4-3 無かったことにしたい、ですか?


「いやぁ、実に良い酒だったな」


 意気揚々と、私にしては近年稀に見る機嫌の良さで教会へ伸びる坂道を登っていた。

 いやはや、気分は実に爽快。腹は膨れているし旨い酒はたらふく飲めた。おまけに懐もまったく痛んでないときたものだ。ついついスキップしてしまいそうなくらい足取りが軽い。


「でも……良かったんでしょうか?」


 少し遅れて歩いていたニーナが眉をハの字にしてつぶやいた。

 酒場で勃発した騒動。その結末を端的に言えば誰も死んじゃあいないし誰も私の胃袋に入ってもいない。

 爆発は少々派手にしてやったが、術式の殺傷能力自体は車に二連チャンで跳ねられるくらい運が悪くないと死なない程度には抑えていた。

 なもんで特に大怪我もなく、せいぜいが多少の火傷と擦り傷くらい。かつ私にちょっかい出す気を二度と失くさせるという理想的な結末ハッピーエンドを迎えたというわけだ。

 その後は全員を叩き起こして仲良く店内の片付けをさせ、終わったらそそくさと立ち去ろうとする連中を強引に引き止めて飯と酒を心ゆくまで楽しんだ。もちろん飯代酒代そして迷惑料は巻き上げた上でな。


「なんだ、気にしてるのか?」


 あんな小悪党にまで同情するとは、相変わらず優しいな。というか、お前も散々高い酒飲みまくってただろうが。


「それはそうなんですけどぉ……冷静になるとちょっと申し訳無さが」

「良いんだよ。連中の金だって、どうせ誰かから巻き上げた金なんだからな」


 ならばぱーっと使って町に還元してやった方がマシというやつだ。

 それに連中の魂を喰ったわけでも骨ごと喰らいつくした訳でもなし。ちょっとボコボコにして町の誰かから奪った金を町に返したというだけで、ちゃんと五体満足で生きてるんだから連中としても幸運だろうよ。


「なんだか骨までしゃぶり尽くされたような気はしますけどね」

「今頃連中の懐は素寒貧だろうからな」


 まったく、人の金で飲む酒の美味いこと美味いこと。連中は命拾いして店主は収入が増える、私とニーナは美味い酒が飲めて金は減らない。三方一両損ならぬ三方丸儲け。何も問題はない。

 しかし……ちょっともったいなかったかもしれんな。連中もそれなりに悪いことしてきたようで、じゃれながら匂いを嗅げば魂からはちょとばかし腐った匂いがしてた。ど畜生というわけでもないから味はそれなりだろうが、十分美味に入る魂だっただろう。まあ今は飢えてるわけじゃないし、逃したからと言って特別惜しくもないが。


「戦いながらそんなこと考えてたんですか……」

「あんなもん戦いの範疇にも入らんただの遊びだ。それに、相手の魂の味や匂いを感じるのは魂喰いとしての本能みたいなもんだからな」


 実際の行為までは制御できても食欲までは完全な制御はできないからな。別段誰彼かまわず取って喰うわけじゃないし、頭で考えるくらいは許せ。


「そこは私がどうこう言える立場じゃないんで文句は無いですけど……あの、アーシェさん」

「なんだ?」

「やっぱり……過去って無かったことにしたいですか?」


 不意に真剣な声色で尋ねられて、私の脚が無意識に止まった。だが振り向かず、もう一度歩き始める。


「そうだな……」


 過去、と一括りにされると難しい。が、消したい過去、無かったことにできるならそうしたい過去は山程ある。

 マンシュタイン殿たちのことはそうだし、大佐殿の件もそうだ。無かったことにして、やり直せるなら今度こそ未然に防ぎたいというのは今もなお胸の内で強く蠢いている。もっと前の、長くを過ごした戦場の過去だってそうだ。他にも無数の消したい過去、やり直したい過去がある。

 だが一方で失くすのが惜しい過去もたくさんあるのも事実だ。失ったものに対して得たものはどう考えたって割に合わない。割りに合わないはずなんだが……過去を消したいという思いには負けてない。我ながら不思議なんだが、ま、それが人間なんだろうな。


「魂喰いにされたこと……無かったことにしたい、ですか?」


 恐る恐るといった風にニーナが問いを重ねてくる。

 これに関しては……正直、分からないな。

 ちょっと前までは、何をおいても消したい過去だった。人間に戻れるなら戻りたい。もっと言えばこの世界に生まれる前にまで戻ってしまいたかった。魂喰いになってしまったこと、そしてこの世界に生まれ落ちること。それらさえ取り除けるなら、他の苦しい過去など些細なことだとさえ思っていた。

 けれども……魂喰いだからこそ得られたものも確かにある。かけがえのないものを失い、かけがえのない別のものを手に入れることができた。そんな気がする。

 魂喰いにならなければただ生き続けることしかできない人形だったかもしれないし、魂喰いにならなければ今の仕事も、仲間も、ニーナとも知り合う事がなかった。「楽しい」とわずかでも思える今を、手に入れられなかった。

 これもまた魂喰いとなったことで失ったことに比べれば遥かに小さくてささやかなものに過ぎず、到底釣り合わないはずのものだと思うんだが……なんでだろうな。釣り合わなくっても別にいいじゃないか、なんて思いも最近あったりする。


「どうだろうな。ちょっと今は……分からないな」


 だからニーナの問いにも正直に答えた。

 どんな反応をするか気になって振り返ってみたが、それまでの不安げだった顔が少し緩んだような気がした。


「私の話はもう十分だろ。それよりニーナ、お前はどうなんだよ?」

「私、ですか?」

「そうだよ。私ばっかり恥ずかしい話させるってのはどう考えたってフェアじゃないだろ。お前のこっ恥ずかしい話でも聞かせろ」

「良いですけど……アーシェさんに比べると、私なんて平凡で何の面白みもない話ばっかりですよ?」


 いやいや、確かに私ほどクレイジーな人生を歩んでるやつはそうそういないだろうが、お前だって戦争で家族を亡くして自分も腕を失ってんだし十分波乱万丈だからな?


