4-4. 喰えないクソジジイだ





 教会でアレッサンドロから残念な約束をさせられてから二日後。

 私はとある小さな町にいた。


「久しぶりの帝国、か……」


 目深に被ったフードの裾を少し上げて町並みを眺める。王国と帝国の国境から数十キロ離れた程々の田舎町で、まだ帝国軍に属していた頃に何度か滞在したことのある町だ。

 さすがに十年も経過すると記憶はおぼろげだが、なんとなく町の様子は変わってない気がする。たぶん、先の大戦でも戦禍に巻き込まれずに済んだからだろう。古びた建物が多く健在だし、町の人たちにも悲壮感や不安感といった様子が見られない。前線じゃ今この瞬間もいくつもの命が散っているはずなんだが。ま、帝国が負けるなんて考えづらいし攻められるとも思ってなきゃ人間そんなもんか。


「こっちッスよ、アーシェさん」

「ああ」


 なんとなくノスタルジックな気分になりながら、同じくフードを被ったアレッサンドロに付いていく。

 私はこの世界が嫌いだ。運命も呪ったし、こんなクソッタレな世界に落としやがったクソッタレどもを毎日罵ってる。それでもこんな気分になるということは、やはりそれなりにこの世界も悪くないと思ってる自分がどこかにいるということなんだろうか。


「ここですね」


 そんな事を考えているとすぐに目的の場所に着いた。目の前にあるのは、町の端っこにある小さなレストランだった。目立たない場所のここが先方――ゼノン司教側が指定してきた面会場所である。


「いらっしゃいませっ!」


 入ると若い娘の元気な声が響いて、目を向ければ一瞬だけその姿にニーナが重なった。が、すぐにその幻影も消えた。


「まだ来ては無さそうですね」


 店内を見回してアレッサンドロがそう言うと、奥の席に座って飲み物を注文する。娘がすぐにコーヒーを持ってきてくれて口に含むと、程よい苦味が舌を滑っていった。


「相手の顔は知ってるんだよな?」

「いえ、知らないッスよ?」

「……大丈夫なんだよな?」

「心配いらないですって。顔は分かんなくっても教会ウチの人間は、来たらすぐ分かりますから」


 本当だろうな。相手も貴様の顔を知らないんだろうし、お互いボケーッと待ちぼうけなんてことは……ないか。アレッサンドロは顔出ししてるが私はずっとフードを被りっぱなしだし、ノッポとチビの怪しげなデコボコ二人組、相手はすぐに分かるか。


「ですけど、だいたいの時間しか指定されてないんスよね。待たせるわけにゃいかないんで早めに来はしたんですけど……」

「ま、そこはのんびり待つしかあるまい。やってくるまではじっくりこのコーヒーでも味わって――」

「なら飲み終わるまで待った方が良かったかの?」


 唐突に届く、しわがれた声。

 ハッとしてアレッサンドロ共々顔を正面に向ける。そこには長い白ひげを蓄え、紺色の装束をまとったご老人が座っていた。


(いつの間に……!?)


 この老人が座ったことにまったく気づかなかった。私よりも気配探知に優れたアレッサンドロも同じだったらしく、珍しく目を丸くしていた。

 ややうつむいて見事な禿頭をこちらに晒し、シワだらけのまぶたは閉じているのか開いているのかよく分からん。見た目はどこぞの田舎教会に居そうな老司祭といった感じで――なるほど、アレッサンドロが言うとおりすぐ分かった。少々、いや、かなりクセは強そうだ。


「いえ、結構です。失礼ですが、ゼノン司教で宜しいでしょうか?」

「いかにも」目の前の爺さまがうなずいた。「すまんの。どうにも人を驚かすのが好きな性分でね」

「気づかなかったこちらが悪いだけですので気にしてません」


 敵意が無かったとはいえ、気配には注意してたんだがここまで気づかせないのはさすがの一言だ。口だけが達者というわけじゃなさそうで、こちらとしては頼もしい限りである。あくまで協力を得られれば、という前提だが。


「そちらのちっこいお嬢さんがシェヴェロウスキー大尉で良かったかね?」

「はい」

「そうかそうか。噂はかねがね」

「耳触りの良い話ならこちらも気分が良いのですが、残念ながらそうではないでしょう?」

「そうでもない。若造共が頭を抱えておる姿を眺めるのは中々痛快じゃぞ?」


 かっかっかっ、と年に見合わない快活な笑い声を上げるとご老人は、これまたいつの間にか用意されていた手元の紅茶を口にした。


「さて。できればそのお顔を見せてもらいたいのだが。ああ、気にしなくても良い。人払いは済ませてあるからの」


 言われて店内を振り返ってみた。いつの間にか店の中にいた客は全員が消えて、あの娘も奥で料理を作っていた店主も誰一人いなくなっていた。

 まったく、いろんな意味で食えそうもないジジイだな。だがそういうことならこちらも気が楽だ。


「お気遣いに感謝致しましょう」


 フードを脱ぎ、私の特徴的な真紅の髪が広がる。だがゼノン司教はそれに目を奪われる様子もなく、重そうなまぶたを少しだけ開けて私の顔をジッと見つめていた。

 この爺さまに見つめられているとなんとも居心地が悪くなってくる。好奇や嘲笑とかそういったものは一切なく私という存在を見定められてるようで、これがどこぞの豚や牛ならジジイだろうが問答無用で目潰しをくれてやるところだが、今回はこちらが協力を依頼する立場だ。我慢するしかあるまい。


