2-3. 私と出会ったのが不幸だった
鉱山の大深部から上がってきた私たちは、そのまま帰路についた。
あんまりのんびりとしていたつもりもなかったんだが、ずっと待機していたマティアスの護衛たちのところまで戻ってきた時にはすでに二時間近くが経過していた。
かなり陽は長くなったとはいってもまだ春先である。すでに太陽は西の彼方に沈み始めてて、また車で悪路を走り抜け、再び私たちが帰りの鉄道に乗り込んだ時にはすっかり空は真っ暗になっていた。
道中では私もマティアスも一言も口を利かなかった。当然別に喧嘩をしたわけでもなく、ただ二人ともずっと物思いというか感慨にふけっていただけである。
私たちの、根底にある思い。苦悩、そして願い。思い出すだけで苦しくて呼吸がままならなくなるような記憶が湧き上がってくるのを気力で抑え込みつつ、この長かった十年近くを車の振動に揺られながら静かに思い返していたから、自然と口を開く機会がなかったというわけだ。もっとも、マティアスの方は帰りも相変わらず死にそうな顔をしてたから、単に喋れなかっただけかもしれんが。
「――やれやれ、これでやっと一息つけるな」
そんなよく分からん無言状態をマティアスが破ったのは、王都行きの鉄道が発車してしばらく。給仕が持ってきた炭酸水を一杯、勢いよく飲み干してからだった。
「まあな。しかしここから約五時間か……もうちょっと王都に近かったらここに来るのも楽なんだが」
「しかたがない。あんな巨大なものを移動させるなんて到底今の我々の技術では無理だからな。それどころか……最初はあの遺物を復元することすら夢物語じゃないかって思ってたよ、私は」感慨深げにマティアスがため息をついた。「お前と違って私は寿命が限られてる。ひょっとしたら生きてる間には実現しないかもしれない、なんてことさえ思ってたな」
「それがたったの十年足らずでここまでこぎつけられた。お前もずいぶんと金と人手をかけたもんだ」
そう言うと、マティアスが苦笑いした。
「確かにかなり散財してしまったな。けれど私としては一生のうちに実現できればいいと思っていたんだ。それがここまで短縮できたんだ。なら惜しくはないさ」
「そうか」
「それに……短くできたのはアーシェ、お前と出会うことができた事が大きい。ありがとうと言わせてくれ」
そう言うとマティアスは歩いていた給仕を呼び止めてワインを注文した。せっかくなので私もウイスキーを頼む。グラスに入った氷の上を琥珀色の液が流れ、給仕が恭しい一礼をして離れていくのを見計らって私はようやく口を開いた。
「急に何を言い出すかと思えば、まったく……遺言にしては気が早くないか?」
「勝手に人を今際の人間にするな」
と口を尖らせつつも、マティアスも私の悪態が単なる冗談以上の意味を持っていることを理解しているからそれ以上触れなかった。
「単純に感謝してるんだよ、アーシェ。お前にとっては毎度忌まわしい記憶を思い出させるだけだったかもしれんが、お前の中にあるドクターと他の魂たち……彼女らが蓄えていた無数の知識がなければここまでの短縮はできなかっただろうからな」
「そうか。なら私と出会ってしまったのが不幸だったということか」
私と出会ったことで単なる夢想が現実味を帯びてしまった。世界を捨てる決断をさせてしまった。これを不幸と言わずしてなんと言えばいいんだろうな。
皮肉めいた返事をしてしまったが、それでもマティアスは小さく笑った。
「不幸……確かにそうかもしれないな。だけど今は幸運だったと思っておこう」
ありがとう。もう一度マティアスがそう告げた。私はグラスを掲げて応じると、また窓の外を眺め続けた。
しばらく続く沈黙。車輪が鉄道のつなぎ目で弾む規則的な音が、私たち以外いない車内で響き続けた。
「アーシェ」グラスを置いたマティアスが指先でテーブルを叩いた。「今……お前は何を考えてる?」
