4-1. ……あのバカ、どこをほっつき歩いてやがる
夜勤の時なんぞ時間が経つのが遅くて遅くて、一体どうやって朝を待てば良いのかと毎度頭を悩ませねばならんほどだというのに、休日だけは一瞬で私を置き去りにしていってしまうのはどういう原理なのだろうか。
平日の四日間に比べれば、週末の三日間はその万分の一にも満たない長さしかないんじゃないかとしか思えない。いやはや、時の流れは万物にとって同じではないとどこぞの天才が証明してくれやがったが、こうして月曜を迎えると時間が相対的であると嫌でも理解させられてしまう。
「せっかくゆっくりしようと思ったのにな……」
月曜の朝、相変わらずにぎやかな詰所への道を通りながら独りごちる。
戦争はひとまず膠着状態に陥っているが、どうせ激しくなってしまえば週末なんぞ存在しないも等しいので、今のうちに英気を養っておこうとそれなりに高い酒とツマミを買い込んだ上で教会に戻ったのが先週末。そこで待ち受けていたのが、先日もとんでもない依頼を押し付けやがった吸血鬼のリスティナだった。
詳細は敢えて割愛するがまたしてもとんでもなく面倒な話を持ってきやがって、その対応で私の貴重な三日間がまるっと潰れてしまったのである。気がつけば日曜の夜という、あの絶望感。働くことを知らない年中ニートのリスティナにはあの感情は到底分かるまい。
そんな週末を過ごさねばならなかったとなれば、通常なら怒り心頭でしばらく口も利いてやらないくらいなのだが、そこはまあアイツとは長い付き合いである。貴重な飲み仲間でもあるし、感謝の言葉だけで許してやった。なお、一生お目にかかれないと思ってた幻の酒をプレゼントされたこととは一切関係がない。あくまで私の広い心の産物である。
「おはよう」
とはいえ、週末が消えてやってきた月曜の絶望感がなくなるわけではない。ともすれば死んだ魚の目をしてしまいそうだが、そんな顔を朝っぱらから部下たちへ見せるのもいかがなものか。なので表情筋を無理やり押さえ込んで、爽やかな朝にふさわしい態度で私は詰所へと入っていった。
「おはようございます、大尉。お疲れなようですが、どうされましたか?」
「おう、隊長。朝っぱらから不景気な顔してどうしたんだ?」
……だというのに一瞬でアレクセイとカミルに見抜かれてしまった。どうやら私の表情筋は中々に頑固らしい。
「なんでも無い。月曜という存在がいつもながら恨めしいだけだ」
「ああ、分かるぜ。いつだって月曜の朝ってのは堪らなく苦しいもんさ。ま、俺は今週当番だったから週末なんてもんは無かったんだがね」
カミルたち他の隊員の事を考えれば、贅沢にも週休三日などという現代社会にあるまじき恩恵を受けている私が文句を垂れるのは筋違いというものだろう。だが、どうせなら週末三連休じゃなくて土日月の三連休にすればまだマシだったかもなとか思ってしまうくらいは許してほしい。
「ご苦労だったな。なら週末頑張った部下に私がモーニングコーヒーでもプレゼントしよう」
「お、いいんですかい?」
もちろんだとも。
教会から持ってきた月曜お決まりの大きなカバンを机に置く。その脚でコーヒーを三杯用意して、両手に持ったカップをカミルとアレクセイに手渡した。
「ダンケ、隊長」
「せいぜい味わえ。どうだ、アレクセイ? 今日のは何点だ?」
「……五十五点ですね」
「そうか」
久しぶりにコーヒーの師匠であるアレクセイに採点をしてもらったが、相変わらず辛口である。結構自信があったんだが……
「とはいえ、かなり基本はできてきています。成長していますので、後はもう少し丁寧に入れられれば及第点にはなるでしょう」
長いことこのちんちくりんの肉体のままの私ではあるが、コーヒーを淹れる腕前に関してはどうやら成長しているらしい。淹れ方を教わってすでに一年以上経っているというのに未だ及第点にも届かないナメクジみたいな成長度合いだが、伸びていることが分かっただけでも良しとしておこう。
そんなやり取りをしていると、もうまもなく始業時間という頃合いになってきた。他の隊員たちもやってきて徐々に詰所もにぎやかになってくる。
「……ニーナは?」
「まだ見てねぇな、そういや」
だがうちの整備兵殿がやってくる気配は一向にない。八時を回り、朝礼が終わってもやってくる様子はない。整備室で寝てたりしないだろうな、と中を覗いてみたが、いつもは散らかってる机の上も片付けられて、簡易ベッド下にたまに転がってる下着も見当たらない。週末に持ち帰ったようだが、その状態のままということはまだ出勤してないということか。
