4-6. 私はもう手伝いたくありません






 案内役の兵士が追いかけようとするも、ヴィクトリアは「好きにさせておけ」と制し、使者の女など最初からいなかったようにそのまま話を再開した。


「さて、ニーナ・トリベール。君のおかげで作業が相当に進んだとみんな喜んでいたよ。責任者として私からも感謝しよう」

「私は……何をさせられてるんですか……?」


 ニーナの口からついそんな問いが漏れた。

 きっと自分が解いている術式はあの巨大な機械に関するもので、それが戦争に使われるものだと想像はついている。けれども、目の前にヴィクトリアが現れたことで直接尋ねずにはいられなかった。


「あの機械は何なんですか? 私が解いてる術式は何のためのものなんですか? 見たこと無いものばっかりだし、あの、あの――」


 不意にニーナの脳裏にかつての記憶が蘇った。

 薄暗い部屋に佇む巨大なカプセル群。淡い光を放つその中で浮かぶ、人だった・・・者の姿。肉体は朽ち、溶かされ魂だけを抽出されていく残酷な姿。そうして得られる忌まわしい物――ミーミルの泉が自分の血液に混じって流れている。


「う……、おえぇ……!」


 初めて注射されてからずっと考えないようにしてきた。けれども疲労とヴィクトリアを前にしたことによる怒りから、押さえ込んでいた蓋が外れてしまった。マンシュタイン家の人々が犠牲になったあの時の、血と魂の臭いがまざまざと再現されてニーナはたまらず嘔吐した。

 ただでさえ空っぽの胃がさらに絞り上げられ、無理矢理に胃液ばかりを吐き出す。ねじれるような痛みに耐え、なおも吐き出したくなる衝動をなんとか抑え込むと、よろめきながら立ち上がって潤んだ瞳をヴィクトリアに向けた。


「……あのミーミルの泉なんかを使ってまで完成させたとして、この機械で何をするつもりですか? そうまでして貴女たちがやりたい事って……いったい何なんですか……?」

「貴様っ! さっきから――」

「構わん」


 立場をわきまえず疑問を呈してくるニーナに、いよいよ傍にいた兵士がしびれを切らして銃床を振り上げるが、ヴィクトリアが制して小さく笑った。


「決まっている――戦争だよ」


 やっぱり。分かってはいたことだったが改めて彼女の口からそう告げられると、ニーナを決して小さくない衝撃が揺さぶった。


「後ろの巨大な物体が何物かまではまだ分かっていないがね。だが他の発掘された兵器と同類だと考えているよ。君が来るまでは帝国が総力を上げても中々解析が進まなかったが、裏を返せばそれだけ高度な技術が使われているということでもある。それが実戦に投入できればこの戦争にも大いに役立つだろう」

「どう、して……そこまで……そこまでして戦争をしたいんですか……?」


 ニーナも軍人だ。そんな自分が何を、とは思う。けれども戦争なんてしたくない。

 戦争が父も母も殺した。自分の腕も奪った。憎むべきものだ。たくさんの人が悲しみ、苦しむ。そんなものをしたがる人たちのことが、ニーナには理解できなかった。


「知らん」


 だがヴィクトリアから返ってきた答えは、そんな端的なものだった。


「え……?」

「帝国を発展させるためだとか、帝国の安全を確保するためだとかいろいろと御託を並べてる連中はいるし――」ヴィクトリアは使者の女が出ていった方を見て鼻を鳴らした。「神どもは神どもでずいぶんと高尚な・・・思惑もあるようだが、そんなもの私にとってどうだっていい」


 「高尚」の部分をわざと強調しながらヴィクトリアは告げた。使者の女がいなくなったからか嫌悪や嘲笑を隠そうともしない。アーシェの神嫌いも相当だと思っていたが、彼女もどうやら同じく神たちに良い感情は持っていないようだった。


「なら、どうして貴女は――」

「私がそうしたいからだ」


 ヴィクトリアの口元が弧を描いた。けれどもそれは先程まで見せていた嘲りだとか、そういったものを含まない、純粋な彼女の感情の表れだとニーナには思えた。


「ニーナ・トリベール。貴様は魔装具を作るのが好きなのだろう? 作っている時は時間を忘れて没頭し、心から楽しんでいるはずだ。他の人間だってそう。飯を食うのが好きな奴もいればスポーツが好きな奴もいる。人の世話をすることで喜びを感じる人間もいれば、人を殺すことで快楽を得る人間だっている。世の中の人間がそうであるように、私はただ戦争というものが好きで、その戦争で勝つのが大好きだ。そして私の属している国が戦争をしたがっている。だから私はそれに乗っかって全力で戦争をする。それだけだ」


