4-1. 貴様は何者だ?

 私は夜の仕事が好きである。

 いや、そう表現すると誤解が二つほど生じるな。まず、夜の仕事といっても大体の人間が想像する店ではなく、ミスティックを相手にするような非公式の仕事でもない。ただ単に詰所での当直勤務というだけである。

 そして二つ目の誤解だが、別に仕事が好きなわけじゃない。ただ昼間での勤務のように雑事に追われたり他部署との面倒くさいやり取りだったり本部に呼び出されたりすることがないだけかなりマシだと言いたいだけだ。

 とはいえ。


「……ふわ」


 夜は夜で仕事が少ないのが困りものである。

 昼間であれば、ちょっとしたケンカの仲裁に出向いたりだとか、近所に住む婆さんの世間話の相手をしたりだとか、面倒も多いがまあ退屈もしない。

 一方で夜ともなれば皆が寝静まってしまい呼び出されることもない。酔っ払い同士のケンカくらいはあるが、武器を持ち出すなどよっぽどやんちゃしない限り店側で片を付けるし、こちらとしても当事者同士で話がつくんなら勝手にやってくれといった感じである。ちなみにこれは十三警備隊だけの話でなくどこの隊でも似たりよったりだ。

 なもんで自然と武器の整備をしたり昼間に残った書類をのんびり片付けたり本を読んで時間を潰すかになる。これで酒でも飲めればマシなのだがさすがにそれは職務規定違反だから控えているし、そんなわけで私も本をパラパラとめくっているがあくびの連チャンは禁じ得ない。

 同じく当直のノアをチラリと見れば完全に船を漕いでいた。こんな時間に元気なのは奥の整備室でキュインキュインと楽しそうにドリルを回してるニーナくらいだろう。

 しかし……実に飽きた。ならこういう時は体を動かすに限る。


「ノア、見回りに行くぞ」


 時間も十一時を回れば酒に飲まれた酔っ払いどもがいよいよ度を超えて乱痴気騒ぎを起こす頃合いだ。散歩がてらそいつらを止めに行くのも悪くはなかろう。その時にちょこっと一杯勧められたところで市民とのコミュニケーションだと言い訳はつくからな。


「それはちょっと無茶な気が……」


 準備をしていると、あくびをしながらノアがツッコんできた。

 なに、無茶なものか。こういう硬い仕事をしてる人間がちょろっとそういったところを見せてやると、意外と向こうも心を開いてくれるもんだ。そうやって顔を広げていけば、思いもしないところで貴重な情報が得られたりするんだし、これも仕事の一環だと言い張って何もおかしくなかろう。


「そんなものでしょうか……?」

「そんなもんだ」


 強引に言いくるめると、ニーナに留守番を頼んでノアと外に出る。なお、決して私が酒を飲みたいからこんなことを言ってるんじゃないというのはハッキリさせておく。……本当だぞ?

 吹き抜ける風と同じような冷たい視線をノアから浴びせられながら街を歩いていく。夜もここまで更ければ王都と言えど静かで、街灯とパブとかの明かりが漏れている程度。陽気な酔っぱらいの歌声がどこかからか聞こえてきて至って平和である。


「うぅ、寒っ……」


 どうやら寒さに弱いらしいノアが隣で身震いした。ふむ、仕方ない。


「ほら」

「あ……ありがとうございます」


 威力を制御した火炎術式をノアの目の前に展開してやると、ノアの顔がほぅ、ととろけた。情けない、などとは言わないが、こんな調子じゃ戦争が起きて冬山に行かされると敵じゃなくて寒さで死んでしまいそうだな。


