6-2. くしゃり、と顔が泣き笑いに歪んだ
私の言葉に面食らったような表情をバーナードが浮かべた。しかしずいぶんと顔色が悪いな。呼吸も荒いし、敵ながら大丈夫なのかと心配してしまう。
「っ……、協力だって? 何を協力しようって言い出すつもりだい?」
「貴様と私、いや私たちか。目的はおそらく近いところにある。
バーナード、貴様は今の自分を
「……」
「吸血鬼ではなく人間だった頃に還りたい。そのための手段としてミーミルの泉を求めた。違うか?」
バーナードは答えない。だが視線が、単なる息苦しさとは違った呼吸のリズムが、私の言葉を肯定していた。
「であれば私たちも同じだ。そのための準備も進めているし、必要な
「……」
「それでも貴様の境遇に同情はしよう。だから今すぐ計画を中止すれば、できるだけ処遇に配慮はしてやる」
魂を縛られた屍鬼たちは普通の人間には戻れない。それでも、まだ完全に魂を縛られていない屍鬼たちがいれば、バーナード次第で人間だと「思って」生きていくことはできる。それに……こんな言い方はしたくないが、うまく行けば
(過去って無かったことにしたいですか?)
私の魂に染み込んだニーナの言葉が頭の中で何度も反響していく。胸が圧迫されたような苦しさが募り、けれども歯を食いしばって口を真一文字に結んで、叫び声を喉の奥へと引っ込めた。
バーナードが考え込んでいたのはホンの数秒。だが一秒すら惜しいこちらとしてはずいぶんと長く感じた。
「……確認したい。そちらの計画が実行できるまでどのくらい時間がかかる?」
「ハッキリとは言えないな。だが後一、二年で実行したいと考えている」
「――ダメだよ、それじゃ」
バーナードは笑っていた。くしゃり、と顔が泣き笑いに歪んで、黒く淀んだ瞳で私の目を見つめていた。
「なぜだ? 計画は順調だし貴様の願いだって確実に叶えてやれる。それに……わざわざ屍鬼化するのに直接血を吸わず術式を併用するくらいだ。貴様だって人間から魂を集めるのは本意ではないんだろう?」
「君の提案はすごく魅力的だと思う。軍の人間に囲ってもらえるならリスクも低いし、何より人間を屍鬼にする必要も、彼らの魂を集める必要もなさそうだしね」
「なら」
「だけどそのためには――僕には圧倒的に時間が足りな、い……!」
バーナードの雰囲気が急速に変わっていくのを感じ、反射的に身構えた。
膝を着いたバーナードは苦しげなうめき声を上げ、その口元からは鋭い犬歯が長く伸びていく。淀んで大層な闇を抱えていそうながらもまだ理性的だった瞳に狂気が混じり始め、ミスティックの攻撃色とはまた違った血のような真紅に変色していっていた。
「なるほどな」
直で見るのは始めてだがリスティナから昔、吸血鬼について詳しく聞いたことがある。
後天的に吸血鬼になった奴は普通、人間としての意識の方が強く残って血を吸うのだって、時折気の知れた人間から倒れない程度に分けてもらうだけで事足りると。だがまれに、吸血鬼の血と相性が良すぎて人間としての意識を維持できなくなるケースがあるのだと。
「ご、覧のとおり……僕が僕でいられ、る、時間はもう残ってなくってね……今日明日にで、も……僕という存在が持ってかれそうだっていうのに、悠長に待ってる……わけにはいかないんだよ……」
「……そうか」
ならばもう道は一つしかない、か。
「一つ……聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「君からは……人間とは違う匂いがす、るけど、人間じゃあない、よね……?」
バレてるなら嘘を付く必要もない。首肯してやると、バーナードは安心したように穏やかに笑った。
「そっか……なら心置きなく――血が吸える」
苦しげな息遣いから一転。ゆらりと自然な仕草でバーナードは直立して。
気づいた時には真紅の瞳がすぐ目の前に迫っていた。
「くっ!」
一瞬で距離を詰めたバーナードが鋭く伸びた爪を繰り出してくる。覆っていた防音用の術式を解除し、ギリギリのところでかわすと一歩後退して距離を取る。
だが顔を上げるとすぐそこに術式が迫ってきていた。到底回避は不能。そう判断して防御術式と腕でガードするが爆風に跳ね飛ばされて私の体は宙を舞った。
「アーシェさん!?」
「大丈夫だ」
