5-3. 私は信じちゃいない

 陽はすっかり暮れ、夜風の冷たさに頬を叩かれながらスラムを足早に歩いていく。

 無節操に家が建てられたせいで道は入り組んで非常に分かりづらく、まして街灯もろくに無いので果たして自分が正しい道を歩けているのか少々不安ではあったのだが、どうやら私たちは目的の場所にきちんとたどり着けたらしい。

 風が吹く度にガタガタと今にも崩れそうなボロ屋ばかりが居並ぶ中で、不意に開けた一角に佇む大きな家。貴族や富豪連中の家に比べればそりゃさすがに比べるべくもないというレベルではあるが、貧民の家ばかりが並ぶ中だとずいぶん異彩を放つ豪華な家だった。

 安価なレベルの照明用魔装具すらロクに無いため周辺のどの家も真っ暗だ。だがこの家だけは煌々とした明かりがそこかしこから漏れてて、入り口にもたいそう立派な――というか、悪趣味なデザインの門灯がぶら下がっている。

 なんとも持ち主のセンスを疑うところだが、そこは個人の趣味なので文句は言わない。で、そんな門灯の下では、いかにも腕っぷしだけで生き延びてきただろうゴロツキが三人、寒い中にもかかわらず地べたに車座になって酒瓶傍らにカードに興じていた。


「へへっ! そのカードいただきっ!」

「んなっ! クソ、てめぇ! やりやがったなっ!!」

「ちっ……しゃあねぇ。ほらよ! もってきな!!」


 ゲームが一区切りついたのか、各々悲喜こもごもな声を挙げ、酒をラッパ飲みし始める。なんとも良いご身分だな、クソ。私も混ぜろ。


「大尉」

「分かってる。

 おい、貴様ら」


 心中をアレクセイに見抜かれたがそしらぬ顔で声を掛けると、明かりに照らされた赤ら顔が一斉にこちらを向いた。


「あぁ? 軍の連中が何でンなとこにいやがる?」

「ここはテメェら犬っころが来る場所じゃねぇんだよ! 帰れ帰れっ!!」

「グートハイルを呼べ。シェヴェロウスキーが来たと言えば通じる」

「グートハイルさんはもうお休みだ。どこの貴族の嬢ちゃんが軍の真似ごとしてるか知らねぇが、ガキに用はねぇんだ。分かったら一昨日来やがれっ!!」


 そう言って一人が私の肩を掴んで押しのけようとしてくる。が、ただの人間、それも酔っ払いの力でどうこうできる私じゃあない。


「くっ……この!」

「ひゃっはっは! なぁにやってんだ! 酔っ払ってケツの穴の締め方も忘れたのかよっ!」


 微動だにしない私に対して、ゴロツキが顔を真赤にして何とか押し倒そうとしてくる。それを面白がった残り二人が手を叩いてヤジを飛ばしてくるもんだから余計にムキになってるようだが、このまま酔っ払いと二人仲良く押し相撲してる暇はない。


「ぐあっ!?」


 なので相手の手首を掴んでちょっと一捻り。それだけで男の体が横にグルンと回って地面に転がった。


「テメェ!」

「早くグートハイルを呼べ。時間を無駄にするほど暇じゃないんだ。貴様らと違ってな」

「この野郎っ! ぶっ殺して――」

「――何の騒ぎだ?」


 と、ここで呼ばれずともグートハイルのお出ましである。そりゃまあそうだ。自分ちの玄関先でこうも騒がれれば寝た子も起きるというものだ。

 グートハイルは私の姿を認めるといつもどおり鼻を鳴らし、ゴロツキ三人組を下がらせてジロリとその強面で見下ろしてきた。


「シェヴェロウスキー、アンタがここに来るのは珍しいな。こんな夜更けになんの用だい? まさか一緒に酒飲みてぇだなんて言い出さねぇよな?」

「安くて旨い酒があるならそうしたいところだが、部下の手前そういうわけにもいかんのでな。それに、時間も惜しいから早速話を本題に進めよう。

 アベルの件は知ってるな?」

「ああ……知ってるよ。とんでもねぇことをしでかしてくれたもんだ」


 ため息とともに耳の穴をほじくる。そして不機嫌そうに吐き捨てた。


「ずいぶんとご立腹みたいだな」

「当たり前だ。あの野郎、ここまで世話してやった恩も忘れて俺の顔に泥を塗りたくりやがった。さっさと死刑でもなんでもしてくれ。もしのうのうとシャバに出てきやがったら、そんときゃ俺がぶち殺してやるよ」

「単に仕事を回してただけで恩とか言われるとは、アベルも災難だな。

 で――そう言うということは、貴様はアベルが犯人だと疑ってないわけだな?」

「あ? ……ははん、そういうことか。つまり、誰かに嵌められたって言いてぇのかアンタは?」

「『世話してやった・・・』と恩着せがましく言う割には、微塵も信じてないのが滑稽に思えただけさ」


 ま、そんなことグートハイルに期待しちゃいない。もしコイツがそんな殊勝な人間ならスラムの親分なんかしてないでとっくに孤児院でも開いてガキどもに「院長先生こわーい」などと笑われてるだろうさ。


「アンタら軍が捕まえたんだろうが。なら犯人だと思って当然じゃねぇか」

「自分が犯人です、と言って出頭してきたから捕まえたまでだ。とはいえ、他に有力な犯人もいないからアベルで決まりそうな雰囲気だがな」

「ほれみろ。だったら――」

「だが私は信じちゃいない」言葉を遮って山賊めいた風貌の男を見上げた。「『自分が襲った』の一点張りで具体的なことは何も言わない。それに、アベルの人柄は私もそれなりに知っている。アイツは誰かを傷つけることを良しとしない男だ。そんな奴が、一国の王子を殺そうとしたなどと大それたことをするとは思えない」


