5-1. 貴様が何を覚悟してようが知ったことではない
アベルに逃げられてから二日が経過したが、その日も通常業務の傍らで私たちは犯人の調査を少しずつだが進めていた。部下たちに手分けしてスラム関係者以外の線を潰していかせ、私は私で協会に赴きアレッサンドロにアポを取ってみた。
残念ながらあの変態は教会の用事で王都からしばらく離れているとのことではあったのだが、幸いにも対応してくれた助祭が話が分かる人間であって――
「ああ、あの変た――失礼、トーニ司祭から話は常々伺ってます。シェヴェロウスキー様がいらっしゃったら最大限便宜を図るように、と言付かっております」
――とまあ、アレッサンドロが教会でもどんな評価を受けているのかを垣間見つつ、協力してくれるとはいえ助祭がどれだけ事情に精通しているのかも分からんので、とりあえず使徒のことは置いといてアベル周辺のことを探ってもらうことにした。
そうして出向いた教会から詰所に戻り、ギシギシと悲鳴を上げる椅子に座って一息つく。と思いきや、机の電話がけたたましく存在を主張し始めてくれやがった。
「ちっ……はい、第十三警備隊――ああ、大隊長殿ですか」
掛けてきたのは王都の警備隊を統括する大隊長殿だった。どうやらマティアスから我々も動く旨の連絡は行っているようで、その事に間違いがないかを確認してきた上で、大隊長殿は少々言いづらそうに衝撃的なことを告げてくれた。
「――は? 大隊長殿、誠に申し訳ありませんが仰っていることがよく分かりません」
相手が大隊長殿であることも忘れて思わず声のトーンが低くなる。調子の変化に気づいた詰所の連中が一斉にこちらを向くのを横目で見ながら、大隊長殿の話の続きに意識を向ける。
「……ああ、そう、そうですか。彼が自分でそう言ったのですか? はい、それで、彼は今は本部に? 分かりました、すぐに向かいます」
受話器を叩きつけたくなる衝動を堪えそっと置く。はあ……これは予想外だぞ。
「何かあったのかよ、隊長?」
「えっと、もしかしてマティアス王子を襲った犯人が捕まったとか?」
「察しがいいな、ニーナ。そのとおりだ。犯人が軍本部に出頭してきた」
私の返事を聞いてニーナが「良かったじゃないですかっ!」と手を叩いて喜ぶ。アレクセイやカミルたち他の隊員からも喜びと残念さが半々の声が上がるが、私はといえばどうしても渋い顔にならざるを得ない。
なぜなら。
「浮かねぇ顔だな、隊長」
「何か、気になることでも?」
「そうだな、伍長、准尉。犯人が捕まったのはめでたい事だ。我々も無駄な仕事をしなくても済んだ。実に喜ばしい限りだよ」
ため息をついてカミルとノアの顔を見上げ、そして電話の内容を全員に告げた。
「――犯人がアベルじゃなければな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アベル」
私が呼びかけると、拘置所の鉄格子の奥で黒い塊が身じろぎした。
埃に塗れたシャツに擦り切れたズボンの裾。ボロボロの靴との隙間から覗く脚には細かい擦り傷がたくさんあって、立てた膝の上から億劫そうに上げた顔がジロリと私を睨んできた。間違いない、アベルだ。
「アベルくんっ!」
私とアレクセイの間をニーナが駆け抜けていく。鉄格子にしがみついて悲痛さをにじませた声で叫ぶとアベルは目を逸らした。
「アベルくんが犯人だって本当? 嘘だよね? ね?」
「……嘘じゃねぇよ。俺が犯人だよ。あの金持ち王子サマを……殺そうとしたんだ」
「そんなはずないっ。だって、だってアベルくんは弟思いで、弟たちのために一所懸命だったじゃない! なのになんでこんな……」
「うるせぇなぁ」アベルが膝に再び顔をうずめた。「知った口聞きやがって。お前が俺の何を知ってるってんだよ」
「まったくだ」
「アーシェさんっ!」
ったく、毎度のことだがどうしてたった数十分会話しただけの相手にそこまで本気で心配できるんだか。
だが、まあ今回に関しては私も同じ意見だ。コイツは人を殺そうなんてできる人間じゃない。それはこれまでの付き合いからも分かるし、傷跡から漂う魂の匂いからしてもそこまで腐っちゃいないのは分かる。
「アベル。顔を上げろ」
「……」
「ならそのままでもいい。私の質問に答えろ。
本当にマティアスを殺そうとしたのはお前か?」
「……そう言ってんだろ?」
「いや、違うな。殺害を試みたのは暗殺者だ。それは直接対峙した私が知っている。お前にあんな動きはできない」
「……」
「誰かを庇っているのか? ならそんな馬鹿げた真似は止めたほうがいい。それとも脅されてるのか? であれば――」
「あぁもう! うっせぇなぁ!」
アベルが食事用のスプーンを掴んでこちらへ投げつける。カン、と鉄格子に当たって冷たい床を転がり、アベルは私たちに背を向けた。
「犯人は俺だ。そう言ってんだからそれでいいだろ……」
頑なに自分が犯人だと言い募るのは良いんだが、そんな様子で一体どうやって信じろと言うのやら。しかし本人が自供している以上、私の証言一つで果たして裁判での判断が覆せるかというと不安が残る。真面目に仕事をしてくれる判事なら良いんだが。
