3-3. 阿呆だったと再確認できただけだ






「――って思ってたんだがなぁ……」


 会議から五日後の夜。

 他の当直員が警らに出ていって私以外誰もいなくなった詰所で、私は自分で淹れたまずいコーヒーを飲みながら新聞を片手に盛大なため息を吐いた。

 一向に上手くならない自分のドリップ力に首を傾げつつ、一度は目を通した夕刊を具に読み込んでいく。

 並ぶ細々とした文字の上に載っているのは、煙を上げるバーデンの街の写真だ。何度か仕事で出張したことがあるが、近代的な工場と古い街並みが調和する良い街だった記憶がある。

 が、写真の中にある街は完膚無きまでに破壊されてしまっていた。おまけに軍工場ののぼりには帝国の鷲の紋章が燦然とはためいていて、それを眺めていればいかに愛国心に乏しい私でもため息の一つくらい出るというものである。まあ、大本営発表でなくこうして事実が報道されるだけマシといえばマシだろうが。


「どうしたんですか、ため息なんか吐いちゃって」


 とかやってると、いつの間にかニーナが隣に立って新聞を覗き込んでいた。てか、いたのかお前。


「えへへ、整備室で寝ちゃってました。

 それで、何かあったんですか?」

「別に。ただ単に、思った以上に上の連中が阿呆だったと再確認できてしまっただけだ」


 言いながらニーナに新聞を放り投げる。

 こうも簡単にバーデンの街が落ちた、ということは結局私の意見は上層部に聞き入れられなかったということだ。なにせ、比較的私に好意的な大将閣下でさえ半信半疑だったんだ。私のことを好ましく思ってない他の幹部連中が聞き入れるはずもないし、腹立ち紛れに阿呆などと口走ってしまったが、私だってヴィクトリアの事を知らなければ一笑に付しただろうさ。

 だからと言って、だ。頭じゃそう理解していても悔しさと腹立たしさは否めん。せっかくあの女の目論見を阻止できるチャンスだったのにみすみす見逃してしまったというのはなんとも業腹ではある。もっとも、それもこれも連中を説得できるだけの材料を私が提示できなかったせいなんだが……


「ままならないものだな……」

「別にそう悪いことばかりでもなかったさ」


 何度目か分からんため息をつくと、そこに聞き慣れた声がした。


「マティアス王子!?」

「やあ、ニーナ君。久しぶりだね」


 まさかの登場にニーナは驚いたが、マティアスは王子らしいスマイルにウインクを乗せて手を振っていた。どうしたんだ、お前がここに来るなんて珍しいじゃないか。


「夕飯を外で食おうと思ってね。近くに来たからついでに寄ってみた」

「また一人でほっつき歩きやがって。この間みたく襲われてもしらんぞ?」

「まだ早い時間だから大丈夫さ。それに、いざとなればお前がなんとかしてくれるだろう?」


 お前のその信頼はどっからくるんだか。私だってできることとできないことがあるんだが……まあ、いい。こいつに死なれるのは困るから、助けられる状況にあれば全力で助けてやるさ。


「そう言ってくれると思ったよ」

「貴様にデレられても気持ち悪いだけだからそのニヤケ面を消せ。それよりも、さっき悪いことばかりじゃなかったとか言ってたがどういうことだ?」


 話の筋をそちらに向けると、マティアスはちらりとニーナを見て「まあ別にいいか」と私の机に腰を下ろした。


「今回の件で色々と上層部でも思うところがあったらしくてな。幹部の面々がガラッと変わることになったんだ」

「ほう?」

「具体的な部分はこれから詰めることになるだろうが、平たく言えば戦時には戦時に合った人事になるということだな」


 マティアスが語ってくれた内容をまとめると、階級そのものが大きく変わるわけじゃない。が、戦略室や各部隊の司令官、参謀といった戦時での重要な役職には実戦経験豊富な叩き上げ将校や、若くても実力がある将校を就けるといったものだった。

 一方でここ数年の平和な期間に各役職の椅子に座っていた多くの貴族出身将校たちは表から退き、新しい司令官たちが動きやすいよう政府との調整にその駆け引き能力を活かすことになったらしい。


