5-1 ……燃えてるな



 私は今、言葉を失っている。

 言葉を失うくらいならいい。だが私ともあろう者が脚を動かすこともできず、ただ呆然としてしまっていた。

 まだまだ私も二十七歳。長い人生で考えれば若輩の部類だろう。だがこれでも数々の困難を体験してきたつもりだ。戦場では寝ているところに砲弾が降ってくるなんて珍しくなかったし、目の前で仲間の頭がぶち抜かれる、なんてショッキングなシーンも飽きるほど経験している。

 しかし、しかしだ。

 さすがに――自宅の火災現場に出くわすとは思わなかったなぁ……


「……」

「……」


 私たちの目の前で教会が燃え盛っていった。そりゃもう盛大にごうごうと。

 いや、確かに坂道を登りきる前からなんかおかしいとは思ってはいたんだ。夜中で街灯もろくにない山の中だってのに妙に明るかったからな。だがしかし、だ。台所の火すらここ数日ろくに入れてなかったってのに家が燃えてるなんて誰も思わないだろう?


「……燃えてるな」

「……燃えてますね」


 なんとも衝撃的すぎて二人してそんな当たり前の感想しか出てこない。ボロボロだった教会をタダ同然に買い叩いたやつだし、神に祈るどころか唾をぶっかけることしかしてなかったが……結構気に入ってたんだよなぁ。

 幸いだったのは、溜め込んでた高い酒をこの数日でほとんど飲み干してしまってたことか。それでもまだそこそこの値のヤツは残ってたんだが、ああ、もったいない……

 立ち尽くしてそんなことを考えていると、どこからともなく「ひゅるるるるる……」と甲高い音が空から響いてきた。見上げれば、真っ赤に光る何かが空を舞っていた。

 曲率の大きな弧。見事な放物線だなぁと現実逃避しながら見送って。

 そいつがきれいに教会に着弾して。


「……」


 そして盛大に爆発した。

 砲弾の爆風が熱風を引き連れて私の全身を軽く炙り、アップにまとめていた髪はまたたく間にぼっさぼさ。足元には教会の一部だった木くずが燃えながら次々に転がってくる。その中に偶然にも燃えてないのがあったので何気なく拾い上げてみれば、何の因果かそいつは私が毎朝昼晩に中指をおっ立ててる神の偶像だった。


クソがシャイセ……!」


 自分に祈れば火を消してやるとでも言いたいのか、クソッタレめ。なんでこの状況でまで貴様の顔を眺めなきゃならんのだ。皮肉なことに神のクソッタレのおかげでようやく現実逃避から返ってこれた。なので礼として膝で真っ二つに割ってから教会へと投げ返してやった。

 しかしだ。燃え盛り続ける教会を眺めながらタバコに火を点けた。いったいいつからここは戦場になった? 時々やってくる野盗やらを除けば王国でも平穏な土地だと思ってたんだが。


「ハハハッ! いやぁ、よく燃えているじゃあないかっ!」


 タバコを吹かしてると段々と頭も落ち着いてきた。というかもう諦めの境地になっていたんだが、そんなところになんとも場違いなノーテンキ声が響いてきた。

 振り返ってみる。するとなぜだか金髪、長身の男がそこにいた。

 教会から上がる炎に照らされたサラサラの金髪をキザったらしく掻き上げると、暗闇でも輝く白い歯を見せびらかして笑う。着ている物もさぞ高級そうだしずいぶんチャラチャラして、どうひいき目に見てもこんなど田舎の、しかも火災現場にゃふさわしくないしいてほしくもない人間だ。そいつの後ろからはさらに何人か姿を現してきて、このチャラ男におもねるような様子で付き従っていた。

