5-2. 化け物を期待してたか?
アベル出頭の報告を受けてから数日。
状況は相変わらず膠着したままでアベルからも特に新しい証言が出てきたりはしておらず、それどころか拘置所を訪問したところで一瞥だにしなくなった。
これは相当に嫌われたかね。ここまで徹底して無視されれば、ニーナだったら口から魂の一つでも転がり出したうえに滝壺にダイヴしかねんところだが、ガキ一人に嫌われてショックを受けるほど私はかわいい性格でないことは自覚しているし、そもそも嫌われようが好かれようがどっちでもいい。別にアベルと話をするためにわざわざ拘置所に日参しているわけではないからな。
「まあいいさ」
そんな話はさておき、私がこうしてわざわざアベルのもとに立ち寄っているのは、ひとえに生存確認のためである。
もし私の想像どおりアベルが何らかしらの脅迫を受けて罪を被せられているのだとすれば、真犯人――黒幕と言い換えてもいいが、そんな連中からすれば別にアベルを生かしておく理由もない。
すでにアベルは出頭して自らが犯人だと主張していて、本人の主張以外に有力な物的証拠もない。一応私からもマティアスを襲った奴はアベルとはまったくの別人だと主張はしてみたが、捜査室の中佐からはろくに取り合ってもらえず一蹴された。
あの様子だとおそらくどこかから――だいたい予想はつくが――圧力がかかっているとみて間違いないだろう。ともかくもそんな状況でアベル犯人説を覆すのは難しく、であるならばアベルを殺してしまうのが黒幕どもにとっても楽なはずだ。
ただ殺すのではなく、あくまで自殺にみせかけて。そうすればアベルが心変わりして不都合な真実を喋りだす可能性を断つことができるし、被疑者死亡としてさっさと処理もできる。
このままでは遠からずそうなるだろう。もちろんこんなことをニーナに言えば何をしでかすか分からんからアイツには言わないが、アレクセイやカミルであればそれを薄々感じているはずだ。
「少尉、くれぐれも頼む」
「はい、承知しました。何かあればすぐに連絡致します」
だがそんなことを許すわけにもいかんので、とりあえずは味方になってくれそうな事件担当官の少尉に監視を頼みつつ私は拘置所を後にした。
時刻はいつの間にか夕暮れ。懐中時計を取り出してみれば、五時になろうという頃合いで、ちょっと前まで随分と日が長かったというのに今はもうこんなに短くなったのかと時の流れの速さに驚かざるを得ない。
西日に目を細めながらごった返す買い物客の隙間を縫って歩く。そうしていると、私と同じ歩調で付いてくる人間の存在に気づいた。特徴的なその姿を認め、ペースをわずかに落として横に並ぶ。
「どうだった?」
「はい――カルロ・ビアンキ中佐の言葉どおり、先日発見された死体はマティアス王子を襲った連中で間違いはなさそうです」
私の問いかけに、若い男――教会の助祭は少年のような声でそう堪えた。
白いフードを被って顔を見せずに歩いている姿はこの人混みの中でも目立つはずなんだが、周囲の誰からも視線を受けるでもなく見事に夕方の景色に没入している。アレッサンドロもそうだが、さすが教会の人間は優秀だな。もっとも、王国の人間としては喜んでいるわけにはいかないが。
「替え玉とかの可能性は?」
「三人のうち二人は実行犯です。ただ残りの一人は当日、アリバイがありました。その人物だけが替え玉みたいです」
「そいつがあの暗殺者の代わり、というわけか……」
「それについてはなんとも。それと、三人とも貧民街の中でも素行の悪さで評判の人物でした」
「手のかかる連中がいなくなっても誰も困らない。詳しく調べようとする人間もいないだろうし、実行犯としては適任だな。それで、裏は取れたか?」
「実行犯二人が王子を襲撃するよう依頼を受けていたのは確認できました。もっとも、襲撃相手が王子だとは知らされておらず、単に富豪だとしか知らされていなかったようですけどね」
それはそうだろう。襲いかかる相手が王子だと分かれば、いくら美味そうな魂の匂いをさせるスラムの連中といえども尻込みするかもしれんしな。その点、金持ちを襲うとなれば日頃の羨望と妬みもあって喜んで突っ込んでいくだろうよ。
「誰からの依頼か、辿れたか?」
「そちらについてはお詫びを。三人までルートをさかのぼることができましたが、大元まではまだたどり着けていません」
「……相当に複雑なルートをたどっているみたいだな」
何人も間に噛ますということは、裏返せば絶対に知られてはいけない人間が依頼主ということに他ならない。となると、やはり貴族、しかもそれなりの爵位以上か。
何か恨みを買ったか、それともマティアスが単なるお飾りじゃあないと気づいたか……いずれにせよマティアスめ、ドジを踏んだな。
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「いや、この短時間で十分過ぎる成果だ。感謝する」