「へー、そうなんですね」

「意外だな。面の皮が厚い連中だから、知らん顔して居座るかと思っていたが……ようやく状況を理解したか?」

「彼らは愚かだが物事の状況を見る嗅覚は確かだからな。もちろんすでに遅きに失した感はあるが、このままだと王国を亡国にしてしまいかねないと気づいたんだろう。自分たちの責任と役割を見定めることができるくらいには分別があるということさ」


 ふむ。そういうことならマティアスの言うとおり朗報だな。ここまで帝国にやられてばかりだが、経験豊富な方々が役職に就いてくれるなら巻き返しは十分に可能だろう。


「それから、アーシェ。追って正式な通達はくるだろうが、王都の部隊も第一種戦時態勢を取ることになった。場合によってはお前を含めて部隊から何人かを一時的に引き抜いて前線への援護に回ってもらうかもしれないからそのつもりでいてくれ」

「承知した」


 戦闘自体は久々でもなんでもないが、戦争そのものに参加となればずいぶんと久しぶりだ。前とは違って大尉という立場上、一兵卒みたいに好き勝手できないだろうが……まあなんとかやってみるさ。


「戦争……に、行くんですか?」


 ポツリ、とつぶやかれたその声に振り向く。

 ニーナは首から掛けたアクセサリーをギュッと握っていた。私の顔を見つめいかにも不安そうで、けれども眉間にギュッと力を入れて懸命にこらえているらしかった。


「心配するな」立ち上がってニーナの頭を軽く叩いた。「貴様だって知ってるだろ? どうせ私は死にたくても死なん。隊の奴らを連れて行くことになっても私が守ってやる。むしろ貴様は自分の心配してろ。自分が派遣されることだってあるんだからな」


 誰かに死なれるのは、もう御免だ。この間のニーナとカミルみたいに。アレは死ぬよりも苦しかった。あんな思いをするくらいなら、何があろうと全力で私が守ってみせるさ。


「……アーシェさんは、誰が守ってくれるんですか?」

「言ったろ? 私は死なないんだから守られる必要なんてない」

「でも痛みはあるんですよね?」


 そりゃまあそうだが。痛いのは私だって嫌だが、痛みを我慢することは慣れてるからな。どうせ怪我したって傷痕もほとんど残らないし。だからいざという時は私が体を張るのがもっとも損害を少なくできる。

 そう言ってやると、ニーナはますます泣きそうな表情を浮かべた。だからなんでお前がそんな顔するんだよ。


「大丈夫だよ、ニーナ君」


 私たちの間に流れ始めた微妙な空気を察したか、マティアスが心なしいつもより明るい口調を作った。


「第一種戦時態勢、とは言っても基本的にはアーシェ含めて君たちが前線に送られる可能性は低いから。派遣されるとすれば本当にどうしようもなくなった時だが、なぁに、王国軍の兵だってそこまで弱くはない。あくまで万が一の話だよ」

「そういうことだ。だいたい、今のうちからそんな気を揉んでたら身が持たんぞ」

「そう……そうですよね。すみません、なんだか不安になっちゃいまして」


 気持ちはありがたいがな。しかし誰かに心配されるというのも久しぶりで、案外こそばゆいものだな。


「で、飯は食ったのか、マティアス?」

「ん? ああ。用件もお前に伝えたし、後は帰るだけだ」

「なら私が本部まで送っていく。いくらまだ夜も浅い時間とはいえ、この間みたいなことが無いとも限らんしな」


 それに当直は暇だしな。新聞を読むのも飽きたし、警らがてらの気分転換だ。


「というわけで、ニーナ。悪いんだが警らに出てる連中が戻ってくるまで留守番を頼む」

「わかりました。気をつけてくださいね」


 壁に引っ掛けてあったコートと帽子を手に取り、気をつけろというニーナの言葉に苦笑しながらマティアスと並んで外に出た。だいぶ暖かくなったがやはり夜の外は寒い。次にコートが必要になる時期にはすべてが終わってればいいな、と思いつつ本部へと私たちは向かって――


「……ニーナ?」


 数秒歩いたところで気配を感じて私たちは振り返ると、シャツ一枚のニーナが詰所の前に立っていた。

 周辺は街灯も少なくて、詰所から漏れる明かりだけがニーナを照らしている。私たちに手を振るでもなく声を発するでもなく、ただただニーナは立ち尽くしていた。


「どうしたんだい、ニーナ君?」

「待て、マティアス」


 ただならないその様子に、訝しみながらマティアスがニーナの方へ戻ろうとしたがそれを私は制した。

 何か、おかしい。

 言葉にできない違和感。自然と緊張が走り、相手はニーナだというのに警戒を解く気になれない。

 その時、彼女が俯いていた顔を上げた。


(……っ! 違う、こいつは――)


