5-4. 神様にでも聞いてみたら?






――Bystander






「……これが最後です」


 ニーナは疲れ目を擦りながら、インクで真っ黒になった手で術式の解析結果を研究員に手渡した。

 連日連夜、ニーナは術式の解析作業に没頭していた。いや、没頭「させられて」いた。

 発掘と解析作業は昼夜を問わず続けられており、その作業の中で出てきた不明な術式が次々とニーナの元に送り届けられてきていた。

 既知の知識で解ければよいのだが、分からなければ迷うことなくミーミルの泉が注射される。そうなればとてつもない苦痛がニーナを襲い、苦痛に耐え抜いても休めるのはせいぜい数時間。たとえミーミルの泉を使わずに解析できたとしても、すぐそばにはニーナの事を四六時中監視している兵士がいて、のんびり休むことなどとうていできようはずもなかった。


(でも……)


 それでもまだ気持ちの上ではだいぶ楽になっていた。幸いと言うべきか、それとも不幸と言うべきなのか、体がミーミルの泉に慣れてきてしまっていた。もちろん使われた直後の苦痛はとんでもないのだが、耐えられないほどではなくなってきている。他の人に使われたら死亡してしまうわけであるし、であれば自分が黙って受け入れるしかない。悔しい話ではあるが。

 そしてもう一つ、気持ちが楽になる大きな理由があった。


(良かった。アーシェさんたちを攻撃するようなものじゃなくって……)


 この機械が武器ではないことをニーナはすでに理解していた。なので、自分のしていた仕事が誰かを傷つけるものじゃなくって良かったと心の底から思う。これが本当に武器だったら耐えきれなかったかもしれない。

 そうとは知らない研究員が、ニーナの渡した最後の紙をにらみながら発掘された機械の方へと戻っていく。ともかくも、これで自分の仕事は終わりだ。兵士は相変わらずニーナを冷たくにらんでいたが、椅子に座ったままぼーっとしていても特に何か言われるようなことは無かった。


(だけどじゃあ――)


 あの機械は何をする機械なのだろうか。

 解析状況を聞いてやってきたのだろう。すでに発掘のほとんどが終わった巨大なオブジェクトの傍にはヴィクトリアと白装束の女がいて、彼女らと機械を交互に見比べながらニーナは思考を巡らせた。

 武器の類じゃないことは分かったが、じゃああの機械で何ができるのかは解析したニーナにも判然としなかった。すべての解析をニーナが担ったわけではないので当然だが、武器じゃなくっても帝国に与するようなものならば間接的にアーシェたちを危険に晒すことになる。今のまま・・・・だと動かないことは知っているけれど、自分が安心するためにもぜひとも正体を解き明かしておきたいものである。

 とは言うものの。


「誰に聞いても分かんないだろうしなぁ……」


 時間と空間座標に関する術式方程式の記載がやたら多かったように思う。そうなると、あの物体は何か移動するためのものなのだろうか。しかしそれだけにしては複雑過ぎるし、そもそもミーミルの泉に頼る必要もないくらいの記述で解析できるはずだ。

 一人で「うーん」と頭を悩ませていると、そこに頭上から低い声が降ってきた。


「ニーナ・トリベール。ついて来い。少将がお呼びだ」


 言われて振り向けば、ヴィクトリアたちが自分へと厳しい眼差しを向けていた。それに気づいたニーナは重いため息を吐いて、目を伏せながら兵士の後ろに続いた。

 できるならば目の前の空間が歪んで永遠にたどり着かなかったらいいのに、などと益体のないことを考えてしまうが、たかが数十メートルの距離である。ヴィクトリアたちの前に立たされるまであっという間だった。


「……なんでしょうか?」

「トリベール。技術に関しては貴様が嘘を吐くような卑劣な人間でないと期待している。だから私の質問に正直に答えろ」

「……」

「貴様に渡した術式。すべての解析は完了して提出済み。それで間違いないな?」

「はい、そうですけど?」

「ならばなぜ――コイツは動かない?」


 ヴィクトリアの視線に合わせて、ニーナも発掘物体を見上げた。

 大量の魔素が供給されているのだろう。そばには魔素供給装置が並んでいて、それが繋がっている発掘した巨大オブジェクトの至るところで光の筋が走っている。光は定期的に明滅していて、けれど何かしらの駆動音が響くでもなく静かにそこに鎮座しているだけだった。


(スタンバイ、モード……?)


