2-1. 本日の巡回は北東二番街方面

 世間は活気に溢れて空は快晴。夏の暑さもすっかり過去のものであり、芝生で寝転がって本を読むもしても旨い酒を昼間からかっ食らうにしても最高な気候である。

 にもかかわらず悲しいかな、本日の私はと言えば出勤してからずっと机にかじりついて書類仕事を続けるばかりである。ただでさえ嫌いな仕事だというのに安い椅子に座って文字ばかりみているとだんだんとやる気が失せてくるのは仕方の無いことだと思う。ついついペンを回したりあくびを漏らした挙げ句にペンと体を机に放り出した私をいったい誰が責めることができるだろうか。


「隊長」


 部下の手前、普段はそんなだらけた真似はしない――異論は認めない――のだが、偶然やってしまった時に限って誰かに見られるこの現象はなんなんだろうか。

 声を掛けられバツの悪い思いを抱えながら体を起こせば、いつもどおりの無表情でアレクセイが書類を差し出していた。


「昨日の傷害事件に関する調書を作成しました。ご確認願います」


 どうにもアレクセイに見下ろされると叱られてる生徒になった気分である。もちろん曹長にそんな意図は無いにせよ、だ。

 そんなことをつらつらと考えながら書類を受け取り、パラパラと中身を確認していく。いつもながら見た目のゴツさによらず分かりやすい丁寧な内容だ。おまけに文字も綺麗で読みやすいときた。いつも解読する段階で頭が痛くなるカミルあたりにはぜひとも爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。


「問題ない。引き続きこの調子で頼む」


 サラサラとサインをして返す。さて、後少しでキリが良いところまで終わるわけだし、私も気を取り直して頑張るとするかな。

 机の端へと追いやられていた書類の束をひっつかんで再び視線を落とす。が、頭上から降り注ぐ影がどういうわけか一向にいなくなる気配がないのは一体どういうことだろうか?


「どうした、曹長? 何かまだ用か?」

「ああ、いえ……そういうわけではありませんが」


 なんだ、歯切れが悪いな。言いたいことがあるならハッキリ言え。


「では。たいした話ではないのですが、少々隊長がお変わりになられたように思いまして」

「そうか?」

「何と言いますか、少し雰囲気が柔らかくなられたように感じます」

「そんなつもりはないんだがな。特に何か物理的に変えたわけでもないぞ」

「そういうことでしたら、隊長が吹っ切れられたからでしょう」


 そう言ってアレクセイが傷の入った頬を緩めた。室内を見回すと、程度の差はあれ、全員がなんというか、その、微笑ましい目で見返してきた。

 いやはや……参ったな。半信半疑だったがニーナの言ったとおり皆にはバレバレか。感情を隠す、という点でいかに私の自己評価が高かったかがよく分かる。恥ずかしい限りだ。


「貴様たちには迷惑を掛けたようだな。だがもう本当に大丈夫だ」

「それを聞き安心しました」

「ほらやっぱ言っただろ? ニーナの嬢ちゃんを送り込むべきだって」


 アレクセイとのやり取りを聴いてたカミルもやってきてニヤッと笑いながら私の机に座った。なるほど、ニーナが教会にやってきたのはやはり貴様の差し金だったか。


「まーな。余計なお世話って言やぁそうかもしらねぇけど、でも嬢ちゃんなら上手いこと隊長を癒やしてくれると思ってな」


 悔しいがカミルの目論見通りである。ニーナのおかげで確かに私は救われたし癒やされもした。ここは礼を言っておこうじゃないか。


「お、やけに素直じゃねぇか。こりゃ思った以上に効果があったってことかね?

 ――で、実際どうだったんだよ?」


 カミルが歯を見せて笑い、そして急に顔を近づけてきたかと思うと声を潜めてそんなことを尋ねてきた。どう、と言われてもな。お前は一体何があったと思ってるんだ?


「とぼけんなって。ニーナのあのでっかいおっぱいを堪能してきたんだろ? 大丈夫、隊長の趣味は知ってる。誰にも言いふらしゃしねぇよ。男も女も、やっぱアレ・・すりゃ一発で気持ちが入れ替わるってもんだよな」

「……」

「んで、やっぱ隊長がタチ・・でニーナがネコ・・か? それとも意外とベッドの上だと隊長の方がネコ――」





 さて、と。


「それではこれから巡回に向かう。当番の者は全員五分以内に準備を完了させて詰所前に集合しろ」


 装備を身に着け帽子をかぶりながら部屋にいる連中に向かって命令すれば、威勢の良い返事が響いた。厳つい連中がバタバタと奥の装備室へ走っていき、またたく間に詰所内はガランとなった。残っているのは居残り組が数人と――全身から煙を上げて倒れているカミルだけである。


「カミル。そんなところで寝てられると邪魔だ」


 煙と一緒に香ばしく焼けた匂いを立ち上らせているカミルを蹴り飛ばして壁際に退ける。「ふげふっ……!」などとうめき声が聞こえてきたような気がするがそれはきっと気のせいだろう。なにせ他の連中も誰一人反応してないしな。


