3-1. 誰かが近くにいる
デブ中佐やアベルたちとのちょっとした事件があった後日。
その日の昼までは中佐のことが確かに頭に引っかかってはいたが昼飯を食えば記憶が薄れ、仕事を終えて酒を飲んで寝るという日常ルーチンを繰り返せばあら不思議。前日のことなどすっかりどうでもよくなったうえに何気ない平穏な日常が再び幕を開けてくれたわけで、私としても豚二号のことを好んで思い出したくもないのでありがたく退屈な平穏を享受していた。
あの日からすでに一週間以上。だというのにマティアスからも何の情報ももたらされることもなく王都のどこかで事件の匂いがするわけでもなし。いや、もちろん王都はでかいし人口も多いので一週間も経てば事件の一つや二つはあるのだが、それとて日常の一幕でしかない。実に平和で変わらない。
なので。
「――撃て」
今日も今日とて私たちもまたいつもどおり、地下で秘密のヒーローごっこを繰り広げているのである。
「目標に命中を確認」
床に寝そべった状態でアレクセイが対ミスティック用特殊狙撃銃の引き金を引き、完全に油断しきっていた大きな一つ眼のミスティック――ゲイザーの眼球をぶち抜いていった。
狙いやすい的とはいえ、放たれた一撃がすべて寸分違わず目ン玉の中心を貫通していくという、相変わらず常人離れした腕前に感心しつつ私も前に出る。
眼の真下にある大きな口から放たれた術式を難なく回避しつつ、私の奥底で眠る魂にアクセス。構築していた術式方程式を魂を介して高速演算すれば一瞬で術式が展開され、それをゲイザーめがけてぶっ放した。
「おっとと」
私が放ったのは基本的な火炎術式。基本とは言っても独自に改良を加えているので普通の術者が使うものとは比べ物にならないんだが、その火炎術式は私の意図以上の威力で炸裂し、炎が荒れ狂いながらゲイザーを飲み込んでいった。危ない危ない、下水道の壁と一緒に私まで焦がされるところだった。
どうにも最近、調子が良すぎるような気がするな。別に悪いことではないんだが、ちょっとしばらく制御の練習をせねばならんかもしれん。
「アーシェさんっ!!」
そんなことをつらつら考えながらゲイザーの攻撃をかわしているとニーナの叫び声が。振り返ることなく目を閉じてその場にしゃがみこめば、頭の上をアイツが投げた魔装具が通り過ぎてゲイザーの目の前で炸裂した。
またたく間に辺りが昼間よりもまばゆい閃光に包まれ、むき出しの眼球を焼かれたゲイザーが聞き苦しい悲鳴を上げて悶え始めた。まあそんだけ大きな目ン玉だ。ニーナ謹製の特製閃光弾はさぞかし辛いだろうよ。
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらデタラメに術式を放ってくるゲイザーの攻撃をかわしつつ接近し、両手でガッツリと掴み取る。そうして――頭から思い切り噛み付いた。
「■■■■……――」
血しぶきが噴き出して顔に掛かるがそんなことお構いなしに貪り食っていく。肉なのかなんなのかよくわからん不思議な食感を楽しみながら飲み下すと、思わず恍惚のため息が漏れてしまった。ああ、たまらん。前々からミスティックはそれなりに美味かったが、こんなにも美味だっただろうか?
「っ、隊長! 右だっ!」
戦闘中だというのにすっかりとろけてしまった私だが、カミルの怒鳴り声でハッと我に返る。反射的に右を振り向けば、いつの間にか別のゲイザーが直ぐ側にいた。
眼と眼が合う。その瞬間、意識が目ン玉に吸い込まれていくような感覚が襲ってきて体の自由が奪われていく。
手脚が金属の棒になったような感覚。すぐ目の前ではゲイザーが大きな眼を細めて愉快そうに笑っていて――その眼に私はかぶりついた。
「■■ッ! ■■■■ッ!」
「動くんじゃない。喰いづらいだろうが」
逃れようと必死にもがくゲイザーをしっかりと捕まえて、むしゃむしゃと食べていく。
まったく、なめられたものだ。並の人間ならともかく、私を貴様ごときの魔眼でどうにかできるとでも思っているのか。
しかしまあ私も集中を欠いたのは反省だな。ゲイザー程度だったから事なきを得たが、相手によってはとんでもないことになりかねん。あの使徒の女もめっきり最近姿を見せないから気が緩んでるのかもしれんな。まったく、恥ずかしい限りである。
「大丈夫か?」
「ああ。悪い、カミル。心配させたな」
「無事なら文句ねぇさ。ま、隊長がどうこうされるとも思っちゃないがね。しかし、まともに目視できねぇ相手ってのも面倒だな」
「魔眼持ちのミスティックは少ない。教会も十分な装備を開発していないようです」
「ンならニーナ、お前が開発してみたらどうよ? 隊長に協力してもらやぁなんか形になるんじゃねぇの?」
「確かに面白そうですねぇ」
「ふむ、そうだな。ウチで自由にできる予算は少ないが、やってみても良いだろう。上手く行ったら飯でもおごってやるよ」
「ならアーシェさんの手料理で」
……突然何か変なこと言い出したぞ?