 到底ロジカルな思考じゃあないと自分でも分かってはいるがね。だが今回に限って言えば、その直感は間違ってはいないだろうという確信めいたものはある。


「珍しいじゃあねぇか、シェヴェロウスキー。アンタがそこまで肩入れするなんざ」

「別に。私はな、ガキに罪をおっ被せて張本人はのうのうと明るい陽の下でのさばり続ける、そんな状況が一等我慢ならんだけだ。

 逆に問おうじゃないか、グートハイル。貴様はどう思ってるんだ? アベルが王子を殺そうとしたなどと、本気で思ってるのか? それとも嫌いな貴族連中に利用されてる可能性を微塵も考えない、その程度の頭しか持ち合わせてないか?」

「煽るじゃねぇか」面倒だとばかりにグートハイルは舌打ちをした。「まず勘違いを正してやるよ。俺は慈善事業をやってるわけじゃあねぇ。ガキどもに飯のタネを分け与えてんのも、ここに流れ着いた後でめんどくせぇやらかし・・・・の後始末するのが面倒だからだ。ここの人間が町の外で何かをやらかしゃあ、すべてが俺ンとこのケツに返ってくる仕組みになっちまってるしな。

 ガキってのは限度を知らねぇし世の中のルールも仕組みも知らねぇ奴が多すぎる。だから死なない程度に飼ってやってるだけだ。

 言い換えりゃその程度の関係よ。ここに流れ着くやつは程度の差はあれ、どいつもこいつも暴力に頼るしかねぇ程度の頭しか持ち合わせちゃいねぇ。で、ンな頭の持ち主が行き着く先は決まってる。だからあのガキが、王子だろうが貴族だろうが殴りかかってドタマかち割り金目のもんを奪い取ろうとしたって何ら驚かねぇ。せいぜいが『ついにやりやがったか』ってなくらいなもんよ。もっとも、後始末を考えりゃ怒りで湯が沸きそうなくらいだがね」


 見上げた私の目の前に厳つい顔をズイっと近づけてくる。どうやらコイツも酒が少々入っているのか酒臭いながら、鼻息荒く一気にそうまくし立てた。


(……ん?)


 グートハイルの髭面を眺めつつ今の話を頭の中で反芻していると、ふと何か違和感が頭をよぎった。それが何なのか、正体を突き止めようとしたがそれより先にグートハイルが「で?」と話を続けた。ひとまず考えるのは後回しだな。


「まさか、そんな与太話をするためにわざわざやってきたとか言わねぇだろうな?」

「与太話かどうかは今後はっきりする。だが貴様を訪ねたのは別件だ。

 アベルの弟たちの所在を何か知らないか?」

「あ?」

「ここ数日、行方不明になっている。情に篤い貴様なら保護の一つでもしてるのかと期待してたんだが――」


 そう言いながらグートハイルの脇を抜けて家の中に入り込む。体が小さいというのはこういう時便利だな、と考えながら不意に気づく。


(この匂い……)


 漂ってくる鼻をつく匂い。そのもとを探ろうと部屋を覗き込んだが、そこには酒瓶が転がってくるくらいで誰もいない。

 さらに奥へ踏み込もうとしたが、襟元を掴み上げられてあっさりと外に放り出された。こういう時、体が小さいというのは不便だな。


「勝手に入っていいって誰が言った? いくらアンタでも人ンちに勝手に上がるのは感心しねぇな」

「それは失礼した。ところで中から血の匂いがしたが、誰か負傷者でも?」

「あ? ああ、アンタも知ってるだろうがここに出入りする連中は血の気の多い奴ばかりなんでね。そこに酒でも入ればたまに殴り合いにもなろうってもんだ。まさかそれだけでしょっぴこうなんざ思ってねぇよなぁ?」

「単なるケンカでケリがつく話であれば私も首は突っ込まんさ。大の大人同士で仲良くカマでも掘ってろ」

「そうかい、それを聞いて安心したよ。ともかく、あのガキどもの事は知りもしねぇし聞いてもねぇ。二度と俺の前でその話をしなきゃ、今後もアンタと口を利くくらいはしてやるよ。じゃあな、クソッタレの隊長さんよっ!」


 最後にそう怒鳴りつけるとグートハイルは、風で帽子が浮くくらい勢いよくドアを締めた。ぶっ壊れそうな音からいかに奴がご立腹かが分かろうというものだが、まあいい。ちょっとしたことで怒り狂うのはここの連中の専売特許みたいなもんだ。


「彼であれば居所くらいは把握してるかと思いましたが、こちらが考えていた以上に放任主義でしたな」

「何か情報があれば良かったですけど……残念です」


 ノアが肩を落としたが、おいおい、そう考えるのは早いんじゃないか?


「もしかして、何か手がかりを見つけたんですか!?」

「手がかり、というには心許ないレベルだがな」


 それでも上手くいけば遠からず馬脚を現すはずだ。


「戻るぞ」


 しかしそのためにはまたニーナの手を借りねばならん。悪いが今日もアイツには徹夜で作業してもらうとするか。

 ニーナに形だけの謝罪をしながら詰所へと足を向ける。アイツならどうせ喜んで取り組むだろうから謝罪など要らんかもな。

 嬉しそうなニーナの顔を想像して思わず私まで小さく笑いが漏れ、それを何とか押し込めると、組み立ててもらう術式を頭の中でピックアップしていったのだった。

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