2-5. この小さな手でも守れるのであれば






 重力の力も借りて私の体がグングンと加速していく。

 戦闘機と戦ってたおかげで遥か上空から眺めた町はずいぶんと小さかったが、近づいていくとそれなりの規模の町であることがよく分かる。

 こんな国境沿いにしてはずいぶんと高い建物が並んでいて、比較的新しく作り直されたのか、家々はきれいに同心円状に並んでて何とも見栄えの良い街並みだ。

 だが、今となってはそのあちこちから火の手が上がっていた。そして近づくほどに状況が嫌でも分かってくる。

 当たり前の話だがまだ町には多くの人が残っていて、パニック状態のまま思い思いの方向へと逃げ惑っていた。


「ちっ……! 訓練くらいしておいてほしいもんなんだがな!」


 一般人相手にぼやいてもしかたないとはわかっちゃいるがついぼやきが口をつく。とはいえ、軍人なら市民を守らねばな。決して高くもない給料だし管轄外ではあるんだが、まあ責任は果たさせてもらおう。

 視界の奥でまた新たな光の筋が迫ってきてるのを認めると、私は口元を歪ませた。

 弧を描いて町へと迫る戦車の砲弾。その軌道を目で追いながら並列化した魂で術式方程式を高速演算させていく。

 両腕を前にかざすと、目の前に巨大な赤白い魔法陣が浮かび上がっていく。目標達成に必要十分な魔素を注ぎ込んでいき、そして術式を解放した。

 私から放たれた巨大な白い術式が、着弾しようとしていた三発の砲弾を飲み込んでいく。その衝撃で砲弾に仕込まれていた爆薬が破裂し、夜空に一際大きな花を咲かせた。

 まずは砲撃の被害は抑えられたが、帝国が物量で押し寄せてくるこの状況である。息をつく暇なんてあるはずがなく、町へは戦闘車両が乗り込んできて、さらにその荷台から飛び降りた陸兵連中が術式銃を手に縦横無尽に走り回っていた。


「クソどもが……!」


 燃え盛る建物から逃げ出した住民が銃に撃ち抜かれる姿が目に入る。逃げ惑うその背に銃剣が突き立てられ、女だろうが子供だろうがお構いなしに屍が増えていく。

 これが戦争だ。胸の奥深くから湧き上がってくる感情を抑えるように息を吐き出しながら地上へと近づいていった。

 その時、一組の親子が建物の影から逃げ出したのが見えた。

 敵兵の隙をついて出たつもりで、確かにそれは成功してた。だが、成功のまま終わらせるにはガキの方が幼すぎた。

 つまづいて、母親の手に引かれていたその手が離れる。それに気づいた母親が駆け寄り慌てて抱き起こしていたが、不幸にもその僅かな時間のせいで見回していた帝国の奴らに見つかってしまったようだった。

 敵兵の一人が銃を向ける。炎に照らされて赤く染まった母親の顔が絶望に歪んで、せめて子供だけでも守ろうと覆い被さった。自らの命も顧みない母親の愛に涙が出そうな場面だが、残念ながら敵兵にはそんな母親に掛ける慈悲さえないらしく、躊躇なく引き金をひこうとしていた。

 しかし、だ。


「が、はっ……!?」

「させんよ」


 私の手が届かないのであればともかく、この小さな手でも守れるのであれば戸惑う理由もない。

 敵兵の背後から腕を突き出し、心臓を掴み取る。腕を引き抜き、一瞬で絶命した兵士を蹴り飛ばせば、唖然としてこちらを見ている親子の姿があった。


「早く行け。北の森に逃げ込めば帝国も簡単に追ってはこれないはずだ」

「……は、はいっ! あの……ありがとうございました!」


 ずいぶんと子供の教育に悪い光景だったはずなんだが、律儀にも母親は私に礼を言ってから子供の手を引いて走り出した。ぜひともこの地獄を生き延びきってほしいものだ。しかし一般人だろうがお構いなく殺そうとするこの世界の感覚には未だに馴染めんな。


「敵兵発見っ!」


 そんなことを思っていると背後から怒鳴り声が聞こえた。直後にいくつもの術式が飛んでくるが、所詮は雑兵の術式である。私の防御術式にはまったく痛痒を与えることもなさそうなので無視して手に持っていた心臓を咀嚼し、うなった。ふむ、良かった。コイツの心臓もそこそこの美味だった。


「っ……!」


 そうしてゆっくり振り返り、居並ぶ帝国兵たちを眺める。

 奴らからしてみれば、口元を真っ赤に染めた軍服の少女である私は、さて、どう映っているのだろうな? 少なくとも得体の知れない恐怖感は覚えたらしく、術式の発射が一瞬止まって、だがすぐに耳をつんざく発砲音と共に大量に実弾と術式が飛んできた。

