6-3. 私は生き汚いんだ






「……っ!?」


 私の土手っ腹を貫いてくれたバーナードの腕を掴む。意識が急速に引き上げられていくに伴って指先一つ動かせなかった肉体に再び力がみなぎっていき、力任せにバーナードの腕を私の腹から引き抜いていった。


「■■■■■っ……!」

「悪いな。私は貴様が思ってる以上に生き汚いんだ」


 魂喰いはそう簡単に死ねない。何故なら――喰らった分だけ命がストックされてしまうからだ。

 ぽっかり空けられた腹の空洞。それが瞬く間に埋まっていく。失われた血を補うために心臓が異常に鼓動すれば全身に新たな血液が巡り、ホンの数秒で何事もなかったかのように肉体は元通り。破れた服だけが私が「一度死んだ」ことを示していた。


「っ……!」

「逃さんよ」


 逃れようとしているバーナードの腕を離さない。ここで逃げられたら何のためにわざと・・・死んでみせたか分からんからな。

 奴の背後で術式を炸裂させる。ガッチリと私に拘束されているから当然避けることは適わず、背中を焼かれて悲鳴を上げてバーナードの顎が上がった瞬間。

 今度は私の腕が奴の首元を貫いた。

 ぬちゃりとした、人間と何ら変わらない粘着質な血の感触。腕全体が真っ赤に染まって、手のひらには「核」が乗っている感覚が確かにあった。

 バーナードの体を蹴り飛ばして腕を引き抜く。核はまだ鼓動し手のひらの上で躍っているが倒れた奴の肉体は動かない。

 瑞々しい核に視線を奪われ、欲求に逆らうことなくそれを一口で飲み干す。その途端に胸の内が、腹の中が、なにより私の本能が満たされていくのがよく分かった。


「ああ……実に、実に幸せな味だ」


 さすがは吸血鬼。ミスティックの中でも最上位に位置するだけのことはある。脳がもっともっとと要求してきて肉体ごと喰らってしまいたくもなるが、ここは堪えなければならない。


「さて……」


 これでバーナードの魔法陣は力を失ったはずだ。時間的にはミーミルの泉の方もとっくに回収できてるはずなんだが……あの二人は何をやってるんだか。とはいえ、私も交渉失敗して時間を無駄にしてしまった手前叱れないんだがな。

 未だ報告のない二人と自分を比べ、もたもたしてるのを叱責すべきか否か頭を悩ませつつバーナードに背を向けて。

 直後に、背後で気配が膨れ上がった。


「なっ……!?」


 慌てて向き直るもあっという間に組み敷かれ、とんでもない馬鹿力で地面に押さえつけられてしまった。

 まだどこかに敵が隠れていたのか、と自分の情けなさに歯噛みしながら相手を確認して――言葉を失った。


「馬鹿、なっ……!」


 私に馬乗りになっていた者。それはバーナードだった。先ほどよりもさらに人間らしさは失われて完全に狂気に飲み込まれた形相。牙は鋭く、顔中に血管らしきものが浮かび上がっていて禍々しい。最早私の血を喰らおうとしか考えられないようで、よだれを垂らしながら力任せに顔を近づけてきやがる。

 理性的な面が失われた反面、ただでさえとんでもなかった身体面が強化されたらしいが……くそ、なんて力だ。


「だが何故、だっ……!?」


 私は確かに奴の核を喰った。核は人間でいう心臓だ。いかにミスティックといえどもその核を奪われて生きていられるはずがない……?


「そう、そうか……!」


 心臓、というワードで思い至った。普通のミスティックと違い、バーナードは私と同じ元人間。であれば人間としての心臓も残っているはず。


(とんだ馬鹿野郎だ……!)