久しぶりに遅刻か。どうせまた夜中まで趣味に没頭してたんだろう。王都までは戦火が伸びてきてないとはいえ、戦時下だ。整備兵であっても弛んでもらっては困るし、出勤してきたら雷を落とさねばな。
「朝の警らに出る。居残り以外は全員表に集合」
ひとまずはいつもどおり隊員たちを連れて朝の警らに向かうことにしよう。素早く装備を整えて集まった熟練の部下たちを従えて街へと繰り出す。
戦争が始まった直後はだいぶ浮足立ったところも目立ったが、さすがに戦時下の空気にも慣れたか、街は以前と変わらぬ明るさと喧騒だ。これまたいつもどおり私を自分たちの孫と勘違いしてる連中からフルーツやら何やらをプレゼントされつつ、一通り見回りを終えて詰所へと帰ってきた。
胸ポケットから懐中時計を取り出せば、もう十時半である。いくらニーナがねぼすけだろうが、いい加減出勤してきてるだろう。
「ただいま帰還した。ああ、誰か整備室からニーナを呼んできてくれ」
装備を脱ぎながら詰所に残っていた部下にそう声を掛けて私は椅子に座った。なんと言って叱るかを考えながら。
しかし――
「……」
椅子に座ってはいるがさっきから私の指は落ち着きなく机を叩き続けていた。
少し顔を上げて隊員たちの様子を伺う。各々真面目に職務に当たっている。平時より幾分雑談も少なく気もそぞろな感じもあるが、とりあえずいつもどおりである。
壁に掛かってある時計をチラリと見る。時刻は十一時五十分。昼まであと少し。
視線を落とし書類に目を通す。だが今の状況で内容が頭に入るはずもなく、いたずらに時間が過ぎていく。また時計を見れば、あと一分で十二時だった。クソ、こういう時はなんだって時間が経つのが早いんだ。
やたらと耳に残る「カチリ」という音を立てて、時計の針が二本重なった。その途端私の口からは大きなため息が漏れ、隊員たちからもかすかに呻くような声が上がった。
結局、昼になってもニーナはやって来なかった。
「……あのバカ、どこをほっつき歩いてやがる」
思わず悪態が出る。いや、ほっつき歩いてるならまだいいが……まさか家でぶっ倒れて動けなくなってるなんてこともあり得る。特にアイツの私生活は不健康極まりないからな。若いとはいえ、元気だった奴が急に倒れるなんてことだってない話じゃあない。
「ニーナの部屋に行ってくる。アレクセイ、悪いが付き合ってくれ」
「承知しました。こちら、ニーナの住所です」
私が立ち上がって帽子を被った時には、すでにアレクセイも帽子を被り私に住所が示されたメモを手渡してきた。さすがアレクセイ。動きが早くて助かる。
詰所のことはカミルに任せ、アレクセイと二人で暖かくなった街を歩いていく。ニーナの家は東一番街。詰所からは近い。
「何事も無いと良いですが」
「私もそう願うよ」
家で盛大にいびきでもかいていてほしいものだ、まったく。そうしたら全力で怒り狂ってやる。部屋がしっちゃかめっちゃかになろうが構うものか。この私を心配させた罪は重いぞ。
もともと私もアレクセイも口数が少ないので特にそれ以上の会話もなくニーナのアパートに到着した。
階段を上り、ニーナの部屋の前に並んで立つと大きく息を吸い込む。
「ニーナッ! 私だ。アーシェ・シェヴェロウスキーだ。いるんだった速やかに返事をしろ。十秒以内に返事がない場合、強制的に部屋に踏み込む。いいな?」
ノックしてからそう言い放ち、カウントを開始。そして私の声が十を数えても、中からは一向に反応は無かった。
「不在、のようですな」
「ならば宣言どおり押し入るまでだな」
術式を展開してドアノブ付近を、円を描くようにして撃ち抜いてやると随分とくたびれていたノブがポロリと落ちた。完全に弁償ものだが、無断欠勤したアイツが悪い。
他人を拒むには完全に役立たずになったドアを押し開けると、オイルの臭いがプンと漂ってきた。
誰かが居る気配は無い。が、慎重に脚を踏み入れる。
ニーナの部屋は予想通り魔装具の部品やら工具類やらで散らかってて足の踏み場もないくらいである。ベッドの上までそいつらで侵食されてて、物取りが入った現場と何ら変わらん光景だ。
「……とりあえずネボスケ女が転がってる、なんてオチは無かったか」
一番腹立つオチだが、同時に一番ホッとするオチでもあったんだがな。しかしここにいないとなるとマジでどこに行ったんだか……
(何か事件に巻き込まれたか……?)