 どうしてだか、そんな言葉がニーナの頭に浮かび、同時に正しく駆動した時の状態までもがイメージできた。急に湧き上がってきたフレーズとイメージだが、なるほど、今ニーナの目の前にある物体が休止に近い状態であろうことは何となく分かった。


「起動はしたがすべての機能がロックされた状態だ。他の兵器にはマニュアルが内部に記録されていたが、それさえも閲覧できん。分かっているのは、動かすために何か『キー』が必要だということだけだ。そのキーが何か……貴様は知っているか?」


 ヴィクトリアの詰問に、ニーナの表情が険しくなった。

 問いの答えは「はい」だ。けれども、この巨大機械がいったい何をもたらすか分からない以上、安易に駆動させる選択肢はニーナの中にはない。


「さあ? 神様にでも聞いてみたらいいんじゃないですか?」


 胸の奥底から湧き上がってくる皮肉めいた感情にまかせて、ニーナは珍しくそう吐き捨てた。

 白装束の女の正体を聞かされていないが、ニーナは漠然と理解していた。なにせ似たような衣装の女と何度も対峙しているのだ。思ったとおりの存在ならば、当然、神と意思疎通だってできるだろう。

 にもかかわらず自分を頼ったということは、神たちもこれが何なのか分かっていないのだ。何でも思いどおりにできるつもりのくせに。アーシェが嫌う気持ちが今ならよく分かる。

 胸の中でニーナは悪態を吐き、しかし次の瞬間、彼女の首が掴み上げられた。


「嘘を言わないのは立派だ。しかしごまかしも私は欲していない」

「ぐっ、うぅ……」


 ヴィクトリアが軽々とニーナを持ち上げていた。細い見かけによらないその行動に、隣で使者の女がヒュウ、と軽い調子で口笛を吹いた。


「もう一度聞く。動かすためのキーの事を、貴様は知っているな?」

「ぐ……は、い……」

「よろしい。素直な人間は好きだ」


 解放され、ニーナはうずくまって咳き込むが、それが治まるのを待つようなヴィクトリアでもない。腰に下げた術式銃をニーナの頭に押し付け、冷たく見下ろした。


「じゃあ聞こう。そのキーとは何だ?」

「……」

「話す気がないなら指の一本くらい――いや、貴様の場合はこっちの方が効率的だな」


 銃口の向け先をニーナから、まったく関係のない作業員へと変えた。彼は気づいていないようで変わらず仕事をしていたが、その動きに合わせてヴィクトリアの銃口も動いていく。

 彼女ならば、迷わず撃つ。一度目の前で人が殺されるのを見た以上それはもう疑いようも無くて、せめてもの抵抗とばかりにニーナはヴィクトリアを潤んだ瞳で睨むが、その程度で思い留まらせることなどできようはずもなかった。


「……ミーミルの泉です。溶液じゃなくて、宝石の状態の泉を側面の窪みにはめ込むことでロックが解除される……はずです」

「宝石の状態か……面倒だな。

 おい! まだ宝石状態の泉は残っているか!?」

「は、はい! 確か保管庫に保存されているはずです」

「ならば大至急持ってこい」


 ヴィクトリアの指示で兵士が奥の部屋へと走っていく。その後ろ姿を彼女は舌打ちをしながら見送り、使者の女も頭の後ろで手を組んでのんびりと眺めていた。

 ニーナは気づいた。今は誰もが背を向け、自分に意識を向けていないことに。


(今っ!!)


 同時に心のどこかで誰かが叫んだ。頭の中に響き渡った声に背中を押され、ニーナは首から下げていたネックレスを引きちぎるとその場から駆け出した。


「トリベールっ!?」

「待てっ、貴様っ!」


 伸ばしてくる兵士の腕をかいくぐり、転びそうになりながらも必死に脚を動かす。今が一矢を報いる唯一にして最大のチャンス。何が起こるかは分からないけれど、何かが起こるのは確実。その可能性にニーナは賭けた。

 巨大機械の下へ到着し、彼女は側面にあった小さな蓋を勢いよく引き開ける。中には、彼女が先程ヴィクトリアたちに伝えたように小さな窪みがあった。そこに迷いなく首元に下げていた小さな宝石――以前に教会でアーシェからもらった、不完全なミーミルの泉を押し付けた。

 その途端、機械の表面を這い回っていた白い光が――赤く変わったのだった。




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