 さて、コイツが何者なのかっていうのは気になるところではあるんだが今の口ぶりからすると、だ。


「教会を燃やしてくれやがったのはお前ってことでいいな?」

「そのとおり。古臭い何かが燃え尽きていく様子というのは実に気持ちのいいものだね」


 人ん家燃やしてくれて何笑ってんだよ。しかもさっきから何回髪掻き上げてんだ。邪魔ならその無駄に長い髪を切れ。今ならもれなく私がそのドタマで焼畑農業やってやるよ。

 だがとりあえずまずは一発ぶん殴ろう。そう決めて一歩踏み出したところで、チャラ男がまたペラペラと喋りだした。


「しかし……話には聞いていたがまさかこんな子どもとはね。たかが子ども一人を恐れて手を出さないとは、ウチの上層部も落ちたものだ。

 まあいい。確かキミの名は……そうそう、『アレーナ』だったかな?」

「坊っちゃん坊っちゃん、『アーシェ』でございます」


 誰だよアレーナって、と突っ込もうとしたら先に取り巻きから訂正が入った。


「ああ、失礼。モテすぎるおかげで周りが女性ばかりでね。ついつい似た名前と混同してしまったよ」

「全然似てねぇよ」

「それでアーシェ」


 無視して話進めやがった。


「なんだよ?」

「キミにこの僕から直々の提案だ。どうだい――僕と一緒に共和国に来る気はないかい?」


 その提案に、隣のニーナが固まったのが分かった。そして不安そうに私の方を見下ろしてくるが、とりあえずは軽く目配せだけしてチャラ男に向き直る。


「どこの誰かと思えば。なんだ、ランカスターの差し金か」

「そう。我が国の上層部はキミをぜひとも共和国に招き入れたいと思っててね。そこでわざわざパストゥール家の人間であるこのピエール・パストゥールがこんな田舎までやって来てやったというわけさ」

「さすが坊っちゃん。辺鄙な場所にも自分で脚を運ぶのも厭わないなんて、将来の為政者としての鏡ですぜ」

「よせよ。これくらい、上に立つものとして当たり前のことさ」


 ……人を迎え入れようって割にはなんとも上から目線なことだ。太鼓持ちの言葉に謙遜しつつもずいぶんと満更でもなさそうだし。そもそも問答無用で相手の家を燃やしといてハイそうですか、と言うとでも思ってるんだろうか?

 しかしパストゥールか。私の記憶が確かなら、ランカスターが革命で共和制になった時から続く名家だったはずだ。愛国党のかなりの有力者だったと思うが……本当にそんな人間がコイツを派遣したのか?


「それで、返事はどうだい? もっとも、この僕が誘ってる以上断るなんてことはありえないだろうがね。ハハハッ!」


 ……なんだろうな。コイツの声を聞けば聞くほど共和国も「なんかもうダメなんじゃね?」って感がしてくるんだが。

 しかし、だ。殴るのは簡単だがおしゃべりだし、もうちょっと調子に乗らせたままにしとくかね。


「それで、仮に私がランカスターに行って、何かメリットはあるのか?」

「アーシェさんっ!?」

「もちろんだとも」

「へぇ、ぜひとも聞かせてもしいもんだな」

「ふむ、たくさんありすぎてどれから話していいか分からないくらいだが、何と言っても」

「何と言っても?」

「私と一緒に暮らせる」

「……は?」


 思わずそんなマヌケ声を出してポカンとしてしまった。ニーナを振り返れば同じ顔をしてるから、どうやら私の聞き間違いじゃなかったらしい。

 そんな私たちの反応をよそに、このチャラ男はクルッと回って歯をキラッとさせると髪をファサァ、と掻き上げた。


「私が飼ってあげる・・・・・・というのさ。それが何よりもメリットだろうね。何なら私の四番目の妻くらいにはしてやってもいい。もちろん不自由はさせないよ? 他の妻たちを優先しなければならないから中々相手はしてあげられないだろうが、なに、寂しい思いはさせないさ。おそらく子ども相手となるとよからぬ噂を立てる輩も出てくるだろうが気にすることはない。僕は、その程度で態度を変えるような狭量な人間ではないからね」

