3-2. いつからお節介焼きになったのやら

「アベル……?」


 照明のまばゆさに顔をそむけているが間違いない、アベルだ。

 しかしここは東一番街。アベルたちが住んでいるはずの北東二番街とは結構な距離がある。

 こんな深夜になぜここにいるのか。怪訝な顔していると、どうやらアベルも腕を掴んでいるのが私だと気づいたらしく、私を引きずる勢いで逃げ出そうとし始めた。ま、当然無理なんだが。


「くそっ……! 離せ、離せよっ!」

「分かった」

「えっ――だああぁぁぁっっ!?」


 ずいぶんとご立腹のようなので素直に手を離してやったんだが、そしたら勢い余って自分からゴミ山の中に突っ込んでいった。しかも頭から。

 あちゃあ、と口に手を当ててるニーナをよそに足元を見回してみれば、本来ならゴミ箱に詰め込まれているはずのゴミクズがそこかしこに散らばってて、ゴミ山から頭を出したアベルの手を見てみると、まだ食えそうなソーセージの切れ端が握られていた。

 ああ、なるほど。コイツがこんなところにいるのはそういうことか。何となく事情を察した。

 となると、だ。


「……まあ、構わんか」


 あんまり他人の生活に首を突っ込みたくはないんだが、こんな現場を見てしまった以上仕方あるまい。ついつい出してしまいそうなため息を堪えながら指をひと鳴らし。

 私の指先から飛び出した捕縛術式に巻き付かれ、アベルが暴れ始めるが、なぁに慌てるな。別にとって喰いはせん。


「くそったれ! やっぱ俺を捕まえるつもりなんだろっ!?」

「黙って待ってろ。

 ニーナ。ちょっとコイツが逃げないか見張っててくれ。たぶん大丈夫だろうが」

「良いですけど……どこに行くんですか?」

「ちょっと、な。なぁに、すぐに戻ってくる」


 ニーナに言い残して路地を出ていく。

 しかしまあ、なんというか……いつから私もこんなお節介焼きになったのやら。これもニーナのせいだろうな。というかニーナのせい以外に思いつかん。

 だがまあ気分は悪くない。変わらないはずの自分の変化に戸惑いと若干の嬉しさを覚えつつ、私は明かりの灯る店のドアを押し開けたのだった。






「ニーナ、帰ってきたぞ」


 私が戻ってくるとアベルは完全に観念したようで、ゴミのソファに腰を降ろして不貞腐れていた。これならもう大丈夫だろうと捕縛術式を解除し、ついでに照明術式も光量を落とすと、何となく戦地での焚き火を思い出しながら買ってきた物をアベルに差し出した。


「ほら、食え」


 できたてホヤホヤのブラットブルスト――有り体に言えばソーセージパンだ――をアベルは見下ろし、そして戸惑い成分百パーセントの眼差しで見上げてきた。

 捕縛も解かれてすっかり自由だというのにパンと私の顔を往復するばかりで手をつけようとしない。はぁ……ったく、世話の焼けるやつだ。


「食わないなら私が喰うぞ」


 からかってやるとアベルは私でも反応できないくらいの速度でパンを奪い取って口に詰め込んでいく。さて、私が人間を喰らうのと果たしてどっちが速いんだろうな。


「そんな比べ方しないでください」


 何も言ってないんだがなぜかニーナにツッコまれた。たまにコイツ、私の心を読むんだよな……

 ま、それはともかく。


「もう一個食うか?」


 まだまだ温かいパンを新たに差し出せば、アベルはそれをひったくるように奪って口の中へ――とはならなかった。一旦は口元に運んだものの、かぶりつく直前で止めてパンを睨みつけ始めた。その仕草があまりに予想通りなので思わず笑うと、今度は私の方が睨まれた。


