File7 王都の影にはびこる陰謀
1-1. とある会議の一幕(その1)
――Bystander
マティアスは必死にあくびを噛み殺していた。
全身全霊をもって口が開いてしまうのをなんとか防ぎ、素知らぬ顔で同じ部屋にいる将校たちの顔を見回してみる。だが誰一人としてマティアスの方を見ているものはおらず、どうやら失態はバレていないようだった。
(それはそれで寂しいものなんだが……)
別に咎められたいわけではない。が、それはつまるところ誰も彼に対して注意も敬意も払っていない証左でもあった。
しかし仕方のないことでもある。誰しもがマティアスのことを形だけのお飾り将校としか思っていないし、マティアスもまたそのように振る舞っていたのだから。
(まあ、それはいいとして――)
ニコニコと笑みを保ちながら、冷静な瞳が出席者を射抜いていく。現在も議事は進行しているのだが、出席者の半数である中央貴族でもある将校たちはそれぞれ隣の席の将校と声を潜めて会話したり居眠りをしている。真面目に参加しているのは、平民出身の叩き上げ、もしくは地方にルーツを持つ比較的若い貴族将校ばかりだ。
これが軍の上層部の実態だと思うと情けない限りだが、彼らの態度も当然ではある。なにせ議題の結論はほとんどがすでに決まっているのだ。蚊帳の外の叩き上げ将校たちから時折異議の声も上がるが、それも言葉巧みに説き伏せられて終わりである。
戦時であればまったく発言力を失う彼ら中央貴族将校たちだが、平時となればその立ち回りと根回しの周到さを出し抜くのは困難極まりない。
もっとも、その能力は言い換えれば利害の調整能力とも言い変えることができた。みながバラバラの方向を向きやすい平和な今において必要な力であることは彼も理解している。
とはいえ。
「気に入らないな……」
それも度が過ぎれば害悪でしかない。結果として割を食うのは国民であり、時流を見誤れば他国に付け入る隙を与えてしまう。王家の一員としてマティアスは不愉快であった。
そして何より。
(寝る間もないほど忙しいというのに――)
このような茶番に付き合わされて時間を無駄にしなければならないこと。それこそがこの場を最も憎むべき理由であり、取り繕った笑みがひきつり指が苛立たしげにテーブルを叩く頻度が増えていった。
そんなマティアスの思いとは裏腹に会議は滞りなく牛の歩みで進んでいき、やがて苛立ちを抑え込むのも限界になろうかという頃、司会者が「次が最後の議題となります」と発して彼はようやく解放されたような心地を得た。
「来年度の予算案について、セジュール・フランドル財務担当官お願いします」
「はい。軍財務部では今年度の各部門予算計上状況と今後の見通しから来年度の予算案を作成しました。まだたたき台の状態ではありますが、ご意見を賜りたく。詳細についてはお手元の資料を御覧ください」
立ち上がった痩せぎすの男が声を張り上げながら、カマキリを思わせる細い目を全員に走らせた。それを受けてマティアスを始め、全員が紙をめくる音が部屋に響いて――反応が二分した。
一つはこれまでの議事進行と同じく、あくびやら談笑やらを始めるグループ。そしてもう一方は、内容を知らされていなかった中央貴族出身以外の将校たちだった。
もちろん事前に知らされてなかったというだけでここまでの渋面は浮かべない。彼らが一様に眉間にシワを寄せたのは、示された彼らの統括する部門の予算案が軒並み渋いものであったからだ。
そのうち、大幅な減額を示された将校の一人が拳を震わせながらフランドル担当官を睨めつけていた。そして進行係の「異議のある方は挙手を」という発言を受けるや否や鼻息荒く手を上げようとして。
「――私から幾つか良いだろうか?」
しかし彼よりも早く手を上げた者がいた。これまで何一つ発言をしなかったマティアスだ。そんな彼が挙手をしたことに驚きながらも進行係が指名すると、拳を震わせていた将校に「先に失礼します」とばかりに目配せをしてマティアスは立ち上がった。
