6-3. 使徒の相手は私がする






 使徒の女から発せられた低い声のおかげで、あの時の憎悪と絶望が蘇ってくる。

 怒りで体がガチガチと震える。そんな事をしても無駄だと理解していても、今すぐにでも目の前の女を喰らってしまいたい。そんな衝動に駆られて口端が勝手に吊り上がっていくのが自分でも分かった。


「……ああ、久しぶりだな。またその声を聞けて良かったよ」


 けれどもまだだ。あともう少しで願いが成就できる。だから感情に任せて余計な情報を口走るわけにはいかない。奥歯を砕けそうなくらいに噛み締め、なんとか、本当になんとか口から出そうになる思いの丈を飲み込んだ。


「しばしば我らの邪魔をしているようではあったが……その様子では、未だに我らへの畏敬はなさそうだな」

「逆にどの口でそんなことをほざけるのか、私は不思議だよ」


 敬意ってのは要求するもんじゃなくって自然と向けられるもんだと思うんだがね。長いこと高いところでふんぞり返ってるお山の大将にはそんなことも分からんらしい。

 私と神が旧知のように喋ってるんでニーナやアレッサンドロが困惑した視線を向けてくるが、説明する気はない。知らなくても良いことだからな。

 神もいい加減私に屈服を要求するのが無駄だと思ったのか、そもそも私に対してすでに関心もないのか、視線をずらして後ろにいるニーナをじっと見つめ始めた。

 何をする気なのか知らんが警戒しておくに越したことはない。不安そうに体を揺らすニーナの前に立って、使徒がどんな動きを見せても大丈夫なように術式をスタンバイ状態で展開しておく。

 しかし使徒は動かない。たっぷり一分ほど見つめ続けたところで小さく息を吐いた。落胆してるっぽい様子で、外した視線をもう一度ニーナに向けると徐ろに言葉を発した。


「やはりお前か――クロノス」

「クロノス……?」


 クロノス。そう呼ばれた瞬間私はニーナへ振り返った。当のニーナは心当たりがないのか全く以て困惑しているが、私としては「やっぱりか」としか思わなかった。

 時と空間を司る神、クロノス。先日の事件では死んだはずのニーナとカミルが生き返り、直前の出来事があたかも起こらなかったかのように元通りになっているのを見て、その正体はなんとなく分かっていた。あんなこと、神でなきゃできるはずもない。もっとも、神はその力を世界に行使できないはずで、しかもなんでニーナの中に存在しているのかはさっぱり分からんが。


「我らに力を封じられ、長き眠りについていた貴様がなぜ再び人に力を貸した? 人へ力を貸すことで生じる悲劇を、身を以て知っているだろうに」

「え、えっとぉ……? すみませんアーシェさん、この人何言ってるんですか?」

「気にするな。狂人の戯言と思っておけばいい」


 別にニーナに話しかけてるわけじゃないだろうしな。この口ぶりだとニーナの中にクロノスが存在してるのはほぼ確実だろうし、クロノスが反応しないんなら私たちが返事する必要もない。

 だがまあ、しかしだ。


「クロノス。貴様が何を企んでいるのかは知らぬ。が……目覚めた上にその力を行使できるほどに復活しているのであれば看過できぬ話だ。一度連れ帰り、再び処置を施すとしよう」


 ニーナをどうにかしようって言うんなら黙ってるわけにはいかない。

 後ろのニーナたちも空気の変化を敏感に感じ取り、警戒度を上げたようだった。だがそこで、今まで黙っていたヴィクトリアが不満気に鼻を鳴らした。


「察するに、今喋ってるのは使者ではなく神、貴様のようだが勝手に話を進められては困るな」

「ヴィクトリア・ロイエンタール。君の意見など今は重要ではない」

「良いのか? 貴様らとて戦争を私たちに続けさせたいんだろう? 何なら今すぐにでも戦争を止めさせたって構わないんだが?」


 嘘だ。ヴィクトリアのことを知る私には、それが百パーセントのハッタリだと分かった。戦争好きのコイツが本気でそんなことを考えてるわけがない。けれどヴィクトリアに――というよりも人間に――興味がない神がそんなこと知るはずもない。