「別に。ただ……そうだな、もうすぐ見納めになるかもしれない世界を目に焼き付けてるだけだ」
「そんなにこの世界に愛着があったなんて驚きだな」
「ああ。私自身も正直驚いてる」
終わりが見えてくると、またこの世界も違った色彩に見えてきた気がする。あれだけ嫌っていた、憎んでさえいた世界なのにな。
「アーシェ……前にも聞いたと思うが、まさかお前――」
「それ以上言う必要はない」
余計なことを口にしようとしたマティアスを途中で遮って睨みつけた。
だがマティアスも私をジッと見つめて離さない。数十秒か数分か、睨み合いが続いたがこんな事していても時間の無駄だ。なので私の方から目を逸らした。
「何度聞かれたって私の答えは同じだ。心配しなくても今さら計画を変えようなんざ言い出すつもりはないし投げ出すこともない。気が変わったなんてこともない。
これで安心か?」
「……ああ、そうだよな。疑って悪かった」
私の言葉をどこまで信じてるか分からんが、目の前の王子様はふっと表情を緩めると、もう一度「すまなかったな」と陳謝してきた。
「構わん。それよりも私の方も聞きたいことがある」
「珍しいな。なんだ?」
「周辺国の情勢の話だ。どうも最近、街の方でも噂が立っててな」
あくまで噂でしかないが、地味に街中に蔓延してるようで警ら中にもよく尋ねられる。
共和国と帝国の間で小競り合いが起き始めているだの、帝国が停止していた各国への侵攻を再開しそうだだの、どうにもきな臭い噂ばかりである。まったくの無根拠なら良いんだが、街にやってくる旅人や商会の人間がもたらした噂ならば、あながち全くのデタラメとも限らん。
ここはせっかくの機会でもあるし実際のところをコイツの口から聞いておきたいところだ。
「ふむ、そうか、街だとそんな噂が立っているのか……」
「その口ぶりだと、まるきりの嘘というわけでもなさそうだな」
「正直なところ、まだ裏も取れてない情報なんだが」マティアスがそう前置きした。「実は、帝国が国境から軍を後退させているという話が届いている」
「ほう? となると、噂はしょせん噂ということか?」
「帝国から会議の打診も来ていて、それを講和に向けた内々の調整会議と見る向きも多い。実際に共和国もそれを受けて軍を国境から引かせているようだし、B/Sも会議の実現に向けて動いているという話もある。
だが……私はこれはフェイクじゃないかと思ってる」
「根拠は?」
「帝国にそうする理由がない」
マティアスが冷静に言い切った。
「先の大戦でも帝国が有利のまま休戦に入っている。それは、お前も知ってのとおり帝国側も体力的に厳しくなったからではあるんだが、消耗戦を続けていけばやがて音を上げたのは私たちの方だっただろう。
あれからもう何年も経過している。一世紀前ならいざしらず、統合を果たした今の帝国は国力だって我々のみならずどの国をも凌駕しているからな。消耗した体力だってもう完全に瘉えていると考えていいだろう」
確かにな。正直言って前の大戦で敗戦しなかったのは幸運としか言いようがなかった。質で多少上回ろうと、それを凌駕する数の暴力の前には無力だとつくづく痛感した戦いだったな、アレは。
「大規模な政変の兆候も無さそうだし、歴史的に苦しんできたあの帝国が領土的――というよりも安全保障上の野心をそう簡単に捨てるとも思えん。
一応東の連邦との関係が上手くいっていない、というような情報はあるにはあるが……あのしたたかな帝国が、連邦を刺激するような真似をしたりはしないだろう」
「なら――」
「ああ。帝国の狙いは逆。奴らはきっとまた起こすつもりだ――戦争を」
テーブルに肘を付き、手のひらを口元で合わせる。マティアスのその仕草は祈るようで、一度フッと短く息を吐くと緊張が漂っていた表情を緩めた。
