人死ぬことは許さん。いいな?」


 ヴィクトリアだろうが誰だろうが、誰かが死ぬところはもう見たくない。たとえ、全てがうまく行けば、何もかもがなかったことになるとしても、だ。


「――了解」


 全員の思いを代弁したようにアレクセイが低く重い声で、ただそう返事をした。私を含め、それで十分だと全員が思った。


「では――総員スタンバイ」


 指示を出すと、意識を私の内側へと向けていく。疲労のせいでいつもより集中するのが難しいが、何とか魂の奥底へと潜っていけば全身に青白く魔法陣が浮かび上がってきた。

 潜るのもこれが最後。無数に眠る魂に触れながら奥へ奥へと向かい、けれども積もりに積もった極度の疲労のせいで何度も意識が持っていかれそうになって、その度に一から潜り直しになってしまう。

 すぐ目の前には屍兵どもの姿。焦るなと思うほどぼやける意識に飲まれて集中を欠き、中々魂の深部にアクセスできず術式の演算が進まない。


(クソッタレ……! ここに来て……)


 慣れ親しんだ作業だというのに、もどかしい。今、ここでやれなきゃ何のためにここまでこぎつけたかわかんないんだぞ。分かってんのか、クソッタレの私。

 自分に悪態をついて魂の深層へ潜るのと浮上するのを何度も繰り返していた。その時だった。


(……?)


 魂の海の中で、私の腕が掴まれた。もちろん私の意識の話なので実態はないのだが、確かにそんな気がした。

 光の塊が海の底から浮かび上がってくる。それが完全に人をかたどっていくと、最後にどこか見覚えのある癖の強い笑みを浮かべた。


(……ドクター?)


 思わず浮かんだその名前。それを肯定するように腕がひときわ強く引き寄せられた。

 途端に一気に奥深くまで意識が沈んでいく。様々な魂が私の中へと流れ込んできて並列していく魂の数がどんどんと増し、複雑で膨大な術式方程式があっという間に解き終わってしまった。

 光の塊を見れば、相変わらず癖がある微笑みは優しい。その顔はまるで母親のようで。


(アンタも……背中を押してくれるのか)


 事が成就すればアンタが望んだ永遠まで失われるっていうのに、それでも私の背中を押してくれるのか。ずるい、ずるいじゃないか。あんな仕打ちを私にしておいて、ここにきてそんな顔を見せるなんて。


(でも――ありがとう)


 一言だけ感謝を告げると光の塊は手を上げ、一際まばゆく光を放ったかと思うと瞬く間に粒子となって散っていった。それを見届けてから意識を浮上させると、目の前の景色はほとんど変わっていなかった。

 刹那の再会で、そしてきっと、永遠の別れだ。シワの寄った眉間を強く押さえ、一度だけ私は目を擦って顔を上げた。


「……大尉?」

「待たせたな」


 私の体が強く光を放ち始める。複雑で緻密な魔法陣が頭上に浮かび上がり、回転を始める。それまでゆっくりとした歩みで包囲の網を狭めていた屍兵たちだったが、私たちが最後のあがきをしようとしているのを察したか、その動きを止めて一斉に身構えた。

 彼らを一瞥すると私は息を吸い込み、叫んだ。


「――吹っ飛べゲーヘンッッッ!!」


 ありったけの魔素を注ぎ込んだ、破裂寸前だった術式を解放。魔法陣が回転を止め、一瞬の静寂を奏でると途方もない赤白い光が辺りすべてを染め上げた。

 閃光が屍兵たちの中を貫いていく。クソの加護を得た屍兵共が密集して私の術式を防ごうとするが、たかが人形が防げるはずもない。ほんの刹那だけ私の術式に抗い、しかしすぐに密集していた一団ごと巨大な閃光に飲み込まれて消えていった。

 そうして出来上がる、DXMへの一本の道。


「走れッ!!」


 私が怒鳴るが早いか、全員が一斉にその道目掛けて走り出す。けれども敵の数は圧倒的。見えていた道はあっという間に、使徒の女の顔をした屍兵たちで再び埋め戻されていった。


「どこに行こうというのかね?」


 人を馬鹿にした神の声が幾重にも木霊して神経を逆撫でどころかササクレを引っ張り千切ろうとしてくるが無視だ。振り返れば、私たちの後ろも同じ顔で埋め尽くされて瞬く間に退路は絶たれてしまっていた。だが構わない。どのみち後退などするつもりもない。

 ったく……過去に向かって全力疾走しているというのに後退のつもりはないだなんて、我ながらなんて皮肉だ。


「邪魔するなっ!」


 即座にまた術式を展開し、こちらへ群がってきていた奴らの足元に爆裂術式を着弾させる。激しい爆発音が耳をつんざいて、巻き上がる砂埃の奥で屍兵たちが天井へ向かって高々と打ち上げられていくのが見えた。

 再びできた道を私たちは駆け抜けていく。が、さすが神の人形と化しただけのことはあってふっ飛ばされた連中の三分の一くらいはまだ無事らしく、空中で逆さになったままこちらに向かって術式を方々からぶっ放してきた。


