File9 彼女は拳を突き上げて高らかに告げた

1-1. 耳かっぽじって聞きやがれ






――Bystander






「――つまり、だ」彼女はせせら笑った。「これ以上私たちの指図は聞けない。お前らはそう言いたいってことでいいな?」


 白いフードを被ったまま彼女が犬歯を覗かせると、向かい合う軍服の男たちは慄いたように身動ぎした。

 彼らが対峙しているの一人の女性だ。出迎える側の都合など考えない夜半に唐突に訪れてきた賓客で、小柄な、それこそ軍人である彼らの手にかかれば容易く手折れそうなほどに細い体躯をしている。

 だが向き合い、顔を突き合わせているだけで彼らは言いしれぬ恐怖に襲われていた。即座に席を立って部屋を出ていきたくなる衝動に駆られ、それでも彼らは誉れ高い軍人であり、国の行く末を握る者たちだ。ある者は立派なひげをやたらと撫で、ある者は震える手で濃いコーヒーを一気に飲み干し、なんとか必死に立ち向かっていた。


「……そうは申し上げておりません」

「へえ? んじゃどう解釈すりゃいいんだ? ぜひともご教示願いたいね」


 フードの彼女が鼻で笑いながら眼光鋭くにらみつけると、誰かが喉が鳴らした。帝国側の誰もが口を真一文字に結び、頬杖を突いた傲慢な彼女の機嫌を如何に損ねない返答をするか。今はそればかりを必死に考えていた。

 静寂を嫌い、一人が場を保たせようと口を開きかける。が、彼女はそれを制して一同を睨めつけた。


「いいか? 耳かっぽじって聞きやがれ。

 これはな、しゅの意志だ。思し召しだ。停滞気味になった世界を前に進ませること、それを主は願われてんだ。そのための重要で栄誉ある役割にお前らは選ばれた。それを分かってたからこそお前らの先達どもはちっさくて吹けば飛ぶような国ばっかだったのを一つにまとめて、『偉大な』帝国にまで大っきくした。違うか?」

「……いえ、仰るとおりです」

「だろ? そしてそんなお前らだったからこそ主も助力を惜しまれることなく導いてくださった。

 それを、だ」彼女はテーブルを叩いた。「今更『自分たちの好きなようにやらせろ』っつっても筋が通らない。そうは思わないか? ええ?」

「……」

「主はお待ちかねだ。停滞している世界を再び前に進ませることを。数年前のように新しい風を吹き込むことを。『Nein断る』なんて選択肢はねぇんだ。だから速やかに準備をして、実行に移せ」


 一気にそうまくしたてると、彼女は机に身を乗り出す。そして元帥の目の前でテーブルを指先でトントントン、と叩き始めた。

 彼女のその仕草に、正面に座る口ひげを蓄えた男性は顔中に刻まれた深いシワを一層深くして厳しい顔で天を仰ぎ、静かに重苦しい息を吐き出した。


「……承知しました。帝国として、全力で事に当たらせて頂きます。故に、引き続きぜひご助力を賜りたく」

「それでいいんだ。なぁに、主は常にお前らのことを見守ってくれてる。決して見捨てたりはしねぇし、後始末まで私もキチンと面倒見てやるさ」

「そのお言葉さえいただければ、こちらとしてもやぶさかではありません」


 将軍たる彼の返事に満足したか、彼女は鷹揚にうなずいて出口へと向かった。それに合わせて部屋の将校たちもまた一斉に立ち上がり、彼らに見送られながらフードの女性は暗い廊下の奥へと静かに消えていった。

 

 

 

 そんな一連の様子を、彼女の目を通して見ていた者たちがいた。


「やれやれ……ようやくこのレベルまで歴史を進めることができた、か」


 彼女たちがいた帝国とはまったくの異なる場所。何もない、真っ白に近い場所に座っていた老人が閉じていたまぶたを開き、ため息まじりにつぶやいた。禿頭と対象的な豊かに伸びた白いひげを撫でながら足元を見下ろす。その眼光は鋭く、同時に値踏みするような感情が瞳から窺えた。