 そのすべてが展開した防御術式に当たって弾かれていく。悪いんだが、貴様らごときに時間を掛けている暇はないんだ。


「――死ね」


 偽悪的に微笑み、地面を蹴る。押し寄せる術式をもろともせずに接近し、一人の懐に潜り込む。手刀で心臓を一突きし、貫いた腕をぶん回して他の敵兵へ叩きつける。

 振り回した死体を隠れ蓑にして敵の死角に入り込み、跳躍。ブーツを履いた脚で目の前に現れた首元を蹴り飛ばせば、首が折れる音を響かせて敵兵がボロボロになった道路を転がっていった。


「ば、化け物――」


 残った一人がそんな失礼なことを口にしながら銃を乱射してくる。こんな可愛らしい乙女を捕まえて化け物とは何たる言い草だ。憤慨しながら私からも貫通術式の束をお返ししてやると、あっという間にそいつは蜂の巣になって永久に口を閉じてしまった。

 遺体となった敵兵の姿に思うところがないわけじゃない。だがこと戦争において容赦はしてはならないと知っているし、容赦したところで何かが変わるわけじゃない。だから――


「――全力で殺させてもらおう」


 こんな大規模な戦いは久しぶりだ。滲んだ目元の汗を拭い取り、空を見上げた。

 またいくつもの光の筋がこちらへと降り注ぎ始めていた。滲む目元をもう一度乱暴に拭い、軽く息を吸って魂の深部へとアクセスを再開していく。魂を並列化させて大規模演算を行うと、迫ってくる砲弾に向かって腕を横に薙いだ。

 橙の空に赤い魔法陣がいくつも浮かび上がり、ぶつかった砲弾が爆ぜた。一つ目の爆発に他の砲弾が誘爆して、鼓膜が破れるような激しい爆発音が町中に響き渡った。爆炎と爆煙が空を包み込み、しかし私が張った上空の障壁はビクともしない。


「ふっ!」


 地面を蹴り、空へとまた舞い上がる。未だ爆炎が漂ってる空を突き抜けると、すでに町の中を我が物顔で闊歩する帝国軍の群れが見えた。

 どいつもこいつも呆れたものだ。軍らしく隊列を組んでこそいるが緊張感が欠如してやがる。だから砲弾の着弾さえ確認してないし、空にいる私にも気づいちゃいない。


「なら、その代償を支払わせてやるか」


 再び大規模な演算を開始。魔法陣が目の前に浮かび上がり、小さかったそれが瞬く間に巨大化していく。魔素をありったけぶち込むと同時に新たな項を術式に追加。注ぎ込んだ魔素に耐えられるよう強度を増していく。

 直径数メートルにも及ぶ巨大な魔法陣が赤黒くなり、高速で回転し始める。敵は未だ気づかない。連中は町を蹂躙することにしか興味がなくて、まさか蹂躙される側だとは微塵も思っちゃいない。

 そんな奴らに向かって私は術式を解放した。

 魔法陣から膨大な光の矢が放出され、それが雨になって帝国軍に降り注いでいった。

 無防備だった歩兵を、光り輝く貫通術式が次々と貫いていく。人間があっという間に骸に成り下がり、並走していた車両が一瞬で穴だらけになる。

 そして爆発。輸送車の燃料に引火したらしく、近くにいた兵士もろとも巻き込んで炎に包まれてしまった。車両の近くってのは、確かに攻撃に対する壁にもなるんだがこんな風に巻き込まれたらおしまいだな。なんでも一長一短である。


「……さすがにこれくらいじゃ撤退しないか」


 今のだけでも結構な被害が出たはずなんだが、帝国に進軍を止める気はなさそうだな。

 ここに至ってようやく上空で赤髪を揺らす私の存在に気づいたようで、地上から一斉に射撃が飛んできた。

 いつもならチクチクと邪魔くさいので避けるところなんだが、今日の私は動かない。

 防御術式で攻撃が弾け耳障りな音が響いているが、腕を組み仁王立ちしてすべてを受け止める。

 そこにまた砲弾が飛来。目の前で破裂すると視界が炎と爆風と金属片で埋め尽くされた。


「やったっ!」


 地上からそんな声が聞こえた気がした。ああ、そうだろう。普通なら人間が戦車の砲弾に耐えられるはずがない。跡形なく吹き飛んだ私の姿を想像したことだろう。

 けどな、あいにくと私は普通からかけ離れたところにいるんだ。


「……っ」


 地上にいる連中が見た姿は、無傷のまま上空に浮かぶ私の姿だ。強化された私の瞳に映る敵兵の顔。驚愕と、恐怖。そうだ、それでいい。私の姿を目に焼き付けろ。


「もう一発――」


 お見舞いしてやろう。私は一人そううそぶき、また巨大な魔法陣を展開していく。これで逃げ出してくれることを期待したが、そこはやはり訓練された兵士か。止んでいた攻撃が再開されていくつもが私のそばを駆け抜けていったので、こちらも遠慮なく術式を解放した。

