2-3. 目の前の熟成された豚

 さて。

 王都の中でも一等治安の悪い北東街じゃあ昼間っから怒鳴り声はもちろんのこと、術式銃の発砲音やら何かが破壊される音やら頭がトチ狂った人間が上げた奇声やら、人生でそうそう聞くこともないだろう物音が聞こえてきても何一つおかしくはないし私としても普段は聞かなかったことにするところではあるのだが、それがガキどもが逃げていった直後に同じ方向から聞こえてきたとなれば話は別である。

 嫌な、というか面倒なことが起きている予感をひしひしと感じて、ぶっちゃけた話をすればこれが大人であれば自己責任の名の下にスルーしてしまいたいのであるが、さすがにあの兄弟をほっとくわけにはいくまい。

 狭い路地を抜けて通りへと飛び出せば果たして、三兄弟が見事にそろって尻もちをつき、立ちふさがる人物を見上げていた。


「この薄汚いガキどもがっ……!」


 彼ら三人の前で肩を怒らせて立ってるのはずんぐりむっくりのデブだ。

 ただのデブなら話は簡単なんだが、あろうことかちっちゃいデブはこれみよがしに整えられた口ひげをたくわえていらっしゃり、頭には軍人の証である深緑の帽子がちょこんと鎮座されていて、肉体は苦しそうに軍服に締め付けれられているのである。

 たるんだ頬といい不健康そうな顔色といい、数ヶ月前に似たような人間を私の腹の中に収めたような気がするがあの豚とはまったくの別人である。同じ豚であることには変わりないが、それはともかくとして目の前の更に熟成された豚――もといカルロ・ビアンキ中佐は、フューラー兄弟に向かってこれでもかと怒りを露わにし、握った警棒ごと腕を震わせておられる。

 対する三兄弟の長男であるアベルは、体を震わせながらも懸命にビアンキ中佐を睨みつけ、先の荒くれたちに対してしていたのと同じように弟たちを守ろうとしていた。


「よくも……許さんぞぉーっ!!」

「危ないっ!」


 中佐が勢いよく警棒を振り上げ、ニーナが悲鳴を上げた。兄弟もまた目を閉じて襲いくる打撃に備えてはいるが――


「ぬぅっ!?」

「落ち着いてください、ビアンキ閣下」


 日和見アンド面倒事はごめんなさい主義の私だが、これはさすがに見過ごすわけにはいかないな。

 とりあえず完全に振り下ろされる前に左手で警棒を受け止め、嫌だが下から真っ赤になったデブ中佐の顔を仰ぎ見てみる。さすがにこの距離だと息が臭く、私は閉口した。


「なんだ貴様は! どこのどいつか知らんが女子供が出る幕ではないわっ! どかぬなら貴様も同罪で打ち据えるぞっ!」


 ったく。どうしてこういう奴らはこうも人を見かけばかりで判断するのかね。こちらは軍服を着て胸と肩に階級章まで貼り付けてるんだ。怒りで頭はアッチッチかもしれないが、もう少し視野を広げてほしいものだ。しょせんお豚サマには無理な注文だろうが。


「失礼。私は第十三警備隊の隊長を拝命しておりますアーシェ・シェヴェロウスキー大尉です、閣下。して、いかなる理由でこの子たちにお怒りになられてるので?」


 私が名乗りを上げて尋ねるとようやく落ち着いたか、デブは警棒から力を抜いて腕を組みふんぞり返った。そして「ふんっ!」と鼻息を荒げ、ジロリとその垂れた眦でこちらを睨んできた。


「貴様が噂の女隊長か。聞いた通りの愚鈍さであるな! ならば教えてやろう。このガキどもはな、あろうことか私に突然襲いかかってきたのだ! そこの路地から飛び出してな」

「ち、ちがっ……! 俺たちはただぶつかっただけで……」


 長男のアベルが震えながらも首を横に振るが、それが気に食わなかったのかカルロ・デブ・ビアンキ中佐の顔がまた火にかけたヤカンよろしく真っ赤っ赤になった。

 お怒りになった方が顔色が健康的ですよ、と言ってやろうかと思ったが、後の対応が面倒になることはうけあいである。なのでアベルたちを隠すように動き、後ろ手でニーナたちに三人をどこかに行かせるよう合図を送った。


