3-5. ノアさんはすごく寒がりなんです






「お疲れさまでしたー」


 この日の勤務時間を終えたニーナが、コートを羽織って詰所の奥から出てきた。夜勤のため退屈そうに雑誌を眺めていたカミルに挨拶をすると、大きなリュックを背負って横を通り過ぎていく。


「珍しいな。今日は帰んのか?」

「えへへ……実はもう着替えを切らしちゃいまして。部屋に作りかけの魔装具も置きっぱなしにしちゃってますし、たまには掃除もしないとなぁって思って」


 すっかり詰所が住居と化してしまっているが、いかにニーナといえどもさすがに下着類を洗濯して干す勇気はない。何日分もの汚れた着替えと自前の工具類を全部一緒くたにして詰め込んだ結果が、パンッパンに膨れ上がったリュックである。

 彼女が隊に配属になった当初はみなギョッとしていたが、今となってはごく当たり前の日常風景というおかしな認知をされてしまっており、他の隊員たちも誰ひとりツッコむことはなくなっていた。


「そうかい。ならまた来週だな。お疲れさーん」

「はい、カミルさんもお疲れさまでした」


 本日は土曜日。警備隊員であれば日曜も交代で勤務があるが、整備兵という肩書のニーナには週末勤務は免除されていた。そうではあるのだが、ニーナの場合は休みでも部屋にこもって魔装具を弄り回しているだけなのでやっていることは平日と変わらない。


「そういえば最近、アーシェさんとご飯も食べに行ってないなぁ」


 夜もだいぶ更けて、人通りの少なくなった道を歩きながらニーナは独りごちた。

 今日は土曜日のためアーシェはいない。新しくなったという山の中の教会できっと、一人で酒を浴びるように飲みながら嫌いな神様たちに向かって管を巻いてるに違いない。その姿がありありと思い浮かんできて、思わず一人笑いをこぼした。

 一人を好む性格上、アーシェからニーナを誘ってくることはまずない。今度は自分の方から誘ってみようかな、と考えているとふとある約束が思い出されてきた。


「そういえば手料理を作ってくれるって言ってたような……?」


 約束したのがいつだったかは忘れてしまったが、なんかそんなことを言ってた気がする。そしてその約束はまだ果たされていない。ならばぜひともアーシェの宿舎に押しかけて手料理を催促しなければ。


「そしてその後にはアーシェさんと二人で同じベッドに入って……ぐへへへ……」

「ニーナ?」


 頭の中でアーシェがすっぽんぽんになり始めたところで背後から声を掛けられ、ニーナは慌てて口元のよだれを拭った。


「やっぱりニーナだ」

「ノアくん?」


 振り向いた先にいたのはノアだった。彼はニーナの姿を認めると、いつもどおり人懐っこい笑顔を向けて駆け寄ってきた。


「今、帰りですか?」

「うん。ノアくんは? こんな時間にどうしたんです?」


 ジャケットとスラックスという見慣れないノアの私服姿。普段目にするのは軍服ばかりなのでその新鮮さに若干の戸惑いを覚えつつ尋ねた。


「ひょっとして、今から晩ごはんですか?」

「あはは……実はその『ひょっとして』だったり。お昼寝したらつい長くなっちゃいまして」

「ああ、分かります。お休みの日ってついついのんびりしちゃいますよねぇ」


 ニーナにもノアの気持ちはよく理解できた。非番だと昼寝がうっかり本気の睡眠になってしまうのだ。


「ニーナはご飯食べました?」

「ううん、私もこれから家に帰って食べようと思って」

「なら……どうです? 一緒にご飯食べに行きませんか?」


 思ってもみない申し出にニーナは一瞬キョトンとしてしまった。その反応を見て、ノアもまるでデートに誘っているような言い方になっていることに気づいたらしく、顔を赤らめてあたふたと手を振り始めた。


「あ、えっと、その、も、もちろんニーナが良ければですけど!」


 そうやって慌てれば慌てるほど墓穴を掘ってるのだが、彼は気づいてないらしい。ニーナよりもノアの方が年上だが、こうしていると小動物的な印象もあってかノアの方が年下に思えてくるから不思議である。