可能性はあるが、ニーナは個人的な恨みを買ってしまうような性格じゃあない。可能性は低いとは思うんだが――
(待て……)
恨みは買わないかもしれないが、アイツは普通とは違う。その事を思い出した。
先日現れた、ニーナとは違う人格。あの女が何者なのか、確証はない。けれどももし、もしも、だ。あの女が私が想像している奴だとすると――その正体に気づいた何者かが欲したとしてもおかしくはない。
だがあの女は、私の知る限り二度しか表に現れてない。おまけに現れたのは私とマティアスの前だけだ。いくらなんでもマティアスが手を伸ばすなんてことはないと思うが……
「いや……!」
確かにこの間は私とマティアスしかいなかった。だが、最初にあの女が現れた時はどうだった? 時が巻き戻されて、あの場にいたのは私と死んだバーナード、そして気を失ったカミルだけ――じゃなかった。
(あのクソッタレの使徒女がいたじゃないかッ――!)
少し遅れて現れた、クソどもの使いたる女。最終的には私が喰らい尽くしてやったが、ミーミルの泉はネズミに持ってかれたし、ということは神どもはあの時の光景を目の当たりにしたはずだ。神どもなら奴、ひいてはニーナに興味を持ってもおかしくない。
背筋を冷たい汗が伝う。
もし神どもの仕業だとするとなぜ今まで手を出さなかったか、というところが気になるところではある。が、連中は時間感覚も人間とはまるきり異なってるからな。そこはあまり気にしても仕方ないところかもしれんし、連中の駒が足りなくてニーナのことは単に後回しにしてただけかもしれん。
ともかくも、クソどもによる誘拐説が私の中で一気に膨れ上がってきた。
「曹長、ニーナのリュックはあるか?」
「リュック、ですか?」
「そうだ。いつも背負ってるあのクソでかいリュックだ」
カミルの話だと土曜にニーナはあのリュックを持って帰ったはずだ。それがあるか無いかで、いないくなったタイミングがだいたい掴める。
「いえ、見当たりません」
無い、か。なら土曜にカミルと別れてから帰宅までの間か、あるいは今朝家を出てから詰所にたどり着くまでの間にさらわれたかだが、人目につきやすい朝よりも土曜の夜の方がより可能性は高いか。
「そういう話であれば、大尉の仰るとおり土曜の夜でしょう」
「なにか気づいたか?」
先日現れたニーナの別人格の話を混じえて誘拐された可能性があることを伝えると、曹長は床にしゃがみ込みながら首を縦に振った。
「床に薄っすらと砂埃が積もっています。先週ニーナはずっと詰所で生活していましたからでしょう。そして、残っている足跡は我々のものだけです。つまり土曜に帰宅していないと考えるのが自然です」
「……戻るぞ」
アレクセイの推測を聞かされると居ても立っても居られなくなり、すぐに踵を返した。
何が遅刻、だ。とんだノーテンキ野郎だよ、私は。今朝方ののんきに構えていた自分を罵ってやりたい。
(ニーナ……待ってろよ)
神どもが誘拐したという確証はない。だが私には確信めいたものがあった。
怒りで勝手に拳が握り込まれていく。口元が歪み、歯がカチカチと音を立てながらも弧を描いていくのが自分でも分かった。
直接手を出したのはどこの死にたがりだ? 神どもが直接手を下すことはないから、その息がかかった奴らだ。帝国か、共和国か、ひょっとしたら教会なんてこともあり得る。
だが、誰だろうが構うものか。私の可愛い可愛い部下に手を出したことを絶対に後悔させてやる。例えそれが――近い将来解消される関係であったとしても、だ。
一刻も早くニーナを探し出す。そのためにも隊員たちの人手が必要だ。
彼らの協力を仰ぐために、急ぎ私たちは詰所へと戻っていったのだった。
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