「これはこれは。マティアス王子。ご興味を示して頂けて光栄です」
「……さすがに私にも直接関係ある話だからね。幾つか気になる点があるが、聞かせてもらっても良いかな?」
「もちろんですとも!」フランドル担当官は大仰な仕草で歓迎した。「ぜひとも王子のご意見を拝聴させて頂きたく存じます」
「ありがとう。ではまず、私の統括する技術開発部門の予算がかなり減額されているようなのだが――」
「いやはや、そこは私としましても心苦しいところでして!」
マティアスが言い終わるより早くフランドルが声を張り上げ、申し訳無さそうに眉尻を下げつつも滑らかに言葉を続けた。
彼の主張は、端的に言えば政府の軍予算縮小要請に応えるためにはどうしようもなかったというものだ。各国との戦争が収束した以上、技術研究費用に多額の予算をつけるのは難しく、要求するにはこれまで以上に目に見える成果が必要だと、慇懃な言葉を重ねて説明してくれた。
技術者視点で見れば十分に開発成果は上げているつもりだが、金を出す側からはそうは見えないのだろう。どちらの視点も理解できるマティアスは苦笑いを浮かべた。
「なるほど、ご配慮感謝する」
「ご理解感謝致します。では他の方の――」
「とはいえ、だ」マティアスは語勢を強めた。「この予算配分はずいぶんとそこのお歴々が優遇されているように見えるが、それは如何なものかな?」
その瞬間、会議室の空気が一気に変わったことを誰もが感じ取った。
それまで不勉強な王子様に道理を説明して
「何を仰るかと思えば……そのような事は一切ございませんよ」
「そうかな?」
「ええ。各部門の数字を見て頂ければお分かり頂けるかと存じますが、ほぼどの部門にも予算削減をお願いしております。極一部には前年から増額させて頂いておりますが、それとて先日甚大な被害を受けた西部方面軍など、真に必要であると判断できるものに限られております」
フランドルはそう言ってヒラヒラと資料の書類を振りかざした。確かに書かれている数字を見れば、彼の言うとおり殆どの部門が今年度より減らされている。
もっとも。
「書かれている数字が、真実正しければそうだろうね」
「……何を仰りたいのでしょう?」
応じながらもフランドルの目に動揺が走ったのをマティアスは見逃さない。
「私の記憶に照らし合わせてみたが、兵站部門、王都周辺の都市における警備・警察部門、それに貴殿の所属する財務部門については今年度に
「い、いえ、そのようなはずは……」
彼が挙げた部門はいずれも中央貴族出身の幹部が統括する部門である。叩き上げ将校たちの視線が一斉に向けられ、名指しされた将校たちは忌々しげに舌打ちをした。
冷や汗を流しながら、なおもフランドルは反論しようとするがそれを手で制すると、マティアスは自身を密かに睨みつけていた将校へと鋭い視線を向けた。
「そういえばゼーマン准将。貴殿は余った予算で名画を買い付けていましたね? その様な物に費やせるほど金が余るとは、ずいぶんと効率的に仕事をされたようだ」
「そ、それは……」
「ルーベンス中将。自領の安定が大事なのは理解します。しかし、その人員と費用を国軍から引っ張ってくるのは如何なものかと思いますがどうでしょうか?」
「う、ぐ……」
国中に張り巡らせた監視網。それによって得られた情報を基に、マティアスは有無を言わせぬ勢いで不都合な事実を叩きつけていった。無論そこには、これまで無駄に時間を使わされた腹いせが多分に混じっていた。
中央貴族たちがかじる果実の代償を支払わされそうになったと知った叩き上げ将校たちの表情は憤懣やるかたないばかりになり、思惑をバラされた中央貴族将校たちもまた鼻を鳴らしてふんぞり返り、文句があるなら言ってみろとばかりに開き直っていた。
いつの間にか会議室の空気が重苦しいものに変わっていた。大げさに言えば一触即発。ピリピリと今にも緊張がはち切れてしまいそうだった。
と、そこに――
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