体勢を空中で整え、地面にブーツを擦り付けて勢いを殺すとちょうどニーナたちのところに止まった。しかし中々の術式だ。ダメージこそほとんどないが、練れてないとっさの防御術式だったとはいえ私の防御を貫通しやがった。
バーナードは距離を詰めてくるでもなく、人間味のない冷徹な眼差しでこちらの様子を窺っている。苦しそうに喉元をさすっているところからして血を相当に吸いたそうだが、一撃で捕まえられなかったもんだからこっちを警戒してるようだ。術式といい吸血鬼としての身体能力といいさすがの一言。おまけにむやみに突っ込んでもこない。厄介な相手だ。
「そ、それでアーシェさん。よく分かりませんけど交渉は……?」
「すまん、失敗した」
バーナードも興味は持ってくれたが如何せん時間だけはどうしようもないからな。一分程度とはいえ、時間を無駄にしてしまった。
警戒して一定の距離を保っていたバーナードだったが、さすがに吸血の衝動には勝てなかったらしい。再び一気に彼我の距離を詰めてくる。が、狙いは私だけのようである。まだ人としての意識はかろうじて残っているということだろうか。
「ちっ!」
一歩前に踏み出してバーナードの腕を受け流しながら懐に入り込み、奴の心臓目掛けて腕を突き出す。だがさすがは吸血鬼というべきか、メチャクチャな反応で体を捻って避けて、私の一撃は奴の肩を軽く叩くだけに終わった。
とはいえ体勢は崩した。こちらも体を捻り土手っ腹に回し蹴りを食らわしてやると、机を巻き込みながら転がっていく。だがすぐに起き上がり再び襲いかかってきた。
「コイツは私が引き受けるっ! 二人はミーミルの泉を取り出せ!」
「りょ、了解!」
魂を吸収させるミーミルの泉さえなくなれば魔法陣も意味を成さなくなるはず。バーナードの攻撃を受け流しながらニーナたちに指示を出し、奥の機械だらけの部屋へ向かわせた。
しかしそうされると困るというのは今のバーナードでも分かるらしい。ターゲットを私からニーナたちに変えて飛びかかろうとするが、こちらとしてもそうさせるわけにはいかないな。
「貴様の相手はこっちだっ!」
バーナードとニーナの間に魔法陣を出現させ、貫通術式を放つ。奴が避けた隙に私が立ちふさがって壁となると、バーナードは苛立たしげに唸り声を上げ、次々と私へと術式を放ってきた。どうやら私を倒さねば先へは進めないと理解したらしいが――
「本当に厄介だなっ!」
切れ目なく術式を放ちながらも接近して鋭く攻撃を繰り出してくる。術式の構築速度も段違いだし実に手強い。
そのうえ。
「■■、■■■■っ!!」
「くぅっ……!」
速くて重い。身体能力を活かした一撃一撃を受ける度に骨がきしんでしびれるような痛みが走る。
「大人しく寝てろっ!」
それでも捉えられない程じゃない。鋭く繰り出してきた一撃をスレスレでかわしてお返しに足払いをかましてやる。薙ぎ払われて浮いた奴の体に思い切り蹴りを喰らわせてやると、バーナードが壁に激突して土煙を上げた。さらに間髪を入れずこちらも術式をお見舞いしてやるが、それが届くよりも早く体勢を立て直してまた反撃に転じてきた。
一進一退の攻防。私もバーナードも致命傷を互いに与えられずにいる。
正直……この強さは予想外だ。どういう経緯で吸血鬼になったか知らんが、まるで
(二人ともまだか……!)
バーナードに負けるとは思わない。だが到底すんなり勝てる相手でもないのは明らかだ。そしてどちらもタイムリミットはあるが、余裕がないのはこちら。
なれば。私は不意に足を止めた。
「■■■っ……!!」
「ぐぅぁぅ……!」
バーナードの爪が私の腹を貫いていく。ごぽり、と口から真っ赤な血が逆流して溢れ、腹からもボタボタとおびただしく流れ落ちる。
激痛。体の奥で火でも焚べられているような熱が暴れまわり、力が抜けていく。まぶたに力が入らない。意識が閉ざされて、今度は逆に体が急速に冷えていく感覚。
そうだ。これは「死」だ。死の感覚だ。久しぶりに感じるそれについ勝手に口元が緩む。もう見えないが、バーナードもまた笑って、顔を近づけてきてるのがなんとなく分かった。
バーナード・ファーナー。これほどまでの強敵はどれだけぶりだろうな。おかげで――魂を
そんな事を思いながら私はバーナードの腕をしっかりと掴んだのだった。
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