1-2. とある会議の一幕(その2)

「まあまあ、落ち着きましょうではないですか」

「ブルクハルト准将……」


 パンパンと乾いた拍手が部屋に響き渡り、部屋中の視線がそちらへ向かった。

 ブルクハルトと呼ばれた中年将校は場にそぐわない穏やかな笑みを浮かべた。口ひげと頭髪に白いものを多分にたくわえた苦労人を思わせる風体で、しかしながらおおよそ軍人らしくない印象の彼は、場の緊張が幾ばくか解れたのを確認するとタレ気味の目尻をいっそう下げてゆっくりと、だがハッキリと通る声で口を開いた。


「ご注目、どうも感謝致します。

 さて、我々は軍人。戦いを生業とする人間であり、ぶつかり合うのは我々の抱える業とでも言いましょうか。しかしながら戦う相手は味方にあらず。互いに思惑のズレはありましょうが、熱くなるのは戦場だけにしておこうではないですか」


 そのやや芝居がかった口調に毒気を抜かれ、なんとも言えない空気感が立ち込めていく。それを機と見たブルクハルトが一気に畳み掛けていった。


「フランドル担当官。予算案の編成ご苦労さまでした」

「え、ああ、はい、ありがとうございます……」

「各部門から上がってくる数字は膨大。幾つかの取り違えがあったのも致し方ないところです。幸いにもまだ正式な案ではないのですから、現段階でミス・・が明らかになったことを僥倖と捉えましょう」

「は、はい」

「ゼーマン准将。軍の費用で立て替えた・・・・・金額は年度末までに処理しましょう。そうすれば大きな問題にはならないはずです」

「……そう、ですな。そう致しましょう」

「ルーベンス中将。費用削減に長けた官僚が知り合いにおります。彼に任せれば費用をかなり削減できると存じますので、紹介致します」

「う、む……助かる」


 マティアスがやり玉に挙げたゼーマンとルーベンスの二人にも逃げる口実を与え、瞬く間にその場をとりなしていく。


「ああ、そうです、フランドル担当官。正式な予算案の時は公平誠実・・・・な案となっているか、ぜひともご確認をお願いしますね」

「は、はい……承知致しました」


 そしてもちろん釘を指すことも忘れない。これによって中央貴族側と叩き上げ将校側の双方の不満を抜くことに成功し、ブルクハルトは一堂に向かって穏やかに微笑んだのだった。


「さて――これで本日の議題は以上ですかな?」






「マティアス王子」


 会議が終わり将校たちがぞろぞろと出ていく中、真っ先に出ていったマティアスに声が掛けられた。


「ブルクハルト准将」

「どうもどうも。もう定時は過ぎておりますが、これからまたお仕事ですかな?」

「ええ。要領が悪いのかどうにも片付かなくて」

「いえいえ。貴方のような御方が本来しなくても良い仕事まで買ってくださっているからこそお忙しいのでしょう――先程のように」


 柔らかく労りながらブルクハルトが指しているのが今しがたの会議ことだと気づき、マティアスは気まずそうに頭を掻いた。


「つい余計な口出しをして会議を混乱させてしまいました。申し訳ない」

「とんでもない! 王子が声を上げてくださらなければ中央貴族共に良いようにされてしまって、苦しい一年を送らねばならなくなったでしょうからな。礼を述べなければならないのはこちらの方です」

「そう言って頂けると助かります」

「しかし……失礼ながら、王子が自部門だけでなく他部門の数字まで記憶されているとは意外でした。まして、あの場でああもハッキリと主張されるとは」


 心底驚いた、とばかりに感心した様子のブルクハルトだが、マティアスとしてはほぞを噛む思いだった。

 これまで表では無能な王子を散々演じてきたのに、苛立ちに任せてついついその皮を自分から剥がしてしまった。ただの一事で本性が見破られるとも思えないが、これからは再び注目を浴びぬよう一層気を引き締めていかねば。

 そう心に決めつつ「たまたまです」と謙遜で返すと、ブルクハルトは一度苦笑いを浮かべるも表情を曇らせていく。


「ご謙遜なさらずとも結構ですよ。しかし……少し冷静になるべきでしたな」

「はあ……と、言いますと?」

「あまり政治の場に関わらない王子にはピンとこないかもしれませんが、貴族、特に王都付近に出自を持つ者たちはプライドが高いですからな。ああも衆人の中で糾弾されたら、いかに正論であろうとも襟を正すどころか余計な反感を買ってしまうでしょう」

「……確かにそうかもしれませんね」

「それだけならばまだ良いのですが……下手をすると逆恨みされて危害を加えられることさえありえます」

「まさか」

「ええ、私もそう思いたい。ですが必ず無いとも言い難いものなのです。どこのものとも知れない人間に実行させ、証拠は残さず自らの手を汚すこともない。貴族というのはそれくらいは平気で行うものなのですよ」


 王子という立場もあり、またこれまで目立たぬよう活動してきたマティアスは、そういった懸念に思いを巡らすことは少なかった。だが彼の言うとおり、そうした話にも今後は注意を払う必要があるのかもしれない。厄介なことだ、とマティアスはため息をつきたくなった。


「ぜひとも王子には今後も不正を正していって頂きたいと思っておりますが、方法については努々お気をつけ頂きたいと、王家に仕えるものとして、そして軍の現況を憂う同士として申し上げます」

「諫言、痛み入ります。王族という立場に気兼ねしているのか、そもそも眼中にないのか、准将のようにご指摘頂けるのは非常にありがたいです」

「とんでもない。遠くない将来、王子は軍を率いられる御方と信じております。故に今のうちに恩を売っておこうという浅はかな考えですよ」


 謝辞を口にしたマティアスに、ブルクハルトは苦笑を浮かべておどけた素振りを見せると「ではこれで」と恭しく一礼。そうして去っていく彼の後ろ姿を見送りながらマティアスはポツリとつぶやいた。


「……准将のような方がもっと上にいればな」


 そうであれば自身も余計なことに頭を悩ませずに本来の仕事に、そしてアーシェと共に目指すプロジェクトへと注力できるのに。

 これも罰なのだろうか、いずれ――すべてを終わらせる事への。

 そんなことを思い、ままならないものだな、と軽くため息をつく。が、今はやるべきことをやるだけだと気持ちを入れ直すと、マティアスは自分の城たる執務室へと重い足を滑り込ませていったのだった。






Moving Away――

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