6-4. こいつはニーナじゃない






「ニーナ……?」


 振り返った先。そこで輝きを放っていたのは、死んだはずのニーナだった。

 横たわった体から一瞬だけ閃光が溢れて思わず目を閉じる。そしてまぶたをゆっくり開けると、仄かに光をまとったニーナが自分の両足でしっかりと立っていた。


「ニーナっ……!」


 生きていた。その事実にさっきまで凍てついてた私の胸の奥が溶けていき、彼女の名前を呼んだ。が、ニーナはいつもの人懐っこい笑顔一つ見せず無表情のままちらりと私に視線を寄越しただけだった。


(違う、コイツは――)


 直感した。こいつはニーナじゃない。目も鼻も口も、何もかもがニーナだがニーナではない。雰囲気もそうだが、漠然と感じる存在感が何よりも違う。人間だとかミスティックだとかそういう種別とは根本から違うと否が応でも思わせてくる。気を強く張ってないと私でさえ思わず後ずさりしてしまいそうだ。

 貴様は誰だ。そう問いかけようとして、私は言葉に詰まった。

 無表情のニーナが私の瞳を覗き込んでいた。口を真一文字に結び、私という存在を見定めようとしているみたいだった。

 そんな彼女の口元が不意に緩んだ。穏やかな微笑みが浮かび、しかし何も言わず両手を左右に大きく広げ、目を閉じると倒れ込むように天井を仰いだ。

 次の瞬間、世界が一変した。

 ニーナの体からまた光が溢れ出したのもそうだが、それ以上に異常だったのが部屋の景色だった。

 横に引き伸ばされたように景色が不自然に歪み、次第にマーブル模様のようなぐちゃぐちゃなものに変わると、まるで壁紙が剥がされていくみたいに風景がニーナの体へと吸い込まれていく。


「なんだこれは……!」


 こんな術式は見たことも聞いたこともない。ドクターの知識をとっさに探ってみたが彼女の中にも該当するものはなかった。

 何が起きているのか。何故ニーナが為し得ているのか、ニーナのフリをしたアイツは何者なのか。答えの出ない疑問ばかりがあふれて理解が追いつかない。ただその場で呆然とし、めまぐるしく変化していく光景を眺めているしかできなかった。

 時間感覚さえ最早メチャクチャになって、それがどれだけ続いただろうか。徐々にニーナから溢れる光が収まり、風景の吸い込まれていく速度も緩やかになる。やがて光が完全にニーナの中に収まりきった時には、また以前と何ら変わりない部屋に戻っていた。

 立ち尽くす私。だが目の前でニーナの皮を被った何者かは私に向かってもう一度微笑んだかと思うと、突然その場に崩れ落ちた。


「ニーナっ!!」


 慌てて駆け出し、倒れ込む直前になんとか彼女の腕を掴むことに成功した。そのまま抱え上げて様子を確認すると、ニーナは穏やかな寝息を立てていた。彼女の立派な胸も規則的に上下し、どう見たってただ単に眠りこけているようにしか見えない。


「カミル、カミルは……?」


 カミルの方も確認してみる。コイツの方も呼吸はしっかりしていて、ともすれば豪快ないびきまで掻き出しそうな勢いである。

 二人とも生きていた。そう頭が認識すると、情けない話だが私も全身の力が一気に抜けて尻もちをついた。ああ、本当に、本当に……


「良かった……」


 勝手に目元に涙が滲んできてしまう。戦友の生死にはもうとっくに慣れたと思ったんだがどうやら涙腺はかなり緩くなっていたらしい。まだまだ若いつもりだったが、それなりに歳を取ったということか。そういうことにしておこう。


「だが……」


 涙を拭う。もちろん二人が無事に生きていることは喜ばしいことこの上ないが、確かにホンの何分か前には二人とも魂を吸収されて死んだはずだ。もちろん私は医者ではないから絶対とは言い切れないが、これでもたくさんの死を見てきた身である。生死判断に誤りは無かったと自信を持って言える。


「となると、やはり」


 あのニーナではない誰かの仕業か。というかそれしか考えられないよな。

 ニーナは普通の人間だ。そう思っていたが……実は違うのか? 私の様に人間として暮らしているだけで本当はミスティックか何か、まったく違う生物だとでもいうのか?