「気にしなくていい。ちゃんと弟たちの分まで買ってある。あと、貴様もゆっくり食べろ。別に軍警察に引き渡したりはしない」

「……アンタら、軍警察の人間だろ?」

「職務時間はとっくに終了だ。こんな夜中に面倒なことしてられるか」


 そう言いつつニーナにも買ってきたソーセージパンを渡し、頬張る二人の様子を眺めながら私もカップに注いでもらった酒をあおる。


「……アンタ良いヤツだな」

「ガキが夜中にゴミ漁ってれば気まぐれに施しの一つくらいしたくもなる。だいたい貴様の住処は北東街だろう? なんでこんなところまで出張ってきてるんだ?」


 尋ねると、アベルははみ出したソーセージにかぶり付きながら私を見つめた。無言だが、視線を手元に落とすとため息をつく。飯をおごってもらった以上は仕方ない、とでも言いたげな表情だ。律儀な奴め。


「……別に大した理由じゃねぇよ。あっちじゃもうまともに飯をありつけねぇからこっちに出張ってきたってだけだ」

「どういうことだ? グートハイルが仕事回してるんじゃないのか?」

「こないだ十七になったからな。いい加減自分で仕事見つけてこいって事なんだと思う」


 それにあそこは他の連中が手をつけてて、ゴミにもまともなもんは残ってないしな。そう付け加えてソーセージをかじった。

 そういうことか。やはりスラムの生活も楽じゃないということだな。


「スラムから抜け出そうとは思わないのか?」

「思わないね。少なくとも今は」


 質問すると即答でそんな答えが返ってきた。この答えには私のみならずニーナも意外だったようで、二人で思わず顔を見合わせた。


「弟たち食わす仕事はグートハイルさんも確実に回してくれるし、今はこんなゴミ漁りしてっけどマジでやべぇ時は飯だって食わしてくれるんだ。今のアンタみたいに」

「最低限の食い扶持だけは保証してくれてるというわけか」

「まあな。その分……クソみたいな仕事もさせられるけどな」

「仕事って、たとえばどんなの?」

「死体処理とか」


 アベルの返事にニーナが「聞かなきゃ良かった」と思いっきり渋い顔をしつつ心配げな眼差しを送る。そして自分の食べかけのソーセージパンに視線を落とすと、口のついてない方をちぎってアベルに渡した。


「でも……だとしてもやっぱりアベルくんはいるべきじゃないと思うな、私は」

「そりゃ俺だってまともな生活したいさ。弟たちにまともに飯も食わせたいし、学校にだって行かせてやりてぇ。つかさ、最初は真面目に働いてたんだよ」


 アベルが吐き捨てるように言った。そうだろうな。何となくだが、スラムで悪ガキをするにはコイツは根が真面目な気がする。


「働かなきゃって思って南街の商店に頼み込んで、そこで何とか雇ってもらった。給料は安かったけどとりあえずの生活ができると思って一生懸命働いたんだ。けど……」

「けど……?」

「ある日、高価な商品が盗まれた。そいつは貴族が約束してたやつみたいで、別の貴族のガキがいたずらで盗みやがったんだ。だけど店主はそれを俺が盗んだことにしやがった。ぶん殴られてクビにされて……しかも後で分かったんだけど、俺の給料もかなりごまかしてやがった」


 名目上貴族と平民で身分の差はないが、実態としては依然として差は明らかだからな。身寄りの無いガキだと思って足元を見られて、挙げ句に目をつけてた商品を盗まれた貴族の怒りをおさめる羊にされたというわけか。ま、給料ごまかすくらいだから元々店主もロクでもない人間なんだろう。さぞかし魂も美味そうだな。


「ひどいっ!」

「おまけにその店でのことが噂になって、誰も俺なんか雇っちゃくれねぇ。グートハイルさんが声かけてくれなきゃスラムのことなんか知らなかったし、弟たちと一緒に野垂れ死んでたかもしれない。だからグートハイルさんには感謝してるんだ」

「ええっと……」ニーナが言い淀みながらも尋ねた。「その、お父さんとかお母さんは……?」

「死んだよ。親父は出稼ぎの街でラインラントとの戦争に巻き込まれて死んだ。おふくろは懸命に働いてくれてたけど、流行り病で死んだ。息子の俺から見ても頑丈そうじゃ無かったからな」