どうしたものかと頭を捻っていると、ちょうどそこに知り合いの少尉がやってきた。本部での事件担当官で、アベルが出頭した時に対応したのも確かコイツという話だったな。
「少尉、アイツはずっとあんな感じか?」
「ええ、そうなんです。こちらが何を聞いても『自分がやった』の一点張りで話にならないんですよ」
少尉の口ぶりから察するに、コイツもアベルが犯人だとは思ってはなさそうだ。自供を覆すほどの証拠はないが、牢屋の中にいるアベルの憔悴した様子を見てれば、継承順位は低いとはいえ一国の王子を襲うほどの度胸はないとすぐに分かる。まともな頭さえあればな。
もっとも、そのまともな頭を持っているのかさえ怪しい人間が――
「王子を襲った貧民のガキがいる場所はここかね?」
――跋扈しているのが、悲しいかなこの国である。
ドタドタとけたたましい足音が幾つもこのクソ汚い拘置所に響いて、美味そうな魂の匂いとは裏腹に鼻がもげそうな体臭に顔をしかめつつ振り返れば、ずんぐりむっくりのデブ中佐ことビアンキ中佐が取り巻きを引き連れてやってきていた。
何が嬉しいのかしらんがニヤニヤして、だが私の存在に気づくと不愉快そうに鼻を鳴らした。いやいや、こちらの方が不愉快だよ。消臭効果の強い石鹸でもプレゼントしましょうとでも言ってやりたくなったが、そもそもそんな皮肉も通じる頭もないかもしれないと思って喉の奥へと引っ込めた。
「ふん、マティアス王子が襲われたと聞いて驚いたが、これで一件落着だな」
「いえ、まだそうと決まったわけではありません」
「本人がそう言っているのだ。なら余計な仕事をする必要はないではないか」
「余計な仕事ではありません。もし真犯人がいるのであればそいつを逮捕しなければいずれまた事件が起きましょう」
「真犯人がいれば、な。しかし大尉、ずいぶんとそのガキを庇うではないか。そういえば、先日もその子どもを庇っていたな」ビアンキの油まみれの顔が楽しそうに歪んだ。「まさか、まさかとは思うが大尉。ひょっとすると――貴様も事件に関わっている、なぁんて事はないかね? んん?」
背後でアレクセイとニーナの空気が変わったのを感じた。特にニーナは今にも食って掛かりそうだったが軽く手を挙げて制止する。バカタレ、この程度の挑発に貴様が熱くなってどうする。
「私は事実を述べているのみですが」
「さぁてさて、その言葉をどれだけ信用すればよいのかな?」
「それに犯人グループは全部で四人。まずは全員を逮捕して、それからじっくり証言を突き合わせていく必要もあろうかと愚考します」
「ああ、貴様はまだ知らないのだな? その必要はないぞ」
「どういうことでしょう?」
「愚鈍な貴様でも分かる単純な話だ。すでに他の三人の身柄も拘束済みなのでな――全員死体で」
なんだと? その話は聞いていないぞ。
振り向いて少尉の顔を伺うが、すぐに首を横に振った。
「それは真の話でしょうか?」
「いかにもだ、大尉」
ビアンキ中佐が口元を愉快そうに歪めた。いちいちドヤ顔がめんどくさい奴だな。
「つい先程連絡があったのだよ。北東の下水処理施設で貧民街の男三人が死体で見つかった、とな。報告にあった連中と特徴が一致していたし、間違いないだろう」
「……そうですか」
「というわけで生き残った犯人はそこの子ども一人だけ、というわけだよ、大尉。
おいっ! 死んだ三人も貴様が殺したのだろうっ!? そうに決まっとるっ!!」
「……そうだよ。そいつらもみんな、俺が……殺したんだ」
「アベルくんっ!?」
「ガッハッハッハッ!! やっぱりそうか! ではこれで事件は解決だな。王子も安心して静養できるであろうよ」
実に愉快そうにそう言ってビアンキ中佐は私の肩に前足――失礼、手を置いて「大尉が犯人ではなくて良かったよ」などとほざき、高笑いをしながら体を揺らして階段を昇っていった。
ふん、何が「良かった」だ。まあいい。下手くそな皮肉しか言えない牛は放っといて、だ。
アベルが主犯ではないのは十中八九間違いないだろう。だが今のままだとビアンキが決めつけたように全ての罪をアベルが背負わされて処刑されてしまうのは確実だな。
それを知ってか知らずか、牢屋の中でアベルはこちらに背を向けたまま身じろぎしない。ったく、生きるのを諦めたジジィみたいな雰囲気醸しやがって。
しかし、何があったかは知らんがな、アベル。お前がその気ならこちらにも考えがある。
少尉の肩を叩いて労うとアレクセイたちを促して地上に戻り、頭の中を整理していく。
「アレクセイ」
「はっ」
「貴様はアベルの弟たちの動向を探れ。そしてもし見つけたら保護しろ」
どこぞのバカのせいで私も随分とお人好しになってしまったからな。だからこちらはこちらで勝手に動かせてもらうぞ、アベル。貴様が何を覚悟してようが知ったことではない。
そして、貴様を臭いブタ箱から出した暁には兄弟もろとも腹いっぱいに肉を食わせてやるからな。それまでせいぜいおとなしく待っていろ。そう内心でうそぶくと、帽子を目深に被り直して教会の方へと私は向かったのだった。
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