「だとしても」


 あの女がもたらした事象。ミスティックにしろ人間の術式にしろ、あんなもの見たことないしまったく見当もつかない。厳然たる事実として残ったのは、死んだはずのニーナとカミルが生き返ったこと、それとマーブル模様の摩訶不思議な光景を目の当たりしたということだけだ。

 不思議に思いながらもとりあえず安堵のため息をつき、何気なく天井を見上げて、そして気づいた。


「魔法陣が……消えている?」


 天井に映し出されていた魔法陣が無くなっていた。光のラインが天井中に走り複雑極まりない模様を描いていたはずだが、今やすっかり消えて何の変哲もないただの土天井があるだけである。それどころか、魂を吸収している時のズンとした重い感覚もない。

 すべてが術が発動する前と変わらない。変わったことと言えばそれこそバーナードとの戦闘の痕と、こうして眠りこけてる二人の姿くらいか。

 ミーミルの泉の方を見れば、そっちも元通り。術式が発動してケーブルの魔法陣が頻繁に光ってたが現在はゆっくりとした周期で点滅してて、周辺の機械類も動いてないようで静か。すっかり大人しくなっていた。


「なんというか……時間が巻き戻ったみたいな気分だよ」


 ため息まじりにそう漏らしながら視線を動かして――背筋がゾッとした。

 何度か目を擦ってみる。目がおかしくなったかと思って台座に近づいて間近で確認してみるが、どうやら見間違いでもなければ目が異常をきたしているわけでもないらしい。


「ガラスが元通りになってる、だと……?」


 ニーナとカミルが台座のガラスを割ろうとしていて、その時には割れこそしなかったものの確かにヒビが入っていた。なので今目の前の台座も当然ヒビだらけで白くなってなきゃいけないはず。だというのに、台座は傷一つないキレイ極まりない姿を晒していた。

 中身の緑の宝石も、魂を喰らって大きくなっていたサイズが元に戻っているような気がする。もっとも、こちらに関してはあまり自信はないんだが。

 しかしこれじゃまるで本当に、本当に――時間が巻き戻ったみたいじゃないか。


「まさか……いや、だが」


 一人つぶやきながらついニーナの方を見てしまう。

 ニーナが見せたあの不思議世界。そんな馬鹿な、とは思うんだがどうにもさっきの光景が頭から離れない。

 もし、もしも本当にコイツが時間を巻き戻したことで発生した景色ならば――


(ニーナも計画に引き込むか?)


 あの事象を引き起こしたのがニーナでは無い誰かならニーナが好き勝手にあんな事をできるとは思えんが、ひょっとするとまたひょっこりとアイツの体を借りて現れるかもしれん。あの存在感からして一筋縄じゃいかないだろうが、協力の相談くらいはできると信じたい。

 そこまで思考が巡って我に返り、「馬鹿を考えるな」と私自身を戒めた。

 計画が実行に移されれば、間違いなくクソッタレたちが介入してくる。そんな場所にニーナを巻き込んでたまるか。自分のケツは自分で吹く。これは最低限守らなきゃならん。

 ったく、バーナードの事もあってどうも気持ちが前のめりになり過ぎてる。冷静になれ、自分。じゃなきゃとんでもないしっぺ返しをくらうぞ。


「……ひとまずは」


 ここの処理をしてしまわねばな。本当に魔法陣の効果が無くなっているのか、外に出て町の様子も確かめなきゃならんが、まずはミーミルの泉を回収させてもらおう。神たちが何を企んでるのかしらんが、こんな代物が世に出回ったらとんでもないことになる。もしかするとそれが狙いかもしれんが、ともあれ、私たちが持っていても厄介事を呼び込むに違いない。できれば利用させてもらいたいが……マティアスと相談してどっか海の底にでも沈めてしまうとするかね。

 とか独りごちていたら。


「――それは困る」


 台座のガラスを破壊しようと術式を展開した直後、突然誰かの気配を感じて私は反射的に床に転がった。

 頭上で響く何かが破壊される音。見上げれば壁際に置かれてた機械にぽっかりと穴が空いて煙を上げていた。おまけに台座のガラスは砕けてて、中身の宝石はすでに空っぽである。


 「――ああ、クソ」


 舌打ちが出る。やっぱりここで出てくるか、コイツが。まあそりゃそうか。私がミーミルの泉を奪おうとしてるってのに黙ってるわけがないよな。

 私の視線の先には見覚えのある白装束。会いたかったような会いたくなかったような、アンビバレンツな感情を覚える相手。

 つまりは使徒の女が台座の直ぐ隣に立っていた。



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