 それは間違いなく本心なのだろう。話すヴィクトリアの口調には喜色があふれて淀みがない。けれど、ニーナがそれで納得できようはずもなかった。


「そんな……! 戦争でたくさんの人が死ぬんですよ! 実際に死んでるんですよ! 小さな子どもだってたくさん……貴女は、それが分かってて――!」

「もちろん分かってるさ。だがそんなことはどうだっていい。私以外の誰がどこで死のうが興味はない。そのことを気に病む人間がいることは知っているが、それは止める理由にはならん。好きなことをできる機会があるなら、それを無駄にすることほど愚かしい行為はない。そして参加したのなら全力で勝ちにいくまでだ。私は負けることが死ぬほど嫌いなんでね」

「貴女は、貴女という人は……!」


 理解できないししたくもない。それが、話を聞いたニーナの率直な感想だった。

 何を話そうとどれだけ対話を重ねようと、ニーナは彼女を理解できないし決して考えが妥協点にたどり着くことはない。それが二人の間にある真実だった。


「貴女は、悪です……!」

「悪、か。それも結構。誰かが叫ぶ薄っぺらな正義よりもよっぽどマシな称号だ」


 ヴィクトリアは愉快そうに笑うと、案内役の兵士に時刻を尋ねた。


「ふむ……思いのほか話に興が乗ってしまったか。私も本来の仕事に戻るとしよう。

 ニーナ。引き続き期待してるよ」


 彼女は肩を叩いてニーナを労うと背を向けた。


「……手伝えません」


 だが背後から聞こえたそんな声に、ヴィクトリアは足を止めた。


「ほう?」

「私はもう、これ以上手伝えません。手伝いたくありません」


 ニーナはハッキリとそう宣言した。

 ヴィクトリアに向かって真っ向から歯向かったことに苛立った兵士が殴りつける。彼女の体が荒れた地面に叩きつけられ、けれどもニーナは強い決意のこもった瞳でヴィクトリアを睨みつけたままだった。


「貴女が戦争が好きなら私は大嫌いです。なくなってほしいと心から願っていますし、戦争のための道具を作る手伝いなんて……死んでもしたくありません」

「ほぅ……?」


 立ち上がったニーナに兵士が銃を向けた。ヴィクトリアは止めようとはしない。


(死んだって……構うもんか)


 決して引かない。自分が作る魔装具は誰かを守るためのもので、誰かを殺すためのものじゃない。ニーナは決意を示すように仁王立ちになると銃口には目もくれず、ヴィクトリアから目を離さなかった。そして、ヴィクトリアもまた。


「――くっくっくっ……なるほどな」


 ヒリヒリとした空気の中、先に表情を崩したのはヴィクトリアだった。

 喉を鳴らして愉快そうに笑うと、彼女は兵士の銃口を下げさせてから、すぐ後ろに付き従っている研究員の男の手に一度視線を落とした。


「無駄ですよ。ミーミルの泉を打たれても……どんな知識が頭に入ってきても、ヴィクトリアさん、貴女たちにそれを教えることはないです」

「ああ、分かってる。目を見る限り貴様も相当な頑固者みたいだからな。協力しないと決めたのなら本当に死んだって協力しないのだろう。

 だが――私だってこれでも相応に人生を送っているつもりだ。貴様のような人間も多く見てきた。そして――貴様のような人間に言うことを聞かせる方法も心得ている」


 そう言ってヴィクトリアは妖しく嗤った。

 何をするつもり、とニーナが口を開くよりも早くヴィクトリアは動いた。

 滑るような動きでニーナ――ではなく銃を持った兵士の背後に回り込むと、またたく間に首に腕を巻きつけて拘束した。


「か、閣下っ!?」

「おい、貴様。こいつにミーミルの泉それを打て」


 まさかの命令にニーナはおろか、注射器を持った研究員さえも激しくうろたえた。だがヴィクトリアは兵士の首に回した腕に力を込めると、もう一度「やれ」と有無を言わせぬ口調で研究員に命じた。