「さすが坊ちゃん! これで『紅』を共和国に連れて帰れれば間違いなくお父様も両手を挙げて喜んでくださいますよ」

「ハハハッ! そうだろうそうだろう! 黙って出てきてしまったが、これで父上も僕を見直してくださるだろう!」


 ……なんとなく話が見えてきたな。要は、コイツは実績が欲しいわけか。

 私を引き入れたいというのは共和国の上層部も同じだろう。今までも散々誘いはあったからな。まあわざわざ王国を裏切ってまで共和国に行くメリットもなかったからガン無視してたんだが。

 それでも強引な手段に出てこなかったのは、他国の人間を引き入れるのかという政治的な駆け引きと、それによって王国が共和国と敵対する帝国側に付くこと恐れているからでもある。

 それで中々動けなかったところに私の話を聞きつけたこのチャラ男バカが、「お父上に褒められたくて」政治的な駆け引きだとかそんなの一切合切を無視してやってきた、というわけか。真相は知らんがおそらくはそんなところだろう。


「ちなみにだが……そういう話ならなんで教会を燃やした?」

「そんなもの、敵だからに決まっているだろう?」

「え?」

「ん? 何かおかしいかな?

 そもそもキミのような王国の人間を我が国に迎え入れようというだけでも苦渋の決断なのだよ。殺せるのならば殺してしまった方がいいに決まっているじゃあないか。幸運にもキミは逃れたようだからこそ、その悪運の強さに免じて次善の策としてキミのような女でも我がパストゥール家の末席に加えてやろうとわけなのさ。光栄だろう?」


 ……えーっとつまり、だ。コイツのファーストチョイスは私の殺害で、それに失敗したから嫌々だけど懐柔策に切り替えた。そう言いたいわけだな?


「アーシェさん、この人ひょっとして……」

「言うな……余計疲れるから」


 殺そうとした相手にペラペラと喋った挙げ句に「すごいえらいボクの家の末席に加えてあげるよ。ホントは嫌なんだけど (意訳)」ということか。これで懐柔策だと思って、しかも私が断ることなんてないくらい破格の条件だと勘違いできるって、いやはや、すごいバカだ。ここまで来ると呆れを通り越して尊敬できるよ。

 しかしまあ、こうもバカ相手だと気遣いも一切しなくていいから気が楽だな。


「さ、答えを聞かせてもらおうか?」

「断る」

「そうだろうそうだろう、まさか断るなんてことは――んなっ!?」


 いや、そんな信じられないものを見たような顔をされてもな。


「ほ、本気で言ってるのかい? パストゥール家に迎えてやろうと言ってるのだよ?」

「パスカルだかラスカルだか知らんが、ンな家柄に興味ないな」


 というか、革命が起きて平民が主役となった共和国こそ男女も関係なく、まして家柄だとかの優劣に無縁だと思ってたんだがなぁ。共和国出身の人間からも悪くないという話を聞いてたし期待してたんだが……結局はどこの国も偉くなってしまえば変わらんということかね。悲しいことだ。


「……もう一度聞いてあげるよ? 共和国に来て、我がパストゥール家の一員になり給え」

「くどいな。貴様の宗教では家柄がどれだけ偉大なのかは知らんが、私にとってはクソ程度の価値しかない。クソを押し付けてくるな、クソが」

「そこまで我がパストゥール家を侮辱するか……!」


 クソクソ連呼してやるとチャラ男の顔がいよいよ後ろの教会もかくや、とばかりに真っ赤になっていった。取り巻き連中も「口を慎め!」だの「身の程わきまえろ!」だのとやいのやいの騒ぎ始めたが、チャラ男の顔色で怒りの程に気づくと一気に押し黙った。


「もういい……! キミの考えはよく分かった。僕の物にならないのであれば――もう用は無い」


 チャラ男がさっと両手を挙げた。

 途端に茂みがうごめいた。その中に隠れていた伏兵たちが次々と姿を現してきてあっという間に私とニーナを取り囲んでいく。手にはみな術式銃を持ち、仄かに輝く銃口が私たちへと向けられていた。





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