「手料理食べたいです、開発中は。それなら頑張れます」
「まあ別に良いが……正直、凝ったものは作れんぞ?」
「大丈夫です。アーシェさんが触れたものなら炭だって脳内変換して美味しく食べられますから問題ないです」
……コイツ、一段と気持ち悪くなったな。いやまあ、それでやる気出してくれるのなら結構だが。
ふと視線を感じて顔を上げればカミルがニヤニヤしていた。それが何となくムカつく顔だったので股間近くで爆裂術式(小)を炸裂させてやった。その結果は推して測るべし。
さて、そんなやり取りをしつつ他に取りこぼしのミスティックがいないかを確認し、今日の夜中の職務は完了。心置きなくゲイザーを喰らいつくして私もご満悦である。ここに酒があれば文句なしだが、それはさすがに贅沢というものだろう。
喰い終わったら手早く事後処理をして地上へ出る。今日は良い月夜だ。帰ったら寝る前に月を眺めながら一杯飲むか。
「ニーナ。貴様は今日はどうするんだ? また仮眠室で寝るのか?」
「んー……いえ、今日はアパートに帰ります。たまには……ふわぁ……ベッドでゆっくり寝たいです」
「そうか、なら途中まで送っていってやろう」
詰所に戻ってそう言ってやるとニーナは目をパチクリとさせていた。そのまんま固まってしまったので「はよ片付けないと置いてくぞ」とケツを蹴り上げてやると、今度は脱兎の勢いで奥のロッカーへと走っていき、バタンと扉が閉まったかと思えば一瞬でまた戻ってきた。ちなみに、ちゃんと私服に着替えている。
ニーナの早業を称賛すべきか呆れるべきか。そんなくだらない事に頭を悩ませつつ私も制服に着替え、並んで家路を歩いていく。
「珍しいですね、アーシェさんが誘ってくれるなんて」
「別に。そこまで他意はない。深夜だし、軍属とはいえ戦士でもない女を一人で帰らせるのも危険だと思っただけだ」
「アーシェさんだって女性ですよ?」
「なら貴様は私が悪漢にどうこうされるのを想像できるか?」
「確かに。アーシェさんなら襲われても逆に食べちゃいそうです」
「文字通りな」
ニーナのクスリと笑った楽しそうな声が、静かな街の澄んだ空気に乗って耳に届く。昼間の王都らしい賑やかさもいいが、やはり個人的には誰もいないこの静かな雰囲気の方がしっくりくる。そう感じるのは、私が人とは違う存在だと自覚しているからか。
しょせん私はこの街では異物である。魂喰いという存在が稀有だからそもそも誰も私が人も喰うなどと想像もしていないし、見た目も人間でしか無いからよく馴染めてはいるが、一歩道を踏み外せば今日のミスティックどもと同じく駆除される運命にある。
「……」
ニコニコと口笛を吹いてご機嫌なニーナの横顔を見上げる。
人を喰う、と街の連中が認識してしまえば、いくら強くてもあっという間に私など排斥されてしまうだろう。たとえこれまでこの街を守ってきたとしても、だ。それが人間であるし、そうなっても責める気はない。結局は私だってミスティックを排除してるわけだしな。相手が理性を失った害悪な存在であっても、本質的にやってることは変わらない。そも、私だっていつ魂喰いとしての本能に飲まれて理性を失ってしまうかも分からんのだ。
いつか、いつかそんな時が来てしまうかもしれない。忌々しいことにドクターの設計は誰よりも信頼できるが、かといって前例が無いだけに想定外だってあり得る。そうなった時、コイツは果たして――
「……ん? どうしました?」
「いや……なんでもない」
振り向いたニーナと目が合って、思わず笑いが漏れた。
馬鹿なことを考えたもんだ。来るか来ないかも分からないことに心乱されるなんてな。天が崩れる心配をした男を笑えたもんじゃない。
「えー、なんですか? ニヤニヤして、気になるじゃないですかぁ」
「別にお前を笑ったわけじゃない。悩みが杞憂に過ぎず、無駄に考えてた自分が馬鹿らしく思えただけだ」
今を生きればいい。余計な心配など不要。せっかく得られた平穏だ。これを酒と一緒に謳歌しないなんて、もったいないにも程がある。
「早く帰ろう。貴様に遅刻されては敵わんからな」
「ぶー! 遅番なんですから遅刻しませんよー」
「さて、どうだろうな?」
季節はもう秋だ。この国の秋は短いし、この間まで心地よかった風もいつの間にか冷たく変わってしまったのをニーナが吐く息が教えてくれている。風邪を引くような体じゃあないが寒いのはゴメンだ。グリューワインでも用意してるなら話は別だがな。
ニーナをからかいつつ脚を速める。一拍遅れて追いかけてくるニーナの足音に小さく笑いながら聞き耳を立てて――
かすかに聞こえた物音に脚を止めた。
「った!? ちょっと、アーシェさん! 急に――」
「静かにしろ……誰かが近くにいる」
静止が間に合わずぶつかってきたニーナを諌めつつ耳を澄ます。ガサゴソと、何かを漁るような物音が細い路地の方から聞こえてきている。
「……泥棒さん、でしょうか?」
さあな。泥棒でも強盗でも、ともかくも私たちを狙っているわけではなさそうなので緊張は解いたが仮にも警察である。視線の先に、営業している店も明かりの点いた家もないし、そんな真っ暗闇の中でゴソゴソとしているというのはそれだけで怪しさ満点だ。泥棒であればしょっ引かねばならんしな。
とりあえず照明用の術式だけを構築してジリジリと息を潜めて近づいていく。
そして。
「動くなっ!!」
術式照明を展開するとほぼ同時に路地へと飛び込む。不埒な輩のご尊顔を拝ませてもらおうじゃないか、と逃げようとした相手の腕を掴んで顔を覗き込み――
「お前……」
思わず声を上げた。
何故か。それは、まばゆい照明から顔をそむけていたが、私が掴んだのは紛れもなくフューラー兄弟の長男、アベルだったからだ。
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