5-4. すごくヤな臭いですね






 さて。颯爽と洞窟の中へと踏み込んだ我々だが、洞窟の中は外から見えてた以上にバカでかかった。

 通路としては一本道だがあちこちになんだかよく分からん小部屋みたいなものがあって、時間さえあれば一つ一つ検めてから奥へと進みたいところなんだが、今はそんな時間さえ惜しい。ともかくもこういうシチュエーションなら大ボスは一番奥にいるはずという、憶測百パーセントな期待に従って私たちはひたすらに走破していった。


「地下だっつっても、いつもの下水道に比べりゃ断然マシかと思ってたけどよ……ここもどっこいどっこいだな」

「すごく……ヤな臭いですね」


 後ろからカミルたちのボヤく声が届いてくるが、その気持ちはよく分かる。

 王都のクッサイ下水の臭いも大概だが、ここのこびりついた匂いも大概である。陽の光も届かないし、流れが淀んで腐りきったようにジメジメとした粘着質な空気がその臭さを倍増どころか三倍四倍と増幅しているのは間違いない。

 その匂いが何か。二人とも口にこそ出さないが、私が特に嗅ぎ慣れた匂いのそれ。すなわち――血の匂いである。

 もちろん私にとっては食欲増進効果がある匂いなんだが、ただの人間である二人にとってはなんとも忌避したい臭いだし、私としても感情としては到底受け入れられないものだ。


「ここで何が行われていたか……容易に想像がつくな」


 壁や天井にまで染み付いた匂いがどこまで行っても追いかけてくる。おそらくは通り過ぎた小部屋では血の匂いが充満するようなことが日常的に行われていたのだろうと思う。もっとも、私としてもこれ以上の想像はしたくないのでここでやめておく。

 そんなことを思いながらひたすらに前進していた私だが、不意にこちらに近づいてくる気配を感じて後ろの二人に向かって叫んだ。


「止まれっ!!」


 同時に打撃系の術式を瞬時に展開。正面から襲いかかってきた相手に問答無用で叩きつけてやる。すると何かひしゃげたような音と一瞬鳴き声みたいなものが聞こえ、遅れて壁にぶつかる音。地面に落ちて動かなくなったそいつに近づくと、転がっていたのはグールだった。

 やはりここにもミスティックがいたか。ということは、ここが敵の根城である可能性がますます高くなってはきたんだが――


「アーシェさん……」


 ニーナの口から弱々しく声が漏れた。腕は震え、そして視線は正面に釘付けのままで離せそうもない。

 感じるプレッシャーから、ニーナの視線の先に何があるかは見るまでもなく分かっていた。それでも見なければ始まらないと正面を睨みつける。

 そこにいたのは、膨大な数の赤い瞳だった。

 薄暗い中で輝きを放つ攻撃色の眼差しが私たちを捉えて離さない。じっと見つめながらにじり寄ってきていた。

 ざっと見た感じだとミスティックの方が多いが、屍鬼となった人間もそれなりか。攻撃色をしているにもかかわらずこうして統率が取れているということは、間違いなくコイツらも吸血鬼の眷属だということだな。


「どうするよ、隊長?」

「そうだな……」


 派手な術式を使えば生き埋め待ったなし。かといって、ちまちまと一匹ずつ倒していってたら到底間に合わない。

 なら。


「一点突破しかあるまいよ」

「だよなぁ……俺ぁ何すりゃいい?」

「とにかく自分とニーナの身を守れ。防御術式を展開しながら側面と後方からの攻撃に備えろ。道は私が切り開く。

 それと、ニーナ。悪いが――今回も諦めてもらうぞ」


 何を、とは言わず釘を差しておく。ニーナだからな。今回も屍鬼を救うために攻撃を渋りかねん。悪い事ではないんだが、今そんな慈悲心を出されても困る。


「分かってます……残念ですけど、私だって優先するべきことは分かります」


 だがニーナからはそんな返事が戻ってきた。苦虫を噛み潰したような表情をして到底納得できてなさそうだが、それでもちゃんと為すべきことをしてくれそうである。成長したな、とついつい老婆心じみた偉そうな感情が湧いて出てくるがそれを押し留めて、代わりにトン、と軽くニーナの胸を叩いた。


「それじゃ行くぞ。私の後ろにニーナ。最後尾はカミルだ。

 カミルは防御術式の準備。ニーナは私の合図で閃光魔装具を連中のど真ん中目掛けてぶん投げろ」


 返事こそ無かったが二人が動く気配を背中で感じる。

 それを受けて私もスタートの姿勢を取る。内部の魂たちへとアクセスを開始し、金色に変色した瞳によって薄暗くても視界が開け、全身から青白く光が立ち上っていく。

 状況の変化を敵さんも敏感に感じ取ったんだろう。立ちふさがる連中の雰囲気が明らかに変わって、今にも襲いかかってきそうである。

 が、こちらの準備は整った。ならば後は――前へと突っ走るだけである。


「ニーナッ!」

「はいッ!!」


 叫ぶと同時に威勢の良い返事が届く。頭上を円筒状の魔装具が勢い良く飛んでいき、敵の真っ只中に到達したところで金属の筒にヒビが入っていって。

 瞬間、莫大な光が中から溢れた。

 土色の壁が一瞬で白く塗りつぶされ、それは連中の攻撃色も例外じゃない。こんな暗がりで生活していておまけに吸血鬼の眷属だからな。ただの人間とは比べ物にならないくらいダメージはでかいらしくって、そこかしこで耳障りな悲鳴が反響しまくっていた。