「言われてみればそれもそうですね……じゃあ少しだけ。でもホント聞いてて面白い話はないですよ?」


 そうして帰る道すがらニーナの昔の話を聞いていく。

 それは、コイツが言ってたとおり本当に平凡な話だった。王国の北西部にある片田舎の、それこそ名も知られてない、教えてもすぐに忘れ去られてしまいそうな小さな村の話。

 仲の良い父親と母親に愛されて育ち、それに応えるように父親と母親を愛して育って。村の大人たちからも愛され、村の子どもたちとも喧嘩しながら笑って泣いて過ごしたありふれた物語だった。

 それが変わったのは十歳の時。ランカスターとの戦禍に巻き込まれたこと。その時がすべてだった。

 村は焼かれ、そこで生きていた人たちも死んだ。その中にはニーナの家族も含まれていたが、幸か不幸かコイツ自身は左腕を失いながらもかろうじて生き延びた。


「あの時は辛かったですねぇ。せっかく生き残ったのに毎日死にたいって思ってました」


 それまで戦争とは無縁だった田舎の村が突然襲われて、家族を全員失ったんだからな。当然の話だ。

 そんな感じで毎日泣き暮らしてたらしいんだが、コイツを引き取った親戚が中々のできた御方の様で、自分の子どもでもないニーナを心から愛して育ててくれたのだとか。おまけにわざわざベルンまで連れてって、決して安くない義手をコイツに合わせたカスタマイズまでして購入してくれたらしい。


「思い通りに動く腕を見た時はなんて言うんでしょう……なんか、すっっごく感動して、世界が広がった気がしたんです」


 その結果、コイツは義手や魔装具の沼にどっぷりとハマって今に至るというわけだ。

 戦争は憎むべきものではあるんだが、戦争があったことでこうして一緒に仕事をしているわけで。それを考えると、戦争を悪くないとは言わないが運命の皮肉めいたものを感じてしまうな。


「お前はどうなんだ? 過去をなかったことにしたいか?」

「ん~、そうですねぇ」少し考えて、ニーナは笑った。「みんなが死んじゃった時はそんなことも思いましたけど……でも悪い人生じゃないって今は思ってます。どんな人生でも、きっと全力で生きてれば良いことも悪いこともあって、けど最後には笑ってられるんじゃないかなって。だから私は、辛かった過去も含めて愛せるように生きたいです」

「……そうか」


 辛かった過去も愛す、か。本当に、強いやつだよ、コイツは。

 その心持ちには私はまだ至れてない。思い出すのも嫌だし、何気なく記憶が溢れた時なんかはその度に胸が締め付けられる気がする。

 だがいつか――辛かった過去を「辛かったな」などと笑いながら酒を飲めるようになれるのなら、私もなってみたいものだ。

 そんなことを考えていると、足音が私のものしか聞こえてこないことに気づいた。


「……どうした?」


 振り向けば、さっきまで笑っていたはずのニーナが脚を止めてうつむいていた。近寄ってみれば、暗くて分かりづらいが顔色も青ざめていた。

 ニーナの呼吸が少し浅く、そして次第に早くなっていく。それに気づいてニーナの腰を軽く叩くと、ハッと目を瞬かせた。


「顔色が悪いぞ。何があった?」

「あ……え、ええっと、すみません」

「謝罪はいい。何があったか言え」


 促すと、ニーナはちょっと恥ずかしそうに頭を掻いた。


「ええっとですね、その……ちょっとヤなこと思い出しちゃいまして」

「……お前の村が襲われた時の記憶か?」

「いえ、そういうんじゃなくてですね……なんて言うんでしょう? 記憶というか、現実じゃないといいますか……なんかですね、すっごい暗いところに私がいて、手も足もまったく動かないんですよ。何も見えなくて、すごく怖くて……そこにずっとずーっと長い時間閉じ込められてて……その状態のまま急にストンって、足元の床が消えたみたいに一気にどこかに落ちていって――そこで終わっちゃうんです」

「なんだ、それは……」


 まるで夢だな。訳がわからない状態で訳がわからないことが起きるなんてのは、夢でよくある話だ。


「かもしれませんね。たぶん、昔見た悪い夢の印象が強くてそれだけが記憶に残っちゃったんだと思います。

 すみません、ご心配させちゃって」


 ニーナは軽く頭を振ると笑顔を浮かべて大丈夫だとアピールして、私を追い抜き坂道を先に登り始める。


「さ! 早く戻って寝ましょう! 知ってました? ぐっすり眠らないとおっきくなれないんですよ?」

「どんだけ寝たところで私はもう成長しないんだが……

 あと言っとくが、私の部屋に入るの禁止だからな?」


 ことさらに明るく振る舞うのは結構だがきちんと釘を差しておく。でなきゃ何されるかわかったもんじゃない。

 私の言葉に完全にフリーズしたニーナのケツを軽く蹴り上げ、あくびをしながら坂道を登っていく。

 そうしてほどなく。

 どういうわけかまるで昼間のように明るい教会が見えてきて、私たちは足を止めざるを得なかったのだった。






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