5-5. 誰が諦めて良いと言った?







「何だっ!? 何が起こった!?」

「トリベールっ! 貴様いったい何をしたっ!」


 鳴り響く警報音。それまで機械はどこか幻想的な雰囲気を醸していたが、色が赤くなったことで一気に禍々しさを増したようにも思える。唐突なその変化に作業員たちのみならず、ヴィクトリアたちまでもが浮き足立っていた。

 術式の解析をさせられていく中でニーナには機械の本格駆動にミーミルの泉が必要であることは分かっていた。同時に、それには保護機構まで組み込まれていることも。

 敵の手にでも落ちた場合のことを想定していたのだろうか。正規の手段以外――たとえばミーミルの泉の紛い物――でロックを解除した時にはその保護機構が作動するよう設計されていた。その保護機構が何なのかまでは分かっていなかったが、こうして実際に作動したところを見ると結構なことが起こりそうな雰囲気がある。

 これならヴィクトリアたちの鼻を明かすくらいはできそうだ。駆けつけた兵士によって強く地面に押し付けられながらも、ニーナはヴィクトリアを見上げて満足げに笑った。


「トリベールっ! どういうことか説明して――」


 ヴィクトリアが詰め寄る。が、状況の変化が問いかけを許さない。

 ガコンッ、と音を響かせて、固く閉じたままだったハッチが外れて吹き飛ぶ。そうして中から現れたのは――二メートルを遥かに超す大きなロボットたちだった。


「な、なんだコイツら……」

「おい! こんなもの、解析結果に示されてたかっ!?」

「わ、分かりませんっ! こんなの、どこの図面にも術式にも……!」


 想定外の事態に作業員たちの間で困惑と混乱が広がっていく。ヴィクトリア自身も戸惑いを隠せない。だがいち早く冷静さを取り戻すと、周囲を一喝すべく息を吸い込んだ。

 しかし、それもロボットたちの行動によって阻まれる。


「に、人形たちが術式を展開していきます……!」

「何をするつもりだ……」


 ロボットたちが自分たちにとって味方なのかどうかも判然としない今の状況で、誰もがどう動くべきなのか判断しかねていた。術式も見たことがないもので、加えてここまで苦労して発掘と解析を進めてきたのだから、というバイアスも掛かった結果、傍観という選択を選んでしまった。

 ヴィクトリアもまた同じで、突如現れたロボットたちに対する期待もあった。ひょっとしたらこれがこの機械の武器なのかもしれないと。しかし他と違って彼女は、情報が少なくとも冷静な決断を下すことができる人間であった。


「全員距離を取れっ! あの人形を敵とみなして行動を――」


 けれども、すでに遅かった。

 ロボットが術式を解放し、その瞬間に白く細い熱線が一斉に放たれた。

 凄まじい熱量を内包した一撃が壁へと突き刺さり、岩壁が真っ赤に染まって爆発を起こす。ロボットが左右へと熱線を薙ぎ払っていけば、設置していた解析機器類が次々と破壊され、けたたましい音とともに破片が飛び散っていった。

 そこからは、阿鼻叫喚の地獄だった。

 ロボットたちは次々と研究員や作業員たちを襲い始めた。保護機構としてプログラムされたその役目を果たすべく、迷いなく、慈悲もなく、定められた仕事――敵対者を排除する――をこなすために攻撃の手を緩めようとしなかった。


「この……食らえっ!」

「だ、ダメですっ! 装甲が硬くて銃が効きませ――うぎゃあぁぁぁぁっっ!?」


 非常事態を受けて、呼び出された鎮圧部隊が次々と最深部にやってくる。だがしょせん人間を想定した武装に過ぎない。数こそそろっているがまったく太刀打ちできず犠牲ばかりがいたずらに増えていった。

 最深部は広大な空間だ。にもかかわらず燃え盛る火炎が放つ熱、そして血と人が焦げる臭いが充満し、今や息をするだけでむせ返ってしまいそうなほどになっていた。

 そこはまさしく戦場。人が容易く死に至る場所。その光景に、ニーナはただ立ち尽くししかできなかった。

 こんなつもりではなかった。こんなことが起きるなんて思ってもみなかった。ヴィクトリアたちに嫌がらせ程度のことができればそれで十分で、あわよくば逃げ出せる隙でも作れれば、くらいにしか期待していなかった。


「う……!」


 目の前の惨状が彼女の心を蝕んでいく。後悔の涙は止まることをしらない。理解を拒絶しようとしているのか胃が締め付けられ、流れ込んできた臭い現実を逆流させて無かったことにしたがっている。

 だからといって、無かったことにはできない。ニーナはこみ上げてくるものを飲み下し、涙を腕で拭って顔を上げた。


「……逃げなきゃ」


 これは好機だ。こみ上げてくる嫌悪感を飲み込み、ニーナはそう思うことにした。

 ごめんなさい。彼女は声に出さず謝罪した。死んだ人たちには恨まれるだろう。だけれども、彼女もまた生きたいのだ。生きて、生きて、そしてまたアーシェたちの元に帰りたいのだ。