「はぁっ、はぁっ……! この、程度……舐めるなっ!」


 走りながら防御術式を頭上に展開して、敵の攻撃をあっさりと受け流す。そしてこちらから返礼品の術式を送り返してやれば、撃ち抜かれた屍兵が落下していく。


「っ、はぁ……く、はぁ……!」


 術式そのものはすこぶる快調なんだが、肉体的には相変わらずひどい状態である。さっきから全力で走らなきゃ中年腹のカミルにさえ置いていかれそうなくらい体は重い。ギチギチと全身の関節という関節が軋んで悲鳴を上げてるし、ああ、さっさと飯喰って酒喰らって気が済むまで寝てしまいたい。体の疲れに引っ張られてそんなことばっかり考えてしまう。


「隊長ッ!」


 カミルの声にハッとして顔を上げる。

 気づけば側面から屍兵が近づいてきていた。

 どれだけぼーっとしていたのか、すでに敵は手を伸ばせば私の首に届くほどの距離にいた。普段なら殴り蹴散らすところだが、接近に反応できないほどノロマと化した私では対応できず、首へと伸びてくる屍兵の腕を指をくわえて見ているしかできない。

 けれど。


「……っ!」

「死者は死者らしく寝てろ」


 屍兵の顎を、ヴィクトリアのゼロ距離射撃が撃ち抜いた。頭が跳ね上がって後ろに傾いた屍兵を彼女は蹴り飛ばすと、そのまま流れるような動きで別方向から押し寄せる屍兵への対応に当たっていく。

 撃ち、殴り、蹴る。屍兵たちの動きも十分に速くて強いはずなんだが、それを感じさせないヴィクトリアの動きは、こうして間近で見ると惚れ惚れする程である。これでただの人間だっていうんだから実に世界は不公平だ。


「今のうちに道を拓け、シェヴェロウスキー」

「分かってるさ」


 ヴィクトリアが敵の中で無双しているうちに三度強力な術式を展開し、放つ。押し寄せていた奴らが閃光に飲み込まれ、着弾の爆発に吹き飛ばされていく。

 やがて激しい突風の向こう側に、DXMへの最後の道が生まれたのが分かった。


「クロノスッ!」


 肉体にムチを打ってクロノスの腕を掴み、走る。道の両脇から迫る連中をヴィクトリアたちの攻撃が押し留めてくれたことで道は消えない。屍兵たちの恨みがましく聞こえるうめき声を振り切って、ようやく私たちは目的の場所へとたどり着いた。


「感謝します」


 クロノスが短く感謝を述べながら滑るようにしてDXMに触れていく。傍目には分からないよう細工されているカバーを開き、いくつものパネルを次々と指先で操作していく。その動きはDXMの構造を完全に理解していないとできないもので、遥か古代の人間が作ったはずのものをなぜコイツがこうも操れるのか。そんな疑問が顔に出てたのか、クロノスはニーナを思わせる笑みで私を見た。


「答えは単純です。昔、私も彼らと一緒にこれを作りましたから」

「……は?」


 予想外の回答に思わず間抜けな声を上げてしまった。が、それを気に留める様子もなくクロノスは操作の手を止めて私の腕をつかみ、DXMの表面に飛び出したレバーへと導いていく。

 クロノスが操作していた部分を見ると、ちょうど私の目の高さのところになんともアナログチックな太いレバーが二本突き出していた。クロノスはそのうちの一本に私の手を置くと、もう一本を自分で握った。


「これを回せばDXMは正式に稼働します。その後がどうなるか――すべてはアーシェ、貴女次第です」

「……」

「時間の猶予はありません。ですが覚悟が決まれば教えて下さい。それまでは彼らとともに私も敵を押し留めます」


 振り返ればもうすぐそこまで敵の集団が迫ってきていた。四人で連携して押し留めてくれてはいるが、数の暴力の前にはどうしようもない。押し込まれてしまうのは目に見えている。

 クロノスが言ったとおり猶予はない。だが――覚悟などとうの昔にできている。何を犠牲にしてでも、あの時に戻ろうと誓ったのだから。

 敵の方に向かおうとしたクロノスの腕をつかみ、今度は私が彼女の腕をレバーへと引っ張りあげる。彼女の瞳と交差した視線に乗せて私の意思を伝えると、彼女は小さくうなずいた。

 間を置くこと無く、無言のまま私とクロノスは同時にレバーをひねった。

 その途端、静寂を保っていたDXMが低い唸り声を上げ始めた。黒い表面上を穏やかに走っていた光が一瞬でその密度を増していく。やがて表面が光の白で覆い尽くされるほどまでになると、まるで保ちきれなかった中身があふれ出るように、今度は世界へと光をばらまいていって。


「くっ……!」


 もはや目を開けることさえできない。それどころか光が圧倒的な質量を持っていると思えるくらいに体に強い圧力がかかって押し流される。

 暴力的ともいえるその光は、程なくすべての存在を飲み込んでいって。

 私もまた意識ごと白く塗りつぶされていったのだった。








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