File8 人が消えた山奥で彼/彼女は願う

1-1. 『お久しぶり』と言うべきかしら?







 時節はすでに冬。寒風が吹き付ける山の中で私は目の前の真新しい建物を見上げてニィと口の端を吊り上げた。


「――うむ、立派立派」


 シスターの格好で腕組みしながら思わず笑みがこぼれた。

 何を隠そう、本日無事に教会の再建が完了したのである。嬉しくないはずがない。

 ひとしきり眺めた後にグルリと周囲を一周。当たり前だがどこにも汚れはなく、エミール共和国のバカが砲弾ぶち込んでくれる前に私が破壊した扉も今や見事なまでにピッカピカ。職人たちの実に素晴らしい仕事ぶりには感心するばかりだ。その分、金もとんでもない額だったわけだが。


「ま、別に私の懐が痛んだわけじゃないしな」


 再建の費用はもちろん共和国持ちである。それも百パー。私に落ち度があるわけでもないので当たり前ではあるのだが、それでも相手は数年前まで王国と戦争していた共和国だ。マティアス経由で請求したものの、すんなり相手も「うん」と言うはずもない。

 まあそれもむべなるかな。どうせ立て直すんなら、と思って慰謝料と嫌がらせの意味も込めて最新の建築技術と材料を駆使した立派な物にしてしまおうと相当に吹っかけたのも事実である。元が雨が降る度に雨漏りがするような教会の建て直しに目ン玉が飛び出るような金額が請求されれば、ただでさえ国同士で隔意を持っているのだから共和国にしても納得できようはずもないわな。

 だが、そこは攻撃した対象が悪かったとしか言いようがない。


「なにせあの坊っちゃんが攻撃してきたのは仮にも教会だしな」


 つまりは神に、ひいては聖教会とロマーナ皇国にケンカを売ったのと同義である。もっとも、私は神という名のクソに対する敬意など微塵も持ち合わせてはないが。

 なもんで、共和国がごねていると聞いた私は即座にアレッサンドロ経由で聖教会にチクった。教会も皇国も別に介入したくも無かっただろうが、仮にも教会と神が攻撃されたとなれば建前上は動かねばならん。というわけで、王国と皇国、教会から一方的に責め立てられた共和国としては泣く泣く折れるしかなかったというわけだ。

 ちなみに請求額は途中で少し水増ししておいた。相手が一般人ならともかく、強大な力を持つ国家である。強い者からむしり取れるだけむしり取るのが私の主義だからな。その水増し分と内装をケチって浮いた金は結構な額だが、その大部分はアレッサンドロたちに寄付してやった。奴には常に借りを作ってばっかりだったが、これで多少は返せただろう。

 そんなわけで、家を失った私としては何もかもが元通り以上になって大満足だ。

 ただ、唯一にして最大の不満が――


「……また貴様らの顔を拝まねばならんことだな」


 中に入れば、礼拝堂の真正面に掲げられたクソッタレどもの彫像が否が応でも真っ先に目に入る。せっかくエミールが消し炭にしてくれたというのに、前と変わらず掲げられたそいつらが偉そうな仕草でこちらを見下ろしてくれやがっていらっしゃる。その視線と交わるだけでヘドが出そうだが、まあいい。せいぜい私の方からも悪態とツバを吐きつけながら日々酒の肴とさせてもらうまでだ。


「アーシェ、いますか?」


 神どもの彫像に中指をおっ立てて睨みつけていると食堂の方から呼ばれた。振り返れば、再びこの教会の事実上の管理人におさまった、いかにも敬虔な心をもった優しげな老婆が手招きしていた。


「シスター・サマンサ。どうしました?」

「今日はこの後、ずっと教会にいるかしら?」

「ええ、そのつもりです。ここで我らが主様たちに祈りを捧げていようかと」


 そんな心づもりは微塵どころか電子の大きさほどもないのだが、口ではそう言っておく。サマンサを騙すのは心苦しいけれども本音をぶちまけて、心から神へ奉仕している彼女を悲しませる必要もないだろう。

 長年鍛え上げた、まさに本物の天使さえ裸足で逃げ出すだろう笑みを浮かべてみせると、私の腐った性根など疑う様子もないサマンサは両手をパチンと鳴らして嬉しそうに口をほころばせた。


「あらあら! 素晴らしい心がけね、アーシェ。であればしばらく外出してもいいかしら?」

「どちらに出かけるのです?」

「メラニアさんのところ。なんでも懺悔したいことがあるらしくて」

「ああ、あのババ――お婆さん」


 メラニア婆さんというのはふもとの村に住む脚の悪い婆さんで、事あるごとに懺悔したいと言ってサマンサを呼びつけては一方的に息子やその嫁の悪態をまくし立てた挙げ句、そのまま茶飲み話を始める御方だ。

 単に寂しいのか、それとも愚痴の類を聞いてくれる相手が欲しいのかは知らんが、今日もサマンサをご所望らしい。ちなみに一度だけ私も赴いたことがあるが、ちょっと嫁の肩を持ったら即座に熱い茶入りのカップをプレゼントされて以来出向いていない。彼女の相手はサマンサしかできないだろう。