「本当に、ね。実に長かったわ」


 さらに細く長い足を組んだ女性が現れた。その容姿は見るもの全てを虜にして離さない、と思えるほどに見事な美を体現していて、彼女もまたアンニュイな吐息をもらして頬杖をつくと、地上を覗きこみながらかつての仲間に対して悪態をつく。


「まったく、クロノスもとんでもない事をやってくれちゃって。私たちの時間がどれだけ失われたか分かったもんじゃない。とんだ迷惑だわ。本当に……何を考えて人間なんかに肩入れしてくれちゃったのやら」

「今更ぼやいても仕方ないだろ」


 今度は、一組の男女が一緒に現れた。男性は筋肉質でたくましく、女性の方は肉感的でたおやかな笑みはなんとも蠱惑的である。男性はぼやいていた女性を宥めるように声を掛けると隣に座って腕を組み、女性の方は唐突に現れたテーブルからグラスを手に取ると喉を潤し、口端から溢れた酒をぺろりと舐め取った。


「それに、結果論だけど悪いことばかりでもないわよ? 私たちだってまたやり直すことができたんだもの」

「そりゃぁ……そうかもだけどぉ」

「そうだな。失ったものも多い。けど得たものも多かったしな」

「かつては」


 最後に一際大柄な男性が場に姿を見せた。黒々としたあごひげと髪に囲まれたその顔は厳しく、彼は居合わせた一同を見渡せる位置に座ると軽く目を閉じた。


「我らは失敗しようとしていた。我がらの数は順調に増えたが、代わりに我らの存在は忘れ去られようとした。世界は進むのを止め、緩やかな停滞という誤った道を子らに選ばせてしまった。気づいた時にはすでに遅く、少々強引な手を使わねばならなかったが……それもまたクロノスに邪魔をされてしまった。

 子らの世界は歴史を失い、我らもまた積み上げた時を失った。

 だが幸か不幸か、やり直す道も得た。かつてと異なり積極的に導きの手を差し伸べてやり、ここまでは順調に進んできている。多少のイレギュラーはあったがな」

「イレギュラー……我らの手を払い除けた者共ですな?」


 忌々しげに老人が口にした。大柄な男性は肯定こそしなかったが彼の方へちらりと目配せをした。


「邪魔さえしないなら、そんな程度の人間に興味はないわ。

 それよりも大丈夫なの? ここに来てまた停滞してきてるって話だけど?」

「同じ失敗を繰り返すわけにはいかねぇな」

「数は重しである。増えると革新よりも安定に水は流れ、歩みを捨てて留まろうとする。そうならぬよう、我らが子らを導いてやらねばならん」

「間引きの意味も込めて、ね」


 女性が喉を鳴らすと、他の神もまた笑みを浮かべた。


「総体として子らは愚鈍である。それが故に愛らしくもあろう。が、道を過とうとするならあるべき道を示さねばならぬし、力づくでも正さねばならぬ。それこそが我らの使命であり役割でもある。そして……そうである限り我らもまた揺るぎない力を手に入れられるであろう……!」


 大柄の男性は目の前に掲げた拳を強く握りしめた。

 神たる彼らが彼らであるために、人間たちからの信仰を失うわけにはいかない。故にシステムに抵触せず、かつ常に存在を知らしめ続けなければならないのだ。二度と、自分たちへ反逆しないように。


「――では、子らの監督を各々怠らぬように」


 他の神々に告げ立ち上がると、大柄な彼の姿がふっとかき消えた。他の神たちもまた次々と同様にその姿が消えていく。

 やがて彼らがいた空間そのものが始めから存在しなかったかのように消滅する。そしてまったくのすべてが無くなり、ただの虚無がそこにいつまでも漂っていたのだった。




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