1-2. さあ、戦争を始めよう




 神の使者たる彼女が去った後、しばらくの間彼らはその場から動けずにいた。

 重苦しい空気が立ち込め、誰もがしかめ面をしてうつむいていた。時折唸る声がかすかに漏れるが、それさえ密度を増した空気の重みに遮られて響かない。


「……納得が行きません」


 それを打ち破ったのは一人の、比較的年若の将校だ。眉間にシワを寄せてテーブルの上に置かれたコーヒーと自身の拳をじっと睨んでいる。その拳は小さく震えていた。


「いつまで我々はこうして黙して付き従わねばならないのです!? 国の行く末を何故、どこにいるかも分からない連中の好きにされなければならないのですかっ!?」

「よせ、准将。不敬だぞ」

「元帥に対して発言する不敬は謝罪します。だが連中に対する不敬? 構うものか!」


 将校は椅子を倒しながら立ち上がり、消沈していた一同を睨めつけると震えていた拳をテーブルに叩きつけた。


「確かに連中に従って巨大な帝国を築き上げてきた歴史がありましょう。おかげでいつ消えるともしれなかった単なる木っ端国が各国の圧力にも屈しない、世界で一目置かれる、いえ、今や世界を統一できるかもしれないところまで成長したのも事実。助力そのものを否定しません。

 だが成し遂げたのは決して彼らの力ではない。我らの祖の力の賜物です。先達たちが血と汗を流して、必死に手にしたもののはずです。神ではなく、他ならぬ人間が手繰り寄せた結果でしょう。だというのに……奴らに大きな顔をされるのは我慢ならんっ!」

「……相手はいわゆる神です」


 自らの主張を必死の形相で叫ぶ准将に当てられたか、近くに座っていた別の将校もまた立ち上がった。


「長く歴史を見てきた天上人。皇帝陛下より遥かに強大な力を持つ彼らに対して畏怖し、敬意を表するのは間違いではないでしょう。ですが……そろそろ私は彼らとは袂を分かつ頃かと具申します。彼らはあまりに傲慢に過ぎる。彼らに庇護される時はもうとっくに過ぎたはずです」

「そもそもだ。奴らは口を出すばかりでいつだって実際に戦おうともせん。高みの見物で我らが血を流すのを楽しんでるだけじゃないか?」

「それに、いつまで我らに味方してくれるのか分かったもんじゃない」

「歴史を紐解けば、過去には共和国やB/S (ブリティッシュ・サクソニアン)にも力を貸しているらしいですよ」

「なんと! それではいつ我々も裏切られるか分からないではないかっ!」


 准将の主張を皮切りに、口々に神への不平不満が叫ばれ始めて室内は一層喧騒を増していった。元帥も難しい顔をしているが彼らを止める素振りはない。自身も同じ思いなのか、あるいはここでガス抜きをさせようというつもりなのかもしれない。

 主張を口にすることでさらに気持ちが昂ぶったか、もはや神々とは縁を切るべきと将校たちが元帥へ詰め寄ろうとした、その時だ。


「――別にいいじゃあありませんか」


 どこか嘲るような響きを含ませた女性の声が彼らの興奮を幾分冷ました。


「ロイエンタール少将……」

「どうも皆様方は怒りに打ち震えるばかりに大事なことをお忘れになっておられるようですね」


 ま、お気持ちは分かりますが。そう言うと、ヴィクトリア・ロイエンタールはブロンドの長い髪をかきあげると部屋の中をゆっくりと歩き回り始めた。口は常に皮肉げに吊り上げられ、整ってはいるが鋭い視線で部屋にいる将校たちの顔を眺めていく。彼女よりも年嵩で経験豊富な将校たちだが、目が合うとどうにもきまり悪くなり、反射的に目を逸らすしかできなかった。


「神どもは我々に戦争をさせたい。我々帝国軍は国を守るために戦争をする。思惑に違いはあれども向かうベクトルは同じ。であるならば何の問題がありましょう?」

「ふん……貴様は戦争さえできれば良いんだろう?」

「ええ、もちろん」


 老将校の皮肉にも堪える素振りもなく、彼女は逆に「何を当たり前の事を?」とばかりに鼻で笑って見せた。


「使えるものは使う。それがたとえ神だろうが。ならば存分に神の叡智を利用させてもらおうじゃないですか」

「……引き続き従うフリをしながら力を蓄える。それが我らの取るべき道だと?」

「さすが元帥閣下。ご理解が早い」


 やがて彼女の脚は元帥の正面で立ち止まった。姿勢正しく直立こそしているが、彼を前にしても醸す態度は変わらない。不敵に笑みを浮かべ、翡翠色の瞳をまっすぐに元帥に向けて凛とした声で言葉を紡ぐ。