おそらくは間にダミーも噛まされていただろうにたった二日でここまで調べ上げるとはな。教会の活動が制限されている中でこれだ。他国であれば全国民のケツの毛の数まで丸裸にされてそうだ。実に恐ろしい捜査網だよ。
「さすがにそこまでは。政府関係者の性癖くらいなら何とかなりますけど」
「さらっと恐ろしいことを言うな。ともかく、感謝する」
「はい。それで報酬の件ですが」
「分かっている――貴様も好きに私を監視してろ。嘘を有象無象の連中に吹聴しないなら構わん」
元々教会が王都に拠点を設けているのは、王国における布教と牽制、情報収集の意味合いもあるが、主目的は
アレッサンドロ以外は拒絶して、それでもなお付きまとう連中は丁重にボコボコにして本国に送りつけてやっていたものの、私の日常などどうせ大したことはやっていない。私生活を事細かに報告しないなら別に一人二人監視が増えたところでたいして不便もないし、積もり積もった教会への借りが返せるなら安いものだ。
そんなことをつらつらと考えていると、フードの奥から碧色の瞳がじっとこちらを見下ろしているのに気づいた。
「なんだ、許可が出た途端に早速監視か? だったらもうちょっと離れたところからするんだな」
「ああ、失礼しました。そういうわけではないんです。ただ……」
「ただ?」
「思ったより普通の方なんだな、と思いまして。
「ミスティックじみた
「端的に言えば、そうです」
こちらこそご期待に沿えず残念だったな。なんなら今から貴様の魂を喰らいつくしてやっても私は一向に構わんぞ?
そう言ってやると、助祭はまだあどけなさを残した見た目に似合わない仕草で軽く受け流しやがった。
「それは恐ろしいですね。あなたを怒らせないよう気をつけます」
「……ふん」
「今日、あなたと直々にお話できて良かったです。
「あの変態に気に入られるのも困りものだがな」
「レポートを読んだ時は、司祭はあなたに操られているのではないかと疑ってましたけどそうではなかったようですね。もっとも、あながち大外れではなかったみたいですが」
「アレッサンドロは私のことをどう報告してたんだ?」
「それは、秘密です」
助祭は人差し指を立ててフードの奥でウインクした。ちっ、あの変態のことだ。頭おかしいことを書いてるに決まってる。が、それ以上突っ込むと私の方がダメージが深そうなので追求は止めておくことにし、その後は特に言葉を交わすでもなく助祭とは別れて互いに人混みに紛れていったのだった。
助祭と別れ、程なく私は汚れた「第十三警備隊」と書かれた看板を眺めていた。冬が来る前に掃除でもするか、と考えながら時計を見れば、すでに定時を大きく回っていた。どうやらずいぶんとあの助祭とおしゃべりしてしまったらしい。
詰所の中に入れば、早番の隊員たちはすで帰ってしまったようで、遅番の隊員たちだけが銘々に好きなことをしながらのんびりしていた。
そんな中で今日は早番であるはずのアレクセイとノアがまだ残っていて、私の姿を見つけると近寄ってきた。
「大尉」
「すまない、遅くなった。例の件か?」
「はい。アベル少年の弟たちの件ですが――発見できませんでした」
脱いだ帽子をフックに掛けようとしていた手が、その報告を聞いて止まった。
「どういうことだ? アイツらの住居は探したか?」
「兄弟たちが普段ねぐらにしている場所を複数探し出してみましたが、いずれも不在でした。それどころか、おそらくここ数日は帰ってきてないようです」
「念の為にと思って、街の外に出てないかも調べてみましたけど門を通過した記録も無かったです。貧民街で聞き込みとかしてみましたけど、その、あまり協力が得られなくて……」
「十分な証言を得られず遅くなってしまいました。申し訳ありません」
ノアとアレクセイが申し訳無さそうに謝罪を口にしたが、まあそれは仕方あるまい。連中の政府と軍、それに神嫌いは徹底しているからな。
「スラムの連中の態度は私もよく理解している。そこまで分かったのなら僥倖だ。
それよりも兄弟の行方だ。考えたくもないが……最悪の事態も覚悟しておかねばならんか」
「本部に立ち寄って照会してみましたが、今のところ少年らと類似した死体の発見報告、通報はないようです」
そうか。ならまだ最悪の事態は避けられていそうだな。
しかしそうなると……いよいよ時間の猶予はないかもしれん。もし兄弟たちが誰かの手に落ちていてアベルに対する交渉材料にされているなら、アベルより先に殺されることは無いかもしれんが全く可能性が無いとも言い切れん。
ともかく、だ。
「出かけるぞ、二人とも。悪いが今日は残業だ」
置きかけた帽子を再び被り直し、声を掛けながら入り口へ向かう。
「出かけるって……どこに行くんですか?」
「決まってる」
未だ私の机の前で立ち尽くしている二人に向かって振り向き、ノアに応えた。
「スラムの親玉のところだ」
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