「そっか……なら、私と一緒だね」


 ニーナがそう言って微笑んだら、アベルから「えっ」と漏れた。いや、まあ確かに意外なのは分かるがこっちを見られてもな。


「コイツが言ってるのは本当だ」

「アーシェさんもですけど」


 私はそもそも前提が違うんだが、まあ両親がいないという点では同じだな。

 それはともかく、どうやらアベルには私たちがよっぽど恵まれた境遇で育ったように見えてたらしく、ニーナの義手を見たり地面に視線を落としたりを繰り返していた。


「でも私なんかよりよっぽどすごいよね! 尊敬しちゃうかも」

「……どこがだ。こんなゴミ漁りしてるような人間の何が尊敬できんだよ」

「え? だってすごい頑張ってるじゃない? お父さんお母さんが死んじゃった時、私なんかずっと泣いてばっかりで何もしようとしなかったよ? けどアベルくんは弟くんたちを一所懸命守って、前を向いて頑張ってるじゃない。それって、すごいことだと思うよ」

「そうかな……? 俺……弟たちの役に立ててるかな……?」

「そうだよ! 思いっきり胸を張っていいと思うな、私は」


 ニーナの励ましはアベルに刺さったらしく、鼻を掻いて照れくさそうに笑った。ホント、素直ないい子だよ。ニーナもニーナでまあ、よくこうも恥ずかしいことをはっきりと言えるもんだ。私には到底できない芸当だな。皮肉でもなんでも無くこうも簡単に胸の内へと踏み込んでいけるのは尊敬に値する。

 と、見ているこっちがちょっとほっこりする光景を傍観させてもらってたが、アベルがふと真面目な顔を見せて聞きづらそうにしながらも尋ねた。


「……なあ、軍って孤児でも入れるもんなのか?」

「問題ない。さすがに国籍は問われるが、健康でさえあれば孤児だろうが貴族の坊っちゃんだろうが軍は拒まないな」


 もっとも、軍は教育機関ではないからな。入隊前に筆記の試験はあるが、それだって特別難しいわけじゃあない。初等学校レベルの読み書きと計算ができれば、幹部は難しいが兵士としては十分採用される。


「なら、俺――」

「だが貴様が入るのはお勧めはしないな」

「なんでだよ? やっぱ孤児はダメだってのかよ?」

「そうじゃない。が、アベル。貴様には家族がいるだろうが」

「だからだよっ。俺は弟たちを食わせてかなきゃならないんだ。だから――」

「自分が死んでも、か?」


 尋ねると、アベルが言葉を詰まらせた。お前のその気概と家族思いの点は称賛に値するが、落ち着いて考えた方がいい。


「兵士になるということは、戦時には真っ先に前線に送られるということだ。当然、戦死の可能性も高い。もし不幸にもそうなった時、貴様の弟たちはどうする?」

「それは……」

「もちろんそれを覚悟の上であれば軍人として貴様を歓迎しよう。それに、努力と結果さえ残せば学がなかろうが孤児だろうが、ある程度までは出世はできる。危険だという一点を除けば理想の職場だろうな」


 ただそのデメリットがクソデカすぎるんだがな。とはいえ、スラムの孤児が真っ当に金を稼ぐなら一番手っ取り早いし、悪くない選択肢だろう。

 私の言葉をアベルはうつむいて聞いていたが、やがて無言で立ち上がった。帰るのか、と尋ねると黙ったままうなずいたので、残っていたソーセージパンを握らせた。


「……ありがとな。美味かったよ」


 力のない声で礼を言って、そのままアベルは路地の暗闇に消えていった。


「大丈夫でしょうか……」


 さあな。だがこれ以上他人の人生に口出しするのは私の趣味じゃないし、情報は与えたんだ。後はアベルが自分で決めて自分で動けばいい。

 さて、すっかり遅くなってしまったな。家で酒を飲む時間が無くなってしまったが、まあここで飲み食いできたし、もう帰って寝るか。

 未だアベルが去って行った方を見つめるニーナのケツを軽く叩き、彼女のアパートの方へと私たちも帰っていったのだった。

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