2-1. 残念ながら誤報ではない
「ふわぁ……」
歩きながらニーナは盛大にあくびをした。
昨晩も遅くまで魔装具いじりに没頭したおかげで眠い眠い。まなじりに滲んだ涙を拭い、警備隊の詰所に着くまでに少しでも眠気を覚まそうと大きく背伸びをすれば、「ベキゴキベキィッ!」と年若い乙女にあるまじき音が響いた気がするが、ニーナに気にした素振りはない。
「……みんな朝から元気だなぁ」
遠くからは朝市の喧騒が響き渡り、彼女が歩いている通りにも露店がいくつか出ている。そのうちの一つで甘そうな果物を購入し、世の中の元気さに呆れとも感嘆ともつかないため息を漏らしながらかじりついた。
「あ、ニーナだ。おはよう」
声を掛けられ振り向くと、ノアが手袋をした手のひらを振っていた。軍人としては小柄でニーナとそう体格が変わらない彼が小走りで駆け寄ってきて、「今日も寒いですねぇ」と身を縮こまらせている姿はなんだか小動物っぽくて、ニーナはつい笑みをこぼした。ノアは首を傾げて訝しがったが、その仕草もまた微笑ましくてノックアウトされそうになったので、ニーナは「なんでも無いです」と強引に話を変えた。
「今日ってそんなに寒いです?」
「……寒いのは苦手なんですよ。逆に平気そうなニーナが不思議です」
ノアはそう言うが、季節はもう三月だ。確かにまだ雪が舞う日が多いものの、王国の厳しい冬のピークはとっくに過ぎ去ったし今日だって言うほど寒くはない……とニーナは思う。
それでもそれ以上の反論は諦めた。防寒性に優れているとはいえコートだけのニーナに対して、ノアはさらにマフラーを巻き分厚い手袋をはめてそれでもなお寒そうに細い体を震わせている。彼にとっては本気でまだ寒いのだろう。
「……今度、何か暖かくなる魔装具でも考えてみますね」
「ぜひお願いします……はぁ、なんだってこの世に冬なんてあるんだろう……」
一瞬だけノアは破顔したが、すぐにまたうつむいてトボトボと歩き始めた。
その後ろ姿を眺めながらニーナは頭をひねってみる。さて、どんな魔装具が良いだろうか。きっと服の中に忍ばせられるくらい小さな物がいいだろう。冬はもう終わりだが、ノアならきっと夏近くまで重宝してくれそうな気がする。
構想を練りながら並んで歩いていくと、やがて見慣れた手書きの看板が目に入った。
「おはようございまーす」
第十三警備隊の詰め所に入り挨拶をすれば、いつでも変わらない返事と気怠げな返事がそれぞれ返ってきた。
机の前で黙々と銃の手入れをするアレクセイに、机に脚を上げて新聞をつまらなさそうに読んでいるカミル。対象的な二人の姿にふとニーナは、「この二人って本当に仲良いのかな?」などという疑問を浮かべ、そこから自然ともう一人、この隊のマスコットであり最重要人物の事を思い浮かべて、彼女がいるであろう隊長席へ視線を動かした。
「あれ?」
だがそこにアーシェの姿はなかった。後ろの壁に掛かっているカレンダーを眺めてみるが、今日はまだ金曜日ではない。
ひょっとして休暇だろうか。そんな話は聞いてないが、魂喰いであるアーシェだって急に体調を崩すことだってあるだろう。もしそうならばぜひとも急いで馳せ参じなければならない。熱を出して震えている彼女を自分の体で温めてあげるのだ。同じベッドで小さな体をギューッと抱きしめて、そして作ったスープを熱で朦朧としている可愛らしい口に口移しで流し込んであげなければ。それこそが私の使命である。
「隊長なら出張で不在だ」
妄想をエスカレートさせながらゲヘゲヘと気持ちの悪い笑い声を上げていたニーナだったが、その夢はアレクセイの無情な一言で打ち砕かれた。
