6-1. 今に見てろよ、貴族共め

「おかえりなさい、グートハイルさん」

「おう」


 グートハイルは家の前で頭を垂れる配下の男たちに軽く手を挙げて応じた。

 日も暮れりゃすっかり寒くなったな。そうひとりごちながら家の中に入って外套を脱ぐ。それを適当に丸めて一緒に入ってきた秘書――そこまでたいそうなことではないが――みたいな役をやらせている部下に向かって放り投げた。


「来客は?」

「いえ、誰も来てません」


 帰宅時に尋ねるお決まりの質問を投げかけ、男が首を横に振るとそのままダイニングへと向かい、ボードから酒を取り出してグラスに注いでいく。そうして何気なくグラスを手に顔を上げると、ガラスに映った自分以外の男の姿を認めてグートハイルは慌てて振り向いた。だがその顔は見知ったもので、ため息とともに緊張を解いた。


「なんだヒンケル、テメェか……」

「邪魔してますよ」


 棚からグラスをもう一つ取り出し、家主不在だったはずの部屋で堂々と座っていた男に向かって放り投げた。ついでにソーセージと干し肉も放り、グートハイル自身もヒンケルと呼ばれた男の正面にどっかり腰を下ろした。


「誰も来てねぇって聞いたからビビったじゃねぇか」

「あのゴロツキ共はダメですね。門番の役目もろくにこなせてない」

「テメェからすれば誰だって役に立たねぇよ」


 ヒンケルのグラスに酒を注ぎながらグートハイルは苦笑した。

 事実、彼が知る中でヒンケルほど隠密に長けた殺し屋はいない。訓練など到底積んでいない腕っぷしだけの配下に玄関先を守らせたところで、この男が忍びこむのを防げるなどと端から期待できようはずもない。

 グートハイルの言い方から、自分の能力を高く評価されていると感じたヒンケルは口元を緩めながらグラフの酒を口にし、広がる味わいに思わず声を漏らした。


「これは……グートハイルさんにしては珍しく良い酒ですね」

「『珍しく』は余計だ」


 だがヒンケルの言うことももっともである。グートハイル自身は酒を飲むがその質にはあまりこだわらない人間だ。スラムに住んではいるものの、そこに住む連中から上納金を巻き上げているから金には困っていないが、酒に大金をつぎ込む趣味はない。

 もっとも、貰い物であるなら話は別である。


「酒好きの知り合いから詫びの品としてもらってな」


 数日前に突然グートハイルの配下を通じて渡された、アーシェからの酒とグラスのセット。特段仲が悪いわけではないが別に良いというわけでもない。

 いったいどういう風の吹き回しなのかとグートハイルも訝しく思ったが、特段毒が仕込まれてるわけでもなく、一日経っても何か起きる気配もない単なる旨い酒だった。先日の訪問時の詫びという言葉から推察するに、良くも悪くも今後も引き続き関係を維持したいということなのだろう。そう理解して、ここのところ毎日楽しんでいた。


「グートハイルさんに美食家の知り合いがいようとは驚きです」

「アイツは美食家っつう柄じゃねぇがな。

 ま、それはいい。それよりも――分かってんだろうな?」

「ええ、もちろん。だからこうして呼び出しに応じて馳せ参じたわけです」


 ドスの聞いた声でグートハイルは凄み、それをヒンケルは軽く受け流しながらグラスを傾ける。だがグートハイルに向けられたその眼差しは鋭い。


「ならいい。だが一度ヘマをしてんだ。二度目はねぇからな」

「先日は運が無かっただけですよ、グートハイルさん。まさか軍警察が近くを巡回してるとは貴方も思わなかったでしょう?」

「まあな……」


 最近、王子が夜中の散歩を日課にしていることは掴んでいた。そのためにルート付近で人払いをし、軍警察の巡回も無いことを確認した。万が一にも人に見られた時のためにスラムの若造と子どもを囮として襲撃させ、すべて万全の状況を整えた――はずだったのに。


「よりにもよって、助けに来たのがアーシェのクソだってのが最悪だったな……」


 せめて名も無いような一般の兵士だったら、ヒンケルの腕前なら死体が増えるだけだっただろうにまったく、運がない。グートハイルは舌打ちをしながら酒を飲み、そしてこの酒がくだんのアーシェからというのが気になった。


(こないだの口ぶりからすりゃあ……)


 アベルが犯人じゃないと気づいた勘の良さは相変わらずだが、まだアーシェも犯人にはたどり着いていなさそうだった。この酒を送ってきた意図が未だ気にはなるが、自分の周りを彼女や部下たちがうろちょろとしてる様子はないし、疑われてはないだろう。


「それで決行日はいつで?」

「明日だ」


 だからこそ、まだチャンスがある。逆に言えば、これ以上遅くなればなるほど決行が難しくなる。


「今晩、アベルんとこにウチの若いのを送らせる。そこで自殺に見せかけて殺す」

「なるほど……ならば自分はその混乱に乗じて今度こそ王子を殺せばいい、ということですね?」

「そうだ。仮にも犯人として捕まえてる人間が自殺すりゃあ油断もするし、そもそも軍にとって失態とも言えることが起こりゃあ現場は混乱するだろうからな」

「しかし……事がそう上手く運べばいいですね」

「分かってる。だが軍警の方は依頼主の方で上手いことやってくれる手はずになってる。地下のブタ箱も王子の警護も手薄になるはずだ。だからテメェも今度は絶対にしくじるなよ? いいな?」


 そして事がすべて終わった暁には――今度は主導権を自分が握る。


(今に見てろよ、貴族共め……)


 頭が愉快な連中はグートハイルを飼いならしているとでも思い込んでいるらしい。だが連中の企てをグートハイルはすべて知っているのだ。今回の件も、それ以外も、これまでずっと貴族連中が手を汚したがらない仕事を引き受けてきた。

 家柄も力だろうが、情報もまた力だ。汚い情報を表に出されたら困る連中はこの国には山ほどいる。ならばそれを駆使し、こんなスラムという小さなお山の大将ではなくもっと上へと這い上がっていく。それが叶うまで、あと少しだ。近い将来の自らを頭に思い描き、自然とグートハイルの口元も歪んでいった。

 気分良く酒を味わう。しかしグラスの中身が空っぽになる頃、ふと外がにぎやかになっていることに気づいて不愉快そうに鼻を鳴らした。

 と、そこに部下の男が血相を変えて飛び込んできた。


「ぐ、グートハイルさんっ!!」

「なんだ、騒がしい。表の騒ぎはまたケンカでも始めやがったか? それともどこぞのバカが魔装具おもちゃでもぶっ放したか?」

「い、いえ、そうじゃ――」


 報告しようとしていた男が、グートハイルとヒンケルの方へ急に吹っ飛んできた。二人の間に頭から突っ込み、そのまま壁にぶつかって気を失った。

 一瞬のことに思考が追いつかない。だが、そこに覚えのある声が響いたことで彼は自身が追い詰められたことを察したのだった。


「――やあ、グートハイル。私の心からのプレゼント、ちゃんと味わってるか?」


 グートハイルが振り向いた先。そこには愛らしい顔を獰猛に歪めたアーシェ・シェヴェロウスキーが立っていたのだった。






Moving away――

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