 さっきと同じ様に術式の雨が帝国兵たちへ降り注いでいった。さきほどよりも攻撃範囲を広くし、また屍が増えていく。損耗度合いはもう相当になってるはずなんだが指揮官が無能なのか、それとも私一人にやられているのが気に食わないのか、まだ町から逃げだす素振りはない。


「そのつもりなら、少々派手にいこうか」


 新たな術式を展開。いくつもの赤黒い魔法陣が浮かび上がり、それぞれがクルクルと回転しながら円を形成。まるでガトリングガンの銃身のように、構成する魔法陣たちが高速で回転を始めた。

 そして光が放たれた。

 私の背丈ほどもある巨大な一撃が夜空を貫いていく。真っ白な光が私の赤髪をも白く染め、まっすぐに帝国兵どもの後方へと伸びていった。

 術式が重装甲の戦車を飲み込んでいく。私の腕の動きに合わせて光の筋が横に薙ぎ、居並んでいた戦車どもをまとめて斬り裂く。

 貫かれた戦車が真っ二つに割れ、やがて盛大な花火と化す。爆音が次々と鳴り木っ端微塵に吹っ飛んでいって、あとに残ったのは粉々になった装甲の破片、それとちぎれた砲兵の腕や脚だけとなっていた。

 帝国ご自慢の戦車隊が一瞬で壊滅である。攻撃していた兵士たちは手を止めて、炎の上がる自分たちの後方を唖然と眺めていた。だがな、呆然と立ち尽くされてもこちらとしては困るんだよ。

 こっちを向けとばかりに、兵士たちの手前で爆裂術式を炸裂させてやる。するとその爆発音に連中は体を震わせて、恐る恐るといった風に私を見上げてきた。敵とはいえ、怯えた目で見られるというのは気分が良いものじゃあないが、私自身が狙った結果でもあるので文句は言うまい。


「さて」


 戦車隊は壊滅。歩兵も被害は甚大。連中からしてみれば、王国軍がいないはずの町に奇襲を掛けて成功したはずだった。楽な仕事だっただろうに、この有様である。帝国軍が完全にフリーズしてしまうのも分からん話でもないが、さっさと帰ってくれないかね。早いとこ後始末をせねばならんのだ。

 決断を促すように、戦車隊を薙ぎ払ったのと同じ術式をもう一発、敵兵たちの真ん前にぶっ放してやる。ただし今度は見た目だけで威力は控えめ、かつ被害が増えないように誰もいないところを狙ってだが。


「――て、撤退! 撤退だっ!」


 とまあ、ここまでやってようやく連中も退くことを決めてくれた。司令官がこの期に及んで突撃を命令するような愚鈍じゃなくって良かったよ。


「しかし……これでまた帝国に悪名が広がるんだろうな」


 今度は帝国でなんて呼ばれるんだか。化け物も悪魔もすでに呼ばれ済みだし、私が帝国軍に所属してたことを知ってる奴からは売国奴なんて呼ばれ方もしたっけか。いい加減ネタ切れだろうとは思うが……そのうち、教会経由で帝国の新聞でも取り寄せてみるかな。

 急激に町から退いていく帝国軍を腕組みしたまましかめっ面で見送り、もう戻ってくることはないだろうなと確信したところで私は背後へ振り向いた。

 空襲と砲弾の雨のせいで立派な建物はすでにズタボロに破壊されてしまってるし、民家だって真っ赤な炎に包まれてしまってる。

 道端には武器を持たない人たちの遺体がいくつも転がってて、つい一時間前までは当たり前のように行われてた人々の営みは唐突に終わってしまった。

 何もかもが変わってしまった。きっとみんなそう思っているだろう。

 それでも。


「……まだお前たちは生きてるんだもんな」


 炎の赤に照らされながら私を見上げる人々もまだたくさんいる。困惑しながらも、生き延びた人たちが町には残っていて、その中には先程私が助けた親子の姿もあった。その姿を見ていると、帝国兵を殺したせいで荒んだ心が少しだけ癒やされた気がした。


「では後始末に取り掛かるとしようか」


 思わず口元が不格好に歪みそうになり、それを隠すように人々に背を向ける。そして余計なことを考えずに済むように、術式を展開するとただひたすらに私は町の消火作業に全力を注いだのだった。


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