「彼らが言っていることは本当でしょう。先程まで我々と一緒にいましたし、武器も持っていませんので走っていて偶然閣下にぶつかっただけかと存じますが」

「偶然だろうが意図的だろうがそんな事はどうだっていい! 見ろ、私の服を! 薄汚いガキどもが触ったせいで汚れてしまったではないか!」


 ……襲われたって言ったよな? そこはどうだっていいんかい、と心の中でツッコみつつ中佐が見せつけてきた汚れを覗き込む。が、少々ホコリが付いてる程度で汚れはどこにも見当たらない。汗臭さと体臭の方がよっぽどひどいことになっている。


「私には至って清潔に見えますが?」

「貴様の目は節穴か! 汚い平民風情が触れたのだぞ!」

「仰る意味が良くわかりませんが、服など洗えば結構でしょう。その程度で守るべき市民を一方的に叩きのめそうとは、ご貴族というのはずいぶんと器の小さい方を表す言葉の様ですな」

「なぁっ!? 貴様……貴族である私を愚弄するかっ!?」


 前に胃袋に入れた豚もそうだったが、貴族を笠に着る連中は何故か異様に沸点が低いよな。私見だが、貴族をステータスか何かと勘違いしてる奴らほどこの傾向がある。他に拠り所がないからかもしれんが、貴族という生き方に誇りを持っている人間ほど些細なことに心を乱されたりはしない気がする。


「そんなつもりはございません。ただ――」突きつけてきた警棒を手で避けて周囲へ視線を巡らせる。「こうした衆人環視の中で軍の制服を着た人間が暴力を振るってしまえば、皆どのように思うでしょうね?」

「薄汚い街の薄汚い愚民どもがどのように思おうが知ったことかっ!」

「だとしても噂はまたたく間に広まるでしょうな。無抵抗な子どもを一方的に滅多打ちにする軍人貴族。今流行りのジャーナリスト気取りのゴシップ記者が喜びそうです。そうなれば軍人としても貴族としてもビアンキ閣下、ひいてはご懇意にされてる他の貴族の方々の評判にも傷がつくのではありませんか?」

「くっ……むぅ……!」


 個人的には別段コイツの評判がどうなろうが構わんし、むしろ社会的にダメージを受けてくれた方がおとなしくなって余計な仕事が減りそうな気がしてならないが。

 とはいえ、私の言葉が多少なりとも平静さを取り戻すきっかけになったのか、はたまた言いくるめられたのが悔しいのか口元をムズムズとさせながら警棒を降ろしてくれた。

 もっとも。


「ふんっ!」


 振り上げた拳の降ろしどころが見つからなかったようで、警棒で私の横っ面を最後に殴り飛ばしてくれやがったが。


「私に楯突いた貴様の勇気に免じてこの一発で済ませてやろう!

 だがガキども! 二度目はないから覚えておけ! いいなっ!!」


 八つ当たり相手の私には目もくれず、ドスドスと豊満な肉体を揺らしながらそんな捨て台詞を吐いてデブ中佐は何処かへと消えていった。それに伴って周囲からも安堵の空気が流れ、集っていた市民たちも銘々に散ってにわかに元の景色へと戻っていく。


「大丈夫ですか? 結構強く殴られましたけど……」

「問題ない。この程度、かすり傷にもならん」


 その代わり、いつかアイツのひげ面に犬のクソでも塗りたくってやる。心配するニーナたちに応えつつ心にそう決めて、んでフューラー兄弟の姿を探して見回すが――


「ガキどもはどこ行った?」

「え? あ、あれ? すみません、さっきまでそこに居たんですが……」

「彼らならあそこです」


 アレクセイが指差す方を振り向けば、いつの間にかガキどもは二、三軒向こうのボロ屋の影から覗き込んでいた。ついさっきも見たような光景だが、今度は弟たちに混じってアベルも顔を出している。眉間にシワを寄せてなんとも物言いたげではあるんだが……


「……」


 結局はそのまま一言も口を開かず家の陰へと消えていった。


「あ、ちょっと!」

「いい。放っておけ」


 追いかけようとするニーナの対術式ベストを引っ張って止める。逃げれるってことは怪我もなく元気な証拠だ。ならばこれで私の面倒な仕事も終了だし、ガキのアフターケアなど残業代もらったってお断りだ。何より、ガキとはいえ他人の人生に興味半分で首を突っ込むもんじゃない。