「そうですねぇ、じゃあご一緒してもいいですか?」


 どうせ家に帰っても食べるのはパンとスープくらいだ。せっかく誘われてるのだから、たまにはノアと食事するのも悪くない。

 できればアーシェと一緒が良かったけれど。そう思ったが、さすがにそれは失礼なので口には出さなかった。


「それじゃあ行きましょう! 僕がよく行く美味しいお店があるんです」


 ノアはホッと胸を撫で下ろすと「こっちです」と案内を始めた。

 夜風を浴びながら他愛のない会話を交わしつつ南街方向へと向かっていく。ニーナはノアよりも半歩ほど後ろを歩き、その背中を横目で眺めながら何気なく思う。


(意外と体、大っきいんだ……)


 普段アレクセイやカミルといったベテランかつ体の大きな隊員たちに囲まれて、どやされたり叩かれたりしている姿ばかりを見ていたせいか、ニーナの中でのノアはかなり小柄な印象だった。でも実際にこうして並んでみると、背中は大きいしずいぶんと鍛えられているようだ。

 たぶん、最初はノアも印象通り体が小さかったんだろうと思う。そう言えば自分もノアも、もう配属されて一年近い。人を成長させるには十分な時間だろう。


(でも、なんだろう……?)


 それだけじゃない違和感を覚える。何か、今日のノアはいつもと違う気がする。


「どうしました?」

「え? あ、ううん? なんでもないです」


 気がそぞろになっていたのだろう。ノアに声を掛けられて、いつの間にか自分が少し遅れていたことにニーナは気づいた。慌てて距離を詰め、そしてふと目に入った周りの景色に首を傾げる。


「結構遠くのお店なんですね」


 気付けば南街の市壁付近にまでやってきていた。会話しながらだったから気づかなかったが、三十分近く歩いてるかもしれない。ここらへんは来たことがなかったが、ずいぶんと人通りは閑散としていた。住宅街なのだろうか、建物の窓からはポツポツと明かりがついてはいたが、まるで深夜のように静まり返っていた。

 果たしてこんな場所にお店があるんだろうか。

 道を間違えてないか、とニーナは前を歩くノアへ向き直り、ふと夜風が吹き付けてきてその寒さに少し体を震わせ――脚を止めた。


「……どうしました?」


 ニーナも良く知る柔らかい笑みを浮かべてノアが振り返る。けれどもニーナはその姿を改めて見て気づいた。気づいてしまった。


「貴方は……誰ですか?」


 血の気が引く感覚を覚えながら一歩後ろに下がる。ポケットにそっと左手を突っ込み、右手でリュックのサイドに引っ掛けてあった魔装具を握った。


「誰って……僕は僕ですよ?」

「……」

「どうしたんです? おかしな事を言い出して」


 向けられる笑みが、恐ろしい。けれども、今よりももっと怖い状況を乗り越えてきた自信がある。ニーナは脚を震わせながらも息を吸い込んだ。


「その服です」

「服?」

「ノアさんは……すごく寒がりなんです」


 ノアはひどく寒さに弱い性質だ。春先の、ニーナがシャツの上にコートを着ただけで十分だっていうくらいの朝にもかかわらず手袋やマフラーでガチガチに暖を取って、それでも足りないと嘆くくらいに寒さが苦手だ。

 にもかかわらず目の前のノアはどうだ。あのやり取りから数週間経ったが未だに朝晩は寒い。少なくともニーナがまだコートを着るくらいには。けれども目の前のノアは私服のシャツにジャケットを羽織っているだけだ。とてもあんなに寒がっていたノアと同一人物とは思えない。

 そう指摘すると、目の前のノアの姿をした誰かは頭を掻いてため息をつきながら空を仰いだ。


「……参ったなぁ」


 微笑みながらノアの皮を被った誰かが一歩近づいた。ニーナも距離を保つように彼の歩調に合わせて下がっていく。


「これでも変装には自信があったんですよ。見た目はもちろん、仕草や声色に口調まで。全部完璧だって自負してたのに……まさかそんな初歩的なところでつまずいちゃうなんてね」

