6-2. 絶対に許さない
■■年前の話だ――
どこかも分からない不思議な場所で私の意識は
果てしなく広がる空間。それのどこまでもが自分でどこまで行っても自分じゃないような感覚。私という存在はひどく希薄で、けれどもかろうじて私が私であるということは認識できるギリギリの狭間。そこはとても気持ちよくて、いつまでもこうしていたいと思わせてくる、そんな場所だった。
ここはどこだろうか。そんな疑問も浮かんだけれど、心地よさのせいでそんなことはどうでも良かった。ただただ甘い誘惑を受け入れていた私だったが、それも程なく終わった。
「■■・■■」
名前が呼ばれた気がして目を開けた。目なんてものがあるかどうかは分からなかったが、感覚としてはそれが一番近い。
果たして目の前には誰もいなくて、厳格そうな低い声だけが私の中に響いてきた。
「君に使命を与えよう」
「光栄に思い給え。君は世界を動かす存在として選ばれたのだ」
「過酷な運命が待ち受けているでしょう。でも案ずることはないの。運命を乗り越えた先には、間違いなく苦痛など凌駕する栄光がもたらされるわ」
いくつもの声が私の中を駆け回っていく。それがいわゆる「神」と呼ばれる存在なのだと理屈ではなく直感した。同時に意識もまたハッキリとしていき、真っ先に芽生えたのは――苛立ちだった。
神であるなら仕方がないのかもしれないが、まあずいぶんと一方的な物言いだ。上から目線で押し付けがましいし、まるで反論を許さないその高圧的な口調は聞いてるだけで腹が立ってくる。だがこの程度で怒り散らすのも大人げない話である。
深呼吸を意識し、気を落ち着かせながら尋ねた。
(使命、ですか……大仰な話ですが、凡人でしかない私に何をさせようというのです?)
「言ったろう? 世界を動かすのだ」
「具体的な動きは追って『天啓』によって伝えるがね。君は黙って我々からの指示に従って動いてくれれば良い」
(そう、ですか……)
質問にハッキリと答えずはぐらかすような言い方に不信は募る。とはいえ、ここで問答したところで話が進まないどころかストレスが溜まるだけなのは明らかなので、言いたいことを飲み込んだ。
しかし仮にも神を相手にして私もずいぶん落ち着いたものだ、と我ながら思う。それはきっと、私が神という存在をろくでもない連中としか思ってないからだろうな。
神という名の悪魔だろうか。その程度の認識なので比較的落ち着いて話もできたし、騙されないよう慎重に話だけでも聞いてみるかとか、そんなことを考えていたのを、■■年経った今でも覚えている。
ところが神の次の発言を聞いた瞬間、津波にさらわれるかのごとく私の中から冷静さが一瞬で消え去った。
「では早速使命を果たす地へと魂を移動させよう」
(魂を移動させる……?)
どういうことだ? 魂を移動させたら、今の私はどうなる――
「案ずることはない。肉体はすでに朽ちたが、君の魂は無事にここにいる」
(朽ち、た……だと?)
「世界を渡るには肉体は不要だ。なので『天啓』を受けた者の手で切り離させてもらったよ」
瞬間、記憶が蘇る。そうだ。ただ街を歩いていただけだったのに、急に背中に激痛が走って、倒れて、振り返ったらそこには刃物を持った男が立っていて――
(私を、殺したのか……? アンタたちが……?)
「君の感覚ではそれが近いかもしれないな。だが魂はこうして存在し我らと会話している。故に殺したという表現は適切でない――」
(……ふざけるなっ!!)
どす黒い感情が湧き上がってくる。憎悪に私という存在が染まる。怒りが他のあらゆる感情を飲み込んでいき、理性を塗りつぶしていく。
やっぱり悪魔だ。間違いない。勝手にとんでもないことをしてくれやがったこの連中が、誰もが夢見ているような善良な「神」であるはずがない。
(帰せっ! 私を今すぐ生き返らせろっ! 私にはっ……私には家族が、娘がいるんだ――)
そこまで考えて私は、心胆が冷えたような心地を覚えた。
確か、私が刺された時には……隣に家族がいたはずだ。私が死んだ後は、どうなった?
「さて、な。我らが人間に与えた天啓は、君の魂を肉体から切り離すところまでに過ぎない。君の家族のことまでは我々は与り知らぬ」
「襲われてはいたみたいだけど……ま、運が良ければ無事なんじゃない?」
(ふざけるなよ……)
ふざけるなふざけるなふざけるな。なんだそれは。
確かに神であるアンタらから見れば私たち人間は取るに足らない存在かもしれない。けれど、私たちは私たちなりに生きているんだ。
なによりも……やっと、やっと手に入れた家族だったのに、だっていうのに勝手に人を殺しといて、そのうえ家族まで巻き込んでおいて「与り知らぬ」だと?
湧き上がってきた感情の黒さが増していく。
確信した。どんな醜悪な人間よりも彼らは悪だ。
絶対に――許さない!
叫んだ瞬間、何もない空間から腕が生えた。辺りのすべてが白から黒に染まっていく。そのせいで正面に白いシルエットがハッキリと浮かび上がった。それが神たちだと理解すると、生えたその腕がシルエットに伸びて巻き付き、首を締めつけていく。
「バカな……!? たかが人間だぞっ!?」
「なんて力……!」
自称神たちから驚きの声が聞こえてくる。
けれども、私はしょせんは人間だということなんだろうか。唐突に神から腕が離れ、代わりに奴らから与えられたのは、それこそ魂を引き裂かれたかのような途方もない痛みだった。
意識が散り散りになる。けれども単なる痛みなんて耐えればいいだけだ。大切な人と引き裂かれたという事実の前では、痛みなど大した重さを持たない。
「我らに対して何たる振る舞いだ……!」
「魂の力はあれど、この者は我らの使命を託すには不適格ではないでしょうか?」
「……やむを得まい。他の者に託すとしよう」
好き勝手言いやがって。けど私が失格だっていうんなら好都合だ。さっさと帰してほしい。たとえ私が死んでしまっていても、だ。
けれど。
「■■・■■。我々に従順でなかったことは実に、実に残念だ。使命は結構。そのまま行くべきだった世界で生きたまえ」
(なん、だって……?)
「より一層過酷な生になるが生きるも死ぬも君次第だ。仕えるべき存在に歯向かったその傲慢さを噛み締めながら後悔するが良い」
傲慢さ満開でクソッタレがそう言い放つと、白い光が私を埋め尽くしていく。
意識が保てない。私という存在を保てない。なんとかクソの首を噛みちぎってやろうとするけれど、どれだけもがこうが何もかもヤツには届かない。
もう……限界か。でもこれだけは言っとく。
(……許さないからなっ! 絶対、絶対にアンタらを許さないっ! 後悔させてやるっ!! 覚えておけっ!!)
消えそうになる意識の中で叫ぶ。これは私自身への宣言だ。
たとえ記憶が失われても思い出す。神々への憎悪を魂の奥底に刻み込み、大切に大切に抱きかかえる。いつか必ずクソッタレたちに反逆するために。
そうして私はこの世界へと生まれ墜ちた。
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