 と、そこに。


「軍警察の犬っころどもが何の用だ?」


 ビアンキとはニュアンスの違う蔑みを含んだ声が、背後から掛けられた。

 私もよく知っているその声に振り返れば、予想通り山のような巨体が目の前にあった。

 二メートルにもなろうかという長身に加えて横幅もでかい。別にどこぞのお貴族様みたいにブヨブヨしているわけじゃあなくてよく引き締まった見事な筋肉で出来上がっている。これで特段鍛えているわけでもなく、軍にいたわけでもないというのだから恐れ入る話だ。世が世ならもうちょっと違う方面で頭角を現してただろうな。


「だ、誰ですか……?」

「名はグートハイル。端的に言えば――スラムの親分といったところでしょうか」


 明らかに怯えたニーナと説明するアレクセイの声を聞きながら改めてグートハイルの顔を見上げる。山賊にしか見えないその顔をさらにブスッと不機嫌そうにしていれば、普通の人間はさぞ生きた心地がしないだろうな。その証拠に戻りかけていた人の流れも、いつの間にか綺麗サッパリなくなってるし。


「別に用があったわけじゃない。単なる見回りだ。ただでさえこの辺りは物騒だからな」

「そうかい。ならとっとと消えな。ここはアンタらがいて良い場所じゃねぇ」

「ずいぶんなご挨拶じゃあないか、グートハイル。何か面白い・・・遊びでも見つけたか?」

「絡むんじゃねぇよ」グートハイルは濃い顎髭を掻いた。「痛くもねぇ腹をほじくり回る連中がいりゃあケツの座りは悪くなる。この町の人間なら全員な。ケツが落ち着かねぇまんまだと、気晴らしにどこで誰が他人のケツに火を付けだすか分かったもんじゃねぇ。曲りなりにも平穏な時間を愛してくれてんなら今すぐに出てってくれねぇかね」


 鼻を鳴らして鬱陶しそうにその鋭い視線をこちらを向けてくる。コイツと無駄に諍いを起こして余計な仕事を自分から増やす必要もあるまいし、ここは撤退するとしよう。

 だが。


「ああ、そうだ。グートハイル」

「なんだよ?」


 舌打ちが聞こえてきそうだが、それでも釘は刺しておかなければな。


「貴様のところの子飼いがガキから金を巻き上げようとしていたぞ」

「……そうかい」

「貴様が稼げないガキに簡単な仕事を回してやってる点くらいは評価している。だが、その金が巡り巡って貴様のところに戻ってきているとなれば評価を見直さねばならんと思うんだが、どう思う?」


 この町は人間らしい生活を送るには厳しい町だが、ガキがガキだけで生きていく分には優しいところだ。そしてそれはこの強面親分の手によるところが大きい。その思惑がどうであれ、な。


「ご忠告、感謝しといてやるよ」

「それが良い。部下の手綱はしっかり握っておけよ」


 私の忠告がきちんと届いたのかどうかは知る由もないが、とりあえずグートハイルも手を挙げて応じ、それを見届けてから今度こそ私たちも北東二番街から立ち去る。

 これで午前の仕事は終わり。後は詰所に戻って退屈な書類仕事を頑張って飯を食って定時過ぎまでのんびり過ごすだけである。

 ではあるんだが。


「気になりますな」

「貴様もか」


 すっかりいつもの調子に戻ったストリートをにらみながら、すぐ後ろを歩くアレクセイに応じる。

 グートハイルの件はもういいとして、あのご貴族中佐の件である。

 たかだか平民が服に触ったくらいで打ちのめそうという性根も十分問題ではあるが、それよりもそんな平民嫌いのご貴族様が貧民街にどうしていたのか。しかもお付きの人間もなく、である。

 何か良からぬことを企んでなきゃいいんだが。


「ま、そこらは私の考える範疇ではないか」


 仮に何か企んでたとしても対処するのはマティアスたち上層部である。あまり当てにならない連中だが、それでも多少は有能な人間たちだっているんだからな。残りが無能どころか害悪になり得るという点でこの国の病みっぷりに立ちくらみしてしまいそうだが、そこは目をつぶっておいて我々は兵隊らしく、お上からの指示を受けて動くとしよう。じゃなきゃやってられん。

 それよりも今日の昼飯は何を食うか。喫緊の課題はそれだ。

 部下たちと昼飯談義をしながら二番街を離れていき、詰所にたどり着く頃には中佐のことなど私の頭の中から綺麗サッパリ消え去っていたのだった。

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