「ノアくんに変装までして……私をどうするつもりなんですか?」

「バレてしまったなら今さら取り繕う必要もないでしょう。ニーナ・トリベール。実は貴方を欲しがってる方がいましてね」

「私を……?」


 自分はしがない特技兵だ。魔装具以外に取り柄なんてないし、自分程度の特技兵なら他にもたくさんいる。どこの誰かは分からないが、アーシェならいざ知らず、自分を欲しいなんて一体何が狙いなのか。


「単刀直入に言います。どうです? 帝国へ私と一緒に来ませんか?」

「帝国……」そう聞いたニーナの顔が一段と険しくなった。「王国と戦争してる国から誘われて『はい、行きます』って素直に言う人っていると思います?」

「こちらとしてもできるだけ穏便に済ませたいんです。女性に乱暴はしたくないんでですね。ここは素直に『はい』と言って頂けた方が手間が省けて楽なんですが」

「……」


 ニーナは息を一度吸い込んだ。気持ちを落ち着けるように目を閉じて天を仰ぎ、何度かまばたきをした。

 そのままの状態で十数秒が経過する。対峙するノアの格好をした帝国の諜報員は、悩んでいるような彼女のその仕草をじっと見つめて待つ。やがて返事を促そうと口を開きかけたところでニーナは自身の口元を緩めるとゆっくり近づき始めた。


「賢い決断をして頂けたようで良かったです。感謝しますよ」

「そりゃそうですよ。私に何をさせたいのか知りませんけど、戦うのは苦手なんです。プロのスパイと戦ったって痛い思いをするだけですもん」

「聡明な女性だ。それじゃ行きましょうか」

「あ、その前にちょっといいですか?」

「何でしょう?」

「ぜひ帝国にプレゼントを持っていきたくて。受け取ってもらえますか?」


 プレゼント? と諜報員がオウム返しに尋ねたと同時に、ニーナの手から何かが宙に放られた。

 直後、おびただしい光の渦が溢れ出した。


「ぐぅっ……!?」

「だーれが帝国なんかにいくもんですかっ!」


 完全に不意を突いた。諜報員の視界を奪ってやり、ニーナはガッツポーズしながら逃げ出した。諜報員が逃すまいととっさに腕を伸ばしてくるが、それも魔装具で作った壁に遮られて届かない。

 ニーナはしてやったりとばかりに破顔した。諜報員に背を向けて走り出して顔を上げ、そして――笑顔をひきつらせた。

 目の前には大男が立ちふさがっていた。いつの間に現れたのか。あ、と声に出す間もなくその太い腕がニーナの腹へと突き刺さる。衝撃が強かに彼女を揺らし、痛い、と認識することもなくニーナの目の前は一瞬で暗くなった。

 気を失ってグッタリしたニーナを、大男の腕が抱え上げてノア姿の諜報員に近づいていく。方々からも同じような風体の男たちが何人も姿を見せて集まってくる。

 諜報員は閃光魔装具に焼かれた目を未だ擦りながらも、大男を労うように肩を叩いた。


「いやぁ、助かりました。中々お転婆で困りますね」

「少々手荒になってしまいましたが」

「構いませんよ。この娘が必要な理由は聞かされてませんが……どうせ碌な理由じゃないでしょうし」


 言いながら諜報員の男はニーナの頭を軽く撫でたが、その手を不意に止めると浮かべていた薄ら笑いを消して彼女の頬を思い切り殴りつけた。

 鈍い音がしてニーナの頭が大男の腕にぶつかるが意識が戻る様子はない。


「行きましょうか。上は一刻も早く彼女をご所望らしいのでね」


 諜報員の男は少しスッキリした顔を浮かべて顎でしゃくる仕草をした。足音もなく街の外へ向かって歩き出し、それに他の男たちも続く。

 十秒もすれば彼らの姿は完全に暗闇の中に溶け込んでいた。彼らがいたと示す痕跡は何もない。

 冷たい夜風が吹き抜けていき、カラカラとニーナが使った魔装具の残骸だけが悲しく音を奏でるだけであった。






Moving away――




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