「……それは勘弁してほしいなぁ。こんな事言うと怒られるかもしれませんけど、実は戦争で前線に行きたくないから警備隊を希望したところもあるんです」

「私だってそうさ。誰だって戦争などしたくない。叶うなら生涯こうやってのんびり街の警備をしていたいもんだ」

「意外です。てっきり隊長は喜んで敵に突っ込んで行くものかとばかり」


 ……お前は私を何だと思ってるんだ? あんな、飯は不味いし酒はろくに飲めんところになんぞ誰が好き好んで行くものか。


「敵を殺して愛国と正義を叫ぶなぞ虫唾が走る。全力で遠慮させてもらうよ、私は」

「……良かったです、隊長が僕と同じ感覚の持ち主で。軍の同期だと、みんな血気盛んでどうも合わなくって……」

「若いうちはそのくらいの気概があっても構わんがな。もっとも、そういう連中ほどいざ前線に行くと――」


 くだらない話をしていると、不意に匂いが私の鼻をついて思わず立ち止まった。

 夜の静かな街に似つかわしくない鉄錆臭。おそらく、この街の誰よりも私が馴染みのある匂い。


「どうしたんです?」

「――血の匂いがする。行くぞっ!」

「あ、隊長っ!!」


 ノアの声を置き去りにして一気に加速する。

 血の匂いに混じる複数の魂の匂い。そのうちの一つは何となく覚えがあった。


「誰だったか……」


 走りながら思い起こしてみるが、これまで無数の人間の血を嗅いでるからな。はっきり思い出せん。

 言えるのは、私の知り合いらしいそいつがおそらくは襲われているだろうことだ。そして、そいつの血の匂いが一番強い。つまりはそれだけ出血が多いということだ。であれば急がねばならん。

 通りを駆け、路地を抜け、軒を足場に家を飛び越える。次第に血の匂いが濃くなり、やがて数件目の家の屋根を踏みしめたところで現場を眼下に捉えた。


「見つけたっ!」


 目視の限りだと一人に対して相手は三人。中々に善戦しているようだが多勢に無勢といったところのようで、流れる血の量も増えていってるようだ。これはまずいな。

 というわけで、即座に術式を構築し地上めがけて放つ。殺傷ではなくあくまで仲裁。捕縛ができれば重畳である。威力を抑えて解き放てば、軽い爆発と同時に狙い通りに三人組の攻撃の手が止まった。


「そこまでだ」


 両者の間に割って入る形で着地し、三人組を睨みつける。空から舞い降りた華麗なる私の姿にどうやら完全に目を奪われたらしく、まじまじとした視線を感じた。暗いためハッキリ顔は分からんが体格からして三人とも男。しかもずいぶんと若そうだ。


「さて、詳しい事情を聞かせて――」


 もらいたいところではあったが、どうやら相手にはそんなつもりは無いらしい。三人のうち二人は私の体格を見て侮ってくれやがったらしく、鼻で笑いながら手に持った棒っきれを私の頭目掛けて振り下ろしてきた。


「……っ!?」


 だがまあ当然ながらただの人間の力任せの攻撃などあくびが出るほど眠いものだ。しかも素人の一撃。指先で簡単に受け止め、ニヤリと口端を上げて天使の笑みを見せてやったらどうも連中にとって天使が悪魔に化けたらしく、子犬のように狼狽し始めた。


「どうした? もうお終いか?」


 そう言って挑発してみたんだが、どうやらすっかり戦意は削がれてしまったらしい。まず攻撃してこなかった一人が逃げ出すと、それをきっかけに殴りかかった残りの二人も棍棒を手放して一目散に逃げ出していった。

 このまま見逃すか捕縛するか迷ったが、後ろで被害者がいる以上見逃すのはやはり問題だろう。なもんで、指を鳴らして捕縛術式を発動させようとした。

 その時。


「――っ!」


 暗闇の中で突如膨れ上がった気配と殺意。体が先に反応し、数瞬遅れて理解が追いつく。

 地面に横たわる被害者の前に立ち塞がった私の腕に重みがのしかかってくる。手の中には刃物を持った男の腕。何とか力任せに押し込もうとしているようだが、とりあえずはナイフの切っ先が私の目のすぐ前で微かに震えるだけである。