 しかしそうかそうか、またあのクソババァがサマンサをご所望か。であれば。

 私はニンマリとした。


「――ということは、今日はメラニアさんのところにお泊まりになるのですか?」

「そういうことになるかしら。今日中に戻ってこれなくもないけれど……」


 年齢を考えればサマンサも結構な健脚ではあるんだが、そうは言っても無理はしない方が良いだろう。


「構いませんよ。メラニアさんの雑だ……失礼、懺悔に耳を傾けてから帰ってくるとなると、もう日も暮れてしまってるでしょうし」

「でも……」

「シスター・サマンサ。明日からまたこの教会に詰めてもらうことになるんです。であれば今のうちに羽を伸ばしておくことをおすすめ致しますよ?」

「そう? なら……今日はお言葉に甘えようかしら?」

「ぜひぜひ。メラニアさんとゆっくり過ごしてきてください」


 若干申し訳無さそうにしてはいるが、本音ではやはりのんびりメラニアとおしゃべりがしたかったのだろう。シワの刻まれた頬を少し嬉しそうに緩めたサマンサに私も微笑み、やがて準備が終わるとその背を押すようにして彼女を送り出した。

 坂を下って小さくなる彼女に向かって手を振る。そうして完全に見えなくなると、喜びを抑えきれず一目散に教会の説教台裏へと私は走っていった。


「……ムフフフフ」


 前の爆撃からも奇跡的に生き延びた床下の隠し収納。そこから今日この日のために買っておいた高級なウイスキーと肴を取り出して机の上に並べていく。いやぁ、実にたまらんな。じゅるり、とよだれが溢れてしまいそうになるうえに我ながら気持ち悪い笑い声が漏れてしまうが、どうか許して欲しい。


「さて、サマンサもいなくなった事だし――いただきます」


 手を合わせ、グラスに注いだウイスキーをまずは一杯。術式で作った氷の表面を撫でながら程よく冷えていった一口がたまらなく美味い。つい頬に手を当てて「ほぅ……」とため息なんてものが漏れてしまう。


「お次は――」


 燻製にした上等なベーコンをこれまた術式で炙り、滴り落ちる油を口で受け止めながら噛み締めていけば溢れる肉汁が堪らなく幸福感を醸し出す。決して上品な味ではないし、世の中こいつより美味い食い物は五万とあるだろう。だがこういうのが良いんだ。

 最後に口の中の油ごとウイスキーで胃に流し込む。その瞬間、この世の楽園へと私は旅立ち、最後に残ったのは口から出てくる感嘆ばかりである。


「……ああ、けしからん。実にけしからん品物だ。魂喰いの私を、魂以外でこんなにも夢中にさせるなんて実にけしからん。かくなる上はさっさと私の腹に収めてしまって――」

「あら、いい匂い――お相伴に預かっても?」


 ベーコンをもう一枚つまんで口に運ぼうとしたその時、不意に背後からそんな声が響いた。

 サマンサを半ば強引に追い出して一人で楽しんでる後ろめたさから一瞬ギクリとしてしまったが、声の主に気づいてすぐに肩の力を抜いた。こんな場所を知ってる、かつそんな妖艶な声を出す女なんて一人しかいないからな。

 せっかくの食事を邪魔されたせいで少々不機嫌な顔しながらも振り返れば、教会の床から黒いモヤのようなものが立ち上っていた。ちょうど人間サイズにまでそのモヤが成長すると、その真っ黒な塊から予想通り私の良く知る女性が姿を現した。


「――リスティナ」

「はぁい。あなたの感覚に合わせるなら、『お久しぶり』と言うべきかしら?」


 艷やかな長い黒髪をかき上げ、スリットの入ったドレスの裾から脚をちらりと見せながら私の方へ近づいてくる。小さく微笑みながら手を振るその仕草は私から見ても扇情的だ。容姿端麗なその見た目もあって夜の街を歩けば、さながら誘蛾灯のように男連中を引き寄せるだろうな。


「ご一緒してもいいかしらん?」

「別に構わん――と言いたいところだがな。私の酒を飲もうと言うんであれば、それなりのものは持ってきたんだろうな?」

「ええ、もちろん」紫のルージュを引いた唇が弧を描いた。「自家製の塩漬け肉パンツェッタ。良く漬かってるわよぉ?」

「合格」


 さすがはリスティナ。私の事を良く分かってるじゃないか。


「合格もらえて良かったわぁ。でもその前に――」


 リスティナが後ろに回ると、私の赤髪をかき上げた。

 なめらかな指先が首筋をそっと撫でていき、そして――歯を突き立てた。

 ずぶり、と私の中にめり込んでいく。が、たいして痛くはない。いや、もちろん痛いのは痛いんだが歯が深々と刺さっている割にはさほどでもなくて、それどころか何処か快感めいた感覚さえある。

 リスティナが喉を鳴らして私の血を飲み下していく。なんとも美味そうだな。きっと私が魂を喰らっている時もこんな感じなんだろうか。しかし「はぁん……」だの「ふぅ……」だの艶めかしい声を出すのはやめて欲しい。


「あら、その気になっちゃった? 私は別に構わないわよ?」

「いったい何の話か分からんな。それより、もう良いのか?」

「ええ、十分よ。相変わらず素晴らしい味と魔力。この味を知ったらもう普通の人間じゃ満足できないわ。まったく、罪作りなことね」


 そう言ってリスティナは、流し目をこちらに向けながら唇の血をペロリと舐め取った。

 リスティナ・アルクェイリー。今の所作で分かるように彼女はミスティック――種族で言うなら吸血鬼だ。年齢はまったくもって不詳。だが少なくとも私の数倍、下手したら十倍以上は長く生きているはずだ。

 私とは知り合ってもう十年近い。年に数回、今日みたいに突然フラッと現れては血を吸い、そのまま飽きるまで酒と雑談を楽しむ程度の関係を続けている。

 いつもは私が止めるまで血を飲もうとし続けるんだが、たまに今日みたいに自分から飲むのを我慢する時がある。で、そういう時はたいてい――


「ところでぇアーシェ、ちょっとお願いがあるのだけれど、いいかしらん?」


 ――こうやって頼み事がある時だったりするのである。






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