「この惨状を見ろ。クロノスだかなんだか知らんがニーナ・トリベールのせいでこの有様だ。せめてあの機械を動かせるようにしてもらわなければ割に合わん」

「……」

「別に手を引けと言っているわけではない。連れ帰るなら落とし前をつけさせてからにしろと言ってるだけだ。そう難しいことではあるまい? それとも神というのはそれくらいも許せないほど狭量か?」

「……良かろう。ならばニーナ・トリベールを殺してクロノスと魂を分離するのは後回しとし、まずは肉体の確保を優先しよう。だが肉体の損傷度合いは考慮しない」

「結構だ。感謝する」


 ……トントン拍子にヴィクトリアと神との間で話がまとまってしまったな。ひとまずニーナが殺される危険性は低くなりはしたが、ヴィクトリアも相手にしなきゃならなくなったか。最後まで蚊帳の外でいてくれて、味方にはならずとも傍観者くらいになってくれれば助かったんだが、ま、そう都合良くはいかないわな。

 と、なると。


「使徒の相手は私がする。三人にはヴィクトリアの相手を頼みたいが……なんとかできるか?」

「お任せください、と申し上げたいところですが……」

「正直、厳しいな」


 ヴィクトリアを知るアレクセイとカミル二人に尋ねるが、返答はあまり芳しくないものだった。

 ロボットが暴れまわった後の救助やらなんやらしているせいで他の帝国兵たちまで相手にしなくてもよさそうなのが幸いだが、四対一、いや、丸腰のニーナを頭数に入れるわけにもいかんから三対一か。やはりそれでも厳しいか。


「ヴィクトリアってあの人ッスよね? 指揮官として優秀だって評判は耳にしましたけど……」

「そんなに強い人なんですか? 腕を掴まれた時の力は確かに強かったですけど」

「私たちの記憶の通りならな」


 さすがに年齢による衰えはあるだろうが、戦うことに能力を極振りしたような存在だからな。アレッサンドロ、自殺願望があるなら侮ってくれていいぞ。確実に貴様の仕える神の元へ送ってくれるはずだ。もっとも、すでに神とは目と鼻の先なんだが。


「ヴィクトリアに勝とうと思わなくていい。チャンスがあれば、逃げることを最優先にしろ。私を待たなくていいからな」


 私の指示を聞いたアレッサンドロとニーナの表情が強張っていく。どうやらヴィクトリアの強さが誇張でもなんでもないと伝わってくれたらしい。

 痛いくらいの張り詰めた空気を肌で感じながら、ジリジリとアレクセイたちから離れていく。使徒もその方が戦いやすいと思ったのかヴィクトリアから離れ、私の動きに合わせて移動してきた。先程までの無表情と違い、今は好戦的に口元をほころばせてることからどうやら神のクソッタレは引っ込んだらしい。できれば意識が表に出てる時に一発ぶちかましてやりたかったんだが……いないもんは仕方ないか。

 移動しながら魂の奥底にアクセスを開始。できるだけ深く、深くに潜っていって演算用に魂をセット。瞳が金色に変わった合図として視界の明るさが格段にアップし、全身に浮かび上がった魔法陣で青白く私の周囲が照らされていく。そこから何度も強化の術式を重ねがけして筋力に視力、思考回路とあらゆる能力を限界近くまで向上させていった。もしコイツが前に喰らった使徒と同等以上の強さならば、そうしないと厳しいからな。

 そんな私の姿を見て、使徒の女も表情が変わっていった。好戦的な目元は変わってないが、口は真一文字に結ばれて視線が私と絡み合う。

 果たして――どちらからともなく地面を蹴った。

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