「……なるほどなるほど。ずいぶんと数奇な運命を辿られたようじゃ」


 そう言われて少しドキリとしたのだが、よくよく考えれば私が魂喰いだということは教会内じゃ半ば公然の秘密だったな。なら気にすることはないか。


「最近の教会は星見も再開されたようですね」

「いやいや、失礼。これは儂の趣味じゃ。気分を害されたのであれば謝罪しよう」


 謝罪する、と言いながら司教の頬は緩んでどこか楽しそうである。どうにも調子が狂うな。


「いえ、結構。それよりも時間が惜しいので早速本題に入らせて頂きたい」

「ニーナ・トリベールのことかね?」

「っ……」


 私よりも先に司教がニーナの名を口にした。驚いてご老人の顔を見ればクツクツと喉を震わせて笑っていた。


「どうしてそう思うのです?」

「なぁに、たいした話ではない。ここのところ『上』の連中のざわつきが酷かったのでね。そうなると何があったか気になるのが人間というものよ。もっとも、まさか本当に神側から接触があったとは予想もしておらんかったがの」


 やはり神どもが絡んでたか。ゼノン司教の話につい舌打ちが出てしまう。失礼な態度になってしまったが、彼は気にした様子はなさそうだった。


「そうであれば俄然、接触の理由も知りたくなるのが道理。彼女の名が出てくれば自然とお主にもたどり着く。そんな状況でお主から儂へ接触したいという話があれば、何も難しい話はない」

「であれば事情を話す手間が省けていい。それで、ニーナの事ですが――」

「お嬢さんなら、ここからほど近い山奥で軟禁されとるよ。後日、案内させよう」


 こちらが依頼を話すよりも早くゼノン司教はそう申し出てくれた。

 ……居場所を把握しているのも驚きだが、案内まで申し出てくれるとはな。さっきからずっと驚かされっぱなしだが、ここまでくるともはや怪しさの方が勝ってくる。いったい何を企んでいるのやら。


「怪しいかね? こちら側からこうも色々と教えるのが」

「失礼を承知で言えばそうです。どんな見返りがほしいのか知りませんが、差し出せるものなどありませんよ」

「報酬ならこの茶の一杯で結構……と言ったところで納得はいかんじゃろうな」


 まあな。どう見たって曲者のこの爺さんが、百パーセントの善意で動いてくれるなどと考えるほど私の頭はお花畑じゃあない。何か裏があるはずだ。


「ではそうじゃの……儂らがお主の力を必要とした時に助けてくれればいい。その時のための貸し、ということでどうじゃ? 無論できる範囲で構わんよ」

「中々に高額な借りになりそうではありますが、本当に宜しいのですか?」


 後で無理難題ふっかけられてもできんものはできんからな。遠慮なく踏み倒させてもらうぞ。

 別に口に出したわけじゃあないが、人の機微に敏感な爺さまには私の考えてることがなんとなく伝わったらしい。クツクツとしわがれた笑い声が上がった。


「軍人らしい性格のお主じゃ。まどろっこしい話は嫌いじゃろうから多少腹を割って話せば、他にもいろいろと理由はある。

 個人的に主流派の若造どもが気に食わんという部分もあるし、弱いおなごがさらわれたにもかかわらず強きに屈して見て見ぬ振りをしろという、教会の理念を忘れて情けない命令を出した奴らに恥を掻かせてやりたいというのも本音じゃ。

 じゃが一番の理由は、我らが仕える主に一言物申してやりたかったからじゃの」

「それは……?」

「アレッサンドロといったか。お主は今回の件に多少なりとも疑問を抱かなかったかの?」


 問われ、アレッサンドロが隣で渋面を浮かべた。


「……まあ、気に食わなかったのは事実ッス。神さんにも、言いなりになってる教会にも。だからこうしてアーシェさんと一緒に司教に会いに来たわけですけども」

「うむ。儂も教会に所属して長い。若い頃は主のお言葉は絶対であり、疑う余地などないと信じておった。いかにそれが理不尽であろうとも、あくまで人だからこそそう感じるだけであり、主たちには人には及びもつかぬ考えがあるのじゃろうと思うておった。

 だが長い教会暮らしの中で歴史を少しずつ紐解いていき、やがて辿り着いた答えは、それが単なる盲信に過ぎないということじゃった。確かに長い目で見て人に利することもあったが、悲劇もまた多かった」