 脳みそが足りない自分を罵る。理性を失ったのは吸血鬼としての心臓が私に奪われ、そのせいで吸血鬼としての本能がいよいよ制御できなくなったというところか。一時的なものか、それとも恒久的なものかは分からんが……この力は冗談抜きでやばい。


「カミル、ニーナっ! そっちはどうなってる!?」


 バーナードが生きているということは魔法陣もまだ健在だということでもある。組み敷かれながらもなんとか顔だけをニーナたちに向けて様子を確認する。

 しかし台座にはまだミーミルの泉が乗ったままだった。


「わりぃ、隊長っ! 手間取ってるっ!」

「台座を囲ってるガラスが硬くって……!」


 二人して魔装具や銃床で殴ったりだとか、銃で直接射撃したりしていたが覆っているガラスが未だミーミルの泉を守り続けていた。少しずつヒビが広がってるからまったくの無駄じゃなさそうだが……この分じゃ割れるまで時間はまだ掛かりそうだ。


「なら周りの機械だっ! そっちをぶっ壊せっ!!」

「い、良いんですかっ!? 変なこと起きたり――」

「知らんっ! だがこのまま魔法陣が本格作動するよりマシだっ!」


 魔法陣が作動すれば辺り一帯死の土地になる。魔法陣の暴走と違って周辺の機械が暴走するだけなら、まだ被害はマシなレベルのはずだ。

 顔を近づけてくるバーナードをなんとか押さえながら怒鳴ると、カミルたちが急いで機械の方へと向き直って銃を構えたのが見えた。

 引き金を引いて、あとは私がバーナードの馬鹿力に耐え続ければいい。そう思った。

 だが――遅かった。


「あ……あ、あ……」

「ぐっ……、な、んだ……!」


 ずん、と重力が一気に何倍にもなったような感覚が私を襲った。

 いや、私だけじゃない。銃を構えてたカミルとニーナがそろって膝をついて今にも倒れそうになっていた。苦しそうな呼吸を繰り返し、自分の胸の辺りを強く掴んで流れる汗の量も尋常じゃない。


「まさ、か……!」


 バーナードの肩越しに覗く部屋の天井。それがぼんやりと明るくなっていき、やがて――赤黒い複雑な図形が現れた。


「発動したのか……!」


 つぶやくと同時に一際体にかかる重さが増してきた。肉体の奥底で魂がかき回され、搾り取られているような感覚が始まる。あるいは本来あるべきものが無理やりに外に押し出されていく、そんな感覚。これが……魂を吸収されるということか。


「■■■■っっ!」

「しまっ……」


 魔法陣の効果のせいか、腕から一瞬力が抜ける。その瞬間、バーナードの顔が一気に迫り、牙が私の首元に深々と突き刺さった。


「が、あああぁぁぁぁぁぁっっ……!!」


 ただの痛みとはまったく異質な痛みが全身を襲ってくる。とんでもない猛毒が全身に回っていくよう。血液が沸騰して全身を内側から融かしてしまうんじゃないかとも思え、口から勝手に苦悶があふれていった。

 しかし。


「ぎゃああああああああああああああっっっっっっっ!!」


 私以上の金切り声を上げたのはバーナードの方だった。

 頭を両手で押さえながら悶え、目や口、鼻から血を流しながら地面を転がり悲鳴を上げ続けていた。


「馬鹿、がっ……!」


 二十年近くの間、数え切れないほどの人間とミスティックを喰らってきたんだ。そいつらの魂が私の中でうごめいていて、そのうえドクターというキチガイが施した術式のせいで私自身の魂もとんでもないことになっているはず。そんなもの、吸血鬼ごときが御せるもんじゃない。ちょっとでも取り込もうとすればその圧倒的な情報量で脳がパンクしてしまうに決まっている。