「ニーナ! お前もさっさと準備しろッ!」


 相変わらず整備室にこもりっぱなしのニーナに向かって怒鳴ると、中から「ガシャーンッ!!」と椅子が倒れる音が盛大に響いた。間違いない。アイツ、寝てやがったな。

 目覚めたらしいニーナが慌てて準備を始めたようで、遅れてガチャガチャとけたたましい音がし始めたのでその音を聞きながら私は一足先に外へと向かう。

 そうして待つことしばし。キッチリ五分が経過する頃には全員がキレイに整列していた。ちなみにニーナだけは一人すでに息も絶え絶えである。が、時間には間に合った事だし、仕事中に居眠りしてたことは見逃してやろう。


「本日はどちらを巡回しますか? 予定では北九番街方面ですが」

「そうだな……」


 予定通りの巡回コースを行くか、と思ってその旨を告げようと顔を上げたところでニーナと目が合い、そこでふと思いついた。


「ニーナ。貴様が王都に来てどれくらい経つ?」

「え? えぇっと……もうすぐ九ヶ月ってところですかね?」

「そうか。なら――北東二番街方面に行ったことは?」


 方面を告げると隊員たちがかすかにざわついた。


「ないですけど……そっちに何かあるんですか?」


 ニーナが不安そうに尋ねてくるがまあ心配するな。はぐれなければ・・・・・・・何もない。それに百聞は一見に如かずとも言うしな。せっかくだし王都の一面をニーナに見せてみるのも良いだろう。


「では本日の巡回は北東二番街方面とする! 全員いつも以上に気を引き締めて行くようにッ! いいなッ!」


 ますます不安そうなニーナを他所に、こうして本日の巡回先は決まり、我々は一路北東方面に向かったのである。






「なんか、雰囲気が変わってきたような……」


 北東二番街に近づくに連れて、私の後ろを歩いていたニーナがそんな感想を漏らした。まあその認識は間違ってない。


「この辺りはいわゆる貧困層が生活してるエリアですからね。中央街近くと比べると街の活気も華やかさも違いますよ」


 ノアが言うとおり、北東エリアの一から三番街は貧困街が連なっている区域だ。全部が全部貧困者というわけでもなく、金を余らせた篤志家や好事家が居を構えてるなんてこともあるが、基本的にその日の生活にも困る連中が多く住んでいる。

 なもんで、当然ながら治安も良くない。ここらは本来は一、二番隊が事件に対応することになってるが、件数も多いから我らが十三警備隊もこうして時折警らに回っているというわけだ。


「気をつけた方が良いですよ? ここらへんはまだ良いですけど二番街の奥に行ったら、気を抜いた瞬間にとんでもない目に遭いますから」


 なんだノア、突然先輩風吹かせて。ずいぶんと訳知り顔じゃあないか? さすが経験者は違うな。


「そりゃもう……。おかげでひどい目に遭いましたから」

「……何があったんです?」

「何があった、というよりもその後の訓練の方がやばかった記憶しか残ってないです……」

「軍人たるものが素人に裏をかかれるなど、恥ずかしいことだ。私の目の黒いうちに二度と失態を起こさせるわけにはいかない」


 その時のことを思い出したらしいノアが死んだ魚の目をし、ノアをしごいたアレクセイが表情一つ動かさず応じた。気をつけろよ、ニーナ。いくら整備要員とはいえ、最低限自分の身を守れなかったら貴様も後で特訓だからな?


「うう……何が起きるか分かんないですけど気をつけます」


 そんな会話をしながらさらに進んでいき、やがて我々は二番街に到着した。

 貧しいエリアだからといって別に極端に町並みが変わるわけじゃあない。きれいな新築の建物だってあるし、通りを歩く人々の様相はパッと見じゃあ中央街と変わらない。

 けれど確実に古くてボロい家屋の割合は増えているし、計画性なしに家を立てたせいで路地の幅が極端に狭くて昼間でも薄暗かったりしている。道にはゲロと血の跡がそこかしこにあって、いかにも何か起こりそうな雰囲気である。

 そして何より。


「もう一度伝える。決して気を抜くな。我々はここでは歓迎されてないからな」


 ニーナに言い含めながらチラリと道の左右を確認する。

 たとえば朝市広場だと商売してる連中が両手を挙げて歓迎してくれる。なにせ果物をくれるわ、野菜をくれるわ、朝飯をくれるわと大忙しである。その理由として真っ先に考えられるのが、私を自分たちの孫娘か何かと勘違いしてるんじゃなかろうかというのがなんとも喜びづらいところではあるが、少なくとも友好的なのは間違いない。

 しかしここでは道端に座った連中が我々を親の仇かのような視線で睨みつけてくるし、古びた店の中からだって暗がりで輝く白い目がジロリと様子を伺っている。これでここの連中を友好的に思えるんなら、頭の中でだいぶ立派なお花畑が育っているに違いない。


「……」


 すぐ後ろからニーナの息を飲む音が聞こえた。良いことだ。ここがどんな場所か肌で感じとったらしく、術式銃を強く握りしめつつ左右を気にしている。

 が――やはりまだ脇が甘いようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る