「とは言ってみたが、所詮私の勘みたいなものだからな。推測に推測を重ねただけの根拠に乏しい話で、一応陛下にも内閣にも話はしてみたが軽くあしらわれただけだった」
まあそりゃそうだろうな。軍ならともかく、コイツの政治的な立ち位置はひどく不安定というか脆い。一応話を聞いてもらえただけでもマシな部類だろう。
しかし、だ。マティアスは勘、だなんて笑ったが、話の筋としては通っている。何より――帝国にはあのクソアマがいる。
(あの戦争狂いがここまで大人しくしてたってだけでも奇跡みたいなもんだしな……)
火種があれば全力で油を撒いて大火災にしようとする女だからな。ここは少なくとも警戒はしておくべきだろう。
「なら軍だけにでも働きかけておくべきだな。今の上層部のままだと、あっという間に帝国に飲み込まれかねんぞ」
「分かってるよ。とはいえ、貴族出身の彼らだってバカじゃない。彼らも本分をわきまえてるから、そう心配もしてない――」
「し、失礼致しますっ!!」
二人で話をしていたその時、別車両に乗っていた伍長が泡を食った様子で駆け込んできた。
「どうしたんだい?」
「落ち着け、伍長。報告は簡潔かつ手短にするように」
「し、失礼しました!」
転びそうな勢いで、見るからに冷静さを欠いていた伍長を注意すると、彼は一度呼吸を整える。そして大きく息を吸い込んだ。
「……緊急入電を軍本部より受領! 読み上げます!
――帝国より宣戦布告通知を受領! これより我が王国は帝国と戦争状態へ移行す! 繰り返します! これより我が王国は帝国と戦争状態へ移行す!」
「言ってるそばからこれか……!」
結局はこちらの動きが遅きに失した形だ。つい舌打ちをしてマティアスと顔を見合わせる。
「具体的な状況は? 戦闘の発生などの情報は何か入っているか?」
「いえ、そちらはまだ何も。ですが……」
「なんだ? 構わん、話せ」
「……畏まりました。すでに王都などでは今朝の段階で警戒態勢に移行しているため、准将と大尉は帰還後、速やかに本部に出頭するように、とも連絡を受けております」
伍長の報告に、私のみならずマティアスも苦虫を噛み潰したような顔をした。
今朝に警戒態勢に移行したなどと、そんな報告は私たちは受けていない。朝であれば鉄道で移動中だから今みたいに電報くらいは受信できるはずで、それさえなかったということは、だ。
「ちっ……甘く見られたものだな、お前も私も」
敢えて私たちに知らせなかったということに他ならない。嫌がらせのつもりなんだろうが、実にくだらん話だ。朝には敵の動きを掴んでおきながら高をくくって、実際に宣戦布告が来たら慌てて連絡をよこしてきたか。
まあいい。今の上層部の頭がお花畑なのを責めたところで何か変わるわけじゃない。出頭命令に対して了解と返事を打つよう伍長に伝えようとした。
だが。
「……なんだ?」
いつの間にか窓の外が明るくなっているのに気づく。もう夜の帳は完全に降りてしまっていて、こんな田舎に夜空を煌々と照らすほどの都市なんてないはずだ。
ならばこの明るさはなんだ? ジッと窓越しに外を睨みつける。
そして気づいた。
「……っ!」
「アーシェ!?」
列車の窓を押し上げて身を乗り出す。吹き込んできた暴風のせいで車内が荒れ狂い、巻き上げられたクロスのせいでワイングラスが倒れて赤黒いシミを作りあげるが、お構いなしに私は夜空を見上げ続けた。
遠くの空から小さな赤い光が降り注いでいる。それも大量に。それが地上に到達する度に夜空が明るく照らされていく。じゃあそれをもたらしてくれやがる大元は何だと言えば――
「クソッタレがっ……!」
強化した視力でようやく見えるほどの遥か高高度。
目にしたのは私もよく知っている兵器――航空機の群れだった。
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