なぁんだ、とあからさまな落胆を見せるニーナだったが気を取り直して副隊長たる彼に尋ねた。
「どこに行っちゃったんですか?」
「どこ、とは聞かされていない。だがマティアス王子とご一緒で、明日までだとは伺っている」
淡々とアレクセイは応え、ニーナは残念そうに息を吐いた。
明日まで不在ということは今週はもう会えないのか。眺めるだけで「
パチンと頬を叩いて一度気合を入れ、ニーナはいつもどおり奥の整備室へと向かっていった。
その時、街中にサイレンが鳴り響いた。
「なんだってんだっ!?」
ついさっきまでだらけきっていたカミルが跳ね起きて外へと飛び出していく。遅れてニーナたち他の隊員も外へ走って向かった。
見た限りでは街に異変はなかった。だが突如鳴り出したサイレンに誰もが脚を止め、不安そうに耳をすませていた。
腹の底へと響くような音。ずいぶんと久しぶりに聞いたこの音は、不安感を煽ってくると同時にどうしてもニーナの記憶を呼び覚ましてしまう。
凶弾に倒れ、燃え盛る家の中で消えていった両親。脂汗が滲んでくるが、ニーナはグッと腹に力を入れて堪えた。
サイレンは数分に渡って鳴り響いたが、やがてじわりと空気に溶け込むように消えていった。朝の爽やかな空気は唐突に重みを増して、人々の様子もどこか忙しなくなっている。露店は次々に店を畳み始め、何もかもが一変してしまった。
「今の、何だったんでしょう……?」
「さあな。けど、サイレンが鳴らされる時ってのはたいていがとんでもねぇ悪いことの時だ」
サイレンが鳴らされるケースというのは多くない。大災害が起きた時か、あるいは――。
ぜひとも誤報であってほしいもんだねぇと雲ひとつない青空を睨みつけてつぶやくカミルを見て、ニーナも祈るような心地で空を見上げた。
「残念ながら誤報ではない、とのことだ」
「アレクセイさん」
「入電があったのか?」
カミルの問いに、アレクセイは厳しい顔を一層険しくして首を縦に振った。
「各員に入電内容を伝える。本日より我々は――」
Moving Away――
私たちを乗せた軍用車が悪路に揺られてガタガタと激しく踊り続ける。その度に体がシートベルトに押し付けられて痛いし、万が一にでもベルトが壊れればガラスを突き破って外に放り出されそうな勢いである。よくもまあこんな道を走っても故障しないもんだと軍用車の頑丈さに感心しつつも、もうちょっとサスをなんとかできんのかと思わんでもない。
だが私たちはまだいい。私個人は普段から戦闘でアクロバティックな動きをしているし、ドライバーや護衛の連中も百戦錬磨。少々揺られたところで不満こそあれ、ぼやく以上にやることはない。
かわいそうなのはマティアスである。隣を窺えば、デスクワークと権謀術数をライフワークにしてらっしゃる我らが王子様がすでに死にそうな顔をしていた。表情こそ鉄の意思で平静を装ってはいるが顔色は真っ青で、ちょっとでも突っつけばそれこそまたたく間に噴水と化して車内が地獄絵図になることは間違いない。
そんな惨劇を私だって引き起こしたくはない。正直……ちょっとばかしやってみたい気もしないでもないが鬼ではないし慈悲だってあるつもりだ。なんとか自重して、マティアス同様に私もひたすらに窓の外を眺め続けていた。
「まもなく到着です」
ドライバーの伍長が告げて程なく車が停まるとマティアスがすぐさま扉を開けた。何食わぬ顔をしているがもはや限界だったことは疑いようもないのだがそこは全員が触れてやらない。なんとも思いやりにあふれたアットホームな職場である。
「……ご苦労だった。ここからはシェヴェロウスキー大尉と二人で結構だ。二時間ほどで戻ると思うから待機しておいてくれ」