 ロボットたちに襲われなかったのは偶然か、それとも何か要因があるのか分からない。でも理由は何にせよ、まだ自分は生きている。ならばこの機を活かさない手はない。ロボットたちの意識が自分に向いていない今のうちに、とニーナは駆け出した。

 しかしその腕をヴィクトリアが掴んだ。表情こそあまり変わっていないが腕を掴むその力は骨がきしみそうなほどで、それが彼女の怒りを端的に表しているようにニーナは思えた。


「逃さんぞ、ニーナ・トリベール……!」

「離してください……!」


 ニーナは振り払おうとする。けれども彼女の腕力では到底それは適わず、強引に引き寄せられ――


「ちっ……!」


 だが、ヴィクトリアの方から離さざるを得なかった。先程まで兵士たちへと意識を向けていたロボットだったが、彼女がニーナの腕を掴んだ瞬間、そのうちの一体が突如として振り向いて術式を発射してきたのだ。

 ニーナは転がるようにして必死で避けた。とっさだったのでまともに受け身も取れず、擦り傷から血が滲んだが、痛みに顔をしかめつつニーナは再び力強く走り出す。


「くっ……! 誰かトリベールを捕まえろ!」


 やむを得ずロボットの相手をしながらヴィクトリアが叫んだ。その声を背中で受け止めながらも振り返ることはなく、ニーナは自身のすべきことに意識を集中した。

 出口は、どこ。銃声や悲鳴、それにロボットたちが発している聞き慣れない鳴き声を背に受けながら走る、走る、走る。

 すぐ隣で術式が着弾して爆発する。頬を流れ弾らしきものがかすめて傷を作った。別の爆発で生じた熱が背中を焼き、衝撃で倒れそうになる。けれどもニーナが脚を止めることはなかった。


「きゃあああっっ!!」


 地獄の中を駆け抜け、あと少しで出口というところまで辿り着いた。が、すぐそばでロボットの放った術式が激しい爆発を起こす。その熱風に彼女の軽い体は吹き飛ばされ、荒れた地面を転がっていく。


「う…いったぁ……」


 ズキリとした痛みを感じて頭に手をやると、ヌルリとした感触があった。手のひらを見れば、指先が炎とは違った赤に濡れていた。どうやら今のはずみで切ってしまったらしい。

 けれどもそれ以外については大きな怪我はしていなさそうだった。痛みこそあれども、腕も脚もキチンと動く。頭は疲れていたが体の疲労は思っていたほどでもなくて、まだまだ走れそうだ。

 そうだ。このまま走って走って、どこまでも走って、いっそのこと王国まで走り抜けてやるんだ。馬鹿げた空想だけれども、今ならそれだって本当にできそうで――


「えっ……!?」


 出口に向けまた走り出そうとした時。

 頭上で轟音が鳴った。ニーナは見上げ、そして――息をすることを忘れた。

 巨大な岩石が迫ってきていた。術式の流れ弾が命中したのか大小様々な礫が落下してきて、ニーナの瞳の中でゆっくりと大きくなっていく。


(あ、終わった……)


 単なる諦めや悲観ではなく、厳然たる事実としてニーナは直感した。落ちてくる岩石は間違いなく自分を押し潰す。走り出しても結末は変わらない。そしてアーシェと違って、岩石に押しつぶされてなお生き残れるほどに人間は止めていない。


(……ごめんなさい、アーシェさん)


 私は帰れそうにないです。刹那の時間でアーシェへの謝罪が口をついて、涙が一滴こぼれ落ちた。運命の残酷さを、彼女は受け入れざるを得なかった。

 だが。


「――誰が諦めて良いと言った?」


 轟音の中でも確かに届いた、ニーナが一番聞きたかった声。

 いや、まさか。ここは帝国で、彼女がいるはずがない。ニーナは自身の耳を疑ったが、そんな疑いに抗議するかのごとく白刃がきらめいた。

 術式で作られた白い閃光が、ニーナを押し潰すはずだった岩石を飲み込んでいく。岩石は木っ端微塵に砕け、圧倒的に質量を減じた小さな石粒と細かな砂埃だけが彼女の周囲に降り注いだ。


「まったく……お前と言うやつは本当に手を焼かせてくれるよ」


 砂埃のカーテンを隔てて、聞きたかった声が再び、心なし優しげな響きで届いてくる。やがて煙幕が晴れると帝国の軍服をまとった、彼女が敬愛する人の姿が顕わになった。


「待たせたな、ニーナ。迎えに来たぞ」

「……遅いですよ、アーシェさん」


 アーシェ・シェヴェロウスキーその人が、確かにニーナの目の前に立っていた。会いたくて仕方がなかったその姿を見た途端、ここまで必死に堪えてきた苦しみから解放されたような気がして、ニーナはあふれる涙を抑えきれなかったのだった。






Moving away――




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