「や、止めてください、閣下……! わ、私は……」

「貴様とて誓ったのだろう? なら――潔く帝国の礎になれ」


 唖然とするニーナの目の前で、兵士の腕に注射針が突き刺さる。緑色の液体が押し込まれ、兵士の口から「あ、あ……」と苦しげな喘ぎ声が漏れていった。

 やがて液体の注射が終わり、ヴィクトリアから解放された兵士がよろめく。緊張からか汗こそ掻いていたが、ニーナの目には特に異変らしい異変は見当たらなかった。

 けれど、それは僅かな時間でしか無かった。


「あ、が、が……!」

「っ……!」


 兵士の体がガタガタと震えだしたかと思うと、瞳が完全に明後日の方向へと向かい焦点が合わなくなっていく。熱を持って顔が真っ赤になり、汗が吹き出すと両眼からは血の涙があふれ出してぼたぼたと赤い血溜まりを足元に作り上げていった。


「が、ががががががが――」


 口は壊れた蓄音機のような音しか発せず、やがて目だけでなく鼻や耳、口からも血を流し始めた。体はもはや人間としての機能を果たしていないのは明白。ガクガクと揺れながら機械人形のように首を傾け、手足の動きは錆びついた義手みたいに不自然な挙動を始めた。その様子は不気味を通り越して恐怖さえ感じさせ、ニーナをしても助けようと動くことができず、呆然と立ち尽くすばかりだった。


「せめて得た知識を書き写してから死ね」


 ヴィクトリアがペンを握らせて兵士の背中を押す。倒れ込むようにニーナの作業机に覆い被さると、兵士は震えた腕でガリガリと様々な文字を書き始め、あっという間に不格好な文字で紙が埋め尽くされる。そして十秒もしない内に机に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。


「どうだ? 役に立ちそうな記述はあるか?」

「……そうですね。多少は、といったところでしょうか?」

「そうか。やはり個体差が大きいな」


 では死体を片付けろ。あまりの衝撃に動けないままでいるニーナを他所に、ヴィクトリアたちは淡々とそんな会話を交わし、近くにいた兵士に命令して転がった死体をどこかへと運ばせていった。


「と、いうわけだ」


 二人きりになるとヴィクトリアが話しかけ、ようやくニーナは衝撃から抜け出せた。それでもまだ目には兵士が、あっという間に人間が壊れていく様子が焼き付いていて、震えが止まらなかった。


「ミーミルの泉に耐えられる人間というのは貴重でな、貴様以外の人間に注入すると個体差はあれど、全員最後は死んでしまうんだ。とはいえ、死んでも貴様は協力してくれないらしいからな。

 ああ、困った困った。そうなると、知識の蓄積もできないしもったいなくはあるが仕方ない。技術者をこれ以上減らすわけにはいかないし、これからは兵士を使い捨てにしながら解析を進めていくしかないか」


 ヴィクトリアはわざとらしく肩をすくめてみせる。口端を吊り上げて薄ら笑いを浮かべ、そんな彼女にニーナは苦々しく顔を歪めた。


「……あの機械の解析を諦めるって選択はないんですか」

「ないね」分かりきっていたが、ヴィクトリアは即答した。「こいつが使えるようになれば帝国の戦力は上がるはず。そうなれば戦争は帝国の勝利で終わり、損耗も解析に消耗した兵士の数よりも圧倒的に少なくて済む。終わるのが早まってしまうのが気に食わないが、そこはまた次の戦争を待つことにしよう。

 さて、ニーナ・トリベール。貴様にもう一度問おうじゃないか」


 ヴィクトリアがニーナの肩に手を置く。うつむくニーナの眼を昏く濁った瞳が覗き込み、口を大きく横に開いて嗤った。


「これからもぜひ我々に協力してほしいんだが――どうかな?」


 ニーナの顔が苦悩に歪んだ。ギリ、と奥歯を噛み締め両目を強くつむる。


(アーシェさん、みんな……ごめんなさい)


 ニーナは目を開きヴィクトリアをにらみつける。けれどもできる抵抗はそれだけで、首を縦に振るしかできなかったのだった。






Moving Away――






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