「……」

「主がこれまで我らを導いてくださったのは間違いない。じゃが過ちもまた多い。今回の話にしても戦争にしても、きっと我らにもたらされるのは悲しみと苦しみであろう。それが分かりきっとるのに、ただ黙して言いなりになるという選択は儂にはできぬし、それを是とする教会そのものも看過できようはずがない。

 主を親とするならば我らは子。だが子がいつまでも親の言いなりであってよい道理はない。親が間違っとるのであれば、正してやるのも子の役目よ。そう思わぬか?」

「神が親で人間が子ですか。教会らしい考え方ですね」

「お主には馴染まぬかもしれぬがの。

 じゃがその感覚も分かる。人が何から何まで主にすがる時代はとうの昔に終わりを迎えておる。人という種はもはや手取り足取り教えてもらう幼子ではない。失敗を繰り返しながらも自分で立ち上がることを覚えておる。ならば、言い方は悪いが余計な口出しなどせず、黙って見ているだけで良い。それが幸せな関係じゃと思うんじゃが如何かの?」


 長口上を終えてゼノン翁は冷めた茶をすすった。その様を私は黙って見つめる。

 さて……果たして今の話をどこまで信じるべきか。

 クセのある人物、まして年取った老獪なジジイが語るにしては直情的に過ぎるし、私に手を貸しても旨味が少なすぎる。


(だが……)


 直感を信じれば、たぶん嘘は言っていない。だとすれば……本当に損得を考えずに信念だけで私に協力してくれるということになる。


(結局、私が腹をくくるかどうかだな)


 アレッサンドロの様子を窺ってみるが、コイツも翁の話をどう消化するべきか戸惑ってそうだ。

 真偽を確かめている時間はなくて、確かめようとしたところで出てくる情報もまた嘘か真か判然としないものだろう。ここで断ったところで私に利はないわけで、今できることと言えば後で騙されたと分かってもそれを喰い千切る覚悟をしておくくらいか。


「――ゼノン司教のお気持ちは理解しました。ありがとうございます。そういうことでしたら、ぜひご協力を受けさせて頂きたい」

「うむ。そう言ってもらえると儂としてもありがたい。

 己たちが絶対的な正義ではない。捕まったお嬢さんを助けることで、ぜひその事を主たちに教えてやってほしい」

「承知しました。ところで、一つお聞きしたい」

「なんじゃ?」

「もし――神がいなくなったら、貴方はどうなさるつもりですか?」


 私の質問に、ゼノン司教は特に考える素振りもなく応えた。


「何も。神がおろうがおるまいが何一つ変わらんよ。おらずとも各々の胸の内から神は見守ってくださっておる。人々にはそう伝えるのみよ」

「そうですか」


 ゼノン司教は紅茶を飲み干した。


「そうそう。先程述べたのがお主に協力する理由じゃが、もう一つあるのを言いそびれておったわい」

「何でしょう?」

「――異国で頑張る同郷の者に、手を貸してやりたくなった。実はそれが一番大きい理由かもしれんの」


 ……たぶん私の生まれ育ちくらいは調べてるんだろう。つまりこの爺さんも、帝国の生まれということか。しかし……だとしても理由としては弱い気がするんだが。

 訝しむようにゼノン翁の顔を覗き込む。と、翁は白髭で覆われた口元をニィ、と吊り上げた。


(……まさか、コイツ――!?)


 過ぎった考え。衝撃に心臓が一度跳ねて、私はその真意を問い質そうとした。

 だがゼノン翁はスッと歳を感じさせない仕草で立ち上がった。


「さて。話も円満にまとまったことじゃし、儂はお暇させてもらおうかの」

「待て。まだ――」

「二日後にまたこの店に来なされ。ニーナお嬢さんのところへはその時に案内させよう。それまでにもうちっと詳細を調べさせておくよ」


 では、の。私の声など聞こえていないフリをして、そのまま店の外へと消えていった。追いかけて私たちも外に飛び出すが、もうすでにゼノン司教の姿はどこにもなく、まばらな通行人たちが怪訝そうに私たちを振り返るだけだった。


「行っちゃいましたね。なんか、俺が思ってたより話が分かりそうな人でした」

「そうかもな」


 ため息をつきながらアレッサンドロに適当な相槌を打つ。最後にずいぶんと気になる爆弾を残していきやがる喰えないクソジジイだったが、協力の約束を違えるような人物ではなさそうではあるし、今は良しとするか。


「時間が惜しい。帰るぞ」

「あっ、待ってください! 金、置いてきますんで」


 アレッサンドロが飲み物の金を無人の店内に置いて戻ってくると歩き出す。


(もうちょっとだ。待ってろよ、ニーナ)


 すぐに助けてやる。

 逸る気持ちを抑えるように何度もそうつぶやきながら、私は王国への道を歩きだしたのだった。





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