胃と肺の空気を全力で入れ換え終えたマティアスが労うと、銃を担いでいた護衛たちが一歩下がって敬礼した。本来ならばいかに王子の命令だとしても護衛が対象から離れるなどあるまじきことなのだが、この場所だけは特別だ。
マティアスと二人になって歩く。ここから目的の場所まで約二十分ほどの散歩だ。護衛たちから離れて完全に二人きりになると、マティアスが大きくため息を吐いた。
「危なかった……」
「良かったな。王子ともあろう人間がゲロまみれにならずに済んで」
悪路だけならともかく、やはり距離が遠いのが問題である。
日が昇る前に王都発の鉄道に乗って到着が昼過ぎ。そこから軍用車に乗って今通ってきた悪路極まりない山道を小一時間。これだけの長距離移動をすれば、それだけで疲労も溜まるというものだ。
さて。
わざわざマティアスと二人、王都からこんな楽しくもない旅路を経てやってきたのは、王国の保有する鉱山の一つである。帝国側の国境にまあまあ近いここは、魔装具を作成するのに必要な鉄鉱石の鉱山で、王国にとってそれなりに重要ではあるものの、ことさら何かを強調するような場所でもない。
本来ならば、な。
「マティアス・カール・ツェーリンゲン准将およびアーシェ・シェヴェロウスキー大尉だ。定例の視察にやってきた」
見慣れた衛兵に入り口で告げると問題なく奥へと進むよう扉が開けられる。後ろから「お気をつけて」と掛けられた声に手を振って応じつつ、まっすぐにエレベータへと向かった。
途中で何人もの鉱夫とすれ違ったが、連中は私たちを一瞥しただけでそれ以上気にも留めない。鉱夫にとっちゃ王子様だろうが軍の大尉だろうが関係ないからな。それに気を悪くするほど私たちは落ちぶれてないし、どこぞの
むき出しのリフトに乗って下層へと降りていく。相乗りしてた鉱夫や技術者が途中で一人降り二人降り、やがて最下層にまで到達する頃には私たちだけになっていた。
「……もう誰もいないか?」
「ああ。術式でも探ったが、せいぜいがモグラかネズミくらいなもんだな」
そんな会話を交わしつつ、私はリフトの操作盤の蓋を外した。
むき出しになった基盤に手をかざす。魔素をその基盤に注ぎ込み、すると単なる金属板だったそれに魔法陣が浮かび上がった。
呼応して私たちの背後の岩壁にも同じ魔法陣が浮かんでゆっくりと壁が左右に別れていく。そうしてその先に現れたのは短い通路だ。そこを進めばまた別のリフトが現れ、同じ様に操作盤に手をかざして魔素を注ぐ。すると今度はリフトの下が開いていき、ポッカリと空いた地の底へ向かってゆっくり加速していく。
真っ暗で何も見えない。途中に明かりなどは全く無くて、ただ地獄への道を思わせる降下路を私たちが乗るリフトの照明だけが静かに照らしていた。
どれだけの時間降りていったか。不意に強めの振動がして停止し、そこから正面通路の照明が順々に灯っていって私たちを誘ってくれる。
鉱山にしてはずいぶんと近代的な施設だが、もう何十回とここに通っている私たちからすれば何の感慨も湧かない。慣れた足取りで敷き詰められた石畳を踏みしめ、鋼鉄の大扉の横にある機械に手をかざしてロックを解除した。
大扉が地響きのような音を立てて左右にゆっくり開いていく。中からは煌々とした明かりがあふれて、そのまばゆさに私たちは少し目を細めた。
中に広がるのは、地底とは到底思えない巨大な空間だ。半径が百メートル近くにも及ぼうという半球状の空間を何十人もの作業服を着た技術者連中が忙しなく歩き回っていた。
そんな彼らの中心にあり、そして私たちの正面に鎮座しているのは――
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