 ニーナじゃない。目を見て私は直感した。

 薄っすらと浮かべた笑みはニーナが普段浮かべるものとは似ても似つかないし、口元は笑っていても目の奥にそういったポジティブな感情は全く見えない。何よりもまとう空気感とか存在感とかがまったく違っていた。

 ではこいつは誰か。その答えこそ私は知らないが、ニーナの皮を被ったコイツには会ったことがあった。


「アーシェ。ひょっとしてこれがこの間、お前が報告してくれた……?」

「おそらくな」

「アーシェ・シェヴェロウスキー。マティアス・カール・ツェーリンゲン。二人に話しておきたいことがあります」


 落ち着いた口調でニーナもどきは私たちに呼びかけた。声は完全にニーナだというのに、喋ってる人格でここまで印象が変わるとはな。驚きだ。


「……挨拶もなしに、というのは不躾だな。まあいい。話とは何だ?」

「あなた方がDXMと呼んでいる、あの存在について」


 DXM。その単語を聞いた瞬間、警戒度が最大に上がった。何故あれの事をコイツが知っているのか。それも疑問ではあるが、もっと気にかけなければならないことが私にはある。

 DXMに手を出す。その意図を感じ取れた場合は最悪の事態も視野にいれなければならない。すなわち――目の前のニーナを殺すということを、だ。

 ジワリと汗が滲む。けれどその汗も拭わず話の続きを黙って待ったが、出てきたのは予想外のセリフだった。


「あれの修復はもう完成しています。足りないのはキーだけ」

「……なんだと?」

「今後は常にアイドル状態を維持していてください。時が来たら、いつでも動かせるように」


 それでは、また。

 話を終えるとニーナもどきが一方的に別れを告げた。急にニーナの体がふらりと崩れ落ちそうになって、けれども自分の脚で踏みとどまって顔を上げれば、そこにはキョトンとした間抜け面があった。


「ふぇ? あれ、なんで? なんで私、外に? てか寒っ!?」


 ……ああ、こいつはもう完全にニーナに戻ったな。

 問いただすまでもなく分かる。てか、さっきまでのあの神秘的な雰囲気と今の間抜けなテンションが同一人物だったら、そっちの方が不気味である。


「え? なになに? なんでそんなかわいそうな子を見るような目で二人とも私を見るんですか? 無意識の私、何やらかしたんです?」

「……気にするな。私たちを見送ろうとして眠気のピークに来たんだろ」


 我ながらいろいろとツッコミどころ満載なごまかし方だが、とりあえずそれで押し切ってニーナを強引に詰所へと戻らせる。そして未だ呆け気味のマティアスの脚を蹴ってから「行くぞ」と促してやると、ようやくコイツも我に返って歩き始めた。


「先程の彼女のセリフ……どういう意味だと思う?」

「さあな」


 だが敵対的な感じじゃなかったし、騙そうとしている感じでもなかったと思う。あくまで私の感覚でしかないが。


「足りないのがキーだけ、というのが気にはなる。が……あの女の言うとおりにしていても差し支えはないんじゃないか? 要は現状維持をしておけということだろう?」

「……まあそういうことだよな」

「何をするつもりなのか、それとも何かが起きるのを知ってるのか。何にせよ、マティアス。警戒だけはしておいた方がいい。DXMだけじゃなくお前の身の回りもだ」

「……そう、だな。分かった。ならこうして一人で出歩くのも当分お預けだな」

「そうしろ。それからもしまたニーナの今の人格が現れたら、私の方で足りないとかいうキーについて問いただしてみる」


 あともう少しで終わると思ってたんだが、キーが足りないと言われてしまったらそれを探さないわけにはいかないじゃないか。クソ、落ち着いてくるとなんだか餌をお預けされた犬っころみたい気分になってきたな。早いところ、また表に出てきてくれないだろうか。

 なんとも消化不良なもやもやとした感情を懐きながらマティアスを送り届け、結局その後は何事も起きることもなくて。

 詰所に戻ると私は椅子をベッド代わりにしたニーナの寝顔を眺めながら、結局はいつもどおり夜が明けるのを待ち続けただけであった。









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