「連中は口だけ出して血を流さない。どなたかが先程おっしゃってましたが、裏を返せば奴らは吠えるだけ。直接何もできはしない。なら放っておいて結構ではありませんか? いずれは賢しらな彼らに見せつけてやるとして、今は私たちの職務に集中すれば結構ではなくて? この国を永久に生きながらえさせるという職務に」


 そうして彼女は黙って返事を待った。

 先程までの喧騒が嘘のように静まり返る場。壁に掛けられた古時計がやけにうるさい。元帥とヴィクトリアの二人だけが声にならない言葉をぶつけ合っているように他の将校たちには思えた。


「――なるほど、な」


 元帥の唇が不意に弧を描く。対するヴィクトリアの口も同じくいっそう大きな弧を描いた。


「確かにロイエンタール少将の言うとおりか。奴らの思惑がどうあれ、祖国の繁栄と生存のために我々はただ戦うのみ。

 今はまだ我々は協力関係にある。そして……奴らと袂を分かつには早い」


 元帥は一同を見渡す。全員が彼の一言一言に耳を傾け、真摯に聞き入っていた。


「直接神々が我らをどうこうすることはできぬかもしれぬ。だが皇国に教会、共和国にB/Sと、その威光に従う連中は多い。まだそれに対抗できるほどの力は、我らには無いというのが正直なところだろう」

「それは……確かに」

「悔しがる必要はない、准将。ならば今は力を蓄える時だと言うことだ。神どもが我らを利用しようとするように、我らも祖国のさらなる繁栄のために神々を利用してやるのだ。そしていつか……遠くない日に連中が我々に牙を向けるというのであれば――その時こそ奴らの喉元を盛大に食い千切ってやるのだ!」

「はっ!」


 元帥の言葉が将校たちの魂を震わせ、一斉に立ち上がって自分たちの拳で右胸を叩いた。それは帝国における決意の表れで、激戦地に赴く前に兵士たちが祖国に魂を捧げる仕草だ。

 そんな熱に浮かされたような将校たちの様子をヴィクトリアはどこか冷めた瞳で眺めていたが、元帥に話の水を向けられて顔を上げた。


「何でしょう?」

「お前が掘り出した地下の兵器とそれを模倣した量産機についてだ。単刀直入に聞こう。

 ――使えると思って良いのだな?」


 元帥の声が幾分低くなる。室内が再び静まり返り、固唾を飲んでヴィクトリアの返事を待った。

 果たして、彼女は低く喉を鳴らして笑った。


「当然。それこそ雲の上でふんぞり返っている連中を利用して使えるようにしました。不満が無いわけではないですが……少なくともセンセーショナルな戦果を上げるに十分な性能であることは保証しましょう」

「そうか」元帥は大きく息を吸い込んだ。「ならば神どもの口車に乗ることにしよう。各将校にこの場で通達する。現時刻をもって諸君は戦時体制へと移行。速やかに準備を推進されたい。ただし、本発令は極秘である。その点、留意願う」


 元帥が告げると、将官たちは敬礼もそこそこに部屋を足早に出ていった。これからは時間が勝負。周辺国の間諜にいかに悟られずに準備を進められるか。歴戦の勇士たる帝国将校たちであっても緊張は隠せず、強張った表情で各々の執務室へ戻っていったのだった。

 そんな中で、ヴィクトリアだけは一人ゆっくりと部屋を出ていく。軽く周辺を見渡して誰もいないことを確認すると、彼女の形の良い口が大きく左右に伸びた。


「やっと、始まる……この数年、実に退屈だったな」


 実に、実につまらない時間だった。あるのは小競り合いばかりで本気でぶつかり合うことはなかった。何度か前線にも出たが空気の色も味も匂いも、何もかもが彼女が望むものとかけ離れていた。

 それも、まもなく終わる。興奮で紅潮した頬を隠そうともせず、彼女は誰にともなく声高に宣言した。


「さあ――戦争を始めよう」





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