 ……危なかったな。軽く息を吐いて刃物を振り下ろそうとしていた男を見上げる。フードとマスクで顔を隠しているせいで確認できないが、おそらくは逃げ出した連中の仲間か。そいつらに気を取られている隙に本命のコイツが襲うという算段だったんだろう。

 気を抜いていたとはいえ、直前まで私に気配を感じさせなかった。つまりそれなりに手練というか、暗殺が本職ということか。


「……、っ!」

「貴様は何者だ? なぜそこの人間を襲った?」


 問いかけこそしてみる。が、予想通り無言。ま、それで素直に答えるような人間ならこんな稼業をやってはいまい。

 男が不意に腕の力を抜いて後ろに倒れ込んだ。と思った瞬間、真下から膝が鋭く突き出された。

 中々の動きだが、甘い。膝を横に受け流し、回転しながら拳を男めがけて叩きつけるも男は素早く体を捻り、その流れのまま蹴りを繰り出してきた。

 その一撃を受け止めるため私は腕を上げ、しかし男がマスクの下で笑った。

 次の瞬間、男の靴から刃が飛び出した。

 鋭い三本の刃が私の腕を貫き、驚きに染まった愛らしい顔を抉っていって――


「っ……!?」


 ――なんて光景を男は予想してたんだろうが、残念だったな。強化した私の腕をそこらの数打ちの刃物程度で貫くことはできんよ。

 受け止めた脚を掴み、突き出た刃を握りしめる。一瞬で刃物は手のひらの中で粉々に砕け、男の目の前でパラパラと見せつけるようにして落としてやれば、男が動揺したのが分かった。

 それでも攻撃の手を止めないのはさすがと言っておこうじゃないか。左腕の袖を男が掲げるとそこから矢が飛び出してくる。それを首だけ捻ってかわし、お返しに男の胸に掌底を叩きつけてやった。

 マスク男の体がまっすぐレンガ造りの壁へと突っ込んでいく。一応手加減はしたつもりだったんだが、しまったな。深夜だというのにご近所迷惑なことをしてしまった。

 だがまあ、これでおとなしくのびててくれれば私としても非常にありがたいんだが……残念ながらそうはいかないらしい。

 砂埃が舞う中、崩れたレンガの奥から白閃が飛び出した。どうやらヤツは術式銃も隠し持っていたらしいが、しかしそれも術式壁で防がれていった。もっとも、それを展開したのは私ではなく――


「隊長っ!!」

「遅いぞ、ノア。こっちはもう終わる」


 ノアが展開したものだ。いやはや、とっさの術式にしては中々やるじゃないか、ノア。

 部下の成長を噛み締めつつ、ノアの援護射撃を受けながら男に近づく。すると敵の男が一歩大きく飛び退き、またたく間に煙幕が広がっていった。


「な、なんですかっ!?」

「慌てるな。こういった連中が逃走用によく使う魔装具だ」


 しかし催涙効果込みか。厄介だな。煙が辺り一帯に立ち込め、そこにノアや倒れている人間の咳き込む声が響き始める。

 その中をかき分けてマスクの男らしき影が動き出した。煙幕の中でも軽やかに飛び上がって屋根の上へ登ると、そのまま背を向けて逃走していく。

 二対一となって形勢の不利を認めたらしいな。だが逃げられると思うなよ。


「ノア、貴様はここでそこで転がってる男の治療に当たれ。私は――」

「た、隊長っ!」


 追いかけようと脚に力を込めたところで、何故かノアから狼狽した声が上がった。一体どうした? もう手遅れだったか?


「そ、そうじゃありません! この人、いえ、この方は……」


 明らかに困惑している様子のノアに舌打ちをしつつ、やむなく視線を転がっている男へと移す。

 そして、私もまたノア同様に驚きと困惑に声を上げずにはいられなかった。

 なぜならば。


「マティアス……!?」


 倒れていたのは、私の雇用主であるマティアス・ツェーリンゲンその人であったからである。

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