走れゲーヘンッ!!」


 敵の注意が逸れたのを確信し、強かに地面を蹴る。さらに事前に展開していた圧撃術式を放って最前線の敵を蹴散らせば、奥へ向かう一本の道がわずかながらできた。


「邪魔をするんじゃないっ!」


 その道へと全速力で突っ込んでいく。途中で立ちふさがってくるミスティックの顔面をぶん殴って吹き飛ばし、側面から迫ってくるグールの土手っ腹を強化した脚で蹴り飛ばす。体を反転させるとまた正面に向かって術式を放って、眷属どもが草木の様に茂る道を切り開いていった。

 無心でひたすらに腕と脚を動かす。

 振り下ろされた妖精の爪をかわして懐に潜り込んで連中の心臓である核を貫き、腕を引き抜く代わりに思い切り振り回して体ごと投げ飛ばす。核をかじりながらウィスプが吐き出した冷気術式を火炎術式で相殺し、お返しとばかりに貫通術式で壁に串刺しにしてやる。

 作り上げた道をただ走る、走る、走る。

 脚を止めず、着実に前進。行く手を塞いでくる屍鬼の顔面を掴んでは投げ、掴んでは投げと繰り返して道を作っていると、そこにデュラハンの鋭い一撃が迫ってくる。


「遅いっ!」


 斜めに跳び、すぐ横を通り過ぎた重いデュラハンの一撃がニーナの目の前で強かに地面をえぐる。が、被害はなし。すれ違いざまに裏拳を鎧にぶち込んでやると、「ベコン」と音を響かせて周りの奴らも巻き込んで転がっていった。


「ニーナ、カミルッ! ちゃんと付いてきてるなッ!?」

「はっ! ぜぇ、ぜぇっ……! 当たり前っ、だろ……!」

「生きた心地がしてませんけど生きてますっ!!」


 連中を蹴散らす音に混じって、後ろからちゃんと返事が戻ってきた。情けない内容ではあるがそれだけ返事ができれば上等だ。あと、カミル。お前はダイエットが必要だな。生きて返ったらお祝いとしてしばらく特別メニューをプレゼントしてやる。


「そいつぁ、ありがてぇ、気遣い、なことでっ……!」

「アーシェさん、前!」


 ニーナに言われずとも私も視認できている。

 真正面の有象無象連中の奥に立つ、一際大柄な個体。サイクロプスにミノタウロスだ。神格に近いミスティックがなんともまぁ安売りされていることだ。早々お目にかかれないはずなんだが、いったいどこで見つけてきたのやら。


「二人ともっ! 脚を止めるなよッ!」


 そう指示し、私だけ加速して後方の二人から距離をとる。実力差も分からない雑魚どもを適当に蹴散らせば、サイクロプスとミノタウロスといよいよご対面である。

 ご自慢の巨大な武器を揃って私目掛けて振り下ろしてくる。その一撃をかわせば地震かと思うくらいに足元が揺れ、人間ならば一発でひき肉になることが想像できる。が、当たらなければどうということはない。


「ふっ!」


 回避と同時に爆裂術式を二体の前で炸裂させる。立ち込めた爆煙の向こうでミノタウロスの方はぶっ倒れていくのが見えたがサイクロプスは数歩足踏みしただけであり、真っ赤になった大きな一つ眼がこちらを睨んでいた。くそっ、威力を抑えすぎたか。

 サイクロプスがバカでかく口を開けて雄叫びを上げる。どうやらずいぶんとお怒りらしく、その巨体に見合わない俊敏な動きであっという間に私との距離を詰めてきた。

 棍棒が恐ろしい勢いで目の前をビュンビュンと通過していく。それをしゃがみ、体を捻り避ける。そして強かに地面を打ち据えた瞬間に生じた隙。そのタイミングを逃さずに奴の頭上まで飛翔し、サイクロプスの顔面めがけて手のひらをかざした。


「■■■っ……!」

「これでも喰らってろっ!!」


 足元をニーナたちが駆け抜けていったのを視界の隅で捉えながら術式を発動。収束させて威力を増加させた灼熱術式が閃光魔装具のように白閃をきらめかせ、一瞬でサイクロプスの上半身を焼き尽くした。

 トン、と軽く蹴り飛ばすとサイクロプスの巨体が大の字になって倒れていく。焼け焦げた肉の匂いが充満し、おかげで以前に喰った時はずいぶんと美味だったな、と食欲が刺激されて余計なことをついつい思い出した。


「アーシェさんっ! 後ろですっ!!」


 ニーナの怒鳴り声に反応。無意識に振り向けば、いつの間にか真後ろで真っ赤な瞳が輝いていた。


「なんだと……!」


 倒したはずのミノタウロスが、仁王立ちしていた。

 顔や腕の肉がえぐれ、血を撒き散らしながらも巨大なアックスが振り抜かれ。

 強かに打ちつけられた私の体は、まるでゴムボールのように弾き飛ばされたのだった。




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