 うめき叫ぶバーナードを蹴り飛ばして体の上からどかせ、ヨロヨロと立ち上がる。未だ熱にうかされたように全身が熱く重いが、どうせいずれ元に戻る。

 それよりも今は二人を……ニーナとカミルを連れて逃げなければ。

 倒れた二人の元にたどり着き、ニーナを抱きかかえて体を揺らす。すると、かろうじてまぶたが半分だけ開いた。


「ア……シェさん……」

「ニーナッ……! カミルッ……!」


 弱々しい声が届く。胸元を押さえたままニーナが私に微笑んでいた。隣でカミルもうずくまり、脂汗にまみれて苦しげなのになんとか取り繕った笑みを向けていた。


「へへっ……隊長とは長ぇ付き合いになったけどよ、ここらでお別れ、みてぇだな……」

「なんとか……アーシェ、さんだけでも……逃げてくだ、さい……」

「ふざけたことを言うなっ! 絶対、絶対に私が……」


 助けてやる。だがそう言い終わるより前に青白い顔でニーナが首を横に振った。


「えへへ……アーシェさんの、膝枕だなんて、最っ高の死に、場所ですね……」

「……バカがっ」

「でも、できれば……手料理も食べたかった、な……」


 私の頬に伸びてきたニーナの腕。それが私へ届くことなく地面に墜ちていった。

 呼吸が、止まっていた。胸の上下動も終わりピクリとも動かない。カミルを見ても、うつぶせで倒れたまま。目を閉じて、眠ってるようにしか思えなかった。


「ニーナ、カミル……? おい、いくらお前らでもその冗談は許さんぞ……」


 抱いたニーナの体を揺する。反応はない。頬に手をやる。まだ微かな温もりがある。けれどもどんどんと冷たくなっていく。そんな気がした。

 二人との記憶が、思い出が頭の中を駆け巡っていく。二人とは四六時中一緒だった。他愛もない会話から仕事の時まで膨大な量が一瞬で巡り、気がつけば頬を雫が伝ってニーナの頬を濡らした。


「私の……せいだ」


 間違いなく私が、二人を殺した。時間の余裕がないのに交渉などとたわけた事をぬかし、予想外のバーナードの強さに苦戦する始末。なんのミスもないのに、欲に飲まれて判断を誤った無能な指揮官に従った結果、命を粗末にさせてしまった。


「すまない……ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 取り返しなどつくはずもない。なのに謝罪に何の意味があるだろうか。そう分かってはいても勝手に私の口から出てくる言葉だけは止めることができず、ニーナの体を強く抱きしめ嗚咽を漏らすしかできなかった。


(過去って無かったことにしたいですか?)

「……ああ、そうだな」


 過日のニーナの質問に答える。

 ああ、そうだ。今なら間違いなく言える。大きな声で叫んでやる。無かったことにしたい。すべてを消し去りたい。そのための準備は整ってきている。


「待ってろ、ニーナ、カミル……」


 顔を上げて二人を、私の罪の証を濡れた目に焼き付ける。ちょっと待っててくれ。遠くない未来にきっと、お前らが人生の続きをもう一度謳歌できるようにするから。私のいない世界で新しい人生を歩むことができるようになるから、少しだけ眠って待っててくれ。

 かすれた声でそう呼びかけ、抱きかかえていたニーナを優しく地面に寝かせて立ち上がり、ミーミルの泉をにらみつける。

 台座に繋がったケーブルが頻繁に明滅し、宝石自体も輝いてて心なしサイズが大きくなった気がする。おそらくまさに今、大量の吸い上げた魂を取り込んでるんだろう。

 次いでバーナードに目をやる。奴は未だ叫びながら狂ったように地面を転がっていた。こっちは放っておいてもまだ大丈夫。

 であれば――私の方でミーミルの泉を使わせてもらう。人の魂だろうがなんだろうが知ったことか。どうせもう取り返しはつかない。ならば、使えるものは何だって使ってやる。コイツさえあれば、計画を一年以上待つ必要はない。地下の機械を解析する必要もないのだから。

 ミーミルの泉が置かれた台座へ踏み出す。ニーナとカミルに背を向け、近づいていく。

 台座のひび割れたガラスを木っ端微塵に破壊するべく左腕に術式を展開。思いっきり殴りつけるために拳を振り上げたその時だった。

 突然背後で光が溢れ始め、そのまばゆさに私は思わず振り返ったのだった。




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